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*****

 


 歴代家庭教師による報告書に目を通した結果、マナー、ダンス、あらゆる勉強についてオディールが一切手をつけておらず、家庭教師達が次々とめていると知ることになった。

 ゲームの中のオディールは一応淑女らしく振るっていたので、まさかこんなところでつまずいているとは思わなかった。

 オディール嬢、もしかして勢いがあってプライドが高いだけの本当に残念な令嬢だったんだろうか。それでは性格の悪さを差し引いても社交界に金目当ての取り巻き以外に友人がいなかったのも頷ける。

 あれから毎日朝食を共にしているが、長くもない時間のやりとりだけでもかなりこちらのメンタルをけずってくる。

 子どもらしいと言うべきなのか、イージーモードで楽して生きたい、世界で一番おひめさま思考。とにかくこれらの考えをてっていてきにたたきつぶさないことには先に進めない。

 そろそろ悪役令嬢が砂糖つぼをこちらに投げてきてもおかしくない。

 八つ当たりで人に向かって器物を投げつけるなど、悪役令嬢検定しょうきゅうちがいなしだ。

 人間は安定と現状を求める生き物だ。これまでと環境が変わりすぎてあの勝ち気な少女がストレスをためていることは重々承知だ。

 けれど、このペースだときっとゲームスタートに間に合わない。

 時間がないので、伝家の宝刀を早々にくことにした。


「病気で伏せっていた分も、もう一度勉強し直したいのです。オディールと一緒ならきっと楽しいわ。ね? 叔父様」


 毎朝のとうそうが後見人である叔父の耳に届いていないわけがないと思うけれど、精一杯可愛いそぶりでお強請ねだりをしてみる。

 姪達を目に入れても痛くないほど可愛がっているパージュ子爵は快諾してくれた。

 オディールが叔父に泣きついていないはずがない。それなのに、私の願いが一も二もなくりょうしょうされたことに、じゃっかんかんを覚える。とりあえず目的の達成が第一なので気にしないことにした。

 以来、すべての授業をオディールの隣で受けることになった。

 きたからお菓子を持ってこいと言うオディールをたしなめ、問題が解けないと癇癪を起こしてクビを宣告するオディールを横に、どうぞお気になさらないで、と授業を続けてもらい、マナーの授業では家庭教師と同じ回数だけオディールをしかることになった。

 そんな生活が一ヶ月も過ぎると、少しだけ変化があった。

 オディールではない。使用人の方にだ。


「ジゼルお嬢様、オディールお嬢様が……」


 眉をひそめながら、オディールの横暴や癇癪を報告に来るようになったのだ。

 告げ口というべきか。使用人が口答えしようものならナイフを投げかねないしょうの激しさは全く治らないけれど、そのナイフを実の姉に向けるほどブレーキが壊れてはいない。

 オディールに意見ができるのは、年長で、現時点ではオディールより魔力の強い存在、未来の当主である私の他にいない。

 そして、徹底的に使用人の側に立って守り、オディールを窘めている。

 そもそも素行が悪すぎてオディールの味方になりようがないのだけれど、ジゼルお嬢様はこちら側の人間と使用人達がにんしきし始めたのだ。

 もっとも、面倒事をていよく押しつけようとしているのも多分にあるのだろう。

 報告があるたびオディールの部屋に足を運んでけいを聞き出し、伯爵令嬢として、高貴なる義務を持つ身として、主神に仕える正しい人のありようとしての良識と常識を説く。

 最近ではオディールが私の姿を見ただけで身構えるようになってきた。悪化のいっをたどっている気がする。

 ぱしゃん、けな音を立てて水柱が銀のボウルに戻ってしまう。集中力がれてしまったらしい。雑念を振り払ってもう一度、最初から。水に触れて渦を作る。


「っ、」


 ぐらり、視界がゆがんだ。

 銀のボウルにうでが当たって、そのままじゅうたんみずびたしにしてしまう。


「お嬢様!?」


 すぐ後ろからアンの声が聞こえた。

 彼女が抱きめてくれたおかげで、ゆかとキスせずに済んだらしい。


「今日はもう、お休みください。ひどい顔色です」

「……ええ、そうするわ」


 整えられたベッドに横たえられると、全身がだるく顔を動かすことさえおっくうだ。

 この感覚を知っている。ジゼルとして生きてきて、何度も何度も身近にあった感覚だ。

 意識がくらやみに落ちていく。そういえば、フルタイムで家庭教師の講義を受けるのも、連日声を張り上げるのも、今までで初めての経験だ。

 そもそも体力の基本値が低いのだ。虫の鳴くような声で話して、毎日ベッドから窓の外を見つめて、家族の声も無視し続けた。現実とうの結果からのスタートなのだ。

 誰か、人の気配を感じた気がしたけれど、まぶたが開かなかった。



*****



 結局回復までに三日かかってしまった。

 以前より運動量は増えていると思うのだけれど、これからは食事りょうほうや筋トレも始めた方が良いかもしれないと考える。この儚そうに見えて本当に儚いキャラクターがだめなのだ。いっそ悪役令嬢のマッチョな姉みたいなモブの方が生存率は高そうな気がする。

 ほとんどこうしんりょうの風味がしないパンがゆをすすっていると、例によって子どもの声の切れはしと、ざわめく気配がとびらしに伝わる。

 廊下で何かさけんでいるらしいオディールの声に、スプーンを持つ手がこわばってしまう。


「どうかご無理はなさいませんよう」

「ありがとう、アン」


 先んじて制されてしまい、苦笑してかゆを押し込む作業に戻る。

 ふと、部屋のすみに見慣れないしきさいを見つけた。

 いちりんしに薔薇がしてある。庭の薔薇だろうか。花瓶にはいつも花が満ちていたけれど、一輪挿しは見たことがない。わざわざ用意したのだろうか。

 問いかけようとしたけれど、アンは食後のお茶の用意をしていていそがしそうだった。

 仮にも伯爵家に一輪挿しが一つもないなんてこともないだろうし、きっととびきりれいに咲いた薔薇でもあったのだろう。

 庭の薔薇はオディールの髪色のようなしんの薔薇ばかりなのに、一輪挿しに生けられた薔薇は雪のような純白だった。

 夜の窓に映る令嬢はいかにも頼りなげで、いつ死んでもおかしくないか弱さだ。

 ダルマス伯爵領の相続権を持ち、母親譲りの美貌があり、この国では重要視される魔力も持っている。これだけ恵まれた能力がありながら、体が弱いというだけで、私は何故か生きることに無気力だった。

 ぐうぜんでも妄想でも、私に別の視点を教えてくれた主神エールに感謝する。

 死にたくない。痛いのや苦しいのはもちろん嫌だし、今度こそ。

 今度こそ、今生こそ私は『何者か』になりたい。

 なんとなくなりたかった『何か』、なんとなく欲しかった『何か』。

 人生の目的だとか、幸せだとか、そういうのをちゃんと見つけて、そうやって、私を好きになりたい。そのために、また十九歳やそこらで死ぬなんて絶対ごめんだ。

 とはいえ、オディールは日に日に口が達者になって、正面からかってくるようになった。今のところ子どものけんレベルなので言いくるめられるけれど、そのうち実力行使に出られたらどうしよう。

 こんなことなら私自身が悪役令嬢に転生した方がよほどましだったのでは。ままならない運命に頭痛がしそうだ。

 朝目が覚めたら、オディールがとつぜんこころやさしい淑女になっていたりしないだろうか。

 主神エールよ、人生そこまで甘くはありませんか。



*****



 とうそうも毎日続けばネタ切れで、正面から戦っても勝てないことをさとった小さな令嬢は、今度はとうそうせんたくした。

 授業の時間になっても部屋にもどらないオディールを無視するのは簡単だ。しかしあのにあふれる闘争心とこんじょうの持ち主であるオディールがちょっとやそっと無視したくらいでこたえるとは思えない。

 悪役令嬢と野生児なら野生児の方がましかもしれないといっしゅん思いはしたが、かんしゃく持ちの野生児のグッドエンドが『森に帰る』しか見えなかったので踏《みとどまった。

 オディールがす前に部屋にとどめればメイド達に、かくれているオディールを見つけて連れてきたらその使用人に、少ないけれど特別しょうを出すことにした。

 連日すまきにされて泣きわめきながら連れてこられるオディールをむかえるのが日課になりつつある。

 甘えに甘やかした子どもをとつぜん良い子にできるはずがない。根気強付き合うつもりだ。

 金切り声とせいにあふれたにぎやかな日常を過ごしながらも、運命は足音高く私の後ろにせまってくる。冬の風がく季節になって、かいどうに雪が積もる前にと、クタール侯爵家からお茶会の招待状が届いたのだ。

 ゲーム中のジゼルはクタール侯爵令息リュファスの婚約者だった。モブゆえに情報の少ないジゼルだけれど、『子どものころからの婚約者』という情報はある。

 いずれ来るとはかくしていたが、いざセーブなしコンティニューなしの一発勝負で初見クリアしろと言われるとなかなかのプレッシャーだ。


「クタール侯爵家って、領地がとなりわせなこと以外何かつながりがあったかしら?」

「一角商会の古い取引先です。だん様もロベール様も、クタール侯爵様と親交がありました。特にロベール様は侯爵様の遊学中、外国までお供をしたとうかがっております。奥様も生前は侯爵夫人と親しくお付き合いなさっていたそうですよ」

「叔父様が……そうだったの」


 部屋付きのメイドであるアンの回答はよどみなかった。かたぐちで切りそろえられたくろかみがさらりとれる。家系図や資料を差し出すぎわにも迷いがない。

 クタール侯爵家――侯爵であるロドルフォ=クタールと、その妻フェデーリカ=クタールによって治められている豊かな土地だ。領土の西側が海に面しており、諸外国との交易がさかんな港をいくつも有している。

 領地がりんせつしていて、家格が上で、経済規模も上で、兵力は比べるまでもない。ダルマス伯爵家としても、一角商会としても、可能な限りごげんそこねたくない相手だ。

 子どものわがままで行きたくないとをこねても通るとはあまり思えない。

 それに、オディールの癇癪に日々えらそうにお説教を垂れている身では「お茶会に何となく行きたくない」なんてじたばたすることもできないのだ。

 窓の外の中庭は、ふゆたくの薔薇がさびしげに枝をさらしている。

 だんまきが小さくはぜる音を聞きながら、ここでない場所のおくをゆっくりとたどる。

 クタール侯爵家には『楽園の乙女』における二人のこうりゃく対象がいる。

 兄ユーグ=クタールと弟リュファス=クタールだ。この二人は異母兄弟で、兄であるユーグが正妻のむす、弟リュファスが愛人の息子だ。

 現当主であるクタール侯爵は生まれついて強い魔力を有しており、国王からは領地の経営ではなく軍に属する魔術院でのかつやくを期待されていたほどだという。

 しかし、何故なぜかその才能はあとぎであるユーグにがれなかった。

 クタールは古くから魔術での国防をにないえがらで、魔力の強さを当主に求める声が強く、魔力がほぼないユーグは子どもの頃からうっくつした思いをかかえていた。

 今から二年前、当時十二歳だったリュファスが侯爵家へ引き取られる。子どもながらに高い魔力を示すリュファスに、一族の中にはリュファスこそ次期当主にとす声が上がる。

 一族はリュファスのしょという血統の不確かさを補うため、古い血と魔力を持つりんりょうのダルマス伯爵令嬢を婚約者にごり押しし、身内による骨肉の争いはどろぬまの様相をていしていた。

 兄はしっから弟をいじめぬき、弟は心に傷を負い続けて成長する。

 そんな二人の心のやみをソフィアはやし、本当の幸福を知ったクタール侯爵令息はようやくがおを取り戻すのだ――というストーリーだった。

 ゲームだとさらっと設定として説明されるだけ、さらに言うなら、二人の心の闇は完成しきっており、いってみれば過去形だったのでさほど気にしないでいられたが、現実は現在進行形で各種イベントが発生中と思われる。しゅのど真ん中へ向かうと思うとぞっとする。

 いたいけな子どもが闇落ちする現場とか、できるなら本当に見たくない。

 ちなみにこのルートにおけるオディールのぼうがいは『ダルマス伯爵令嬢の婚約者に色目を使うなんてムカツク、どうせあの姉は何も言えないんだから私が〆なくちゃ』というなぞの使命感と、『私がきらいな女が隣領によめりしてしかも侯爵夫人とかありえない』という通りすがりのヤンキーがメンチを切るような当たり屋的発想がベースになっていた。

 何故全方位にこんぼうを振りかざそうとするのか。

 ねん材料はもう一つある。リュファスは子どもの頃に一度魔力の暴走を引き起こしており、それが原因で彼は周囲に人を近づけない、どくな存在としてえがかれていた。ジゼルはその時のことを『とてもおそろしかった……私、死ぬかと思いましたもの。あの時のリュファス様は人とは思えませんでした』と顔を真っ青にしてか弱く語っていた。

 そんな男の婚約者を続けていたあたり、一周回ってジゼルってきもわってるんじゃなかろうかと思えてくる。

 つまり、クタール侯爵家において私が気をつけるべきは。

 クタール家にいるであろうぼうけいの魔術師達に、私の魔力の程度を知られないようにすること。そして、リュファスの魔力の暴走とやらに巻き込まれないようにすることの二つだ。

 存在を確かめるように、薔薇の花を模したペンダントにれる。

 家庭教師にらいしていた防護の魔道具が、ちょうど納品されたのだ。薔薇の花びらはせんさいな細工で、伯爵家の令嬢が持つにふさわしいかがやきだが、花弁の一枚ずつに防護の術をほどこしてある。

 間に合って良かった。クタール家に足を運ぶ際ははだはなさず身につけるつもりだ。


「ジゼルお嬢様! オディールお嬢様を見つけましたよ!」


 はずんだ声で部屋にんでくるメアリに笑いかける。


「ありがとう、メアリ。アン、お茶を用意してくれるかしら。メアリ、先生を呼んできてちょうだい。今日は私の部屋で地理のお勉強をしようと思うの。観光名所になっているような、有名な建物とかあったかしら」

「かしこまりました。それでしたら、領内で一番大きい水門である『蜥蜴とかげだいもん』あたりがいいかもしれません。メアリ、水門の資料を集めておきましょう」

「はい! かしこまりました! 蜥蜴の大門は絵もとってもかっこいいですから、オディールお嬢様もきっと楽しくお勉強できますよ!」


 アンが表情一つ変えずにうなずいて下がる。メアリが大きく頷いて三つ編みがぴょんとねる。ろうから「はなしなさい! 無礼者! あなたの一族ろうとう地底の国に落としてやるんだから!」というぶっそうさけごえが聞こえる。 

 が完全に悪役令嬢だ。どこの教材で学んでくるんだろう。あの子が高笑いをしゅうする前になんとかしなくては。

 机の上にうずたかく積まれた教材の向こう、真っ赤なかみがふわふわとウサギの毛のように揺れて見えた。



*****



 私の心労をに、月日は正しく刻限を刻み、とうとうクタール侯爵家のお茶会当日になってしまった。新しいドレスと、大切な薔薇のペンダントを身につけて馬車に乗り込む。

 今回は叔父であるパージュ子爵も同行している。

 やがて馬車を迎えるはくの城に、私だけでなくオディールもじゃっかんきんちょうした顔になる。

 オリエンタルしゅとでもいえばいいのか、梅らしき木や東洋風の草花がふゆれの庭に花をえている。歴史ある家名にじないそのていたくようは、歴史相応にそうごんかつじゅうこうなたたずまいで訪問者をあっとうしてくる。

 要するに古くてこわい。

 手入れが行き届いていることはわかるけれど、夜中にゆうれいが出てきそうなふんだ。

 なるほど、確定の死亡フラグを建設するのにぴったりのお城だった。

 気弱で病弱でか弱いジゼル嬢は、こんな色が白いだけのあく城みたいな家にいったいどうしていずれとつごうと思えたんだろう。

 もしかして死期が早まったの、ストレスが原因じゃなかろうか。

 本当に、何が何でもこの死亡フラグはへし折っておかなくては。


「クタール領内にあるうちの商会に顔を出さないといけなくてね。ごあいさつだけ済ませたら私は席を外すけど、心細くなったらいつだって私を呼ぶんだよ? いいね?」


 暑苦しいハグとほおにキスをして、叔父は行ってしまう。

 残された私とオディールの目が合って、オディールはふんと鼻を鳴らして顔をそらした。

 そういえば今回のミッションは二つだけだと思ったけれど、もう一つあった。我が家の悪役令嬢が、もしかして野生児なんじゃなかろうかというわくを余所様に見せないようにすることだ。それは死亡フラグでもぼつらくフラグでもないかもしれないけれど。

 私の中に生きるはじの文化が悲鳴を上げるのです。

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