2-4


 剝製の動物が他にもいるのかと思ったが、ランプの明かりにキラリと光る瞳は動物のそれよりずっと大きい。そう、まるで。まるで、小さな子どもくらいの。

 薔薇のしげみが、がさりと動く。

 アンダー・ザ・ローズ。――文字通り、薔薇の下に。

 燃えるような赤色をした、ふわふわの巻き毛。アメジストの瞳。つり上がった目元。

 くさむらから やせいの あくやくれいじょうが あらわれたオディール、そう呼びかけようとして、喉から変な音が出る。完全に呼吸を止めてしまっていたらしい。


「どう、どうし、」


 どうして、その一言が声にならない。ここにいる魔術師達の見せるまぼろしであってくれと脳が必死できょぜつしている。


「ぉ、オディール」


 声は裏返ったが、かろうじて名前を呼ぶことに成功する。たった一言をしぼすのに二回の深呼吸が必要だった。動揺しすぎて舌を噛みそうだ。


「まさかあなた、立ち聞きしていたの……?」


 ぎくりと、オディールの小さな肩が揺れた。

 こぼれ落ちそうなアメジストの瞳をきょろきょろと動かして、オディールはいたずらがばれた子犬のようにぎゅっと全身に力を入れている。植え込みに隠れ、あまつさえふく前進で茂みの下からてくるというこうが令嬢としてふさわしくない自覚はあるらしい。

 しかし、もう一度私を見上げた瞳には勝ち気な光が戻っていた。


「お姉様が心配でこっそりあとをつけましたの! 立ち聞きだなんて、失礼じゃなくて? 勝手にお話が聞こえただけよ!」


 えっへん、と胸を張る。

 小さな生き物と私とアンとリュファスに見守られながら、オディールはドレスについたよごれをはらい、ゆるやかな巻き毛にからまった薔薇の葉を慣れた様子で取り去った。


「メアリはどうしたの?」

ちゅうでまきましたわ。他愛ないこと」


 ふふん、あごを持ち上げてまんげにオディールは言う。

 どこの世界に自ら姉をこうして、あまつさえじょをまく令嬢がいるのか。うすうす気がついていたけれど育てる方向を間違えたかもしれない。

 この小さな悪役令嬢を剝製の動物達の視界に入れないよう慌てて立ち上がったが、オディールはぐいと私のこしを押して前に進み出た。ステージの中央でスポットライトを浴びる、

 女優のような自信に満ちた足取りだった。


「オディール=ダルマスですわ、はじめましてリュファス様」

「……おう」


 吃驚びっくりして固まってしまっていたらしい。ようやくうなずいたリュファスに、オディールはばやい動きでった。

 一瞬周囲の使い魔達が反応した。あまりに予想外な動きに、オディールがリュファスに何かするのではないかと思われたらしい。壁の魔法陣が怪しく光る。

 オディールは剝製達の視線など気にもせず、しっかりとリュファスの両手を握る。


「先ほどのお話、聞こえましたわ。なんて、なんてひどいお話なの!?」

「は?」


 リュファスがぽかんと目を丸くする。

 剝製達の視線が説明を求めるように私に集中した。視線が刺さって痛いほどだ。

 尾行に立ち聞きに汚れたドレス、あまつさえ異性に挨拶もそこそこにスキンシップをはかる、本当にこれが伯爵令嬢か、そんなうつろな声が聞こえる気がする。

 これでも再教育をせいいっぱい頑張ったのでそんな目で見ないでほしい。心が折れそう。


「ユーグ様ってばなんてひどい方なのかしら! リュファス様がお可哀想よ!」

「え」

「私もお姉様にひどく扱われていますから、お気持ちはよくわかりますわ。生まれた順番が後だったというだけで、つらい思いをまんなさることはありませんのよ」


 目になみだまでにじませて、オディールはリュファスの手をはなさない。


(面食いだわ。この子絶対面食いだわ。ユーグよりリュファスの方が好みなの? じゃあ今回はリュファスルートをせんたくしたと思っていいの?)

「……ジゼルお嬢様」


耳元でアンに名前を呼ばれて、飛びかけていたたましいが戻ってくる。勢いで立ち上がったけれど、言うべきことと言わなくてはならないことが多すぎて言葉が出ない。

 いけない、まずい、オディールを止めなくては。


「オディール、」

「リュファス様っ!」


 リュファスの人形のような顔をのぞき込んで、オディールは星を宿した瞳でにっこりと笑った。


「私が必ず、リュファス様を助けて差し上げますからね!!」

「う、うん?」


 妹の暴走を止めるべくばした手は間に合わなかった。

 周囲の動物達から『ほぅ』だとか『あら』だとかかんたんが聞こえて、それぞれが温室のすみでひそひそと話し合っている。


「……アン」

「……はい、お嬢様」

「夢よね」

「残念ながら」


 ふらついた私をアンがしっかりと支えてくれる。季節外れの薔薇の隙間から、先ほどの黒猫がニャアと鳴いて現れた。その後ろに、栗色の三つ編みに木の葉をたくさんつけたメアリが見える。

 こちらを見た瞬間、顔を情けなく涙で崩して一心に走ってくる。


「オディールお嬢様ぁ~! ジゼルお嬢様も!! もう、もう二度と会えないかと……!」


 べそべそと泣きながらアンに後ろから抱きつく。前から後ろから女性二人分の体重をかけられてもアンはびくともせず、表情一つ変えない。鋼の心臓が羨ましい。

 かつだった。悪役令嬢たるもの、らいげんでタップダンスをたしなむくらいのことはゆうでこなす。そのつもりで対処すべきだった。

 オディールが出てきた瞬間、かかえてとうそうしなくてはいけなかったのだ。なんたる無残。

 金の目の動物達が、げんはとったとばかりに次々物言わぬ剝製に戻っていく。

 案内役の黒猫が、目を細めてもう一度ニャアと鳴いた。

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