1-2
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数日後、枕元で医者が回復を告げると、
まずは健康にならなくては。折れてしまいそうな手首に
「
そう告げると、医者が
瞳の色に合わせた
地顔がはんなりとした
妹とは似ても似つかない。
ダルマス伯爵家の歴史は古く、この国の歴史の中ではかなり初期にその名前が挙げられる。
古き
そんな時代の
歴史ばかりが重く、時代の変化に対応できなかったこの伯爵家は、じわじわとその資産を減らしていき、三度重なった天災による税収減で、完全に再起不能に
古めかしい肖像画の横に、
銀の髪、菫色の瞳、そして菫色のドレスを
没落のどん底時代に、私の母となるダルマス伯爵令嬢イリスは生まれる。
この
しかし、イリスの
縁談用の肖像画を描き直す金もないまま、当時のダルマス伯爵、私の祖父にあたる人が早々に
パージュ子爵家は王国の西側に広く
テオドールはまずダルマスの借金を引き上げて担保にされていた土地をすべて手に入れ、領地運営の健全化に
その上で、名ばかりの女伯爵となったイリスに結婚を申し込んだというのだ。
ヒロインの危機に
全部人づてなのは、私がこの肖像画の女性、母に関する記憶がほとんどないからだ。
私を産んだ四年後、オディールを産み落としてすぐに、母は死んでしまったのだから。
おそらく、これが悲劇の始まりだった。
テオドールは持てる金と時間と
愛する娘達のために弟であるロベール=パージュに子爵位を
叔父ロベールは父の
もっと身分が低ければ、
財も歴史もある家系であれば、幼少期から各種社交スキルを厳しくたたき込まれるので、ぽっと出の庶子の子女に自ら手を下すような無様はさらさなかったはずだ。
古い
ため息を重ねてしまう。
「ジゼル」
長い
「主神に感謝せねば。もう起き上がって
「はい、叔父様。今ご挨拶に
燃えるような赤毛、つり上がった目。にらまれればすくみ上がってしまいそうな、整ってはいるが悪人らしい人相の男性。
海の色をした瞳の中で少女はゆっくりと
「おはようございます、叔父様」
「おはよう、私の天使。お前は
「そのことなのですが、叔父様」
「?」
視線を合わせてくれる優しさに感謝しながら、
「私、夢を見ましたの。どこまでも光と花が尽きない、それは美しい場所でした。きっとあれは主神おわす楽園の野だったのだと思います」
「ジゼル……っ」
楽園の野。天国を示すその言葉にナイスミドルがみるみる情けない顔になるのをつねりあげたい気持ちで、表情筋に力を込めた。ここが
「ええ、きっと楽園の野だったのです。だってお母様がいらしたんですもの。私、お母様についていこうとしたのですけど、お母様は許してくださらなくて……代わりに微笑んで抱きしめてくださいました」
無論そんな夢は見ていない。ゲーム中にイリスの台詞はないので
「お母様は、オディールのことを、とても気にかけていました。どうかあの子を愛し、
ぎゅっと胸の前で祈るように指を組み、角度にして三十度ほど視線を下げた。
長い睫毛が
「主神エールはオディールを私の妹として
》
「ああ、ああ! もちろんだとも、ジゼル。お前の母が、義姉さんがお前の命を守ってくれたのだから。お前はもう楽園の野へなど行くものか……たった二人きりの
「ありがとうございます、叔父様」
顔面ぐしゃぐしゃで鼻水まで垂らしているナイスミドルにハグされながら、とりあえずの進展にぐっと
ジゼルの体調不良の原因はこの叔父の過保護にもあると考えたからだ。
ゲーム中のオディールの台詞を思い出したのだ。『叔父様はお姉様が
ほぼ全攻略対象のイベントを
しかし部屋で寝ているだけでは体力も筋肉も落ちる一方、ただでさえ死にやすいモブの死因に『
朝っぱらから叔父と姪がひしと
そろそろ誰か助けてくれないだろうか、と思ったところでカップの割れる音が遠くから聞こえた。ついで、ばたばたと走り回る人の気配も。
叔父の
毎朝毎朝、この病弱で気の弱い令嬢が無視し続けた音に向かって、一歩踏み出すために。
食堂の
視界にこの家の令嬢を見つけて、メイドは
横を通り過ぎると痛いほどの視線を感じる。
それはそうだろう、ジゼルはいつも自室にこもっていて、オディールがジゼルを訪ねない限りこの姉妹は顔を合わせることもなかったのだから。
「私は薔薇のジャムが食べたいって言ったじゃない! どうして用意できてないのよ!!」
何か固い物がぶつかる音がして、ベチッとあまり
「申し訳ありません、お
「いやよ! いや!! 薔薇じゃなきゃいやなの!!」
あまりにもわかりやすい
妹はほぼ毎朝こんな
その声は、記憶にある限りジゼルの部屋にも届いていたはずだが、癇癪一つ起こしたことがない生来おっとりした性格のジゼルにはオディールの激しい感情が全く理解できず、早々に理解する努力も放り投げ、なるべく
誰だって
しかしやらねばならぬので。
「おはよう、オディール。朝から
「!!」
ぴたり、部屋にいた人間の動きが止まる。
小さな手に打たれていた三つ編みのメイドも、今まさに犠牲になりかけている小皿も、それを手にした少女も。
肖像画の姿より少し成長した、燃えるような赤毛の美少女。
うんざりするほどゲーム画面で見た彼女の幼い日の姿だと、もう一度確信する。
「オディール」
ゆっくり、名前を呼ぶ。
「お、姉様」
同じ色をしたアメジストの瞳はしばらく言葉を探していたようだったけれど、机の上に小皿を置き直して、きゅっと口を
「おはようございます、お姉様。もうお体はよろしいの?」
「ええ、心配してくれてありがとうオディール。主神のお導きに感謝しなくては」
「……」
小さな貴婦人の目から、
「私もお茶をいただいて良いかしら? オディール」
「……ええ。すぐにお茶の用意をして!」
「は、はい! ただいま!」
手や足にいくつも小さなあざを作ったメイドを見送り、淑女のテーブルと呼ぶには荒れ
向かいの席に座りながら、オディールは落ち着かない様子で視線をさまよわせていた。
しかし時折目が合うと、
「オディール。先ほどは
「あれはメアリが悪いのよ」
きっぱりと幼い声が断言する。
メアリ。先ほどのそばかす三つ編みメイドの名前らしい。
「私が薔薇のジャムが欲しいって昨日言っておいたのに、用意できなかったの。本当に使えないんだから」
ふんぞり返って鼻で笑う。甘いものが食べたい、という子どもらしい発言だが、その結果がさっきのバイオレンスな癇癪なので
身分と立場に物を言わせて暴力を
「今は薔薇の季節ではないでしょう。無茶を言ってメイド達を困らせるものではないわ」
「!」
オディールが信じられない、という顔でこちらを見ている。
当然だろう、今日まで誰一人オディールの行いに苦言を
「オディール。あなたが
ぐっと
「メイド達に無理な命令をして、悪く言うのはおやめなさい。あなたが何もできないだめな主人だと言いふらしているようなものよ」
「……っ! 私は悪くないわ!!」
バンッ!
テーブルに残った
「お姉様なんか
アメジストの瞳に燃えるような
重い木製の扉が壁に当たる低い音が部屋に
部屋を
目を丸くして口を開けているメイドに
「メアリ。オディールがごめんなさい、後で薬を届けるようメイド長に言っておくわ」
「は、え、はい」
「それと、明日からしばらくは私も朝食を食堂でとります。叔父様のお許しはこれからいただくつもりだけれど、
「はい!」
姿勢を正したメイドの動きに
その顔が引きつっているのを見ないふりで、なるべく優しい笑顔を残して部屋を出る。
オディールは言わずもがな、ジゼルも自分の家の人間を全く
部屋に閉じこもってばかりで、
さっきオディールに言った言葉はそのままこれまでのジゼル、私自身にもあてはまる。
この家にいる使用人の誰一人、ジゼルが死にそうになっても、オディールが
そして、きっとこの家が没落しても船を見捨てるネズミのように消えるだけだろう。
死にたくない。できれば没落だってしたくない。でも多分、このままだとそうなる未来しか見えない。
体にしみついた習慣とは
本来であれば私室に置かれるべき本棚も
絹のシーツにくるまれているだけでは、きっと死んでしまうので。
寝室に背中を向けて、鏡に向かって再度『淡雪の君』の微笑みを練習して、叔父へのお
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