ドキドキ♡過渡期篇
第8話 シスコンかも
ウスタリーを発ってまだ三十分しか経過していないのに、もう二時間くらいは過ぎているような気がした。景色がずっと変わっていないせいかもしれない。手前から奥に向かって延々と青々とした大規模農地が広がり、遠方に頂を白く化粧した巨大な山脈が連なっている景色。カレンダーや絵葉書にでもすれば映えるだろうが、十分も見続ければ流石に飽きる。
アディプト・アカ・グランロッサ、セトラ・アカ・グランロッサは列車のボックス席に並んで座り、そんな風景を眺めていた。
「……」
「……」
姉弟間に会話はない。そうだ。時間がゆっくりと感じるのは代わり映えしない景色のせいではない。この奇妙な静寂に由来していた。
アディプトは手慰みに視線をちらりと窓へ移して、反射なども利用しながら車内の状況を確認した。
通勤通学ラッシュを過ぎた田舎の路線にも関わらず、列車には結構な人数が乗り込んでいた。座席に座り切れず、ちらほらと立っている人がいるくらいである。
そのような状況でセトラは対面に座らず、彼女と同じ並びにある通路側の席に腰掛けていた。荷物は膝の上に置き、脚をぴったり閉じながら瞑目し、じっと剣の鞘を握り締めている。赤黒い髪をジェルでカッチリとしたオールバッグにセットした鋭い目元の青年がそうしていると、いよいよ重大な問題でも起きてしまったかのようだ。
(いや、確かに問題は起きてるけど……)
遡ること一週間前、二人は大敗を喫した。生まれ育った故郷であるロンドレイツを虚白色の集団に壊滅させられた挙句、二人は敵の異能によって存在を抹消された。それにより姉弟に関する記録は無に帰し、記憶からも抜け落ちるという憂き目に遭った。
(だから新しく戸籍を取得し直したし、記憶の問題は……まあ、皆初対面に戻ったと思えば何とかなる。それ以外は直近で何も起きてないんだけどなあ。)
しかしアディプトに焦燥感や危機感は大してなかった。彼女の覚醒時、傍にはいつも通り弟がいたからだ。
「セトラくん。」
「何だ?」
「席交換しない?景色がよく見えるよ。」
「どうせ変わり映えしねえ景色だろ。俺はいい。」
だがセトラはそうではなかった。立て続けに命を狙われたせいで、彼の警戒意識はかなり高まっていた。目を閉じているのは眠気があるからではなく、周囲の魔力を探知するために集中しているからだ。
「……」
「……」
(き、気まずい!)
尤も隣でずっと臨戦態勢を取られたらアディプトとしては堪ったものではない。
(え?何?ドゥラに着くまでこの重たい空気感なの?後何時間もずーっとこんなシリアスモードなセトラくんと一緒ってこと?間が持たないよ!)
「そんなに肩肘張らなくても大丈夫じゃない?今ならほら、私もセトラくんもだいぶ回復したし。」
「列車ごと襲われたらどうする気だよ。」
「それはそうなんだけど……」
(そこを疑ったらキリがないよね。)
アディプトは何とも決まりの悪い、ぎこちない表情になりながらセトラを見た。
身内の贔屓目を抜きにしても美形には間違いない、利発そうな顔立ちの青年だ。百九十センチメートルに迫らんとする高身長の骨格へ、白いシャツの上からでも分かるほど鍛えられた筋肉が載っている。外見だけなら堅物で真面目なストイック青年にしか見えない。
(もー……セトラくんがそれっぽいのは
「じゃ、じゃあさ、ゲームしない?」
「いっせーのでとマッチ棒としりとりならやらない。」
(ヤッバ。全部一瞬でネタ切れにされたわ。)
「心理テストとかどう?」
「自販機で飲み物を買うなら色は透明。肖像画で傷が描かれているとしたら目と胸。ペットと飼い主を一緒に殺したのはあの世で再会させてやろうとしたから。サイコパス診断以外に持ちネタねえの?」
(ちょうどそれしようと思ってたのに!)
「な、なら恋バナしよ!」
「朝から姉とサシで?」
「だって何にも話さないのもつまんないでしょ。ドゥラまで後何時間あると思ってるのさ。」
「適当に休んどけ。」
「昨日の内にたっぷり寝たから眠くないんだよ。」
「静かに目を閉じてるだけでも休息として意味はあるらしいぞ。」
「つまんなーい。」
するとセトラは溜め息をついた。
「現状、俺たちは割と命を狙われやすい立場にある。特に移動中なんてリスクの塊だ。」
「セトラくんの言うことは分かるよ。敵が私たちの行動を読んでて絶対殺すチャートを組むくらい殺意高かったわけだし、最大限警戒すべき対象として認知しておくのは私も賛成。」
「だろ。」
「でもこんな真っ昼間に襲ってくる可能性は低いでしょ。そういう状況でまで最大限警戒するのは無駄に消耗するだけで悪手じゃない?」
するとセトラは黙り、一考の後に口を開いた。
「……気を抜いたら今度こそ護れないかもしれないだろ。」
「……」
「俺じゃ力不足だった。だからこんなことになったんだ。不幸中の幸いで二人とも無事だったけど、これからも同じように上手くいく保証はどこにもない。次に何かあったら本当に終わりかもしれない。」
「そんな心配しなくても、セトラくんが及ばない部分は頑張ってお姉ちゃんがどうにかしてあげるって。それとも私ってそこまで頼りない?」
「頼りにはしてる。ウスタリーでは姉ちゃんに助けてもらえなけりゃキリルと一緒に死んでたし、俺よりずっと魔力操作とか術式の扱いが上手いのは知ってる。でも違うんだよ。」
「どう違うの?」
「大事な人に危ない目に遭ってほしくない。」
不意に飛び出た発言。セトラらしからぬ直球な物言いに対し、アディプトは目をぎょっとさせた。
「最近の出来事で気付いた。俺は姉ちゃんが大切なんだ。誰よりも優先させたい人が姉ちゃんなんだよ。」
一方の彼は真剣そのものな表情だ。
「今まで姉ちゃんがいたからやってこれた。腐りそうになっても励ましてくれたり発破かけたりしてくれて、そういう一つ一つが頑張るモチベになったんだ。姉ちゃんに支えてもらう度に早く一人前になって、この人の隣に立てる自分になりたいって思った。姉ちゃんは俺の人生の光明だ。もう二度と誰にも奪わせやしねえ。」
「ちょ、ちょいちょい!少し待って!」
しかし予想だにしていなかったタイミングで急に激重感情をぶつけられる身になってほしい。さしものアディプトでも一瞬困惑し、直後から強烈な羞恥に襲われ、咄嗟に顔を逸らしてしまった。
(どうしちゃったの!?元から結構シスコンだと思ってたけど……もう二度と誰にも奪わせないってそれ、ずっと傍にいろってことだよね!?つまり、その、私が好きってこと!?)
「姉ちゃん……?」
セトラは訝しげに彼女を見つめる。
「まだ待って!」
僅かに後方を向き、ちらりとセトラを確認した。
彼の表情に羞恥は皆無だ。しかし後で何を言ってしまったかに気付き、きっと身悶えするに違いない。それより気掛かりなことは、どうして彼が突然こんな台詞を言い始めたのかということだ。
(と、とりあえず確かめなきゃ。)
二度深く息を吸って吐き、魔力操作の応用で紅潮を止めた。続いて彼女は努めて表情をなくし、セトラへ向き直った。
「よし、やっぱり恋バナしよっか。」
「人の話聞いてた?」
「うん。だから恋バナしよう。拒否権はありません。」
「強引過ぎんだろ。」
「じゃあまずは好きな相手のタイプから話してみよっか。」
「いきなりそう言われてもなあ……」
「髪はロング?それともショート?自分に正直に答えてね。」
圧じみたものを感じ、不意に彼はたじろいだ。
だがアディプトに言い逃れや誤魔化しを認める気は更々ない。
じとーっとした絡み付くような視線に観念して、やがてセトラは渋々答えた。
「どちらかと言えば長めがいい。」
「その心は?」
「動くとシャンプーとかの匂いがするから。」
「ちょっとキモいかも。じゃあ次の質問ね。むちむちした子とスレンダーな子だとどっち派?」
「むちむち。」
「理由を添えてね。」
「言ったら絶対キモいと思うだろ。」
「回答内容次第かな。」
「樹液飲むカブトムシみたいになりたい。」
(キッッッショ!!!」
「……」
「じゃ、じゃあ色白な子か色黒な子か一人だけ選ぶなら?」
「透明感があるから色白。」
「へー。そこはあんまり変なの言わないんだ。」
「本当は普段色白な人が少し焼けてるのが一番いいと思ってる。」
「あ、うん。元気な子がいい?はたまた大人しい子がいい?」
「元気な子だな。自分が元気じゃねえ時も一緒にいたら元気出そうだろ。」
「なるほど。そういう感じねー。」
「なあ、これいつまで続けんの?」
「まあまあ、残り一個の質問で終わるからさ。これが一番大事なんだけど、歳上が好き?同い歳が好き?歳下が好き?」
「……」
「無回答は一番ダメだよ。どっちもとか全部とかは逃げだから認めません。強いて言うなら?」
「……歳上。」
「理由を。」
「安心するから。」
「もっと具体的にお願いします。」
「俺の至らない部分とかそういうところを支えてくれそうな感じがするから、だと思う。」
「へえー、そっかそっか。歳上好きかー。」
アディプトは相槌を打ちながら再びそっぽを向いた。
(絶っっっ対私だ!)
表情だけは辛うじて留めていたが、またもや顔面へ血流が集まってしまっている。カアァッと赤みを帯びた顔を隠しつつ、内心で彼女は激しく狼狽えた。
(髪ガッツリ長いしむちむちだし元気で歳上……ど、どうしよう。弟の性癖完全に歪めちゃった。)
「さっきからかなり変だぜ。どうした?」
(変なのはセトラくんでしょ。姉弟はダメだよ。禁断だよ。アブノーマルだよ。)
セトラは席を立ち、アディプトの前へ近付いた。肩を軽く掴んで正面を向かせる。
「あっ……」
「熱でもあるのか?」
「い、いや、全然平気。」
「でも顔赤いぞ。調子悪いなら早めに言えよ。」
「大丈夫だって。えと、少しトイレ行ってくるね。」
彼女は慌てて席を立ち、車両端にあるトイレへ向かった。
対して彼は荷物と剣を持ち、ごく当たり前に付いて行った。
「何で付いてくるの?」
「トイレ中こそ警戒が要るだろ。人間が最も無防備な瞬間の一つだ。」
「それはそうだけど。」
「俺のことは気にしないでいい。」
そう言うと彼はトイレの正面にある壁に凭れ掛かった。
元より大して尿意を催していなかったが、何もしなかったら逆に不自然になる。アディプトは個室に入り、用を足しながら重い溜め息をついた。
「はあ……」
(本格的にどうしたもんかな。好かれて嫌な感じはしないけど……)
ロマンフォルクス王国では法律上、遺伝学的な血縁関係がある三等親以内の者同士の結婚は禁止されており、それに準ずる行為もタブー視されている。
それらを理由にきっぱりセトラへ断りを入れるべきなのだろうが、アディプトは懊悩していた。
(多分割とセトラくんのメンタルヤバそうだし、今やんわりとでも断ったらいよいよ拠り所がなくなって心が折れちゃうかも。あーもう!何で弟のメンタルで終盤のジェンガみたいな真似しないといけないんだろ。)
現状、セトラとアディプトの二人だけの生活に終わりは見えない。その状況にも関わらず二人の関係が悪化したら最後、ひたすら気まずい地獄の日々のスタートだ。
(困ったなあ。いつか存在抹消の件に決着が付いた後について考えると、ずぶずぶになってたらお互いかなり大変だし……だからって断るのも可哀想だし……)
しかしこと人間性へ深刻に影響する決断を安易には下せない。その時、ふとアディプトに電流が走った。
(あっ、そうだ。)
すまし顔をしてトイレを出る。
(ダル絡みしてちょっとずつ冷めさせよう。)
斯くしてアディプトの孤軍奮闘が開幕した。
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