第4話 ここから巻き返していけ

 午前九時。病室には三名の男女がいた。


 二名はともに地方騎士だ。一人は眼鏡を掛けた痩身の男で、名はジョレス・アルダーノフ。もう一人は濃い金髪をボブカットにしており、母音を伸ばすねっとりとした話し方をする女で、名はノンナ・トマシェフスキー。


 一方、これらの二人と相対しているのは薄緑色の病衣を着た、朱殷髪の青年セトラ・アカ・グランロッサである。今朝もまた彼は地方騎士二人から聴取を受けていた。


「最初に、昨日聞き取った情報を基にした調査結果をまとめた資料をお渡しします。ノンナさん。」


「はぁい。」


 セトラは手渡された複数枚ある資料に目を通した。


 資料にはセトラや彼の姉であるアディプト・アカ・グランロッサに関する情報はデータベース上に確認できず、父母であるジェイドやサエリナについても同様であるという旨の内容が記載してあった。


「……」


(……親父たちもやれたのか。)


 色々と考えてしまうところはある。しかしそれと同程度に気掛かりだったのは、ロンドレイツを巡る記述だった。


「ロンドレイツの現状に関して現在調査中……って、そういうのが聞きたいんじゃないんですよ。少しでもいいから現状の情報はないんですか?」


「詳しくはお答えできかねます。」


(クソ。思い切り隠してやがる。)


「……部外者に答えられない機密であることは分かりました。なら一般に広く公開しているメディア、新聞などはロンドレイツの情報をリリースしています?」


「いいえ。」


(となれば間違いねえ。報道規制だな。あれだけの戦いがあったんだ。流石に一日も経ったら各メディアでロンドレイツについて報道しないわけがねえ。)


 いっそあからさまほどに騎士団は何かを隠している。


 だが今のセトラにその秘密を聞き出せるだけの信頼は皆無だ。ずるずると埒が明かない話を続ける意味はない。


「ではそろそろ本題に移りましょう。原則として、ロマンフォルクス王国では出生届が提出された国民一人一人に戸籍を作成しています。戸籍には本人の氏名、本籍地や両親の名前などの個人情報が記載されています。何らかの事情で氏名が変わった場合や亡くなられた場合などに変更が行われますが、原則として削除されることはありません。」


「貴族の人だと家督とか遺産の問題で大体皆さん揉めますんでぇ、基本的にはお妾さんとの間のお子さんとかでも話が拗れないように戸籍は作っておくのがセオリーなんですよぉ。」


「なので当方はあなたとあなたのお姉さんに加え、両親だと仰っていたジェイドやサエリナという方々に関しても並行して調査を行いました。しかしグランロッサ家の戸籍を辿ったところ、あなたたちの名前も以上の二名の名前も見つかりませんでした。そこで質問ですが、あなたたちは本当は何者なのですか?」


「……」


 昨夜、セトラは素性を明かしても中々信用を得られない原因に関して仮説を立てた。その内の一つが、ロンドレイツを襲撃した者たちと交戦した際に何らかの異能の影響を受け、セトラやアディプトは存在を抹消されたのではないかというものだった。そして戸籍すらも存在しないという調査結果を受け、仮説が真に迫っている感触を得た。


「隠してることがあるなら早めにゲロっちゃうのがいいですよぉ。バレたくなくて隠してることほど後で酷いことなりますしぃ。」


 ベッドの周りを歩くノンナ。


 セトラは彼女の方を見た。


「ノンナさん、でしたっけ。あなたの魔眼なら嘘を付いたかどうかを視えるんですよね?」


「そうですけどぉ、だからってあたしを丸め込めてもアナタがグランロッサ家の人だって判断することはできませんよぉ。客観的な証拠がないとねぇ。」


「客観的な証拠って、具体的には?」


「一番目は戸籍、二番目は公的機関が発行している有効な身分証明書ですが、あなたたちにどちらもありません。この状況を覆そうとすれば……グランロッサ家の方にしかない特徴などが確認できれば或いは、というところでしょうか。」


「だったら一つ、ありますよ。」


 この状況下で残ったセトラやアディプトがグランロッサ家の出身であることの最大の証拠。それは他ならない、彼ら自身の肉体だ。


 ノンナは紺碧の輝きを放つ魔眼を向け、彼の嘘の気配を読み取る。


「……嘘ってわけじゃないですねぇ。でも何なんですぅ?そこまで自信があるほどの証拠って?」


「グランロッサ家に生を受け、魔力神ソトノの血を引いている者は皆、特殊な身体的特徴があります。この特徴に関しては生理学や医学、工学を始めとする多数の分野で論文が出ていて、魔術師であってもグランロッサ家以外の人には見られない、グランロッサ家出身ならでは形質だと証明されています。」


「待ってください。当方は魔術師ではありませんが、その話なら聞いた覚えがあります。まさか嘘や欺瞞ではなく、本当にあると言うのですか?」


 口先だけの妙な男がまさかの物的証拠を出すという流れを自ら作り、ジョレスたちの関心がセトラへ向く。


 そこで満を持してセトラは告げた。


「俺と姉の身体には、グランロッサ家特有の空白アルズウェック器官があります。どこの機関でもいいですから信頼のおけるところで検査してみてください。百パーセント確実に俺たちがグランロッサ家の人間だと証明できるはずです。」


 それからの動きは早かった。一度地方騎士団の詰所に帰った二人は昼過ぎに幾つかの書類を携えて戻ってきた。


「早速ですが、検査日程が決まりました。」


「こんなすぐに決まるもんなんですか?」


空白アルズウェック器官を開示するとまで仰るからには、相当な自信をお持ちだと判断しました。そもそも地方騎士団はあなたたちの出自をはっきりさせなくては何もできませんから、明らかにする方法があるのなら何でも試します。」


 「だから最初からずっとグランロッサ家の人間と言い続けてただろ。」とつい感情任せに嫌味の一つでも言いたくなる。だがそんなことを言ってもしょうがないと堪えた。


「……俺としてもこんなにすぐ証明できる機会を貰えて助かります。それで検査の日付はいつなんですか?」


「明日の九時からですぅ。お姉さんも一緒に検査してぇ二人とも空白アルズウェック器官が確認できたらぁ、とりあえずウスタリー支部ではあなたたちをグランロッサ家の方々だということで扱いますぅ。それでぇ……あのぉ……」


 ノンナはどこか歯切れの悪い様子だ。


「とりあえず平謝りするんで何卒ご容赦お願いしますぅ!!貴族の縦とか横とかの繋がりで三ヶ月後くらいに僻地に左遷するとかだけは勘弁してくださいぃ!全部センパイの指示通り動いただけなので基本的に処罰はセンパイからお願いしますぅ!!」


 しかし腹を括ったのか、直後の瞬間には凄まじい勢いでゴマをすってきた。


「ノンナさん、しれっととんでもないこと言わないでください。」


「だってあたし自分からは何にもしてないですもん!」


 権力者と思わしき相手にはすぐに媚びを売る生き汚なさを目の前にして、セトラは呆れ果てた。


(やらねえし、やれるとしてもそんな余裕ねえのに。)


 セトラはジョレスたちが一旦帰ってから再度資料を読み込んだ。だが幾ら読み込んだところで、ジェイド一家の存在が抹消された事実は変わらなかった。


(初日の時点でコイツらはグランロッサ家を知っていた。俺や姉ちゃんたちの存在を別個に消したところで、グランロッサ家の存在自体は消せないか、そう簡単には消せないと考えるのが妥当だろ。)


 尚且つ敵集団は計画的、組織的にロンドレイツへ襲撃を仕掛けてきた。相手の目的がジェイド一家の存在を抹消するだけならば今回の奇襲で既に達成できている。けれどセトラにはその程度では済まず、もっと大きく悍ましい目的のために動いているという直感があった。


(連中は俺たちの存在を消すためだけに、わざわざ街一つを潰すようなとんでも集団だ。それほどの戦力を保持している勢力がたった一家族を倒して大人しくするわけがねえ。確実に今後も断続的にアクションを起こすはずだ。であれば襲撃を生き延びた俺と姉ちゃんは依然として危険だし、俺たち以外のグランロッサ家も危ねえ。)


 このような危機的状況にあるため、少しムッとさせられた程度の地方騎士一人にかまけている余裕はない。それ以前にグランロッサ領ではないウスタリーにおいて、地方騎士団の細かい人事に干渉できるようなコネクションはグランロッサ家にはない。


 だが相手が何らかの処分を受けるかもしれないと懸念しているなら、若干そこに漬け込むくらいの狡猾さをセトラは秘めていた。


「なら墜落時に俺や姉が身に付けていた物品を返していただけませんか?空欄の目立つ身分証明書はまだそちらで持っていて構いませんので。」


 アディプトから贈られた剣も彼女にあげた指輪も両方が騎士団に押収されていた。だがあれらの物品はどちらも強力無比な魔術の触媒だ。手元にあるのとないのとでは行動の自由度がまるで違う。


「ですってセンパイ!武器とか装飾品に個人情報が登録されてるわけじゃないですよねぇ!?返しちゃいましょうよぉ!」


 キャンキャンと保身に走るノンナを後目に、ジョレスはセトラを見た。


「申し訳ありませんが現段階ではお返しできません。あれは重要な調査資料です。」


「そうですか……」


(融通利かねえなあ。銘もない剣に多分注文履歴とかも抹消された指輪だぞ。何を調べて個人情報が分かるんだよ。)


 決して表出させずに悪態を付く。


「ですが検査結果であなたたちがグランロッサ家の方々である可能性が高いと判断された場合はお返しします。ご理解ください。」


「……はい。」


 それから検査のために必要な書類数点にサインを行い、セトラはジョレスたちとともに病院を出た。


「あのぉ、あたしたちは詰所に帰るだけなんですけどぉ。何であなたまで一緒に来るんですかぁ?」


「ちょっと約束がありまして。降霊魔術の手伝いをするんです。」


「もしやキリル君の家ですか?」


「はい。あの子、ウスタリーでは結構有名なんですね。」


「有名というかぁ、以前まであの子の家、ポドブラチ家は騎士団と協力関係にあったんですよぉ。ルカさんが行方不明になる前の話ですけどぉ。」


「ルカさんというと、キリルの親父さん?」


「ええ。彼は死霊魔術を研究していて、特に残留思念を読み取る魔術に長けていました。こんな田舎でも物騒な事件は割と多いですから、よく事件の捜査に協力してもらっていたんです。個人的な交友もありましたしね。」


「そうだったんですか。そのルカさんの足取りとかは……?」


「最後にウスタリーから北に五十キロほど離れた、リークサイドという町へ仕事で行ったこと以外は何も分かっていません。ですがルカがいたタイミングでリークサイドは野盗集団による襲撃を受けたんです。そこで恐らくは……」


 敢えてジョレスは分かりきった結末を明言しなかった。


「このことはキリルには伝えないでいてくれると助かります。」


「分かってますよ。ですが、そうなると騎士団の捜査も色々と滞りますよね。」


「だから今のところはイヤロスさんっていう別の魔術師の人に協力してもらってるんですよぉ。明日の検査にはイヤロスさんも立ち会うそうなのでぇ、その時はよろしくお願いしますねぇ。」


 そんな雑談をしている内に駐車場に停めてあった騎士団の公用車の前に差し掛かり、セトラとジョレスたちは別れた。セトラはそこから徒歩で十分弱の距離にあるキリル・ポドブラチの家に向かった。呼び鈴を鳴らし、黒髪の少年に出迎えられた。


「来たぜ。キリル。」


「入りなよ。」


「お邪魔します。」


 家にはキリルしかいなかった。彼はダイニングテーブルの上にある新聞を手渡してきた。


「はい、今日の朝刊。読むんだろ?」


「ああ、助かる。」


 バッと開きザッと目を通す。


 ジョレスの言っていた通りだった。新聞にはロンドレイツ絡みの記事は全くなかった。襲撃から一日、間が置いたにも関わらずである。


「テレビのニュースでロンドレイツ関係の報道はあったか?」


「なかったと思うよ。」


「そうか。」


(プレスリリースがされてない。恐らく報道規制が掛かるくらいには大事になってるのか。)


 セトラはキリルに連れられ、二階の研究室に行った。


「昨日、降霊魔術を成功するために必要なことについて話してただろ。あの後、生きてた頃にビエリーが使ってた物とかを色々探したんだ。」


「それで見つけたのが机の上に置いてある物ってわけか。」


 机には首輪やエサ皿、散歩用のリードなどが並べられていた。


 その中に現在より幼い頃のキリルと白い大きな犬が一緒に写っている写真があり、セトラはそっと写真を検めた。


「この子が?」


「うん。ビエリーだよ。この辺の言葉で白って意味がある。」


「随分昔から飼ってたんだな。」


「捨てられたのを拾ってきたんだよ。でも割と前に……死んじゃった。」


 あまり深入りしない方がいい話題だと察し、セトラは話題を切り替える。


「……一般的に、降霊魔術の触媒は降ろしたい霊体の一部や生前身に着けていた物とか、とにかく生前の繋がりが強ければ強いほど望ましいとされている。」


「知ってる。それで昨日はビエリーの毛を使ったんだ。でも上手くいかなくて……」


「触媒の選定は間違ってない。生前の身体の一部は降霊魔術では一番の触媒だ。それでも上手くいかなったなら多分、魔術陣の組み方に問題があったんだと思う。記号の配置一つ一つが陣では重要になるから、昼間の内に正確に描いていけばきっと解決できるはずだ。その上で触媒が持つ縁でゴリ押しする。後は魔力だが、余裕はあるか?」


「大丈夫。一晩寝たしね。」


「じゃあお前がペットとよく一緒に行っていた場所、好きだった散歩コースとかがあれば案内してくれ。場所が持つ縁も利用したい。」


「それだと昨日と同じ公園になるよ。あそこでかなり遊んでたんだ。それに降霊魔術を行うならウスタリーでは公園が一番いいって、父さんもイヤロスさんも言ってた。」


「分かった。じゃあ今回も公園内で実践しよう。」


 それから二人は必要な物を持ち、公園へ行った。遊具やベンチが多い手前側ではなく、小規模だが林のようになっている奥で、魔術の準備を進めた。


「魔導書に陣を地面に描く場合は石灰を使うといいって書いてあったけど、これはそのままでいいの?」


「普通はそれでいい。でもこの場所は舗装されてないし、最初に適当な枝とかで地面に直接陣を刻んで、そこに石灰を入れてみな。」


 セトラは直接作業を行わない。あくまでもキリルに作業を行わせて、その最中に彼から出る疑問に答え、魔導書の記述では足りない箇所の解説を行うのみで裏方に徹する。


 幼き日のセトラもアディプトからこのようにして鍛えられた。


 「インプットとアウトプットはセットでやるのが結果的に一番楽なんだよ。アウトプットしてて分からなかったり詰まったりした部分の知識をインプットして、これをずっと繰り返していくの。」とアディプトはよく言っていた。土台となる知識が不足していても、知識を実際に役立てる経験が不足していてもダメなのだ。


「こんなもんでいい?」


 キリルが描き上げた魔術陣を、魔導書に記載されているものと見比べて確認する。


(退去用術式も抜けてないし、陣のバランスもいい。陣自体の完成度も昨日よりずっと高いな。)


「上出来だ。ちゃんと昨日の内に勉強したんだな。」


「魔術以外にあんまりやることないしね。」


「そうか?けど小学生って意外に忙しいだろ。毎日宿題とか出るし。」


「……」


「そう言えば、降霊魔術のスペルは頭に入ってるか?」


「一応。」


「今夜はそれも併用する。本番前に最低一回くらいは練習しとけ。でもオーバーワークには気を付けろよ。魔力が足りなくなったら元も子もない。」


「いつまで続ければいい?」


「何にも考えなくても自然と詠唱できるまでだな。一種類しかないし。」


「やってみるよ。」


「キリルが練習してる間、俺も退去術式の練度を上げておかないとな。」


 そう言ってセトラは大きく伸びをした。準備運動をしながら慎重に炉心を動かし、丁寧にに魔力を回路へ流していく。繊細な身体操作と並行しての魔力操作にも決して手を抜かない。やがて十分に筋肉が温まってきたところで彼は何度か詠唱を行い、続けて魔力放出を併用したダッシュ、ジャンプ、シャドーボクシングを行った。


 一連の練習風景をキリルは詠唱の傍ら、興味深そうに眺めていた。


 そして休憩中、適当な木の根元に二人は座っていた。


「……セトラって、あんまし魔術師っぽくないね。格闘家みたいだ。」


「全然。俺のは所詮テレビで見た動きの劣化版だ。」


「でも魔術師は後方支援とか遠距離攻撃が仕事なんでしょ。父さんも運動不足だったし、魔術師なのに魔術なしで動けるのは凄いんじゃないの?」


「そんな特別凄いもんじゃねえ。それと、魔術師が術式を使って遠距離からサクサク戦うだけだと考えてるなら早めに改めた方がいいぞ。」


 キリルは黙って耳を傾ける。


「戦闘において魔術師がやらないといけない行為は大きく三つある。最初は、状況に応じた適切な行動を取ること。次に、魔力を作って魔術を使うこと。最後に、死なないことだ。」


「魔術を使う以外は剣士とかでも同じなんじゃない?」


「そう、同じだ。とにもかくにも体力がいるし、術式が使えない状態でも動けるに越したことはない。魔術師でも鍛えられるだけ鍛えておいた方がいいんだ。」


「じゃあ身体をめちゃくちゃ鍛えて、格闘技とかも凄い練習して、魔術もたくさん使えるようになってれば最強?」


「どうだろうな。確実に弱点は少ないだろうが。」


 セトラは立ち上がった。


「さて、続きやるか。」


「え?もう?」


「疲れてんならキリルは休んでろ。」


 彼の状態は快方に向かいつつある。絶好調には相変わらず遠いままだが、この距離は昨日より確実に縮んだ。


(最近はずっと奉穣祭絡みでクソ忙しかったし……ウスタリーに来てからゆっくりしてるのが効いたのかもな。)


 尤も墜落からまだ四十八時間も経過していない。にも関わらずそのように認識してしまうほど、セトラやアディプトの直近のスケジュールは詰まっていた。


 練習は約一時間続き、セトラはその間に本日出せる限界を掴んだようだった。


「じゃ、俺帰るわ。キリルもあんまし根詰めんなよ。」


「夜まで家にいたらいいのに。」


「流石にそんなに長く外出してられねえよ。一旦病院に帰って晩飯食ったら九時半くらいに迎えに行くから。」


 病院に着くと、彼は自分に宛がわれた病室ではなくアディプトがいる病室へ直行した。一時間でも経過すると、彼女が起きていないか確認せずにはいられないのだ。


 だがこの日もまた彼女は目を覚ましていなかった。


 本当に目を覚ますのか。このままずっと昏睡したままなのではないのか。普段の多弁ぶりはすっかりなりを潜め、無言を貫いているアディプトを見る度に不安が過る。


「セトラさん。」


 キリルに指導していた際とは異なる、歳相応の弱さが垣間見えるセトラへ声掛けたのは二人の担当医であるマキシムだった。


「……先生。どうも。」


「お姉さんの容態は安定していますよ。運ばれてきた時の衰弱は酷いものでしたが、この調子で回復していけばきっとすぐに目を覚まします。これなら明日の検査も問題ないでしょう。」


「検査もこの病院で行うんですよね。担当される方はどなたなんですか?」


「私ですよ。明日改めて詳しく説明しますが、検査自体は一時間ほどで、結果が出るまでには大体三時間くらい掛かります。ですが明日の内には確実にはっきりしますよ。また検査は安全な手法が開発されていますので安心して受けてください。」


 この検査でグランロッサ家特有の術式が体内にあると確認できた場合、存在を抹消されたセトラたちだがグランロッサ家に連なる者であると認められたことになる。だがそれで終わりではない。


(問題はここからはどうするか、だ。まずは姉ちゃんに起きてもらって、俺も早い内に本調子を取り戻さねえと話にならねえ。)


 考えることはまだまだ山積みだ。いつまでも入院していることはできない。この瞬間にも金は掛かっている。


「そうは言っても中々安心できませんよね。」


「担当してもらってる先生に対して失礼ですが……そうですね。せめて姉が起きているならいいんですが。」


「セトラさんたちに実施する検査は七属性の魔力をそれぞれ流した際の魔力抵抗から術式の属性を判断する検査と、透視魔術を応用して空白の術式を直接観測する検査になります。決して外科的な手法で身体に傷を付けるような検査ではありません。」


 流石のセトラも全ての魔術に関して詳細な知識を持っているわけではない。だが知識があれば払拭できる類の不安でもない。


「明日は朝から検査がありますので、今日はゆっくり休んでください。それでは私は失礼します。」


 マキシムは去った。


 セトラもそれから売店で一通り紙媒体のメディアをチェックして病室に戻り、暫くじっと大人しくしていた。病室に設置されているテレビは見なかった。テレビカードを買ってまで見たい番組もなかったし、そもそも財布と一緒に現金も騎士団に預かられていて何も買えなかった。消灯時間になり、看護師の一度目の巡回が終わってからこっそり病院の外に出た。


(バレたら後で怒られるだろうな……)


 そこまでして見ず知らずの子どもの魔術を手伝う必要がどこにあると、自身の行動に疑問を感じないこともない。しかし誰か一人でもいいから助けて役に立たないと、自分が嫌いになりそうになる。


 本日の二度目の訪問にはキリルだけではなく彼の母親も出迎えた。


「いらっしゃい。」


「遅いよセトラ。」


「すまねえ、少し遅れた。」


「じゃあセトラさん……くれぐれも、よろしくお願いしますね。」


「ええ。任せてください。」


 玄関口で二、三口言葉を交わし、すぐにセトラとキリルは公園へ赴いた。


 降霊魔術は昼より夜、明るい場所より暗い場所の方が成功しやすく、この上とも月が出ていれば最高だ。


 生憎と今晩は曇り空のせいで月は見えないものの、そのためにセトラは成功率を上げるための対策を予めキリルに指示していた。


「じゃあ……やるよ。」


 陣の中央に降霊用の触媒を設置し、キリルはやや緊張した面持ちで宣言した。


「ああ。始めてくれ。」


 少し離れた場所からセトラは彼を見守る。


「刹那に放ち達する輝天。星の白き起源。汝を求む心に応じ、我が元へ現れよ。」


 詠唱するのは光属性の術式だ。魔力属性と術式の属性は一致させた方が効率が高まる。光属性の魔力を持つキリルは光属性の魔力の方が効率がよい。


下級スバルテルナルーモ降霊ミディウミスモ。」


「今だキリル!陣に魔力を熨せろ!」


「!」


 指示に従い、しゃがんで陣に触れながら直接魔力を流す。


 前回と同じく陣が発光し、直後に陣の中央に一匹の霊体が現れた。名前の通り純白でふわふわとした毛並みの、長い尾を振る大きな犬だった。だが物質の身体ではなく一種のエネルギーの身体を持っていることは一目瞭然で、全体的に薄く透けていた。


「ビエリー……」


 感極まった涙声で名前を呼ぶと、犬の霊体はすぐに駆け寄ってきた。身体を擦り付けながらキリルの周囲をぐるぐると回り、千切れんばかりに尻尾を振る。


「ビエリー……!ごめん……っ!ぼくのせいで……おまえはぁ……!!」


 キリルはぼろぼろと滂沱の涙を流しつつ、しかし笑って愛犬を撫で回した。


(降ろした霊体が暴走する様子もなし。キリルの反応からして目当ての霊体なのは間違いねえ。)


「よかったな。」


 セトラは両腕を組み、満足気に微笑んだ。


「セトラ……!ありがとう……本当にありがとう……っ!!」


 犬を抱き締めながら、キリルは振り向いて嗚咽混じりに言った。


 だがあくまでも行っていることは降霊だ。再誕でも蘇生でもない。いるはずのない存在を一時的に現世に留め置くだけで、いつまでも続けることはできない。


 暫しの再会の後、セトラはゆっくりとキリルとビエリーへ近付いた。


 ビエリーは一目見て、彼にもまた尻尾を振った。


「撫でであげて。ビエリーもされたがってる。」


 そっとセトラが頭を撫でた。掌に伝わる毛の感触も、体温も何もかもがまるで血の通った生物にしか思えない。


「大事にされてたんだな、お前。」


 ビエリーは笑っているような表情をしていた。


 こんな顔をするペットと、再会を泣いて喜んでいる飼い主に刻限を伝えるのは気が引ける。けれど心を鬼にして彼は告げた。


「……キリル。」


「……」


「降霊魔術を終わらせよう。ビエリーを退去させるんだ。」


 キリルはビエリーを抱えたまま何も答えない。


「いつまでも霊体をこの世に留めておくわけにはいかねえんだよ。」


「……けど、退去させたらビエリーはいなくなるよ。」


「元いた場所に帰すだけだって。」


「それでも……嫌だ。」


 ビエリーを抱き締める力が強まる。


(同じだな、あの時と。)


 彼の様子が不意に在りし日の記憶に重なった。


 飼っていた猫が死んで、アディプトと一緒に降霊魔術を使用した。そして同様に退去を拒み、降霊させたままで留めようとした。あの時も両親から諭されたものだ。このように。


「死んだら肉の身体を捨てて、思念の身体を纏うんだ。」


「……」


「自分の思いとか、他の人の思いとかが集まって死後の身体は作られる。縁を通じて、思いは死者に届く。退去させて目の前からいなくなっても、キリルとビエリーを繋げる縁は途切れない。」


「……分かってるんだよ。霊体を降ろしっぱなしにしてはいけないって本にも書いてあった。」


「そうだ。霊体は思念でエネルギーを制御してるだけだから、この世みたいに思いで溢れ返ってる場所に留まり続けたらダメなんだ。他の思念の影響を受け続ければやがて変質しちまう。地縛霊とかがその類だ。このまま留めておけばその内お前のよく知る、今までのビエリーじゃなくなるんだよ。」


「……あの靄みたいに?」


「ああ。」


「……」


 頬を撫で、間近から目に犬の顔を焼き付ける。


 素朴な瞳で見つめ返して、ぴちゃぴちゃと顔を舐めてきた。


 こんなにも愛らしい存在を、人を殺そうとするような靄の如き怪物へ貶めていいわけがない。


「ビエリー……絶対、おまえを護れるくらいに強くなるから。そしたらいつかまた、また必ず会おう。」


 生きていた頃と遜色ない姿を心に刻んで、キリルは炉心から魔力を生成した。


「……下級スバルテルナ退去エヴァクーオ。」


 術式効果を受け、霊体が末端から溶けるようにして消えていく。やがて全身が透明になって見えなくなると、鮮明であった感触や体温も完全になくなってしまった。


 キリルはその場で座り込み、大声で泣いた。目元を真っ赤に腫らして一通り泣き終えると、静かにキリルが立ち上がって歩き始めた。


「……ビエリーが死んだのは、ぼくのせいなんだ。」


 帰り道。彼はぽつりぽつりと語り出した。


「魔術に必要な物があって、一緒にウスタリーの外の森へ取りに行ったんだ。でも帰りに野盗に襲われて……ビエリーが助けてくれたから、ぼくは何とか騎士団の詰所まで逃げられた。でもそれでビエリーは死んじゃった。ぼくのせいなんだ。あの時、買い物になんて行かなかったら……」


「バカ言ってんじゃねえ。悪いのは野盗だ。キリルなわけあるか。」


「……けど、ぼくはそう思えない。」


「だったら俺がそう思ってるよ。」


「……ビエリーも許してくれるかな。」


「さあな。実際に触れ合ったキリルが一番よく知ってるんじゃねえの。」


「そっか……」


「伝えたいことはちゃんと伝えられたんだろ?」


「多分。それに……縁を通じて思いは伝わるなら、これからもずっと伝えていくよ。」


「そうか。なんかキリル、成長したよな。昨日初めて会ったばかりなのにそう思うぜ。」


 セトラはわしゃわしゃと相手の頭を撫でた。


 すると照れ臭そうにキリルはそっぽを向いて言った。


「……最近、この辺りは異常に野盗が出てる。セトラもセトラのお姉さんも元気になったら早めに出て行った方がいいよ。」


「そう言われても、少なくとも明日までいないといけねえしな。」


「何で?こんなところに留まる理由はないでしょ。」


「俺や姉ちゃんにある器官を検査するんだ。これで結果が出ればグランロッサ家の一員として見做される……かもしれない。」


「それで結果が出たとして、その後はどうするの?」


「分からん。」


 セトラの返答は情けない響きがしていた。至極当然の話だが検査結果で空白アルズウェック器官の存在が確認できたところで、セトラたちは自称グランロッサ家の身元不明者からグランロッサ家である可能性が高い身元不明者になるだけだ。それから先をどのようにして生きていくのか、彼とてまだ分からないでいた。分からないからこそセトラは目の前に降って湧いた問題に対処するしかなかった。


 黙りこくったまま考えていると、不意にキリルの脚が止まった。


「じゃあ、ぼくは帰るよ。」


「ああ、お袋さんによろしく言っといてくれ。」


「うん。」


 半ば無意識のまま、ありきたりな別れ際の挨拶を交わした。


 それからまた歩き出したセトラの背中へ、キリルは大声で告げた。


「ぼくたちは友達だ!何かあったらいつでも頼ってきていいから!」


 首だけ振り向き、セトラは右手を上げた。


(友達か。)


 ウスタリーに来てから初めて、彼は心から少し微笑んでいた。

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