2-3


『リュファス。あなたの名前でお招きしたのよ? 誰はないでしょう、誰は』

『ジゼル伯爵令嬢だ。お前に会うために足を運んでくださったのに』

「え、知らない。そんな予定だっけ?」


 テーブルに乗った小鳥にたしなめられながら、リュファスと呼ばれた少年は素っ気なく答える。リュファス=クタール伯爵令息にちがいないのだろう。そのしきさいには見覚えがあった。

 運命の人と呼ぶべきだろうか。マイナスの意味で。


「はじめまして、リュファス様。ジゼル=ダルマスです。お招きありがとうございます」

「ふぅん。あんたさ、貴族のお嬢様なんだろ? 俺が言うのもなんだけど、こんなあやしげな招待よく受けたな。黄昏たそがれどきのおさそいは人の姿をしてたって受けない方が良いっておふくろさんに教わらなかったの?」

「……母は、私が幼いころくなりましたので」

「! そっか、ごめん」


 気まずそうに目をそらしたリュファスに、首を横に振る。

 この程度の事前情報も何も知らされていない、その事実がどうにもごこが悪い。周囲の使い魔達は彼に何も教えていないのだろうか。


『リュファス』『ごめんなさいね、照れ屋なのよ』『まぁ子どもの言うことだ』


 動物達は口々にそう言って、リュファスの向かいの席を空けてくれた。

 座れ、ということだろう。

 アンの視線を感じる。魔術の気配がすぎるこの空間から今すぐ退出すべきだと無表情から読み取れる。多分、彼女なりの険しい表情なのだと思われる。

 見た目だけはぼう映画製作会社のプリンセスみたいなファンシー空間だが、その実、かべゆかほうじんからはまがまがしい空気が流れている。

 その気になれば骨細のご令嬢一人くらいあっという間に消してしまえるのだろう。たんらくてきに脅迫される可能性を思いつくべきだった。

 ここでも魔力ほとんどないんですアピールをしてから帰ろう、そう決めて腹をくくる。

 一歩すと、アンは私の意図をさとってすぐに椅子を引いてくれる。


『申し訳ない、本来であればクタールの家の者に任せるべきなのですが』

『この通り手足もない身ですからね』


 蛇が低く言えば、くすくすと雀が笑う。


てきな温室ですね、オディールも連れてくれば良かったわ。あの子は薔薇の花が大好きなんです」

『ええ、。ダルマス家のみなさまならかんげいしましてよ』


 雀が思い切りふっくらと胸をふくらませた。

 視線が合うのは、遠くから見えているということだろう。声を聞き、声を届け、姿を送る。 機能を一つ増やすたび、魔道具の値段はがる。

 むなもとのペンダントにもう一度触れる。防護の結界を何重にもした結果、ペンダント一つで上等な宝石がいくつも買えるような値段になった。

 このはくせい達はえんかく操作までできるので、とてもお金と時間と魔力のかかった魔術生物ということになる。そんな物が何体も用意できるのは、よほどのお金持ちか、あるいは自ら魔道具を作れる人物。その正体は簡単に思い至る。


「歓迎、ということは……皆様はクタール侯爵家の方なのですか?」

『ええ、といっても今はこうしてかげしか出入りすることを許されぬ身ですけれど』


 クタール侯爵家に連なる、中央の魔術師達だ。

 通常、爵位と領地は指名された嫡子に引き継がれ、跡継ぎ以外の兄弟達にはわずかな遺産がわたされて放り出される。

 たいていは領地で何らかの仕事を任されるか、中央でかんとして仕えることになる。

 クタール侯爵家は魔術師の家系だ。きんりん諸国とぜりいの絶えないこの国では国王軍は大きな力を持っていて、中でも強い魔力を持つ人間は魔術院で重用される。

 強い魔力を持つ者が軍の内部、そして王宮でも権力を得て、出身家の人間をコネで要職につかせ、さらに家の影響力を増す。魔力を求める貴族が多いのは、歴史や伝統を重んじるだけでなく甘いしるを吸ってきた結果でもある。

 だからこそ魔力の低いユーグを次期当主として認められないのだ。魔力が引き継がれないということは家の勢力ががれるということでもある。単純に後ろ盾のないリュファス

に恩を売って、侯爵家を自由にあやつりたいというもくけているけれど。

 しかし、従者もメイドも使用人一人、リュファスにはついていない。

 てっていされている。

 家を預かるのは女主人の仕事だ。有事に夫の代行として領地を治めることもあるくらいなので、城の人事くらいはしょうあくしていて当然だろう。ユーグを跡取りと認めないえんせきとそれに連なる使用人をことごとく排除したらしい。

 リュファスを引き取った二年でできることではない。彼らとクタール侯爵夫人の対立関係が表面化してすでに長いのだと知れる。

 ワゴンにせられたポットからアンが勝手にお茶をれて、テーブルに置いてくれる。

 花の香りの湯気越しに、リュファスの赤い瞳が宝石のように光って見えた。

 香りはとても良いお茶だ。色もとてもれいだ。

 ただしそれは食用という意味ではない。ほうこうざいのような花の香りがむせるようで、水の色は着色料をかしたようなあざやかすぎるピンク色。正直飲む気になれないが、それはリュファスも同じらしく、けんにしわを寄せていた。


「またこのお茶? 俺苦手なんだけど」


 貴族らしからぬまっすぐな物言いで、リュファスはカップを遠ざける。黙ってお茶を淹れていたアンがいっしゅんまゆを動かしたけれど、一応茶席の主人というべきリュファスがこの態度なので、私もお茶を口にすることなくそっとテーブルに置いた。


『おや、お口に合いませんか』

「前も言ったじゃん。こんなの、よく貴族は飲むよな。あんたもこういうの好きなの?」

「ええと、私もあんまり……香りが強くて」


 リュファスにつられてつい本音がこぼれてしまう。子どもらしい反応と言えば正解かもしれないが。


『……これは失礼いたしました』

『まぁ、きらいの分かれるお茶ではありますな』


 ホウホウと梟が鳴く。そんなものを客に、それも子どもに出すなと思うが、そんなお茶くらいしかリュファスにはあてがわれていないのだろうか。ふかりするとやみしか見えなさそうなので、リュファスに向かってあいまい微笑ほほえんだ。


「そういえば、晩餐ではお目にかかれませんでしたね、リュファス様。もしかして、お体の具合がよろしくないとか?」


 白々しいとは思うが、一応は聞いておく。

 リュファスは少し答えに困ったように黙って、「まぁ、そんなとこ」としょうした。


『病などではありませんよ。夫人の子どもっぽいやりようにも困ったものだ』


 蛇が首を横に振った。


『この子の魔力がよほどこわいのでしょう、こうして閉じ込めているのがそのしょう

「閉じ込めて……?」

「部屋から出るなって言われてるだけだって。この古い城うろついたってろくな目に|遭《あ

》わないんだから。自衛だよ自衛」

「あの、リュファス様は」


 自衛、その単語のおんさに身を乗り出すと、リュファスは人なつっこいみをかべた。


「その様っていうのやめてくれよ。慣れないんだよな。俺もジゼルって呼んでいい?」


 リュファスの声は明るい。細いあしを椅子に投げ出して、ぶらぶらと揺らす姿はとてもではないが侯爵令息には見えず、相応の教育係をつけているとは思えない。

 相応の教育係をつけているはずなのに日々野生児化している身内の残像がのうに浮かんだけれど、忘れることにする。

 思いの外リュファスがんでいないことにほっとする。ゲームの中のこうふんとは違う、平民の少年らしいぼくさにこちらもかたの力が抜けた。


「もちろんです、リュファス」

「良かった。貴族のお嬢様と話したことなんてないから、ちょっときんちょうしてたんだ」


 おどけながら、となりに座る小鳥に「このお茶のにおいなんとかならないの」と文句を言う。

 おいえそうどうちゅうにいるとは思えないほがらかさに、胸が痛む。


「でもなおに嬉しいや。ここしばらく蛇や鳥としか話してないからさ、ってこうやって口に出してみると頭おかしいやつみたいだよな」

「それは、」


 存在を無視されている、こともなげにリュファスは言う。厳しいかんきょうだとか、れいぐうされただとか、言葉はいくらでもあるけれど、どれも軽いものではない。この家であとどれくらい彼の笑顔がもつだろう。


「前みたいに、城の中くらい自由に動けたらいいんだけどな」

「今は、出られないんですか?」

「んー、まぁ、かくし通路とか、この城多いから。こんな感じで外には出られるけどさ。侯爵夫人のに見つかると問答無用で部屋に連れ戻されるんだよ。あいつらのよろいかたいから、かつがれると痛いんだよなぁ」

「どうして、そんな」

『侯爵夫人のヒステリーですよ。半年前に、ユーグが食あたりを起こしましてね。それがリュファスのせいだとか、私達が毒を盛ったとか、まぁおまつな話で』


 果たしてそれはヒステリーだろうか。それとも、真実なんだろうか。


『犯人が見つかるまで、身内の魔術師は誰一人としてクタールの城には入れないなんて言うんですから。こうしてリュファスを案じて影を飛ばしてみれば、部屋に閉じ込められているではありませんか! 何の罪もない弟がこんな仕打ちを受けているのに、ユーグは声をかけることもないんですよ。ああ、可哀かわいそうなリュファス!』


 よくしゃべる雀だ。答えるリュファスはうんざりとほおづえをついている。


「何もされてないし。別にいいよ。街の子どものけんのが派手だって」

『一人でもこの子の味方になってくれる人がいてくれると良いと思って、ジゼル伯爵令嬢をお招きしただいです。……どくに黙ってえるこの子があわれで』


 それにしてもさっきから魔力の有無を聞かれないのが逆に怖い。もしかして私が知らないだけで、見ただけで魔力を測定できるような道具があるんだろうか。しかし、そんな物があればこの国のゆうかい事件は倍増しているはずだ。

 それとも彼らが望んでいるのはもっと別のこと、例えばクタール侯爵家から排除されてしまった自分達の部下をクタール侯爵家に手引きさせるだとか、あるいはクタール侯爵夫人の配下を一気にのろい殺す魔道具を運べとかそんなことだったりするんだろうか。

 退路を確認しようとさりげなく来た道を振り返ると、確かに、何かと、目が合った。


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