今日の閣下はどなたですか?

春臣あかり/ビーズログ文庫

プロローグ

プロローグ

 

 大陸の東に位置する王国・レイナルディア。

 その中で、小さな領地を有するヴェントはくしゃくにアルマは生まれた。

 黒い髪に黒いひとみ。白いはだきゃしゃな手足というまごうことなき美少女で、成人といわれる年齢となった今もなお「愛らしい」というしょうさんをほしいままにしていた――

 夏の名残なごりの日差しの中、令嬢の一人がうっとりと口にした。


「アルマ様は本当にお人形さんみたいですわ。ねえ、シャルロッテ様」

「ええ本当に。何かとっておきの美容法がおありなんですの?」

「え!? ええと、特には……」


 とつぜん話をられたアルマは、話題からのがれるように手元のカップを持ち上げた。

 ここはレイナルディア王都。シャルロッテ・メローこうしゃくれいじょう邸にある中庭タウンハウス

 リーダー格の彼女がしゅさいする、月に一度のお茶会だ。


(あー……何か適当に言っておいたほうが良かったかしら……)


 きらきらと目をかがやかせている周囲の令嬢たちにあいわらいを返すと、アルマはとした仕草で紅茶に口をつける。はたから見れば非常に洗練された動きだったが、当のアルマは心の中で顔をしかめていた。


(あっま……!!)


 たくじょうにシュガーポットがなかったので油断していたが、どうやらあらかじめ大量の砂糖が投入されていたらしい。

 口中をしんしょくする甘ったるさにえつつ、アルマは必死になってそれを飲み下す。


(くっ……はっぽうしゅなら何ばいでもいけるのにっ……!)


 いっこうに減らないカップの中身にアルマが絶望していると、向かいに座っていた令嬢の一人がうれしそうにはにかんだ。


「そういえば、わたくしついに結婚が決まりましたの」

「まあ、おめでとうございます! ずっとお付き合いされていた方ですよね」

「はい。来月にはいっしょに暮らし始める予定で」


(結婚、かあ……)


 この国の上流階級の令嬢はだいたい十八歳から二十歳で結婚することが多く、ここ最近こうした報告が次から次へと続いていた。

 その会話を今年二十二歳となったアルマは、異国の言語を耳にしたような顔つきでぼんやりと聞き流す。

 するとシャルロッテが、アルマの方を見てさぐるように問いかけた。


「アルマ様はまだご結婚なさらないんですの? そのぼうであればどこのこうしゃく様でも、上手うまくすれば王族の方からも引く手あまたでしょうに」

「とんでもありません。そういったお話は全然――」

「そんなにけんそんなさらないで。アルマ様は『レイナルディアの黒い宝石』じゃございませんの。えんだんなんていて捨てるほどあるに決まっていますわ」


(いや、今はほんっとーにないんですけど……)


 シャルロッテのてき通り、適齢期の頃はかなりの数の縁談がい込んだ。

 だがそのすべてがことごとく破談になっている。

 その理由は――


(こんな見た目のせいで……何かにつけては『イメージとちがった』と……!)


 女性相手には(変なやっかみをけるためにもひんこうほうせいつとめているものの、異性――それも今後しょうがいを共にする相手となれば、ある程度、素の自分を知ってもらいたいと思うのが人情というもの。

 しかし。


「好きなだけんでいいよ」とすすめられたのに、とした顔でジョッキを十ぱいからにしたあたりで、そのごうかいな吞みっぷりにドン引きされ。

「君の行きたいところへデートに行こう」とさそわれたので、秘境にあるだい湿しつげんを指定したところ、「服がよごれるから」とそっこくお断りの手紙が届き。

「今日はもうおそいから、どこか宿にまろうか」と言われたので、「野宿でだいじょうですよ! 星を見ながら吞むお酒は最高ですよね!」とがおで返したところ、翌日から音信不通になった。


(なーにが『だまってたら可愛かわいかったのに』よ! それならしょうぞうとでも結婚すればいいでしょうが!)


 そうこうしているうちに、破談になっただんせいじんの口から「あいつは見た目と中身が百八十度違う」といういやうわさ(あいにく事実だが)が流れることとなり、山ほどあったつりがきは一通、また一通とその姿を消していった。

 結果、「あれは手に入れるのではなく、遠くからながめているくらいがちょうどいい」

 ――西部で産出されるしっこくせきになぞらえて『レイナルディアの黒い宝石』――という訳の分からないあだ名までつけられてしまったのである。


(そのいきさつを知らずに言っているのか、いやなのか分からないけど……)


 どうやって話をそらそう、とアルマはとりあえず紅茶を飲むふりをする。

 そこで令嬢の一人が突然「きゃあ!」と悲鳴をあげた。


「む、虫ですわ!」

「ええっ!!」


 その言葉にシャルロッテや他の令嬢たちがいっせいに立ち上がり、きゃあきゃあとはちをつついたかのようなさわぎになった。

 アルマもおくれてからこしかせたものの、その視線はテーブルの上にくぎけになっている。はながらのクロスの上――はねをゆっくりと上下させる白いちょう。か細いしょっかく

 それを目にしたたん、アルマは目をきらっと輝かせた。


( ――かっ、可愛いー!!)


 きゅんと高鳴る心臓を押さえ、人目をしのんでさささっと両手で蝶を囲い込む。

 すぐさまメイドたちがけつけ、テーブルの上を整えていく様子を見ながら、シャルロッテをはじめとした令嬢たちは次々とけんを口にした。


「も、もういなくなりまして?」

「わたくし、虫は見るのもダメなんです! 早く退治してくださいませ!」

「アルマ様、お近くでしたが大丈夫ですか?」

「え、ええ」


 アルマは「ちょっと風に当たりに」とこっそりその場をはなれる。

 彼女たちの死角となる庭園のすみにまで移動すると、そうっと両手を広げた。

 観察するのと同時に、脳内でばららっとかんが開かれる。


ぜんちょうはおよそ十七ミリ。大きさからいってシジミチョウ科みたいだけど、翅のはんもんが裏表ほとんど同じだし、ちょうとがりもない。ウラギンシジミかルリシジミに近い子だと思うんだけど――ああ、可愛い……!)


 おおよその種類に当たりをつけたところで、アルマは蝶を空に放した。


「どこから来たのかしら。ほら、もう見つかっちゃだめよ」


 助け出された白い蝶は、まるでアルマの言葉が分かるかのようにしばらく頭上をせんかいしていた。だがすぐにふわふわとどこかへ飛び去っていく。

 姿が見えなくなったのをかくにんしたあと、アルマは再びお茶会の場へともどった。

 令嬢たちはまだ興奮冷めやらぬ様子で、なおも会話を続けている。


「嫌ですわね、虫なんて」

「どうしてあんなに気持ち悪いのかしら」

「ああこわかった……アルマ様もおきらいですよね、虫」

「…………」


 のどまで出かかった言葉をアルマはぐっと吞み込む。

 ぎこちない笑顔を浮かべながら、それらしくまゆじりを下げた。


「はい。……そう、ですね」


 ヴェント家の自邸タウンハウスに戻ってきたアルマはすぐさましょうを落とし、やたらとじょうで十代前半から愛用している部屋着にえると、ベッドへばったりとたおれ込んだ。

 窓の外はすでに真っ暗になっている。


「つ、つかれたー!」


 まくらに顔をうずめたまま、しばし石のようにこうちょくする。

 やがてがばっと上体をね起こすと、まくらもとにあったぼろぼろのこんちゅう図鑑を手に取った。

 ぱらぱらとめくるが、今日見た蝶がえがかれたページはない。


(やっぱり、もっと観察したかったな……。ふくがんれいむらさきいろだったのよね……)


 だがあまり長いこと席を外せば、令嬢たちに不審に思われてしまう。

 同時に――彼女たちのリアクションを思い出し、ふっと表情をくもらせた。


(本当は虫が好きだなんて、言えないわ……)


 きっかけは、幼い頃に見つけた小さなテントウムシだった。

 それから蝶、バッタ、カブトムシと庭園にいる昆虫を次から次へと探し出し、めたおづかいでこっそり昆虫図鑑を買ったり、庭師にめずらしい虫を確保してもらったりと愛好を続けていた。


 そんな日々を送っていたアルマだったが――参加したとあるガーデンパーティーで、テーブルにいたいもむしをなにげなくひょいと手のひらに乗せた途端、それをとなりで見ていた令嬢に大きな悲鳴をあげられてしまった。

 会場はたちまちそうぜんとなり、アルマは自分でも訳が分からないまま、とっさにそれを背後にかくしてしまったのだ。

 以降、虫が好きなことを口外出来なくなってしまったのである。


(いつか庭に大きな温室を作って、世界中のあらゆる昆虫を飼育したい……! でもそんなことをすれば、いよいよ結婚をあきらめたと噂されそうだし……)


 悲しむ両親を想像し、アルマは図鑑を抱きしめたままはあとたんそくらす。

 そこにコンコンというノックの音がひびいた。


「姉さん、入るよ」

「エミリオ、どうしたの?」

「ちょっと話があって―― って、またそんなよれよれの服……他にもいっぱい持ってるのに、どうしてわざわざくたびれたのを着るのさ」

「これがいちばん楽なのよ。今日は令嬢のたいをして疲れたし」

「令嬢の擬態ね……」


 自邸に帰ると途端にだらしなくなる姉を見て、エミリオはしょうした。


「まあいいや。それよりその……実は、結婚しようと思って」

「結婚! あの子と!?」

「う、うん……」


 アルマは急いでベッドから下りると、駆けって弟の手を取った。


「おめでとう! ずっとがんっていたものね」

「姉さんには色々相談に乗ってもらって、本当に感謝してる。彼女もぜひ一度、姉さんに会いたいって」

「もちろんよ。……本当におめでとう、エミリオ」


 姉の言葉を聞いたエミリオは、嬉しそうに目を細めた。

 弟が自室に戻ったあとも、アルマはまるで我がことのように気持ちが浮き立つ。


(本当に良かった……。向こうのおうちが難しい方で、結婚するのは大変かもしれないと思っていたから……)


 そこで「はっ」と大きな瞳を輝かせた。


「こんな時こそ、とっておきのお酒でしゅくはいをあげなくては!」


 ベッドの下に隠している木箱をいそいそと引っ張り出す。

 そこには一日の終わりに、アルマがひそかに楽しんでいる秘蔵の酒コレクションがきっちりと収納されている―― はずだったのだが。


「な……ない!」


 昨日まであったはずのそれらが、何故なぜこつぜんと姿を消していた。

 すわどろぼうか!? 

 とあせったアルマだったが、冷静になって考えてみる。


(きっと……お茶会に行っている間に部屋を片づけられたのね……)


 もとよりしつから「令嬢らしからぬ」とげんていされているこうである。

 だんだれも部屋に立ち入らせないのだが、あるじの不在にこれ幸いと処分したのだろう。


(うう……私の貴重な楽しみが……)


 だがせっかくのきっぽうさかなに、吞まないせんたくがあろうか。いやない。

 アルマは二階にある自室を出ると、まっすぐ階下の厨房キッチンへと向かった。


貯蔵庫セラーに行けば、料理に使うお酒かワインがあるはず……。ついでに何かつまみになるものでも作っちゃおうかしら!)


 執事がまたも顔をしかめる様を想像しつつ、ひとり階段を下りていく。

 一階のろうは絵が好きな父親の画廊ギャラリーねており、大小さまざまな絵画が壁を飾っていた。うすぐらいその場所を、アルマはしょくを持ったまま静かに歩く。


(夜中に見るといっそうはくりょくがあるわね……。まあ残念ながら、私はどこがいいとか全然分からないんだけど……)


 やがて応接室の前にしかかった。

 とびらゆかすきからわずかに光が漏れ出ており、アルマは「こんな時間に誰か来ているのかしら?」と首をかしげる。

 すると扉しに、父親の深刻な声が聞こえてきた。


『――やっぱりアルマには、修道院に行ってもらうしかないか……』


(えっ!?)


 すぐさま足を止める。続けて母親の声がそれを否定した。


『そんなの可哀かわいそうです!』

『だが先方は体面をとても重んじる家だと聞く。家にこんの姉がいるとなれば、なんしょくを示すに決まっている―― 』


(もしかして、エミリオのこと……?)


 アルマはものを待つよろしく、べたりと扉に張りつき聞き耳を立てた。


『一度アルマに話をしてみましょう? あの子だって、エミリオのためだと分かればきっと協力してくれるはずです』

『しかしそのために、本人が望んでもいない結婚を無理やりさせるのか? それは――』

『でも修道院に入ったら、簡単には会えなくなってしまいますし……』


 すすり泣くような母親の声に、アルマは祝杯を取りにきたことも忘れて青ざめた。


(よりにもよって、修道院……!?)


 せいひんしとし、神のためにいのり、ほうする。

 もちろんそれ自体はらしいことだ。

 未婚の子女としては、ある意味珍しくもない姿である。

 だが。


(修道院に入ったら―― お酒が吞めないんですけどー!?)


 豊かな水源に恵まれているこの国では、お酒は身近なこうひん

 病気に苦しむ人や疲れた旅人をやすため、薬酒を作る修道院もある。

 とはいえ修道女がらくとして飲酒するなどもってのほかだ。

 しかし――


(このままじゃ、エミリオにめいわくをかけてしまう……)


 ひとりの女の子をずっと大切にしていた弟。諦めそうになるたびはげました。彼女にふさわしくあろうと努力する姿も知っている。

 そんな彼らが、ようやく結婚にこぎけそうだというのに。


(……っ!)


 アルマはぐっとくちびるみしめると、そのまま力いっぱい応接室の扉を開け放った。


「お父様、お母様、私―― 結婚します!」

「アルマ!?」


 娘のちんにゅうに、ソファでとなり合う形で座っていた両親は文字通り飛び上がった。

 アルマはそんな二人の前に立つと、深々と頭を下げる。


「今まで申し訳ありませんでした。ですが私もとしごろ。エミリオも結婚が決まったことですし、私も姉としてふさわしくあらねばと思いまして」

「そ、それは、願ってもないことだけど……」

「私へのお話がないことは重々承知しています。ご苦労をかけると思いますが、どうかいいご縁を探していただければと―― 」


 修道女にされてはたまらないと、アルマは必死に食い下がる。

 しかし父親はそんなアルマを見たあと、ええと、と言いにくそうにほおをかいた。


「実はその、つい昨日、たまたま一件申し込みが来ていて」

「えっ!?」

「ただその、結構領地が遠いし、あまり社交界でお見かけしたことがないというか、あとちょっとおんな噂もあるところだから――」


 煮え切らない父親の様子に、アルマは嫌な予感を覚える。

 だがこれを逃せば、次の機会がいつになるか分からない。

 アルマはこくりと息を吞み、すぐにしゅこうした。


「その縁談、進めていただけないでしょうか!」

「い、いいのかい? たしかにとしは近いし、しゃくはうちにはもったいないほどだけど」

「どんな方でも大丈夫です! ですからあの……エミリオの結婚だけは、どうかうまくいくよう取り計らってくださいませんか」

「アルマ……っ」


 弟を思う姉のなんというやさしさよ、と胸に迫った母親はかんるいにむせぶ。

 父親も「素晴らしい娘に育ってくれた」と満足げにうなずくばかりだ。

 アルマもまたほこらかに胸に手を置いたものの、急に不安におそわれる。


(……だ、大丈夫よね?)


 どんな相手でも修道院に行くよりはマシ、と思っていたが―― 愛人を何人もはべらせる女好き。仕事ばかりで家族をかえりみないれいけつかん。もしくは自分では何も決められないなしの可能性もある。

 だが来ている縁談は一つだけ。

 もはやせんたくの余地はない。


(ええい、女は度胸よ! とりあえず進まないと、何も始まらないもの!)


『それを言うならあいきょうでは』―― というエミリオのまぼろしはらい。

 こうしてアルマは、はなの独身生活に別れを告げるかくを決めたのだった。

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