第7話 マンチーニ家攻防戦② —騎士団長・ヴァレリオ—
肩を回すと、関節がポキポキとなった。
ソフィたちの反乱にともなう今後の動きについて、同じ姿勢のまま熟考していたせいだろう。
書きかけの書類から目を離し、窓を開けた。
頬を撫でる心地よいそよ風が梅の香りを運んでくる。
屋敷の外から聞こえる子供たちの元気な声を聞きながら、マッテオは目をつぶった。
少し経って、マッテオはふと思った。
静かすぎる、と。
屋敷の静けさに違和感を感じたわけではない。
自室待機を命じて以降、なんのリアクションもないサーナのことが気になったのだ。
見かけによらずわんぱくなところがあるため、直談判でもしにくるだろうと踏んでいたのだが……、
「……まさかっ」
一つの可能性が浮かんだ。
平素の冷静なサーナなら絶対に取らない選択だ。
しかし、今回はレオが関わっている。
どんな選択肢でもないとは言い切れない。
「サーナ……!」
勢いよく立ち上がる。
その際に生じた風で書類がハラハラと宙を舞うが、そんなことは気にせずに部屋を飛び出す。
途中でサーナの祖父——つまり、マッテオの父だ——のアンドレアと出くわす。
付いてくるように頼むと、マッテオの態度から何かを察したのか、黙って横に並んだ。
サーナの部屋に入った二人が見たのは、ベッドの上で目を閉じているジュリアの姿だった。
「ジュリア」
アンドレアが駆け寄る。
「……ただ気を失っているだけのようじゃな」
「誰がやったのか……は、考えるまでもありませんね」
マッテオは開けっぱなしの窓に視線を向けた。
綺麗なままの室内の様子を見るに、侵入者があったとは考えづらい。
そもそも、警備にも気づかれずに三階のサーナの部屋に入り、魔術の才能のあるサーナを拉致して再び逃げおおせられる者などそういないだろう。
「フォッフォッ、ここから飛び降りたか。相変わらず元気な孫娘じゃ」
窓枠に手をかけ、アンドレアが笑った。
「笑っている場合じゃありません。すぐにでも連れ戻さないと」
「それは時間的に無理じゃろう。あの子はまず確実に、ソフィの反乱軍に加わったじゃろうからな」
マッテオは時計を見て顔をしかめた。
現在は午後一時五十五分。そして、ソフィたちとイヴレーア家の騎士たちが合流してマンチーニ家を襲撃するのが、午後二時きっかり。
サーナがそこに合流しているなら、どうあがいても間に合わない。
マッテオは拳を握りしめた。
今後の対応に気を取られ、すぐに娘の異変に気づけなかったことが悔やまれる。
——それでも、なにもしないわけにはいかない。
「待て。どこへ行く?」
「もちろん、マンチーニ家です」
マッテオは、部屋の扉に手をかけながら答えた。
「戦いが始まっていたらどうするのじゃ。中途半端に止めようものなら最悪の事態になるぞ」
「そのときはそのときです」
マッテオは、戦闘に参加するのも辞さない覚悟だった。
フォッフォッ、とアンドレアが笑った。
「我が息子ながら立派に育ったものだ。よしっ。ここは一つ、ワシに任せておけ」
アンドレアがドンと己の胸を叩いた。
「なにか策があるのですか?」
「ああ、とても簡単な策じゃ」
アンドレアがニヤリと笑った。
「——ワシが行けば良い」
マッテオは、咄嗟に反論できなかった。
非現実的な話だったからではない。
むしろ、その逆。
考えられる中でもっとも効果的な選択肢だったからだ。
かつて最強剣士の名を欲しいがままにしていたアンドレアなら、最速でサーナの元まで駆けつけることができるだろう。
「しかし、今さら引退された父上に任せるのは——」
「なにを言う。ワシは生涯現役じゃよ。それにな、マッテオ」
アンドレアが、ふと真面目な顔つきになる。
「今の状況で領主であるお主がここを離れるわけにはいかないし、それは他の騎士に関しても同じことじゃ。逆に、ワシ以外の選択肢があるか?」
「……ありません」
マッテオは力なく首を振った。
「すみません。どうか、お気をつけて」
「安心せえ。こんなところで怪我でもしたら、あのわんぱく坊主に笑われてしまうでな」
「たしかに」
わんぱく坊主とは、もちろんレオのことだろう。
マッテオは、レオとアンドレアがよく剣の打ち合いしていたの思い出し、かすかに笑いを漏らした。
「よろしくお願いします。サーナのことも、レオ君のことも」
「任せろ。もっとも、やり方は好きにさせてもらうがのう」
フォッフォッ、と笑いながら、アンドレアが窓枠に足をかけた。
「あっ、そうそう」
彼は振り返った。
その口元には、優しげな笑みが浮かんでいた。
「領主としても父親としても、お前は最善を尽くしたと思うぞ、息子よ」
親指を立ててから、アンドレアは軽やかな動きで窓の向こうに消えた。
◇ ◇ ◇
「ダヴィデはまだ見つからんのか!」
ディエゴの怒鳴り声に、周りに控えている侍女たちが体をこわばらせた。
彼女たちの表情に浮かぶ恐怖を見て、ディエゴの心はわずかに満たされる。
しかし、それは到底、怒りをしずめるほどのものではなかった。
牧師のダヴィデが西に向かったという情報を得てからかなりの時間が経過したというのに、一向に確保の報せが来ない。
それだけでもディエゴを怒らせるには十分だったが、今度はタレス領内の各地で暴動が起きていたのだ。
「クソ猿どもが……!」
腹の底から湧いてくる激情に身を任せ、ディエゴは近くの椅子を切り上げた。
そのとき、屋敷全体が大きく揺れた。
「なんだ⁉︎ 何が起こった⁉︎」
ディエゴの怒鳴り声に対する答えは、慌てた様子で飛び込んできた一人の騎士によりもたらされた。
「報告しますっ……東西の二方面から攻撃を受けました! かなり強力な攻撃で、結界が破られるのも時間の問題です!」
「なにぃ⁉︎」
ディエゴはギロリと騎士を見た。
「襲撃者は誰だ! 人数は⁉︎」
「おそらくどちらも二、三十名ほどです! 西の集団の先頭にソフィ様がいたので、冒険者の一団と推測されますっ」
「クソ平民どもが……フェデリコ、シモーネ!」
「はっ」
騎士団副団長のフェデリコ、そして第一分隊長のシモーネがディエゴの前にひざまずく。
「フェデリコは西、シモーネは東に、それぞれ二十名ずつを連れて向かえ! 殺すなよ。生け捕りにして、ここまで連れて来い!」
承知いたしました、と答えて、二人はその場を駆け出した。
「フン……脳なしの猿どもめ。平民ごときが貴族に勝てるはずがなかろう」
フェデリコとシモーネに預けた二十名という兵の数は、報告にあった敵の数よりやや少ない。
それでも、貴族の騎士団が冒険者に遅れをとるとは、このときのディエゴは想像もしていなかった。
◇ ◇ ◇
マンチーニ家の屋敷周辺に張られている結界を壊すと、奥から騎士の一団がやってくるのが見えた。
先頭の男に、ソフィは見覚えがあった。
「フェデリコさん。お久しぶりです」
「どういうおつもりですか」
マンチーニ家騎士団副団長のフェデリコは、ソフィの挨拶を無視して鋭い目を向けてきた。
「レオ君の追放について、ちょっと聞きたいことがありまして」
「それならば、こんな大群を率いてくる必要はないでしょう」
「一回は私一人で来ましたよ? 追い返されましたけど」
フェデリコが顔をしかめた。
「それでも、武力によるクーデターなど間違っています」
「でしたら、どんな罪を犯したのかを公表もせずにレオ君を追放し、フランチェスカを投獄することは間違っていないのですか?」
「……どんな理由があろうとも、領主に矛を向けることは許されません。それがルールなのですから」
「そのルール自体が間違っている可能性もあるでしょう?」
「逆賊の言葉に耳は傾けません」
フェデリコが
彼らしいな、とソフィは思った。
忠誠心が厚く、良くも悪くも真っ直ぐで、融通の効かない男。
——だから、相手はしやすかった。
「申し訳ありませんが、こっちにも四の五の言っていられない事情がありますので——邪魔をなさるなら、容赦はしません」
ソフィは【
◇ ◇ ◇
「シモーネとフェデリコが負けた……だと?」
部下の敗戦の報を聞き、ディエゴの額に青筋が浮かんだ。
「平民の烏合の衆ごときに負けるとは、無能どもが!」
その拳が力任せに机を叩く。
「ええ、由々しき事態ですね」
騎士団長のヴァレリオは大きくうなずき、同意を示した。
「ですが、同時にこの結果は仕方のないことなのかもしれません」
「なに……? どういうことだ」
ディエゴがギロリとヴァレリオを睨む。
「いくら誇り高きマンチーニ家の騎士団とはいえ、彼らもしょせんは平民出身なのです。伯爵のディエゴ様はもとより、子爵の私にすら遠く及ばない存在。そんな彼らが、普段から曲がりなりにも魔物と戦っている冒険者たちに負けてしまうのは、ある意味では致し方のないことではないでしょうか」
「む……たしかに、それはそうだな」
ディエゴな青筋が薄くなる。
「多少優秀なやつを揃えたとはいえ、平民は平民。冒険者ごときに遅れをとることもあるか」
「ええ。それに、どうやら東の一団にはイヴレーア家の騎士も混じっていたようですから」
「なにっ⁉︎」
ディエゴの青筋が再び存在感を主張した。
むしろ、先程よりも浮き出ている。
みみず腫れと言われても納得してしまうほどだ。
「あの臆病者のマッテオが兵を出しただと⁉︎ なぜだ⁉︎」
「ソフィたちの反乱の計画を知って、なけなしの勇気を振り絞ったのかもしれません。それか、そそのかされた可能性もありますね」
それは、ディエゴの感情をコントロールするための
確証があるわけではないが、ヴァレリオはダヴィデ経由でマッテオに事の真相が伝わっているのだろう、と推測していた。
ここまで捕まらないということは、ダヴィデが西に向かったという目撃情報は間違っている可能性が高い。
もしダヴィデが選定の儀での出来事を
当主のマッテオは、臆病というよりは慎重な男だ。
真相を知りでもしない限り、こちらに兵を送るなんて大胆な策をとるはずがない。
しかし逆に、理由さえあれば派兵を躊躇うような器でもないだろう、とヴァレリオは評価していた。
「おのれ、平民ごときに協力するとは……貴族の恥さらしめ!」
「おっしゃる通りです」
自分の考えなどおくびにも出さず、ヴァレリオはうなずいた。
「だからこそ、この反乱は必ず収めなければなりません。そのためにも、万が一の備えはしておくべきでしょう」
「保険をかけておく、ということだな。具体的にどうするのだ?」
ヴァレリオはディエゴに耳打ちした。
「——なるほど」
マンチーニ家当主は、あくどい笑みを浮かべた。
「それは面白い。その作戦を実行するときは万に一つも来ないだろうが、準備はしておくが良い」
「承知しました」
主人の機嫌が治ったことに安堵しつつ、ヴァレリオは地下へと足を向けた。
薄暗い空間には地下牢がいくつも横に並んでいる。
少し肌寒い。
カビの匂いが鼻をかすめ、ヴァレリオは顔をしかめた。
「さっさと終わらせましょう
自然と早足になる。
最奥の牢屋の前に立ち、中で座っている人物を見下してヴァレリオは告げた。
「出なさい。出番ですよ——フランチェスカさん」
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