第一章 この結婚、大丈夫ですか?

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 一カ月後。

 馬車に乗ったアルマは、ひとり婚約者の元へと向かっていた。


(今日からお相手のカントリーハウスで暮らすのかあ……)


 結婚式の日取りなどはまだ決まっていないが、少しでもおたがいのことを知っておいたほうがいいだろう、という先方からのしんである。

 必要なものはすべてこちらで支度したくするとの言葉通り、四頭立てのやたら立派な馬車がむかえにきた時は家族全員開いた口がふさがらなかった。いのじょも不要。身の回りの品だけでいいという破格のたいぐうだ。

 がたごととれる座席に座り、父親からわたされたつりがきに目を落とす。


(コンラート・エヴァハルト……)


 としはアルマの四つ上にあたる二十六歳。

 ヴェント領からはるか北方、大山脈をふくむ広大な領地を治めるこうしゃく様だ。

 古くは王族にもつらなるゆいしょ正しいいえがらで、はくしゃくのアルマからしてみれば身に余るほどのりょうえんである。


(たしか三年前にお父様がくなられて、そのままとくいだと……)


 とつじょ誕生した若き公爵のことは、れいじょうたちの間でも当時大変な話題になった。

 だがかんじんのコンラートはほとんど所領から出ることがなく、容姿を知る者が誰一人いなかった。そのうえどれだけえんだんを申し込んでも、あれそれとなんくせをつけられてお断りされる、という良くない情報がまたたく間に広がり――


(……どうしてそんな方が私に?)


 念のため父親にも「?」とかくにんしてみた。

 するとコンラート本人ではなく、その親族が「に」という話だったらしい。


(公爵の様にあたるクラウディア様? が、私のことをいたく気に入ってくださったそうだけど……)


 以前パーティーであいさつした、陽気なご婦人の姿をぼんやりと思い出す。真っ赤なドレスがはち切れそうなほどのほうまんな体で、力いっぱいきしめられたおくしかない。

 改めて手元に視線をもどす。

 詳細な家系図は記されていたが、コンラート本人の絵姿はどこにもなかった。


(縁談が来なくなってあせったのかしら。公爵家とはいえ、ものすごーくはしっこでへきだし……でも、すごく珍しいちょうがいるらしいから、それは気になっているのよね……)


 彼の統治するエヴァハルト領は、湿しめったへん西せいふうとそれをさえぎさんみゃくのせいで、一年のほぼ半分はくもりや雨という悪天候にわれている。王都からも遠く、それだけで敬遠する家は多い。

 さらにおそろしいうわさまであるらしく――


(なんでも彼にだいわりしたたんやしきで古くから働いていた使用人のほとんどがめた、って話だけど……)


 しんのほどはさだかではない。

 しかし令嬢たちは「そんな問題のありそうな家にとつぐなんてとんでもない」とまるでしおが引くようにコンラートの話題を口にしなくなった。


(とても気難しい人なのかしら? でもぐうぜんが重なっただけという可能性もあるし、噂だけで判断するのは失礼よね)

 

 自らを取り巻くめいな噂(あいにくこちらは事実だが)を思い出し、アルマは一人うんうんとうなずいたあと、釣書をかばんへと戻す。

 馬車はその後も道中に点在する集落の宿へと立ち寄りながら、がたごとと進んでいった。

 日にちをかけ、のんびりとかいどうを走っていく。

 やがて明るくれていた青空が、じょじょに重たい灰色の雲に覆われ始めた。


(なんだかちょっと、はだざむくなってきたような……)


 まだ秋だというのに山々は黒く、冷え冷えとした感じに。

 街道沿いの木々もうっそうとしてきて、どこかおんな空気だ。

 そうして日が落ちるころになって、ようやくエヴァハルト領――そして婚約者のコンラートが住まう公爵邸へととうちゃくした。外観のあまりのはくりょくにアルマは目を見張る。


(すごい……)


 しき一帯に広がる針葉樹。

 それらをぐるりと取り囲むようにして、長いいしかべが続いていた。正面にはれんてつで出来たきょだいもんがあり、馬車の到着に合わせて門番が左右に押し開く。

 当然その先にも立派な並木が続いており、アルマはぽかんと小窓の外をながめた。


(家っていうか……森?)


 しばらく走っていると木立をけ、整備された庭園に出る。

 やしきに向かって黒い石でそうされた馬車みちが続いており、周辺にはり込まれたしばが広がっていた。

 庭園から少しはなれた位置には遊歩道もあり、その近くにはのアーチ門やふんすいが設けられている。ただし奥まったところや建物の裏手には手つかずの森が残っており、木々の合間からドーム状の屋根がちらりと見えた。


(……? あれはいったい……)


 興味深く観察していたところで、ようやく三階建てのおもが現れる。

 黒いがいへきに灰色のまどわく。もはやおごそかなじょうかんといったたたずまいだ。

 四頭立ての馬車が三台は並びそうなだだっ広い車寄せに荷物といっしょに下ろされ、アルマはぼうぜんくす。

 するとげんかん先にむかえにきていたしつちょううやうやしく口を開いた。


「ようこそおしくださいました、アルマ様。中でだん様がお待ちです」

「は、はい……」


 恐る恐るていないに足をみ入れる。

 玄関ホールでまず目に飛び込んできたのは、主階段の踊り場にかざられたしょうぞうだった。

 黒髪の男性と、ドレスを着た美しいぎんぱつの女性。

 おそらく三年前に亡くなったという、前エヴァハルト公爵とその妻の若き日の姿だろう。


げんのあるお父様……。それにお母様もおれいな方だったのね)


 てんじょうには晴れ渡ったそうきゅうの絵がえがかれており、足元にはあらゆるしょうげきを無力化しそうなふっかふかのじゅうたん。カーテンや調度品はどれもひとで最高級だと分かるじゅうこうかんを有していて、アルマは思わず着ていたドレスのすそを正した。


(き、きんちょうしてきた……!)


 二階の角部屋に着いたところで執事長が立ち止まり、コンコンとノックをする。

 どうぞと導かれるままに、アルマは勇気を出して一歩を踏み入れた。


「し、失礼いたしま――っぐ!?」

「アルマ! よく来てくれたわ! 相変わらず可愛かわいいわねえ!!」

 

 とつぜんやわらかい何かに全身を包み込まれ、アルマは目を白黒させる。

 覚えのあるそのかんしょくに必死になって顔を上げると、案の定この縁談を持ち込んだ張本人――コンラートの伯母であるクラウディアが満面のみをかべていた。


「お、お久しぶりです、クラウディア様……」

「無理と思っていたけど、申し込んでみるものだわあ!」


 まさに力いっぱいのかんげいに、アルマはじゃっかん意識を飛ばしかける。

 部屋の奥にいた男性がそれを見て、「はあ」とあきれたようにため息をついた。


「クラウディア様、圧死させる気ですかいけない。そうねヘンリー」


 すぐにこうそくかれ、アルマはあわてて酸素を肺に取り入れる。

 ふうとき出しながら、ヘンリーと呼ばれた男性に目を向けた。

 ヘーゼルアイにぎんぶちめがね鏡、仕立てのいいスーツというちの彼は、アルマのその視線に気づいたものの、冷たく押し黙ったままだ。

 やがてクラウディアがうきうきとしょうかいする。


「改めまして、わたしはコンラートの伯母のクラウディア。彼はのヘンリーよ。わたしは母の姉、彼は父の弟になるの。今は二人でコンラートの後見人をしているわ」

「そ、そうなんですね……」


 クラウディアとヘンリー。

 どこか対照的な二人を前に、アルマはこくりと息をむ。

 すると後ろに置かれていたテーブルから、一人の男性が顔を上げた。


(じゃあこの人が……)


 良く言えば落ち着いた、悪く言えばうすぐらい部屋。

 そんな中でも、きらきらと光をはじく銀色の髪。

 世界一美しい蝶と呼ばれるモルフォ蝶のはねそうさせる、青いひとみ

 その美しさに思わずれるアルマを前に、男性はようやく口を開いた。


「―― コンラート・エヴァハルトだ」


 初めて目にする公爵閣下はそれはそれはたんせいな――そして、どこか悲しい目をした青年だった。

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