第7話 決着

 アディプト・アカ・グランロッサが意識を取り戻した際、状況は混迷を極めていた。


 場所は何故か半壊している病院らしき建物。時刻は恐らく日没直後。空気には熱気と髪の毛が焼ける異臭、血の臭いが混在して立ち込めていた。


 そんな異常な状況下で人ならざる男が狂気の只中にいる様子で少年の前に立ちはだかり、傍らにはアディプトの弟が倒れていた。


短縮レド砲弾パファージョ。」


 そしてアディプトは半ば無意識に魔力を生成し、魔術を発動させていた。虚空に生成した岩塊を男へ向かって射出し、彼の生身である部分に直撃させて弾き飛ばしたのである。


「セトラくん。ほら起きてっ。」


 彼女は弟――セトラ・アカ・グランロッサの元へ行き、肩を貸して立ち上がらせた。


「姉、ちゃん……?」


「そうだよ。大丈夫?」


 事態が飲み込めない。アディプトが意識を取り戻したのは喜ばしいことなのに、事態が事態なだけに反応に困る。けれど慣れ親しんだ横顔が、平均的な人よりやや高めな体温が、微かに香る匂いがあるだけで、枯渇しつつあったものが湧き上がってくるようだ。


「頭とか打ってない?思ってたよりやられてるっぽいね。」


(ああ、本当に……)


「……姉ちゃんなんだな。」


「だからそう言ってるでしょ。それで調子はどう?」


「……炉心と回路がまたイカれた。重力魔術は使えねえ。魔力放出は残り一撃ってところだ。」


「そう。じゃあ最後にドカンとぶちかましてもらおうかな。」


 姉弟は手早く必要事項を確認していく。


 けれど悠長に話せる時間はなかった。


「だああああああレええええエええええ!!!!!!!!!!??????????」


 イヤロス・ドルガノフは著しく肥大化した左腕を病院の外壁に突き立て、強引に三階までよじ登ってきた。


「後これが一番大事なんだけど、あのデカブツは何?」


「敵だ。」


 セトラ、アディプト、キリル・ポドブラチの三人をイヤロスは睨み付ける。左眼を覆っていたサングラスのモノクルが砕け、紫紺の狂明を溢す魔眼が露呈した。


「だレニモまけない!まけたらしんじゃジャじゃんえ!!ぜんぶもがおもいドオリ!!!いちばんでトテモすっゴいつい!!!!わからセテヤル見かえしテヤル証明するのです!!!!!やくたたずってばかにしてきたのをミンナミンナをみんな殺してさいきょうになる!!!!!!」


 狂気に呼応するかのように彼の身体が変貌を遂げていく。人型を逸し始めた全身が凄まじい数の死霊、洪水じみた量の暗い泡汁に飲み込まれていく。


(なるほどね……死霊魔術の術式で自身の死体に憑依したのか。魔力源にはきっと魂魄を使ってるんだろうな。そのせいで術式の制御が全くできてない。自身の霊体だけじゃなくこの周囲一帯の霊体をも取り込んじゃってる。身体を覆ってる小汚い汁はあれ自体が無数の霊体、凝縮した呪いみたいな感じか。ヤバイ。私と相性最悪だ。)


 この上とも、戦闘の影響から病院の建物全体に亀裂が入りつつある。いつ倒壊してもおかしくない。


「セトラくん、少年、降りるよ。」


 そう言ってアディプトは返答を待たずして二人の服を掴み、魔力放出込みのバックステップで三階から大地へ飛び降りた。


「姉ちゃん!?」


「うわああああ!?!?」


 自殺行為としか考えられない愚行。だがアディプトは落下中も絶えずスムーズに体表面にある魔力放出を行うポイントを変え、落下軌道を捻じ曲げることで一切の衝撃なく二人を連れて着地した。


(っ、起き抜けでここまでやれるのかよ!!)


 セトラは神懸り的な魔力操作技能に舌を巻く。


 しかし病み上がり、ウォーミングアップなしでこれほどの芸当を行うのは彼女でもノーリスクではなかった。無茶の皺寄せが魔力炉心と魔力回路の損傷である。全身に鈍痛が走り、脂汗が流れる。


 この好機を狙ってイヤロスも後を追ってきた。こんな短期間でもっと増殖した泡汁がイヤロスの死体を全てを飲み込み、遂には巨躯の獣じみた怪物へ化していた。


「オオオオオオオオオオォォォォォッッッッッ!!!!!!!!!!」


 着地と同時に地鳴りのような轟音を響かせ、怪物が生物ならざる声で夜空へ咆哮する。最早、本質的にはウスタリーに来た初日にセトラが戦った靄のような霊体と大差ない。イヤロスは周囲から際限なく取り込んだ霊体と混ざり合い、凝縮した怨恨に突き動かされるがままに戦う怨霊へ成り果てた。


(アレを倒すには超級以上の退去術式で全身を覆う霊体を消し去るか、同じくらいの停止術式で身体構成するサイクルを止める必要がある。でも今のアレは自前のオドだけじゃなく、排水溝みたいに吸い寄せられてる死霊からの魔力供給も受けて術を実行してる。)


(術式だけの対処じゃ不十分。周りの霊体も含めて一度完全に魔力の流れを遮断できるような一撃じゃないとすぐに復活する。けどあの怨霊を一撃で処すには時間が足りな過ぎる。せめて三十秒くらいは魔力を溜める時間がねえと有効打を与えられねえ。)


 言葉を交わさなくても姉弟の思考は自ずと同期していた。


 アディプトはセトラへ視線を向けた。


「この前くれた指輪って持ってる?」


 彼女のやろうとしていることにすぐ合点がいって、セトラは指輪を渡した。


 ティエレヂーノ鉱石、夜桜色の鉱石があしらわれた指輪だ。外観もさることながら極めて優れた魔術の触媒としての側面も持ち、装着者が女性で、且つ土属性のオドの持ち主の場合、術式効果を最大で六倍にまで増幅できる。


 指輪を左手の人差し指に嵌め、アディプトは全身から魔力を立ち上がらせた。


「私が時間を稼ぐ。その間にセトラくんは攻撃の準備をして。」


 それから彼女は四の五の言わさず、セトラたちから離れながらイヤロスに対して土属性魔術で作った砲弾を数発撃ち込んだ。砲弾は流動する身体に取り込まれ、ダメージを与えられた様子はない。


 だがイヤロスの注意が二人よりもアディプトに向き、彼は凄まじい速度で接近した。同時に彼の大きく開いた口腔から膨大な死霊の群れを連射する。厄介な追尾機能こそ消えたものの死霊は原型をなくした液状の呪詛として放たれ、あまりに速い連射速度のせいで半ば光線にすら見えるなど、その威力は先ほどセトラへ向けられた技とは一線を画す。


「ッ!」


 即座に防御不能の威力だと看破し、全速力でアディプトは回避に徹した。


 彼女に当たらなかった死霊が次々と周辺の建物へ風穴を開けていく。


(このまま時間稼ぎをしてもいいけど、それじゃこの場所がめちゃくちゃになる。下手に逃げ続けたら後々責任問題になるな……)


 彼女は急激に方向転換し、距離を取る戦法から一変して相手への距離を詰めた。インファイトを目論んでの方針変更だ。そのまま至近距離にまで迫り、魔力を帯びた長い脚で蹴りを繰り出した。


 それを相手は体表面でわざと受けた。流動する身体がじゅうと音を立てて彼女の肉体を取り込まんとする。


 しかし相手の対応をアディプトは予め読んでいた。故に呪詛の影響を遮断できるだけの魔力を纏った状態で相手に飲み込ませ、脚部の回路全てから魔力を放出。突如として爆発的に膨れ上がった彼女の魔力を抑え込めず、相手の一部が内側から破裂した。


「!?」


 反射的にイヤロスは彼女から離れ、苦し紛れに死霊の弾丸を数発放つ。それらを全て避け、両者は睨み合った。


 アディプトの奮戦ぶりを見つめながら、セトラは剣に全力全開の魔力を籠める。


「合図はぼくが出す。セトラはやれる時に言って。」


 本来、セトラの魔力はまだ人であった時のイヤロスを殺害した時で尽きていた。故に復活直後、反射で行った魔力放出は相手にとってダメージにならなかった。


 しかし今は違う。彼女が、アディプトが同じ戦場で戦っている。そんな彼女から信を預けられた。


(なら、死んでも答えねえわけにいかねえな!!)


「……今!」


短縮レド閃光フルミーロ!」


 キリルの詠唱の後、彼から閃光が放たれた。


 すぐにアディプトは意味を理解し、土属性魔術で足元を隆起させた。隆起の勢いと魔力放出の斥力を合わせ、戦場から跳躍で離脱する。


 またセトラの魔力を脅威と判断し、イヤロスが彼へ牙を剥いた。全身に死霊を纏い、凄まじい勢いで突進していく。


 対するセトラは限界を超えて漆黒の闇属性魔力を迸らせ、剣を真っ向から振り下ろした。帯状の魔力の奔流がただ一人を滅ぼさんと放たれた。


 同じ黒でありながら真逆の由来を持つ力同士が激突。時間にして十秒足らずの短く長い拮抗状態を経て、獣も死霊も消え去った。復活の契機となる死体、術式こそ消し切れなかったが、原因であるイヤロスはもういなくなった。


 それを確認してから、遠くの方から走ってくる騎士たちが見えた。眼鏡を掛けた男、濃い金髪の女が近付いてくる。


(終わった、のか……)


 そんな風に思って、セトラの意識は途絶えた。


 ▽ ▽


 開け放った窓から入り込む草の香り。風で揺れたカーテン同士が擦れる微かな音。消毒液の匂い。覚えのない枕の感触。


「……ぁ。」


 セトラが目を覚ました場所はここ二日と数時間程度滞在していた病室ではない、またどこか別の場所だった。


「セトラくん!」


 ベッドの周囲にはアディプト、キリル、ジョレス・アルダーノフ、ノンナ・トマシェフスキーが座っていた。四人は心配そうな顔でセトラを覗き込んだ。


「ここは……?」


「ウスタリー支部だよ。今は野戦病院みたいに開放されてるの。」


「イヤロス・ドルガノフは……?」


「容疑者の遺体は騎士団で回収しました。現在、本部から応援で来た魔術師たちによって超級結界魔術で隔離の上、二十四時間体制で監視しています。野盗の何人かは捕縛に成功しおり、容疑者が野盗集団と結託してウスタリーを襲った件も裏はほぼ取れてます。今は余罪がないか捜査中です。安心してください。本件であなたたちを疑うことはありません。」


 騎士たちは神妙な表情で起立した。


「……当方が最初はあなたたちを疑ってしまったことは必ずしも正しくなかったと、今では反省しています。」


「魔眼があったのに半信半疑っていうか……妄想と現実の区別が付いてない系のヤバい人だと思ってました...…」


「ですが、あなたたちは本来無関係であるウスタリーを護るため、身を粉にして戦ってくれました。あなたたちの働きがなければこの町は壊滅を免れなかったに違いありません。騎士団として、対応の全てが誤りであったと認めるわけではありません。しかしあなたたちを信じないでいたことは心から、深くお詫び申し上げます。」


「誠に申し訳ございませんでした。」


 それから二人は腰を折り、深々と頭を下げた。特にノンナは普段のねっとりした話し方を鳴りを潜めている。


 何と返そうか迷っていると、続けてキリルが話し掛けてきた。


「セトラ。」


「キリルか……大丈夫だったか?色々、嫌なもん見せちまったよな……」


 不可抗力とはいえ殺し合いの場に同席させてしまい、彼の父親に関しても知らせるべきではなかった事項を知らせてしまった。


(イヤロスは恐らく、自分の腕とキリルの親父さんの腕を入れ替えてた。トラウマになってねえといいけど……)


「親父さんの件とか、その、何て言ったらいいんだろう……」


 言葉が見つからず、彼は狼狽える。


「ううん、いいんだよ。あの後、父さんが見つかったんだ。」


「え……本当なのか?」


「野盗から拠点について話したみたいで、ノンナお姉ちゃんたちが探しに行ってくれたの。」


 話題に出され、ノンナが説明を引き継ぐ。


「ルカさんや他にも捕まっていた人たちは生きてました。全員ではありませんでしたけど、救助できた人は野戦病院で治療を受けてもらってるんですよぉ。」


「そうだったんですか。キリル、よかったな。」


「これも全部セトラのおかげだよ。ありがとう!セトラはウスタリーの英雄だ!」


 そう言って彼は満面の笑みを浮かべた。


 それだけで全身を苛む痛みも報われた。


「いいや……当然だ。人を護るなんてことはよ。」


 四日後、大体傷の癒えたセトラとアディプトはウスタリーにある駅にいた。


 普段閑散としている駅には見送りのため、騎士たちや住民らが大勢詰めかけていた。彼らを代表し、ジョレスとキリルが前に出ていた。


「こちらをどうぞ。」


「はい、受け取って。」


 二人はセトラへ封筒を渡した。


「そんな……貰えねえよ。ただでさえ戸籍絡みで色々掛けたのに。」


「そう言わないで。皆、セトラたちには感謝してるんだ。」


「これはあなたたちに助けられた全員からの気持ちです。滞在中も臨時のインフラ整備や魔物の撃退などで数多く助けられましたから、何も報いないなんてことはできませんよ。」


「そういうことなら……分かりました。」


 封筒を握り締め、セトラとアディプトは見送りの集団の方を向いた。


(ああ、そうだったのか。)


 幼少期、何遍も聞かされた教えが頭に浮かんだ。「未来のために戦う貴い在り方を自らに課すが故に貴族になる。」と父親はいつも説いていた。減らず口をきいていたものの二人は二人なりに教えを解釈し、今まで教えに背かない在り方を続けてきた。だが心のどこかで疑問がなかったわけではない。


(でもやっと少しは理解できたよ、親父。)


 存在を抹消されて何もかもを失くし、自分たちは貴族であると自称する頭のおかしい身元不明者として扱われたところから町の英雄として認められるに至った。それは紛れもなく二人の努力が実を結んだ結果だ。


 それからセトラは清々しい心境で集団に告げた。


「皆さん!それぞれ大変な中ありがとうございます!謹んでお受け取りします!」


「正直めっちゃありがたいです!この御恩は忘れません!!」


 その時、ホームに列車が到着した。


「それじゃあ――」


「――行ってきます!!」


 旅の荷物を持ち、二人は大きく手を振って改札を潜った。


 別れを惜しむ声が集団から口々に上がる。


 後ろ髪を引かれる思いだが構わない。今生の別れではないのだ。また会う機会は幾らでもある。


 そして二人は王都帯ゼレハフトへ向かうため、まずはコミュニカッツア領の中心地、精霊都市ドゥラ行の列車に乗り込んだ。

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