第6話 マンチーニ家攻防戦① —出撃準備—

 窓枠に手をかけ、身を乗り出せば、心地よいそよ風が頬をなでた。


 手をかざしながら、空を見上げてみる。

 視界いっぱいに広がるのは、雲一つない澄み切った青空だ。


 それを見つめるサーナの心には、葛藤かっとうの渦が巻き起こっていた。

 マッテオから出された待機命令を、守るか否か。


 ソフィの反乱軍に参加したいと申し出たところ、サーナは逆に自室での待機を命じられた。


『レオ君の件でもわかった通り、マンチーニ家はどんな手を使ってくるかわからない。そこにイヴレーア家が乗り込むのはリスクが高すぎるし、もしサーナが戦場にいれば、騎士たちはどうしてもサーナの守護を優先してしまう。それは得策ではない』


 というのが、マッテオの言い分だった。


 言いたいことは理解できるし、心配してくれているのもわかっている。

 イヴレーア家、ひいてはページ領のことを考えれば、サーナは戦場に行くべきではないのだろう。


 そこまでわかっていても、静観するという決断ができなかった。


 元々は隣の領地の末っ子であった自分を引き取り、養子として育ててくれたマッテオには本当に感謝している。


 それでも、レオを助けることは、サーナの中では最優先事項だった。

 ——彼がいなければ、自分は今、こうして悩むことすらできていないのだから。


 もしマンチーニ家がこの戦いに勝利してしまったら、レオの一件はうやむやにされて、彼の救出はより困難になるだろう。

 それだけは絶対に避けなければならないし、自分が参加せずにそんな事態になったら、後悔してもしきれない。


 だから、サーナは決断した。


 お目付け役のジュリアを気絶させ、フードをかぶって窓から飛び降りる。

 そして、イヴレーア家の者たちをうまくやり過ごして屋敷を抜け出し、停留所で馬車を待つソフィの元へと走った。




◇ ◇ ◇




「……どうかなさいましたか?」


 ソフィは、目の前で荒い息を吐く少女——サーナに問いかけた。


「私も、反乱軍に加えてください」


 サーナが頭を下げた。


「お父様の許可は得られていませんよね? あれだけ止められていたではありませんか。彼の意見は正論だったと思いますよ」


 ソフィはそれに、と続けた。


「状況によっては命が危ないのも、紛れもない事実です」

「わかっています」

「……それでも、ですか」

「はい」


 サーナは、はっきりとうなずいた。


 その瞳には強い意志が称えられていた。

 目は口ほどにものを言う、とはまさにこのことだろう。


「なぜ、そこまで戦おうとするのです?」

「レオを助ける手がかりを、少しでもつかむためです」

「彼は吸血の勇者になったんですよ?」

「関係ありません。レオはレオっすから」

「……そうですか」


 きっぱりと言い切るサーナに対して、ソフィもそれ以上は制止しようとは思わなかった。

 それに、少し嬉しかった。


「逆に、ソフィさんはなぜ反乱まで起こそうとしてるんすか?」

「貴女と同じです。吸血の勇者になったとはいえ、レオ君が大切な仲間であることに変わりはありません。職業ジョブが性格に影響を与えるとは思えませんしね。それに、ちょうどいい機会でもあるのです」


 サーナが目をぱちくりさせた。


「ちょうどいい機会?」

「ディエゴ様の治める領地で暮らすのは、もう限界なんです。税金は高いのに依頼の報酬は低い。特に、若い冒険者などはだいぶ不満をつのらせています。これ以上我慢させてしまったらタレス領うちから出ていってしまうでしょう」

「なるほど……」


 サーナが視線を下に向けた。

 彼女も領主候補だ。

 色々と思うことはあるのだろう。


「冒険者の中には、マンチーニ家に恨みを持つ者だって少なからずいます。現場は凄惨せいさんなことになるかもしれません。その覚悟はおありですか?」

「大丈夫っす。そういうのには慣れていますから」


 ソフィは苦笑した。

 なぜ、領主候補筆頭がそんなものに慣れているんだ。


「まったく……最近の貴族のご子息、ご息女には、わんぱくな方が多くて困ってしまいますね」


 ソフィはため息をこぼした。

 サーナが小さく笑った。


 今日に限定すれば初めての、彼女の笑顔だった。




 その後、ソフィは人気のないところでサーナの実力を見せてもらった。


 圧巻の一言だった。

 反乱軍に参加しようとしていることからも、ある程度の実力者だとは踏んでいた。


 しかし、彼女の実力は期待値をはるかに上回った。

 才能という側面だけでいえば、ソフィが見てきた数多の魔術師の中でもトップスリーには入るだろう。


 イヴレーア家の長女がこれだけの才能を持っているにも関わらず、これまで自分の耳に噂すら入ってこないことがあるのか——。

 疑問が、ふと脳内をよぎった。


「どうっすか?」


 サーナが緊張した面持ちで尋ねてきた。


「正直、驚いています。サーナ様は素晴らしい才能をお持ちですね」


 一呼吸置いて、ソフィは続けた。


「——ぜひ、我々とともに戦ってください」


 褒められても表情を崩していなかったサーナが、ようやく口元をほころばせた。


「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「えぇ。ですが、最後に二つだけ約束してもらいます」


 ソフィは人差し指と中指を立てた。


「一つは、こちらが足手まといだと判断すれば即刻離脱していただくこと。そしてもう一つは、必ず生き残ってください——お父様のためにも。約束してくださいますか?」

「はい。必ず守るっす」


 サーナは迷う素振りも見せなかった。

 しかし、彼女がその場しのぎで適当にうなずいているわけではないのは、その表情を見れば明白だった。


 申し訳ありませんが、マッテオ伯爵。お嬢さんをお借りします——。


 心の中でイヴレーア家領主に謝罪してから、ソフィはサーナを伴って歩き出した。




◇ ◇ ◇




 ソフィに連れられてたどり着いたのは、タレス領の冒険者ギルド支部だった。


「おう、リーダー。どうだった……ん?」


 真っ先に話しかけてきた大男が、サーナを見て首をかしげた。


「誰だ? そのフードの嬢ちゃんは」

「協力者です。訳あって素性は明かせませんが、味方であることは私が保証します」

「ほーん……」


 大男は、興味深そうにサーナを見てきた。

 彼だけではない。

 ギルド内のあちこちから好奇の目が向けられる。


 お世辞にも居心地が良いとは言えなかったが、サーナは雰囲気に飲まれないように胸を張った。


「まぁ、リーダーがそういうなら良いけどよ。戦えんのか?」

「えぇ」


 ソフィが目を向けてくる。


「あそこに先程のものをお願いします」

「はい—— 【魔力弾マジカル・バレット】」


 かざした手のひらの前に、小石より少し大きめの水色の弾が生まれた。

 的に狙いを定めて放つ。

 サーナから放された魔力の弾は風を切りながらまっすぐ飛んでいき、的を撃ち抜いた。


 一瞬の静寂の後、その場に歓声がわき起こった。


「おいおい!」

「なんだ今のは⁉︎」

「お前、見えたかっ?」

「いや、光ったことしかわからなかったぜ!」

「しかも、的のど真ん中じゃねーか!」

「威力もすげぇ⁉︎」


 自分を称賛する声ばかりで、サーナはそっと胸をなで下ろした。


「見ての通り、魔術の腕は充分すぎるほどです。これを見て、彼女が反乱軍に加わるのに反対の方はいますか?」


 ソフィが周囲を見回した。

 彼女の言葉に圧は感じられない。


 反対の声は、上がらなかった。




「んで、リーダー」


 大男——どうやらリカルドというらしい——が、打って変わって真剣な表情でソフィを見た。


「レオについては、なんかわかったのか?」

「いえ、たいした情報は得られませんでした。ただ、一つだけたしかなのは、レオ君はなんら罪を犯していないということです」


 ソフィが、吸血の勇者や監獄迷宮のことは伏せて答えた。

 マッテオとの約束を守った形だ。


 情報不足で不満の声が上がるのではないか、とサーナは心配していたが、 杞憂に終わった。


「——充分だ」


 リカルドがニヤリと笑った。

 他の者たちも同様だ。


 それだけレオが愛され、マンチーニ家が嫌われている、ということなのだろう。

 サーナはなんだか嬉しくなった。


 ソフィを中心に、素早くメンバー決めなどが行われていく。

 彼女の指示に逆らう者はいない。

 大人びた雰囲気の女性ギルド長は、冒険者たちから信頼されているようだ。


 また、サーナの呼び方は閃光せんこうに決まった。

 ロレンツォという青年の発案だ。

【魔力弾】が目にも止まらぬほど速かったから、というのが由来らしい。


 なんだか気恥ずかしいが、連携するためにも呼び名は必要だ。

 素性を明かしていないのだから、黙って受け入れるべきだろう。


 すべてが一段落すると、ソフィは数人の冒険者を呼びつけ、なにやら指示を出した。

 彼らはニヤリと笑い、ギルドの外へ駆け出していった。


「皆さん、いつでも出発できるように準備をお願いします」


 おう、という声があちこちから聞こえてくる。

 誰もソフィの行動に疑問を抱いていないようだ。


「あの、彼らにはなにを?」

「ちょっと仕込みを」


 ソフィが口元を緩めた。


「いくら上が腐っているとはいえ、マンチーニ家騎士団はあなどれませんから。敵は、少なければ少ないほど良いのです」

「はぁ……」


 サーナは曖昧にうなずいた。

 それ以上、教えてくれる気はなさそうだった。


「なぁ、閃光——ぐえっ!」


 サーナに近づいてきた男性が、カエルがつぶれたような声を出した。

 ソフィが首根っこをつかんで後ろに引っ張ったからだ。


「な、なにすんですかリーダー⁉︎」

「あぁ、すみません。お尻は触るけどお尻しか触れないような意気地なしの痴漢魔みたいな顔していたので、つい」

「あぁ、わかる!」

「うわー、すっきりしたー!」

「それだわ」

「言い得て妙!」


 あちこちから納得の声があがる。

 例えが細かいな。


「えっ、俺そんなダセー顔してんの?」


 本気でへこむ男性に、周囲が一斉に爆笑した。


「俺痴漢魔じゃねーし……つーか、俺はもっとでっけーのが好みなんだよ! こんくらいじゃ俺の中の俺をかき立てることはできねぇな」


 男性が目を閉じてチッチッチ、と指を振った。

 サーナは無言で魔力の弾を生成した。


「おいおい!」

「やっちまえー!」

「いけ、閃光!」


 あちこちからヤジが飛び交う。


「えっ、なに? ……うおっ、閃光⁉︎ ちょ、まっ——!」


 無言のまま射出する。

 男性の胸に届く直前、水色の弾は急停止した。

 もちろん、サーナが制御したのだ。


 一瞬の静寂の後、歓声があちこちからあがった。


「おいおい!」

「マジか、【操縦弾ドミネーション】じゃねーか!」

「なんだ今の急停止は⁉︎」

「完璧な制御じゃねーか!」


 ここまでもてはやされると、少し恥ずかしくなる。

 あと、サーナのすぐ近くにいる頭が輝いている太っちょのおじさん、さっきから「おいおい」しか言っていないの、バレてるからな。


「閃光、マジで心臓に悪いぞ……」


 すみません、とサーナは謝ろうとした。

 しかし、その前に女性陣が男性を取り囲んだ。


「いや、今のあんたが悪い」

「デリカシーってもんを覚えな、童貞」

「そんなんだから一生彼女ができないんだよ」

「童貞が」

「閃光にはむしろ感謝しな」

「撃ち抜かれちゃえば良かったのに」

「あんた、とてつもなく童貞だな」


 女性陣からの集中放火を受けて、男性は膝から崩れ落ちた。

 明らかなオーバーキルだ。

 童貞って三回も言われているし。


 正直、ちょっとだけ同情した。




 しばらくすると、なにやら街が騒がしくなった。

 先程出て行った者たちが戻ってきて、ソフィに耳打ちした。


「よしっ」


 ソフィが立ち上がった。

 緩んでいた空気がピリッと引きしまる。


「皆さん——出陣です!」


 うおおおお、という野太い声がギルドに響いた。

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