第2話

 カフェで冷たいドリンクを飲みながら一息ついていた。

 社会人になって3年目。ようやく仕事にも慣れ始め、落ち着いた生活を送ることができるようになってきた。


 商談を終え、直帰するだけとなったので、会社近くのカフェで休憩することにした。

 契約会社の社員に気を遣いながら話すのは神経を酷使する。終わった後の疲労感はかなり大きかった。


 ドリンクを全て飲み干し、体を軽く捻ってストレッチをすると席を立ち、お店を後にする。昼間の熱気がまだ残る夕刻。店内の空調が効いていた分、外は地獄のような暑さだった。カバン片手に駅の方へと歩いていく。


 すると、前方でスーツ姿の女性が腰を下ろしている姿が見える。彼女の周りには紙が散乱していた。手にファイルを持っていたことから、バッグから取り出した際に誤って中身を落としてしまったのだと思われる。よくあることだ。


 周りの人たちは、彼女を見て気にかけはするものの、何事もなかったかのように通り過ぎていく。みんな忙しくて他人を気遣う余裕がないのだ。都会の人は冷たいと言われる要因の1つかもしれないな。


 ピューっと風が吹き、数枚の書類が俺の方へと流れてきた。俺はしゃがみ込んで紙を止めると複数枚集めて束にする。


「すみません。ありがとうございます」


 女性は自分の周りの紙を拾うと俺の方へとやってきた。

 そのタイミングで俺の目につけられたSCLが反応し、彼女の頭の上に『1』という数字が浮かび上がる。


 俺は眉を上げた。過去に1度会ったことがあるようだ。

『1』という数字の横側に1回目に会った時の概要が表示される。彼女と話した際、SCLに埋め込まれた録音機能が会話を記録し、内容をまとめてくれていたのだ。


 日付は5年前を示していた。俺が20歳の時。日付から成人式翌日であることが分かる。ラーメンという単語から記憶が蘇ってくる。


「あの……書類返してもらっていいですか?」


 目の前に佇む彼女は困った表情をしながら俺に尋ねる。そこで我に帰り、書類を彼女へと差し出した。


「すみません。以前あなたにお会いしたことがあるようなので、情報を探っておりました」


 SCLに映し出された情報は共有をしない限り俺にしか見えない。側から見た彼女には俺があらぬ方向を見たまま動かないように見えたに違いない。だからこうして、事情を話す必要がある。


「以前……ああ! もしかして、ラーメンの載ったお盆を持っていってくれた方ですか?」

「そうです。お久しぶりです。まさか上京していたとは」

「就職の関係で上京したんです。と言っても、まだ3ヶ月の新米ですけど」


 彼女は書類を受け取ると、ファイルにしまった後、バッグに入れた。

 聞くところによると彼女も駅に行くところだったみたいだ。二人で同じ方角を向き、歩きながら話すことにした。


 5年経っても、彼女の容姿はほとんど変わってなかった。

 ショートの髪に左側には赤色のヘアピン。唯一変わったスーツ姿には幼さが見られる。就職の関係で上京したと言っていたので、今年から新社会人になったのだろう。


「それにしても、よく分りましたね。私なんて『会ったことがある』って言われなかったら気づけなかったのに」

「SCLの画像解析であなたと会った記録を確認したんです。そこで気づけました」

「へー、SCLってそんな便利な機能があるんですね。知らなかった。私も早く欲しいな」

「つけてないんですか?」

「恥ずかしながら。あまり裕福な家庭ではなかったので、買えなかったんですよね。大学も学費を稼ぐのに精一杯で自分の買い物はできなかったので」

「あー、すみません。別に卑下するような意味で言ったんじゃないんです。ただ、つけていないにも関わらず、会ったことがあるって聞いただけで詳細まで語れたことにびっくりしてしまって」

「なるほど。私、記憶力は意外といい方なんですよ。成人式の日、小中学校のみんな昔と比べて顔とかすごい変わってたんですよ。でも、数秒見ただけで誰かすぐ分かったんです」

「すごいですね。自分なんて誰か全然分からなくて気まずい空気になりましたよ」

「ははは。それって結構大変ですよね」


 1回、それも数分しか話したことのない相手だったが、彼女との会話は弾んだ。

 時間の流れは早く、歩いて15分程度の駅にはすぐにたどり着いた。改札を潜り、ホームへと歩いていく。


「私はあっちの路線です」

「自分はこっちなので、ここでお別れですかね」


 分かれ道。互いに指差した方向は逆であったため、ここでお別れとなる。

 

「書類を集めてくださり、ありがとうございました」

「いえいえ。社会人一年目、頑張ってください。応援してます」

「ありがとうございます。それでは」


 彼女の振った手に合わせるように俺も手を振る。それから互いに背中を向けて自分の道を歩いていった。

 まさか、遠く離れた場所で彼女に再会するとは思ってもみなかった。偶然の巡り合わせっていうのは本当にあるんだな。


 その思いがキーとなり、俺は5年前に彼女が言った台詞を思い出した。

 

『偶然巡り合えたんですから、この機会を逃したらいけないなって思ったんです』


 気づけば、足の動きは止まっていた。

 正直、彼女との会話は楽しかった。内容はもちろん、喋っている時の彼女の表情が愛らしかった。今ここで別れてしまったら、次はいつ会えるだろうか。


 偶然の巡り合わせはあくまで一瞬的なものであり、その後は当人の意志に寄与する。

 

 俺は後ろを振り向くと先ほど別れた場所を通り抜け、彼女が乗ると言っていた路線につながる階段を降りていった。ホームに出ると少し向こうに彼女の姿が見える。まだ電車は来ていなかったみたいだ。


 足早に寄っていくと、俺の存在に気づいたのか、彼女はこちらを振り向いた。


「何かありましたか?」


 呆けた表情を見せる彼女。その表情にほんの少し自分の心臓が高鳴るのが分かった。

 小学校の頃、好きだった女の子がいた。その子のことを今も思い続けているのは確かだ。

『いい加減、諦めた方がいいんじゃないか?』と学の言葉が脳裏によぎる。もしかすると、今がその時なのかもしれないな。


 ホームから、間もなく電車がやってくるアナウンスが聞こえる。時間がない。


「その……せっかく会ったことなので」


 俺は勢いに任せて、ポケットからスマホを取り出し、彼女へと差し出した。


「連絡先、交換しませんか?」

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