第6話 魔の手

 どこにでもありそうな廃びれた田舎町。祭りでもなければ人手とも活気とも無縁なウスタリーの地は現在、狂騒の真っ只中にあった。放火、殺傷、略奪、拉致……脈絡現れた野盗の集団は暴力の限りを尽くし、宵闇と業火の境でウスタリーは地獄と化した。


「野郎共!!事前に指示されたヤツは男でも殺すな!いい女もだ!残りは全部めちゃくちゃにしていいとよお!!!」


 野太い男たちの下卑た笑い声、怒号と住民たちの叫びが混ざり合う。数時間前までのウスターはもうない。


 どこからともなく車に乗って現れた野盗たちは手当たり次第に民家や店舗に押し入り、物を奪い去っては放火していった。逆らう相手はとりあえず殺した。その内、彼らのグループの一つがウスタリーにしては珍しい二階建ての一軒家に目を付けた。


「金だあ。金目の匂いがするぜ!」


 生意気にも戸口は鉄製の頑丈なドアで守られていたが、そんな物は別の入口を作ってしまえば何の障害にもならない。粗暴な男たちは斧や槌で強引に外壁を叩き壊し、我が物顔で家へ踏み入った。一階には特に目ぼしい物はなかった。腹いせにテーブルや椅子を破壊して、奥にある階段を上がった。


「く、来るな……!!」


 二階はワンルームで、部屋の壁全体が棚となっている。棚には数多の魔導書や魔道具がぎっしりと詰まっていて、入りきらない分は床へ乱雑に積み重ねられていた。


 そして部屋の隅に黒髪の少年がいた。少年は足を震わせながら男たちと対峙した。


「く、来るな……だとよ!ガキがいっちょ前に啖呵切ってるぜ!怖すぎてブルちまった!」


 男たちは一歩、また一歩と近付いてくる。警戒も何もない舐め切った足取りだ。


「本当だぞ……!お前たちを倒すくらいぼくにはできるんだ!」


「じゃあやってみな!できるもんならなあ!」


 またも男たちは大声で笑い出した。


 対して少年は魔力炉心から魔力を練る。


 刹那、魔力の生成を感知した野盗は即座に距離を詰め、少年の頭を掴んで本棚に向かって投げ飛ばした。それから野盗はすぐに倒れた少年、キリル・ポドブラチの髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。


「お前、魔術師か。」


「……ぁ」


「質問してんだ。答えろよクソガキ。」


 キリルは動けない。動かせない。本棚に頭をぶつけた衝撃で脳震盪が起きていた。それでも半ば本能でスペルを呟いていた。


下級スバルテルナ……」


「答えろつってんだろうが!!」


 男が激怒し拳を振り上げる。


「てめえの目ん玉は腐ってんのか?どう見ても将来有望な魔術師だろうがよ。」


 代わりに答えたのは仲間の野盗ではない。暗く赤い髪の背が大きい青年――セトラ・アカ・グランロッサは階段を上りながら現れた。


「何だお前はあ!!」


 野盗の仲間が突然現れた乱入者へ斧を振るう。


 空かさずセトラは身を屈めて斧の軌道を逸れ、魔力で加速させた拳で敵の首を突いた。硬く握り締められた拳は首の骨を砕き、瞬く間に一人の命が散った。


「殺せえ!!」


「生きて帰れると思うな!」


「てめえらがな。」


 同時に襲い掛かってくる野盗たち。


 対してセトラは剣を抜かず、徒手空拳で一撃毎に絶命させていった。最後にキリルに怪我を負わせた野盗の頭部を蹴り潰し、彼はキリルの下へ駆け寄った。


「キリル無事か!?」


 額から血を流しつつ、キリルはこくんと頷いた。


「ちょっと痛いけど……大丈夫。」


「そうか。少し待っとけ。」


 セトラは病衣の一部を破り、切れ端を彼の頭に巻いて止血した。


「すまねえな。回復魔術が使えなくてよ。」


「……ううん。それより、何でここに。早く逃げなきゃ……ウスタリーは危ない。野盗が攻めてきて……」


「ああ、だから助けに来たんだ。」


 ひょいとキリルを脇に抱え、セトラは火の手が回りつつある通りへ出た。


「変なんだよ……これまで周辺で襲撃があった時は大体夜中だったのに、何でこんな時間に……」


(キリルの言う通りだな。常識的に考えれば、奇襲は明け方か夜中にやるはず。野盗なら猶更、こんな騎士団が普通に活動してる時間に襲い掛かる道理はねえ。けど今はウスタリー支部からグランロッサ領に何人かの騎士が派遣されてる。少しでもこちらの戦力が少ない時を狙ったとしたら一応の辻褄は合うが……)


 しかし相手が直近の未公開情報までをも知っていなければ、今回の襲撃タイミングを説明できない。そして未公開情報を入手できるとしたら騎士団か、騎士団と関係が深い組織や人物に限られる。昨晩ベッドの上で考えていた可能性の存在感が急激に増していく。


「ぼくのことはいい……どこかに隠れてやり過ごせる。でもセトラのお姉さんはそうじゃないだろ。ぼくに構わず急いで病院に行ってよ。」


 セトラは走っていた。僅かだが息が上がりつつある。


「アホ抜かしてんじゃねえ。逃げてあんな気分になるのはもう懲り懲りなんだよ。今度こそだ。今度こそどっちも助ける。」


 そう言っている傍から目の前に更なる敵集団が現れた。


「おい!今この辺りで魔力計に反応があったぞ!闇属性だ!標的に違いねえ!」


「ケッ。じゃあそいつも捕獲対象だ。逃がすなよお前ら!」


 さしものセトラといえども束になって襲い掛かられたら無傷では済まない。


「悪い。ちょっと速く動くぞ。」


 背中の鞘から抜剣し、足裏から魔力を放出する。砲弾の如き速度でセトラは駆け出し、すれ違い様に野盗たちを切り殺しながら病院へ向かった。だが快進撃は延々と続かなかった。


 病院までもうすぐという地点で、両手にそれぞれ柄の長さが異なる斧を持った男が二人の前に立ちはだかった。男は傷だらけの面に獰猛さを滲ませながら、両手に握り締めたそれぞれの柄の長さが異なる斧でセトラの斬撃を弾いた。


「くっ……!」


 咄嗟に大きく後退し、歯噛みする。魔力放出でパワー、スピードの両方を上乗せした一太刀が防がれた。彼の剣捌きが読まれるだけだけ、相手との技量差があるということだ。


「セトラ……ぼくを置いて。子どもを抱えたままで勝てる相手じゃないだろ。」


「ダメだ。今少しでも離れるのは得策じゃねえ。」


(さっきの口調から察するに、コイツらはどういうわけか魔術師を狙ってる。ちょっと目を離したらキリルが何されるか分からねえ。)


「安心しろ。すぐに殺して終いだ。」


 相手の男を睨み付ける。身長はセトラと同じか、寧ろ少し低い。しかし服の上からでもはっきり分かるほど両者のバルクには差がある。鍛えているとはいえ自重トレーニングの成果として発達したセトラの筋肉と、血腥い殺し合いの最中で自然と鍛え上げられた男の筋肉とでは近接戦に適性があるのは断然後者だ。炉心と回路の不調から本来の戦闘スタイルを発揮できず、相手の土俵である接近戦を仕掛けざるを得ないセトラには不利な相手である。


(どう見ても得物の扱いは俺より上。こちらの利点は武器のリーチと魔術くらいか。でも魔力を無駄遣いできる余裕はねえ。だらだらとは続けられねえ。)


短縮レド散弾プルムベーロ。」


 即座にセトラは短縮詠唱を行い、術式効果により発生した細かな無数の弾丸を男へ発射した。


 男は本能から真横へ跳び退いて散弾を躱し、地を這うような位置から獣の如き身のこなしでセトラへ迫った。途中、渾身の力で斧を投擲。尚も放ち続けられていた散弾の雨を真っ向から突っ切り、ぐるぐると回りながら斧が二人の命脈に届きかける。


 あんな物を食らったら一たまりもない。セトラは魔力放出と足捌きを駆使し、間一髪で投擲物を避けた。


 これこそが男の目論見である。セトラが相手の技量を察したように、男にもまたセトラの接近戦の技量はある程度分かっていた。尤も幾ら武器術に優れていたとしても散弾に晒され続ければ必死である。故にセトラが別の術式に切り替えるか、回避や防御に専念するように仕向けた。そして懐まで潜り込めれば、本来の得物が不足していても技量で圧倒できる。


(俺たちを殺すなら、な。)


 だが敵は組織立って魔術師を捕まえようとしている。生死を問わないのであればセトラが到着する以前にキリルは殺されていて然るべきことから、恐らく指示内容は生け捕りである可能性が高い。であれば確実に一度、一撃が重い武器であれば一段と敢えて威力を弱める隙が生まれる。


 それを作るため、セトラは意図的に低威力の散弾をばら撒いていた。


 魔術師は術式を使って遠距離からサクサク戦うだけだから、距離を詰めて術式発動以前に殺せばいい。一般的な対魔術師戦のセオリーに従い、男はまんまと至近距離に入った。今度こそ回避ができない、散弾の間合いだ。


 先の術式はまだ停止していない。三発、四発と立て続けに放たれた散弾が男を穴だらけにした。一秒前まで生きていた人間を集合体恐怖症の人には決して見せられない肉塊へと変貌させた。


「っ……!」


 キリルが引き攣った顔をする。一連の戦いを見てしまっていた。人の死体になる過程を記憶に焼き付けてしまった。


「……あんまり見るな。」


 こんな物をいつまでも子どもに見せてはいけない。セトラは病院へ急いだ。


 二人が到着した時の病院は特に酷い有様だった。セトラと男との戦闘の比にならない。売店や受付がある一階には血の海が広がり、夥しい骸と死臭、異様な魔力で満ちていた。


「……俺がいいって言うまで目を閉じてろ。何も聞いちゃいけない。嗅ぐのもだ。」


 寂れた田舎であるウスタリーにおいて、最も資産価値の高い物資が集中しているのは病院だ。医療器具や薬品、医療用魔道具は裏ルートで高額で売ることができ、現金に至ってはそのままでも使用できる。


 よって賊が病院を襲うことに違和感はない。けれど転がっている死体には野盗の物も多く混ざっていた。まさか土壇場で仲間割れしたのでもあるまい。


(確実にいる。とんでもねえ強さのヤツが病院にいる。)


 非常事態下でエレベーターは止まっていた。


 セトラは息を切らしながら階段を駆け上がり、やがて三階の廊下まで戻ってきた。


 一階や二階とは異なり、三階は数時間前と殆ど変化がないように見えた。他の入院患者の気配が消えているだけのように思える。では何故こんなにも濃厚な死の臭いが充満しているのか。


 最悪の可能性を脳裏に過らせつつセトラたちは遂にガラス張りの病室の前へ、アディプト・アカ・グランロッサの下へ辿り着いた。


「よかった。ご無事で何よりです。」


 そしてそこには数時間前に初対面した中年男性、イヤロス・ドルガノフが立っていた。革靴やスーツに少し返り血が跳ねているものの、イヤロスが怪我を負っている様子はない。彼は二人が生きてこの場に現れたことへ安堵し、人好きのする爽やかな笑みを貼り付けて応じた。


「……階下の死体はイヤロスさんが?」


「はい。この病院はウスタリーの重要施設の一つですから、ここが壊滅すれば大勢の住民の皆さんが不便を余儀なくされます。落とされるわけには参りません。」


 発言内容は正しくその通りでしかない。仮にセトラが病院に残っていたとしても、最初に優先させるのは病院の守護だ。戦力が自分しかいないのなら安易にこの場を離れる選択はしないだろう。


「他の患者さんはどこに行ったんですか?」


「皆様は別の階段から屋上へ避難していただきました。野盗連中も空からの奇襲はしてこないでしょうから。」


 コツコツと靴音を鳴らしながらイヤロスが歩いてくる。


「一見した限り、キリル君は頭を負傷しているようですね。セトラさんにも疲労の色が見て取れます。自分は一応回復魔術を習得していますし、よろしければ診させていただけませんか?」


 そして彼が魔力を熨せた左腕を伸ばした直後、掌から超高圧力で圧縮された水の刃が途轍もない速度で現れた。刃はセトラの命脈を断たんと彼へ殺到する。


「!!」


 セトラは魔力放出で加速させた剣の一振りでそれを受け止めた。水と剣がぶつかり合って飛沫が生じ、視界の一部が封じられる。


 この機に乗じてイヤロスは素早く回り込んできた。


 しかしセトラに脇に抱えられ、視点の高さの違うキリルには相手の行動が見えていた。声を裏返させつつ叫ぶ。


「セトラッ!!左から来る!!」


 セトラは声に従い、山勘で刃を振り下ろした。


 イヤロスはまるでセトラの行動が事前に分かっていたかのように斬撃を躱し、同時に左腕の術式を停止させた。それから瞬間的に右腕に刻まれた術式を起動させ、黒い靄を纏わせた右拳をセトラの顔面に叩き込んだ。


 もろに一撃を受け、セトラと彼に抱えられていたキリルも一緒に後ろへぶっ飛んだ。だがセトラは辛うじて受け身を成功させ、自身とキリルへのダメージを最小限に留めた。今の衝撃で口内が切れ、血が流れ始めた。セトラはふらつきながらも立ち上がって血を床に吐き捨てると、キリルをそっと床に降ろした。


「悪い……お前を抱えたまま勝てる相手じゃなさそうだ。」


 その間も刺突の如き視線をイヤロスに向けたまま、セトラは言い放つ。


「てめえ、襲撃の首謀者だな。」


「ええ。」


 対するイヤロスは拍子抜けするほどあっさりと事実を認めた。


「ですが意外でしたよ。てっきり初撃で落とせると思っていましたが、まさか防がれてしまうとは。」


「水属性魔術の使い手なら水圧カッターは常套手段だ。」


「だとしても、自分の術式による水の刃は音速を優に超えた速度で出現します。予め攻撃を予期していなければまず防御も回避も不可能なはずです。君に対しては怪しまれるような真似はしていないと記憶していますが、一体どのタイミングで気付いていたのですか?」


「別にてめえ一人だけを疑ってたわけじゃねえ。最初から騎士団関係者ほぼ全員を疑ってただけだ。」


 セトラ的にだらだらと話せる時間は多いほど望ましい。その分だけ今しがた負ったダメージの回復に費やせる。


「そもそもウスタリー周辺で野盗が頻出してる話を聞いた時から違和感はあった。こんな田舎で中々捕まらないなら、騎士団の内部情報を誰かがリークしてるんじゃないかってな。そして今回の襲撃に見られる幾つかの不可解な点が確信を与えた。野盗は何故ウスタリー全域で暴れ回ってんのか?何故この時間にわざわざ襲い掛かってきたのか?何故魔術師を捕まえようとしてるのか?これらについてずっと考えながら俺はここまでやってきたんだ。」


 突発的な犯行に及んでしまうような集団なら不合理性はあって然るべきだが、野盗は予め指示されたであろう内容に従う程度には統率の取れた集団だ。理由もなくこのような凶行に走るとは考えられなかった。


「町の様子を見ていて分かったが、ウスタリーにはわざと襲撃してまで奪う価値のある物は殆どない。あるとしたら病院か騎士団の詰所くらいだろうな。でももし仮にヤツらの目的が略奪だとしても、奪いたい物だけを集中的に狙い、無事に奪取できたら即逃走すればいい。こうも全体的に間延びさせながら町をめちゃくちゃにする意味がねえ。」


「……」


「襲撃時刻に関しても、この時間帯なら日勤の地方騎士がまだ働いてる。今日が非番の騎士だって招集すれば来れる人は多いはずだ。町に戦力がある状態でわざわざ戦いを仕掛けてくる理由が見つからねえ。」


「……」


「後、魔力と術式があれば反撃を受ける可能性もある魔術師を野盗側が生け捕りにする理由も何でか分からなかった。」


「……」


「だから一見、あまりに不合理でお粗末な犯行にしか思えない。けど現在の状況を捉え直せば襲撃にも理由が見出せる。普段なら何もないこの町に、意思に応じて変化する生体術式である空白アルズウェック器官を持つ男女が二人もいる。しかも二人は身元不明でいつ消えたとしても大した騒ぎにはならねえ。尤も検査結果が出て正真正銘の空白アルズウェック器官だと認められれば、そいつらは明日から何らかの身分を獲得するために動き出してしまう。かてて加えてグランロッサ領地方騎士団ウォーノン本部からの定時連絡が途絶え、状況確認のためにウスタリー支部から騎士たちを派遣した。戦力の一部は確実に日頃より少ないわけだ。それで野盗に指示を出している犯人は何の動機があってか魔術師の生け捕りに拘ってる。空白アルズウェック器官を欲するのも至極妥当な反応だろ。」


「……」


「だが犯人には一つミスを犯した。空白アルズウェック器官が身近にあることに気付くのが遅れ過ぎたんだ。そりゃそうだろうな。怪しさ満点の身元不明者が自分は貴族だって主張して、それを信じる方がどうかしてる。でも検査を経て、そいつとそいつの姉は本当に空白アルズウェック器官を持っていることが判明してしまった。こうなってはもうただの身元不明者では済まねえ。だが検査結果を広く共有される前のタイミングなら二人を拉致してもまだギリギリ怪しまれない。よって犯人はウスタリーを野盗に襲わせ、検査結果を有耶無耶にできて、二人共いなくなってもおかしくない状況を作り上げた。」


「……」


「そしてこの仮説が成り立つとしたら、それは犯人が騎士団内部の情報に精通している人物しかありえない。ウスタリー全域が混乱しているどこかのタイミングで俺や姉ちゃんに接触してくる騎士団関係者全員を最初から疑ってたんだ。」


 お粗末な推理を展開している裏で少しだけ体力を回復させ、セトラは直剣の切先をイヤロスに向けた。


「てめえの犯行が明るみに出れば極刑は免れねえ。何でこんなことをした?」


「どちらも君が今全部話してた通りですよ。」


 他方、イヤロスはどうしてそんなことを訊いてくるのかと言わんばかりに淡々と答えた。


空白アルズウェック器官が生体術式における最上位に位置することはご存知ですよね。人が空への憧れから飛竜の生体術式を解析して飛行機を作ったように、自分も憧れたのですよ。だが何度試しても空白アルズウェック器官の複製はできませんでした。」


「じゃあてめえは本当に……」


「ですが殆ど諦めかけた時、自分の元に報せが入りました。グランロッサ家出身であると主張する身元不明者が山中で発見されたと聞いて、最初は疑いましたよ。しかし検査の結果、君たちは本当に空白アルズウェック器官を持っていると証明されました。久方ぶりに魂が震えましたよ。自分が長年追い求めていた物が二つも目の前に転がっていたのですから。」


「本当に……たったそれだけのために大勢の人を殺して町を滅茶苦茶にしたのか!?」


 セトラの推理と実際の動機は相違なかった。しかし感情がそれを認めたくなかった。


 すると初めてイヤロスが本来の感情を剥き出しにした。


「持つ者はいつも自身が如何に恵まれているのかに気付きませんよね。不愉快だ。」


 イヤロスが革手袋を嵌めている右手を突き出す。そこに刻まれた術式に魔力を通すと、死霊の群れが次々とセトラたちへ襲い掛かった。死霊は一体ずつが高速で放たれる自動追尾弾と化し、生を求める渇望のままに二人に向かっていく。


「……!?」


「下がれキリル!」


 セトラは剣へ闇属性魔力を纏わせ、横薙ぎの一撃に乗せて放出し。半月状の黒い斬撃、魔力の塊が死霊の群れをまとめて吹き飛ばした。


「おや、防がれてしまいましたか。」


 けれど代償も大きかった。詰所から病院に至るまでの連戦で蓄積した負荷がセトラに片膝を着くことを強いた。


(しくじった……!まさか死霊魔術で攻撃してくるなんて。水属性じゃなかったのか!?)


 霊体に対して物理攻撃は特別有効ではない。特攻を持つ術式を扱うには練度不足で、魔力による迎撃しか有効な手立てがなかった。その結果、治りかけていた炉心と回路に再来した不調である。


 また、不意にキリルが震えながら声を荒げた。


「何で……何でお前がその術式を持ってる!?それは父さんのだ!!」


「おや、勘がいい。流石は親子ですね。」


 イヤロスが右手に嵌めていた黒い手袋を取る。左手と比べて明らかに質感の異なる、別人の右手が生えていた。セトラとキリルの背筋を凄まじい怖気が貫いた。


(コイツまさか……)


「ルカさんは優れた死霊魔術の使い手でしたよ。コミュニカッツア領では精霊信仰のせいで一般的な魔術は冷遇されていましたが、それは精霊ではない死霊というリソースも消費されていないことも示唆していました。彼はそこへ目を付けたんです。」


 ルカという名前を聞き、キリルの顔が真っ青になる。


「ですが彼は魔術師としてやや甘過ぎる傾向がありました。ルカさんほど優れた死霊魔術師なら研鑽を積み重ねればいずれ必ず死の先の段階へ進めたでしょうに、彼は立ち止まってしまったのです。それはいけません。才能ある者が才能を発揮せず停滞することは世界にとっての損失に他なりません。ですから決意したんですよ。」


(……他人の術式を移植したのか!?)


 それでセトラは全てを察した。


「もういい。黙れ。」


「続きは自分が引き継ぐと。」


「黙れって言ってんのが聞こえねえのかこの野郎!!」


 魔力放出で接近。剣を振り下ろす。


 だがイヤロスはまたもや奇妙なタイミングで回避。


 拳と剣を何度かが交え、最後にはセトラがまたもや直撃を受けた。今度は鳩尾を打撃された彼は壁へと激突した。


「ふむ。やはりエンチャント的な運用も悪くありませんね。」


 右手を開閉し、イヤロスは感慨深そうに見つめる。


「やはり意志の宿った力は素晴らしい。死霊付与は単純な魔力での強化を上回っているようです。」


 イヤロスは壁際にもたれかかるセトラへ近寄っていく。


「安心してください。すぐに殺すわけではありません。」


「どっちにしろ殺すつもりだろうが……!」


 すかさずセトラがイヤロスに向かって剣を薙ぎ払う。


「おっと。」


 刃を空を切るのみだ。


 イヤロスはセトラの脇腹を同様に魔力で強化した脚で蹴り飛ばした。


「ぐはっ...…」


 彼は廊下をごろごろと転がり、先ほど以上の血を吐いた。だがここで動けなければ遠からず死が訪れる。セトラのみならずアディプトまでもが殺されてしまう。


(それは……ダメだ……!)


 激痛に悶えそうになる身体に鞭打ち、セトラはゆっくりと立ち上がった。


「タフ過ぎるのも考え物ですね。今はあなたを殺したくありません。術式の回復効率はやはり本来の持ち主に収まっている時が最も効率が高いですから。」


 相手の視線、特筆して左眼だけから奇妙な波長の魔力が漏れている。


(魔眼……これまでの回避の仕方から考えて、恐らく未来視の類か……)


 イヤロス相手に体力の偽造はあまり意味がない。動けないほどのダメージを負ったと思わせて彼に接近させたところからの奇襲は先ほど完封されている。


「セトラ!血が……!」


 キリルが悲痛な声で彼の名を呼んだ。


「そんな心配な顔すんな……特売の鶏胸肉を刺身で食った時の方が今の百倍辛かったんだ。」


 精一杯の強がりを言う。


(ヤバイ……かなりヤバイ。接近戦の技量自体は互角なのに、魔眼のせいで全部予め対処されちまう。)


 付け加えるなら、セトラが現在使用可能な遠距離攻撃用の魔術はイヤロスの死霊魔術に射程距離、発射速度、追尾機能の点で劣っている。勝利できる可能性があるとすれば、やはり絡め手ではなく斬撃に魔力を熨せる攻撃以外にない。


(アレは撃てて残り数発。魔力ももう底が見え始めてる。)


 イヤロス以外に脅威がいないとも限らないため、更なる連戦に備えて今までは力を抑えて戦っていた。


(でもここで勝たなきゃ何の意味もねえ。)


 覚悟を決め、セトラはある短縮詠唱用のスペルに魔力を熨せた。但し敢えて発音と口の形をずらしていた。


短縮レド加速アクツェル。」


 魔眼はあくまでも視覚情報を拡張しているだけに過ぎない。未来の光景が視えたとして、眼球に未来の音は聞こえない。イヤロスにはセトラが何の魔術を使ったのか、現実の時間になるまで理解できなかった。


 そんな偽装工作込みで発動させた術式効果は、対象の速度を加速させるという単純なものだ。


 更に足裏から魔力を放出し、セトラは現状出せる最高速度で距離を詰めた。術式効果と魔力操作で相手の反応速度を超え、魔眼を以てしても捕捉できないほど目一杯速度を高めてから魔力を纏わせた状態で剣を投擲した。


 これにはさしものイヤロスも度肝を抜かれる。魔眼は未来の相手が映っているだけだ。相手の行動がどういった意図なのかという解釈は魔眼保持者に委ねられており、彼には武器を持っていることの優位性をわざと手放す理由が理解できなかった。


 一方、セトラはこの時点で自身を効果対象とした術式を解き、今度は剣を対象として即座にスペルを詠唱した。今度は口の形を変えず、ありのままで術式を起動させる。


短縮レド加速アクツェル。」


 こうして剣には一度目の短縮レド加速アクツェルの影響下にあったセトラの慣性が乗り、そこへ二度目の短縮レド加速アクツェルが掛けられたことでより一層の加速を果たした。結果、動体視力を遥かに超える速度で超高速回転した刃はイヤロスの左上半身をざっくりと切り落とし、廊下の壁に勢いよく突き刺さった。


「ギィィィヤアアアアアアアアアアアアア!!!!!」


 情けなく汚い咆哮を上げ、イヤロスの魔力の流れが激しく乱れた。しかし同時に創面が蠢き、切り落とされた箇所が早くも再生する気配を見せる。


(させるかよ!!)


 壁から剣を引き抜き、即刻刃身から魔力を迸らせる。瞬く間にイヤロスの首を切り落とし、返す刀で上半身ごと魔力炉心をも断割した。


「はぁ……はぁ……おぇっ……うっ……」


 同じタイミングで炉心と回路に灼熱の痛みが突き抜け、セトラは堪らず膝から崩れ落ちた。一気に激しく動いたせいで体力が底を尽き、息も上がって吐き気すら込み上げてくる。


(あ、これダメなヤツだ。)


 だが吐き気のレベルを察した頃にはもう遅かった。悪心が限度を超え、セトラは床に吐き散らかしてしまった。


「セトラ!!」


「ごめん今無理……おえぇぇ……」


 慌ててキリルは駆け寄り、青年の背中を擦った。


 ほどなくして胃の中身を粗方吐き終えると、彼は窶れた様子でイヤロスの方を向いた。


「大丈夫……?」


「連戦は厳しいけど……まあ、なんとかな。」


 イヤロスは完璧に絶命していた。頭部と胴体、胴体と左半身が分かたれたのである。人間が命を繋いでいられる状態ではない。ではどうして未だにヤツからこんなにも濃密な魔力が漲っているのか。


「!!!!」


 戦いは未だ終わっていない。


 次の瞬間、イヤロスの死体から凄まじいエネルギーの奔流が巻き起こり、三階の天井が屋根ごとまとめて吹き飛ばされた。


 そして吹き抜けとなった三階に、異形の姿でイヤロスは立っていた。欠損した左半身はじゅくじゅくと蠢いている黒い泡汁で補い、どろりとした夥しい量の血に塗れている。確実に両断した首と胴体は創面から泡汁と血を垂れ流しつつ、不自然に繋がっている。一目見ただけで命の理から外れてしまった者だと分かる、悍ましい怪物だ。


「素晴らしい、素晴らしいすばらしいスバラシイ!!!!」


 声を裏返させ、両腕を夜空に伸ばして男は狂喜した。


「嗚呼――これが死の向こう側の感覚なのですね生命力に依存しない魂魄をリソースとした魔力供給!!自分が自分ではないような感覚ですよこれほどまでに自分は強かったとは!!!!」


 決して野放しにはできない。声を荒げて気力を振り絞ることすらせず、セトラは本能で剣の振りと一緒に辛うじて魔力を放出した。


「温い。」


 だが相手には傷一つ付いていなかった。


「その程度の一撃でこの自分を倒せるとでも思ってるんですか!?傲慢!!!!」


 喚き散らかしながら先ほどとは比にならない速度でセトラの目前に移動し、激情に任せて彼を蹴り込んだ。


(!!)


 セトラは辛うじて剣身で蹴りを受けた。それにも関わらず威力が絶大過ぎた。衝撃は彼の臓物を揺らし、過去に経験していない鈍く鋭い痛みを齎した。


「ああもう結構です必要ナイ!!空白アルズウェック器官なぞなくても自分は自分の意志で身体を変化させラレル!!所詮は生命の範疇を超えられない臓物風情が比べることすら烏滸ガマシイ!!」


 格闘技の理合がない動作でありながら、全ての攻撃の威力が死霊と魔力により底上げされている。


 セトラは一撃一撃を凌ぎ、直撃を避けるだけで精一杯だった。


「や、やめろ!」


 キリルは代わりに声を荒げ、魔力をスペルへ熨せた。


上級スペルラティーヴォ強制退去デヴィーガエヴァクーオ!!」


 発動させた術式は昨夜使うことのなかった、別種の退去術式だ。


 キリルは直感でこの異常現象が父親の死霊魔術の術式に由来する現象だと理解していた。ならば対処は術式を強制終了させるか、降りてしまった霊体を退去させるか、である。事実、対処の方向性としては間違っていなかった。ただ足りなかった。この怪物を退去させるには術式の次元が低過ぎたのだ。


「アレ?」


 敵意の矛先がキリルに向いた隙に、セトラが剣を振り下ろした。


 けれど一太刀に合わせてイヤロスの黒く蠢く泡汁でできた左半身が酷く歪み、刹那的にぶくぶくと膨らんだ。それは物質ではなくある種のエネルギーそのものだ。魔力出力が低下しているセトラでは断ち切れない。イヤロスは雑に腕を振るい、彼を吹っ飛ばした。


「嗚呼、アア、ああ思い出シマシタ。確かキミはあの男の子!光属性だったカナ珍しい魔力を持っテタ!!」


「だったら何だよ……!?」


「もう不ヨう!!ほかの魔術師なんてシンじゃえばいいカら!!」


 左手を伸ばし、イヤロスが叫ぶ。


「見せてアゲルネ!術式のタダシイつかいかたはこうヤッて――」


短縮レド砲弾パファージョ。」


 けれど全てを言い終えるより早く、突如として真横から飛んできた岩の塊が彼を建物外へ弾き飛ばした。


「ギリッギリセーフ……かな。ねえボク?あのデカブツから襲ってきたんで合ってるよね?」


 声のする方を向く。


 視線の先には美しい女が一人、真紅の長い髪を靡かせて立っていた。


「え、あ、はい。一応……」


「歯切れ悪いのがちょい怖いけど、ま、セトラくんが戦ってたなら多分相手が悪い。うん、そういうことにしとこう。」


「あの、お姉さんは……?」


「私はアディプト。アディプト・アカ・グランロッサっていうの。そこで剣握ってる子のお姉さん。」


 そう言ってアディプトはキリルに笑いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る