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 数日後、枕元で医者が回復を告げると、ひかえていたメイド達が一様にほっとした表情を見せた。この病弱な体はいともたやすく楽園の門をくぐろうとする。

 まずは健康にならなくては。折れてしまいそうな手首にれて気合いを入れる。


様にごあいさつに行きたいの」


 そう告げると、医者がうなずくのを待って、メイド達がたくを手伝ってくれる。

 瞳の色に合わせたすみれいろのドレス。鏡の中の令嬢は、それはとして愛らしい。

 地顔がはんなりとした微笑ほほえみ顔というのか、やわらかく下がったじりと少し困ったような眉の形がそうさせるのか、とにかく優しげなおもしだ。色のうすさと相まって儚く見える。

 妹とは似ても似つかない。

 しきの中を歩きながら、かべけられたいかめしい肖像画をながめつつ、この家の歴史を思い出していく。これまでの令嬢教育の知識と、前世の知識を組み合わせ、すり合わせる。

 ダルマス伯爵家の歴史は古く、この国の歴史の中ではかなり初期にその名前が挙げられる。さかのぼればその祖は興国の王に仕えるじゅつで、その力で異教徒との戦いにおいて功績を挙げ、勝ち取った領土の一部をあたえられた。

 古きしんこうを持つたみがこの国のきんりんにいたのはおとぎばなしのような昔の話。かつての王国は分断され、今では三つの国になっている。

 そんな時代のへんせんの中で、ダルマス伯爵家はわかりやすく没落していた。

 歴史ばかりが重く、時代の変化に対応できなかったこの伯爵家は、じわじわとその資産を減らしていき、三度重なった天災による税収減で、完全に再起不能におちいった。

 古めかしい肖像画の横に、かくてき新しい肖像画が現れる。

 銀の髪、菫色の瞳、そして菫色のドレスをまとった儚げな女性。今にも消えてしまいそうな微笑みをかべる女性は、先ほどまで鏡の中にいた少女とうりふたつだ。

 没落のどん底時代に、私の母となるダルマス伯爵令嬢イリスは生まれる。

 このぼうと魔力にめぐまれた伯爵家の一人ひとりむすめは、当時の社交界で『あわゆききみ』と呼ばれ、ずいぶんと評判だったらしい。せいだいたま輿こしを期待されていたことは想像にかたくない。

 しかし、イリスのりょくをもってしても実家の借金の額が大きく、また領地の経営もほぼたんしていたため、金と権力のあるけんじつな貴族からはことごとくえんだんを断られたという。

 縁談用の肖像画を描き直す金もないまま、当時のダルマス伯爵、私の祖父にあたる人が早々にくなってしまう。

 められたダルマス伯爵家に手をべたのが、私の父、パージュしゃくちゃくなん、テオドールだ。子爵になったのはジゼルの祖父の代からで、金で地位を買ったばかりの、いわゆるなりきん貴族だった。

 パージュ子爵家は王国の西側に広くはんを持つ『いっかく商会』を運営しており、当時出資していた海運事業が成功したため、とにかく金はあったらしい。

 テオドールはまずダルマスの借金を引き上げて担保にされていた土地をすべて手に入れ、領地運営の健全化にじんりょくし、あっという間にダルマスのさんじょうを立て直してしまった。

 その上で、名ばかりの女伯爵となったイリスに結婚を申し込んだというのだ。

 ヒロインの危機にさっそうと現れるヒーローか、金も領地も失ったあわれな令嬢にきょうはく同然に結婚をせまる悪漢か、がおばかりが描かれる肖像画から読み取ることはできない。

 全部人づてなのは、私がこの肖像画の女性、母に関する記憶がほとんどないからだ。

 私を産んだ四年後、オディールを産み落としてすぐに、母は死んでしまったのだから。

 おそらく、これが悲劇の始まりだった。

 テオドールは持てる金と時間とめいの限りをくして妻を愛していたため、そのかなしみから妻が亡くなった翌年、重い病をわずらってしまう。

 愛する娘達のために弟であるロベール=パージュに子爵位をゆずって後見をたくし、絶対に何一つ不自由なく育ててやってほしいと強く強くうったえて、父は亡くなった。

 叔父ロベールは父のゆいごんをご丁寧にも忠実に守り、オディールの望むものはなんでもかなえてきた。その結果がさんたんたる悪役令嬢の完成である。

 もっと身分が低ければ、きゅうていさわぎを起こすこともできなかっただろう。

 財も歴史もある家系であれば、幼少期から各種社交スキルを厳しくたたき込まれるので、ぽっと出の庶子の子女に自ら手を下すような無様はさらさなかったはずだ。

 古いしゃくのプライドに成り上がりのさげすみがぜつみょうにトッピングされた結果、全方位にとげだらけですきだらけな悪役令嬢のできあがりである。

 ため息を重ねてしまう。


「ジゼル」


 長いろうの反対側から聞こえた声に体ごと向き直る。


「主神に感謝せねば。もう起き上がってだいじょうかい?」

「はい、叔父様。今ご挨拶にうかがうところでした」


 燃えるような赤毛、つり上がった目。にらまれればすくみ上がってしまいそうな、整ってはいるが悪人らしい人相の男性。

 海の色をした瞳の中で少女はゆっくりとしゅくじょの礼をとる。


「おはようございます、叔父様」

「おはよう、私の天使。お前は義姉ねえさんに似て体が弱いのだから、無理をしてはいけないよ」

「そのことなのですが、叔父様」

「?」


 視線を合わせてくれる優しさに感謝しながら、せいいっぱい儚げなみを作ってみる。


「私、夢を見ましたの。どこまでも光と花が尽きない、それは美しい場所でした。きっとあれは主神おわす楽園の野だったのだと思います」

「ジゼル……っ」


 楽園の野。天国を示すその言葉にナイスミドルがみるみる情けない顔になるのをつねりあげたい気持ちで、表情筋に力を込めた。ここがどころだ。


「ええ、きっと楽園の野だったのです。だってお母様がいらしたんですもの。私、お母様についていこうとしたのですけど、お母様は許してくださらなくて……代わりに微笑んで抱きしめてくださいました」


 無論そんな夢は見ていない。ゲーム中にイリスの台詞はないのでしんちょうに言葉を選ぶ。


「お母様は、オディールのことを、とても気にかけていました。どうかあの子を愛し、いつくしみ、厳しく。そう、厳しく! 育ててほしいと」


 ぎゅっと胸の前で祈るように指を組み、角度にして三十度ほど視線を下げた。

 長い睫毛がうれいを帯びた表情を作り出し、みしめたくちびるの色がいっそう淡雪の肌を引き立たせる。


「主神エールはオディールを私の妹としてつかわしてくださったのに、私は|寝《ね

んでばかりで……あの子に何もしてあげられていません。私、もっともっと元気になります。それに、オディールのことも、姉として支え導けるようになりたい。勉強も、作法も、淑女として必要なことを、全部オディールと二人で頑張りたいんです」

「ああ、ああ! もちろんだとも、ジゼル。お前の母が、義姉さんがお前の命を守ってくれたのだから。お前はもう楽園の野へなど行くものか……たった二人きりのまいだ、力を合わせて共にあるのは当然のことだ」

「ありがとうございます、叔父様」


 顔面ぐしゃぐしゃで鼻水まで垂らしているナイスミドルにハグされながら、とりあえずの進展にぐっとこぶしにぎった。

 ジゼルの体調不良の原因はこの叔父の過保護にもあると考えたからだ。

 ゲーム中のオディールの台詞を思い出したのだ。『叔父様はお姉様がせきの一つもこぼしただけで部屋に閉じ込めておいででしたものね』と。実の姉にも毒吐き放題である。

 ほぼ全攻略対象のイベントをらすバイタリティとメンタルの持ち主であるオディールと比べるのもどうかと思うが、そんな妹に比べるまでもなくジゼルは確かに体が弱い。

 しかし部屋で寝ているだけでは体力も筋肉も落ちる一方、ただでさえ死にやすいモブの死因に『きょじゃく』が追加されるだけだ。少なくとも健康的な令嬢になりたい。

 朝っぱらから叔父と姪がひしとほうようしているシーンを、使用人達が遠巻きに眺めている。

 そろそろ誰か助けてくれないだろうか、と思ったところでカップの割れる音が遠くから聞こえた。ついで、ばたばたと走り回る人の気配も。

 叔父のほおに許しを得てキスを一つして、私はきびすを返した。

 毎朝毎朝、この病弱で気の弱い令嬢が無視し続けた音に向かって、一歩踏み出すために。

 食堂のとびらを開けたメイドに、私を先導するつもりはなかったのだろう。というのも、両手によごれたテーブルクロスをかかえていたからだ。

 視界にこの家の令嬢を見つけて、メイドはあわてて道を空ける。

 横を通り過ぎると痛いほどの視線を感じる。

 それはそうだろう、ジゼルはいつも自室にこもっていて、オディールがジゼルを訪ねない限りこの姉妹は顔を合わせることもなかったのだから。


「私は薔薇のジャムが食べたいって言ったじゃない! どうして用意できてないのよ!!」


 何か固い物がぶつかる音がして、ベチッとあまり可愛かわいらしいとは言えない音がした。


「申し訳ありません、おじょうさま

「いやよ! いや!! 薔薇じゃなきゃいやなの!!」


 あまりにもわかりやすいに、ため息が重くなる。

 妹はほぼ毎朝こんなかんしゃくを起こしている。朝の紅茶に入れるほんのひとさじの薔薇のジャムのために皿を何枚もせいにするのだ。

 その声は、記憶にある限りジゼルの部屋にも届いていたはずだが、癇癪一つ起こしたことがない生来おっとりした性格のジゼルにはオディールの激しい感情が全く理解できず、早々に理解する努力も放り投げ、なるべくきょを取りたいと考えてしまっていた。

 誰だってらいげんに足を突っ込みたくはない。

 しかしやらねばならぬので。


「おはよう、オディール。朝からにぎやかね」

「!!」


 ぴたり、部屋にいた人間の動きが止まる。

 小さな手に打たれていた三つ編みのメイドも、今まさに犠牲になりかけている小皿も、それを手にした少女も。

 肖像画の姿より少し成長した、燃えるような赤毛の美少女。

 うんざりするほどゲーム画面で見た彼女の幼い日の姿だと、もう一度確信する。


「オディール」


 ゆっくり、名前を呼ぶ。


「お、姉様」


 同じ色をしたアメジストの瞳はしばらく言葉を探していたようだったけれど、机の上に小皿を置き直して、きゅっと口をめてまっすぐに見上げてくる。


「おはようございます、お姉様。もうお体はよろしいの?」

「ええ、心配してくれてありがとうオディール。主神のお導きに感謝しなくては」

「……」


 小さな貴婦人の目から、けいかいさいの感情がはっきりと伝わってきた。


「私もお茶をいただいて良いかしら? オディール」

「……ええ。すぐにお茶の用意をして!」

「は、はい! ただいま!」


 手や足にいくつも小さなあざを作ったメイドを見送り、淑女のテーブルと呼ぶには荒れてた席につく。

 向かいの席に座りながら、オディールは落ち着かない様子で視線をさまよわせていた。

 しかし時折目が合うと、あなどられまいと強い意思をもってにらみつけてくる。もうすでに悪役令嬢のへんりんばっちりである。


「オディール。先ほどは何故なぜあんなに大きな声を出していたのかしら?」

「あれはメアリが悪いのよ」


 きっぱりと幼い声が断言する。

 メアリ。先ほどのそばかす三つ編みメイドの名前らしい。


「私が薔薇のジャムが欲しいって昨日言っておいたのに、用意できなかったの。本当に使えないんだから」


 ふんぞり返って鼻で笑う。甘いものが食べたい、という子どもらしい発言だが、その結果がさっきのバイオレンスな癇癪なのでいっさい可愛くはない。

 身分と立場に物を言わせて暴力をるう姿は、こちらの事情を差し引いても目にしたくない光景だ。


「今は薔薇の季節ではないでしょう。無茶を言ってメイド達を困らせるものではないわ」

「!」


 オディールが信じられない、という顔でこちらを見ている。

 当然だろう、今日まで誰一人オディールの行いに苦言をていする者はいなかったのだから。


「オディール。あなたがらしい主人であれば、彼らはあなたのためになんとしてでも薔薇のジャムを探し出してくれたかもしれないけれど。仕える人のけんしんを得られないのは、主人がそれに足る人間でないと公言しているのと同じこと」


 ぐっとけんにしわを寄せて、正面からオディールの視線を受け止める。理解できない単語が含まれていようと、責められていることは感じるのだろう。オディールの口がへの字に曲がる。元々きつめの顔立ちなので、げんを詰め込んだような表情になった。


「メイド達に無理な命令をして、悪く言うのはおやめなさい。あなたが何もできないだめな主人だと言いふらしているようなものよ」

「……っ! 私は悪くないわ!!」


 バンッ!

 テーブルに残ったびんと小皿がねるほど強く天板をたたき、オディールは淑女らしからぬ音を立ててを引いた。


「お姉様なんかだいきらい!!」


 アメジストの瞳に燃えるようないかりをたぎらせて私をにらみつけると、オディールは食堂の扉を観音開きに開け放ち、そのまま走り去ってしまった。

 重い木製の扉が壁に当たる低い音が部屋にひびく。

 いっちょういっせきでどうにかできるとは思っていないけれど、先の長い話になりそうだ。

 部屋をわたすと、伯爵家にふさわしいカトラリーがぎょう良く並んでいるが、じゅうこうな一枚板のテーブルには所々目立った傷があった。みがき上げられたあめいろはださわろうとして、入り口で銀のぼんを持ったまま立ち尽くしているメイドと目が合ってしまった。

 目を丸くして口を開けているメイドにしょうして立ち上がる。名前は確か。


「メアリ。オディールがごめんなさい、後で薬を届けるようメイド長に言っておくわ」

「は、え、はい」

「それと、明日からしばらくは私も朝食を食堂でとります。叔父様のお許しはこれからいただくつもりだけれど、ちゅうぼうに伝えておいてもらえるかしら」

「はい!」


 姿勢を正したメイドの動きにおくれて、後ろでまとめた三つ編みがぴょんと跳ねた。

 その顔が引きつっているのを見ないふりで、なるべく優しい笑顔を残して部屋を出る。

 オディールは言わずもがな、ジゼルも自分の家の人間を全くあくできていない。

 部屋に閉じこもってばかりで、せますぎる自分の世界だけを見ていた。

 さっきオディールに言った言葉はそのままこれまでのジゼル、私自身にもあてはまる。

 この家にいる使用人の誰一人、ジゼルが死にそうになっても、オディールがきゅうに陥っても命をけてはくれない。

 そして、きっとこの家が没落しても船を見捨てるネズミのように消えるだけだろう。

 死にたくない。できれば没落だってしたくない。でも多分、このままだとそうなる未来しか見えない。

 体にしみついた習慣とはこわいもので、ぼんやりと歩いていると自分の私室を通り過ぎてしんしつまでたどり着いてしまった。

 本来であれば私室に置かれるべき本棚もづくえもすべてが寝室にそろっていて、まるで三歩以内に必要な物すべてを配置したコタツのようだ。なんて狭い世界だろう。

 絹のシーツにくるまれているだけでは、きっと死んでしまうので。

 寝室に背中を向けて、鏡に向かって再度『淡雪の君』の微笑みを練習して、叔父へのおりに備えることにした。

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