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*****



 可愛い妹と食事を共にしたいという姉の願いは当然かいだくされた。

 最初に犠牲になったのはパンがっていた皿だった。

 薔薇のジャムが今日もテーブルに並んでいないことについて、さっそく癇癪を起こしたのだ。

 花のジャムのようなこうひんは昨日の今日で手配できる物ではない。


「オディール。昨日私が言ったことがわからないの?」


 きつくにらみつければ、同じ色をした瞳がにらみ返してくる。

 背後でメイド達がどうようする気配を感じるが、振り向いている場合ではない。


「ここは私のおうちよ! 私が何をしようと自由だわ!」

「そうね、でもあなた一人の家でもないのよ。私達は家族だけれど、いくらなんでもみっともない姿を見せているとは思わない? 私があなたの目の前で皿を投げつけて、落ち着いて朝食を食べられるかしら」

「お姉様が勝手に食堂に来たんじゃない! いつも部屋で食べてるくせに、後から来て私に文句を言うなんて、じんよ!」

「ひどいことを言うのね。私が招かれざる客だと言うなら、あなたはますます無様なところを見せるべきではないわ」

「お姉様なんかきらい! 大っ嫌い! 勝手だわ! 横暴よ!」

「あなたがいい子ならこんなことは言いません」

「私は悪くないわよ!!」

「何故そう言いきれるの」

「私がっわた、私がダルマス、はくしゃく家の、オディールだからっ」


 言いながら、その言葉が全く意味をなさない相手だと理解しているのだろう。とうとう泣き出してしゃくり上げてしまった。

 十九年の前世と十四年の今生を足した中身で相手をしているのだ。大人げないとは思う。

 おおつぶなみだをはらはらとこぼしている少女を見れば痛む胸もある。

 だが、ここで手心を加えては死亡フラグ没落ルートをかいすることはできない。


「あなたに仕えてくれているみなを大切になさい、今私が言っているのはそれだけよ」

「……! 出て行って! お姉様なんか顔も見たくない!!」


 ぼろぼろと涙をこぼしながら、食堂の入り口を示す。

 昨日のようにかえりはしないあたり、ふてぶてしくもプライド高い淑女だ。無論ここで退場などしない。部屋中の視線を集めながら、朝食を完食して席を立った。


「ごきげんよう、オディール。今日は歴史の勉強だったわね、頑張ってね」


 とうとうこちらが席を立つまで着席しなかったオディールに、未来のこんじょうとバイタリティを見る。その泣き顔はなんだかいっそ必死で可愛くて、笑ってしまわないよう注意する必要があった。

 メイド達が閉めた扉の向こうで、皿の割れる音がした。せいせいが響く扉を振り返りながら、小さくため息をつく。


「あなた達のきゅうを上げてもらうよう叔父様にお願いしてきます。しばらくめいわくをかけてしまいますけれど、よろしくね」


 控えていた使用人達は困惑した様子だったが、しょうきゅうは素直にうれしいのだろう、まばらに礼を言って下がっていった。

 角を曲がったところでひそひそと声をひそめている。

 ジゼルお嬢様は人が変わってしまったようだ。どうも先日の熱で楽園の野を見たらしい。

 部屋に閉じこもって手のかからないはずだったジゼル嬢がめんどうごとを起こしている。

 だがもしオディール嬢が改心すればこの屋敷での仕事がとても楽になる。

 どうせ後見人は姪達をできあいしていて何も口を出しやしないのだから、遠くから成り行きを見守っていよう。そんなところだろう。


「あ、あの、ジゼルお嬢様」


 後ろから声をかけられて振り返ると、くりいろの三つ編みがぴょこんとれた。


「メアリ。どうかして?」


 オディールの部屋付のメイドで、最もオディールのがいを受けているのが彼女だ。


「き、昨日っ、メイド長がお薬をくださったんです。あの、ありがとうございます! 大切に使わせていただきます!」

「そう、良かったわ。でもれいなんていいのよ、あの子が原因なんですもの。頭を下げなくてはならないのは私の方だわ」


 きょうしゅくしきっているメアリを見上げる。周囲のメイドと比べてもずいぶん若い。十六、七歳といったところだろう。まだ少女と言っても良いくらいの見た目だ。伯爵令嬢の部屋付きともなれば、もっと年上のベテランのメイドがつきそうなものだけれど。

 人材がいないのか。それとも、メイド長の差配なのか。もしくは、あの叔父の考えがあるのだろうか。考えても答えは出ないのでえる。


「オディールをよろしくね。……根はいい子なの」

「は、はい」


 返答に苦笑が混じるので、返す顔も苦笑になってしまう。かんきょうが人格を形成するので、生まれたしゅんかんの根は良い子なのだと信じたい。

 大丈夫、今からでももどすことはできるはず。

 私室に戻り、今日の予定をかくにんする。

 魔術の授業が午後から予定されていた。魔術の訓練は重点的に行っていきたい。というのも、それがジゼルの死因の一つだからだ。

『楽園の乙女』において、魔力は重要なパラメータだ。

 遠い昔、この国がしんりゃくしゃじゅうりんされていた時代。魔力ある若者達が立ち上がって異教徒に立ち向かい、国をおこしたというわれからだ。

 古いいえがらであるほど強い魔力を求められ、たとえ平民でもその強大な魔力のために特別に聖女として王族にとついだ女性までいる。

 ジゼルもまた、母親譲りの強い魔力を持っている。属性は水。

 ジゼルにとってのメインルートといえる侯爵令息リュファスルートで、ジゼルは病に倒れる。この病というのがジゼルの魔力に起因するものなのだ。

 ジゼルは魔力の強さに反してそれをコントロールする力が弱く、自分自身の魔力で自家中毒になっている。元々体力がないことも手伝って、ジゼルはだいに弱っていき、最後には自らの魔力に殺されてしまう。

 これは攻略対象とヒロインのイベントを進めるため、という役割の他に、後々に強い魔力を持つキャラクターが魔力を暴走させたり、望まない魔力を手に入れたりした場合、魔力のせいぎょ不能を起こすと最悪死にますよ、という例示としての死亡パターンと考えられる。

 何も死ななくても良かったんじゃないかな。

 自分のにおいで死ぬカメムシみたいなイベントはめんこうむりたいのでしんけんに取り組む所存だ。ちなみに以前の家庭教師はオディールの癇癪にえかねて辞表をたたきつけたきり二度と姿を現さなかった。元々魔術師という人種はプライドが高く、コミュニケーション能力に難のある人が多いのだ。

 気合いを入れて教科書を用意していると、時間ぴったりに扉は開かれた。

 現れた魔術師はアッシュグレーのちょうはつを一つに束ねた男性で、年のころは叔父と同じくらいだろうか。じゅついんの制服を着ているので王宮付の魔術師のアルバイトらしい。


「はじめまして、ジゼル様。体調をくずしていたと伺いましたが、お加減はいかがですか」

「おかげさまで。今日からよろしくお願いします、先生」

「以前の授業から大分空いてしまったから、の基礎から、ということでしたね」

「はい。妹に教えてあげたいので、私も基本から勉強し直そうと思って」

「良い心がけです。きっと姉妹で勉強すればはかどりますよ」


 教科書を広げてみれば、ジゼルとして学んだことのある文章が序文に書かれていた。


「まず一番大切なことは、魔術はばんのうではないということです。魔術にできることは、基本的にすでにそこにある物質の状態と方向性を定めるものだと思っておいてください。ジゼル様は水の属性の魔力をお持ちですが、無から有を生み出すのは大変難しいことです」


 教師はコップの水を示す。ジゼルの属性に合わせて水が用意されているのだ。


「それなら、風や土はとても便利そうですね。どこにでもあるから」

「ははは、そう思うでしょう? しかし、風や土を自在にあやつるには、他の属性より大量の魔力を必要とするんですよ。果てのない空や大地から、特定の部分だけを操作するのは至難のわざですから。その二属性のゆうしゅうな魔術師は魔術院にも数えるほどしかいません」


 ちなみに未来の私の婚約者、リュファスがそれである。属性は土。

 家庭教師は黒板に人の形を書き、次にその中にみずがめの絵を書いた。


「魔力は血と共に体をめぐり、心臓の底に魔力のうつわを形成します。ゆえに、器は二つ目の心臓とも呼ばれています。魔力は呼吸と共にこの器へため込まれ、器が大きいほど使える魔力が多く、きょうじんであるほど強力な魔術が使えます。魔力の器にがかかると、体にもえいきょうが出ますから、あまり無茶はなさらないでくださいね」


 つまり私の体は、薄いガラスの水差しのようなものらしい。

 取り込んだ魔力の重みでかいしてしまう、『弱い器』ということだ。水差しの注ぎ口は細くて、大量の魔力を一度に出力することもできない。

 ため息が重い。使えない魔力はないのと同じなのだから。

 そういえば、と私は手を上げる。


「先生。魔術の使えない人でも、魔術が使えるような道具はありますか?」

どうですか。ええ、ありますよ。もう目が飛び出るほど高価なものが」


 にこにこと笑って家庭教師は自分のむなもとを示した。銀製らしい、ピカピカの飾りボタンに、動物がちょうこくされている。

 魔道具は元々のゲームで実装されていたもので、攻略対象からプレゼントされるイベントアイテムだった。パラメータを上下するアイテムではなく、フラグぶん用のアイテムだったので、実際に使用しているシーンは見たことがない。


「身を守る魔道具はありませんか?」

「……護身に不安がおありで?」


 家庭教師がげんそうな顔をして眉を寄せた。

 十四歳の少女が欲しがるアイテムではないのは重々承知だ。


「これでも伯爵家のちゃくですもの。それに、ご存じないかもしれませんが、社交界だってお茶会だって、戦場です。熱々の紅茶や毒がられたせんがうっかり投げつけられるかもしれないでしょう?」

「ははは、確かにおっしゃる通りです。ジゼル様は近々戦場に出るご予定が?」

「えっと、そうですね。クタール侯爵家あたりでしょうか」


 うそではない。きっと近々招待されるはずだ。全然望んでいないけれど。


「何が起こるかなんてわかりませんもの。この先きっと、必要になると思います」


 あくまでクタール侯爵家の悪口にならないよう、少女のじゃさをよそおう。

 まだ社交界デビューしていない、夢見る乙女のじょうもうそうだというていで教師を見上げれば、教師は少し考え込むように口元に手をやっていたが、ややあって頷いてくれた。


「町一つ丸ごとほうだんから守るような結界は無理でも、ジゼル様お一人、いやお二人くらいを守れる防護の魔道具ならありますよ。どちらかというと領地戦や辺境でのいに持ち出される道具ですが」

「本当ですか? では、こうぼうしょうかいしていただけませんか?」

「よろしければ私がお作りしましょう。何をかくそう、私はその道の専門家なので!」


 えへん、と魔術師が胸を張る。胸元の飾りボタンの他にも、いくつか魔道具らしきものがキラキラと光っている。


「薔薇のダルマスにふさわしい、素晴らしい魔道具を用意して差し上げますとも! 私にお任せください」


 丸眼鏡がきらりと光る。きっと王宮勤めの魔術師にはいい副収入になるのだろう。


「わかりました。それではお願いします、先生。なるべくがんじょうで、何度もこうげきに耐えられるような、最高の防護の魔道具をお願いします」

「ははは、もちろんですとも。……本当に命とかねらわれてませんよね、ジゼル様」


 心底心配そうな顔をした家庭教師に、私はあいまいな笑顔を返すことしかできなかった。

 寝る前に今日の授業のおさらいをする。

 銀製のボウルにたっぷり注がれた水に集中する。触れた指先から魔力を注がれた水がうずを巻き、水柱となってへびのようにうねりながら空中におどす。

 薄いガラスをはじくようなこうしつな音がして、水が氷になっていく。

 ほっそりした棒から、次々と枝が生え、たよりないがくの上へ薄い花弁が花開く。すうてきの水が枝のおうとつになり、とうめいな氷の薔薇がいた。

 ボウルから生え出したような氷の薔薇を根元からる。魔力の起点を失った氷はただの水に戻る。地味な訓練だが、定期的に魔力を放出しておくことで自家中毒の予防にもなるらしい。毎日続けることが必要だ。

 ふと思い立って、控えていたメイドを呼んだ。


「アン、これをオディールに届けてくれる?」

「かしこまりました」


 かたぐちでそろえたくろかみが揺れる。感情の読みづらいこのメイドが、ジゼルの部屋付きだ。

 メアリ同様、部屋付きのメイドにしては随分若い。顔つきからしておそらくメアリより年下なのではないだろうか。


「どうかなさいましたか、お嬢様」

「……いえ、なんでもないの。リボンでも巻いた方が良いかしら。赤いリボンはある?」

「はい、ございます」

「では、お願いね。また癇癪を起こしていないと良いのだけど」


 もしかすると火に油かもしれない。だが、妹の存在をしゃだんし続けた姉には、妹が何を喜ぶのかさえわからないのだ。

 記憶をどれほどり返しても、これまでにわたしたプレゼント一つ、思い出すことができなかった。もしかして一度も何も渡していないのではなかろうか。姉妹の断絶が深すぎておくを食いしばってしまう。どうしてこうなるまで放っておいたのか。

 アンが頭を下げ、音もなく退室したのを確認して、もう一度銀製のボウルに向き直る。

 没落しても生きてはいけるかもしれないけれど、確定している病気くらいはなんとかしなくては。リュファスルートで特に死期が早かっただけで、最終的にどのルートでもこの病気で死んでるんじゃないだろうか、ジゼル嬢。

 他人ひとごとのように思ってみたけれどそれは今の私の末路でもあるわけで。思い至った可能性をはらい、指先でほこる薔薇が散らないよう意識を集中することにした。

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