第5話 幼馴染

「遅いっすね……」


 ページ領の領主候補筆頭のサーナ・イヴレーアは、窓から顔を出して、西の方角へ視線を向けた。


「あのわんぱく坊主のことじゃから、良い固有魔術でも手に入って迷宮に潜っとるんじゃないか?」


 祖父のアンドレアが切りそろえられた白ヒゲを触り、フォッフォッフォッ、と笑った。


「フランチェスカさんもいるから、それはないと思うっすけど」


 サーナは、苦笑しつつ祖父の言葉を否定した。

 選定の儀を終えたら、レオはイヴレーア家にやってくる予定だった。

 儀式自体はもうとっくに終わっているはずだが……、


「はっ! まさか、優秀な固有魔術に目がくらんだ令嬢に言い寄られているんじゃ……!」

「なにいってんすか」


 慌てる——正確にはそう見せている——侍女のジュリアの言葉を斬り捨て、窓枠に頬杖をつく。


「あれ、気にしちゃいました? 大丈夫です! たとえ胸が平らだからといって、それだけで太陽すらも雲隠れするサーナ様の輝きは——」

「給料減らすかぶん殴られるか、どっちがいいっすか?」

「後者はむしろご褒美——」


 気持ち悪いことを言い始める侍女の頭に、容赦なくゲンコツを落とす。


「くぅ……! これがサーナ様の愛のムチ……!」

「ただのムチっすよ」


 サーナは気疲れを感じてため息をついた。

 サーナと二人きりのときだけでなく、アンドレアもいる中でもこのテンションを継続できるのがジュリアがジュリアたるゆえんだろう。


「いつものことだが、賑やかだな」


 長身で細身の男性が部屋に入ってくる。

 優しげに細められている瞳と口元に浮かぶ穏やかな笑みは、彼の温厚さと知性を同時に表現している。

 サーナの父親、アンドレアの息子でイヴレーア家現当主にしてページ領の現領主のマッテオだ。


「お父様、レオからなにか連絡はありましたか?」

「いや、ないな」


 マッテオが首を振った。


「冒険者と盛り上がっているのかもしれないな。レオ君は冒険者界隈で人気者だから」

「……そうですね」


 父の言葉が希望的観測であることはわかっていたが、サーナはただうなずくにとどめた。

 父なりの場の空気を重くしないための気遣いだとわかっていたからだ。




 しかし、それからも一向にサーナの幼馴染——レオがやってくる気配はなかった。

 使者も手紙も来ていない。

 いくらなんでも不自然だ。


 使者を出そうかと話し合っていたとき、一つの噂が飛び込んできた。


「レオが、追放された……?」


 サーナは、報告をした騎士に詰め寄った。


「どういうことっすか⁉︎ なんでレオは追放されたんすかっ? レオは——」

「サーナ、落ち着け」


 父のマッテオに肩を掴まれる。

 サーナは、自分が熱くなっていたことに気づいた。


「……すみません」

「いえ……申し訳ありません。追放されたという情報以外は、掴むことができておりません」


 騎士が視線を下げた。


「追放されたというのは、たしかな情報なのか?」


 マッテオの問いに、騎士はうなずいた。


「信頼できる筋からの情報です。フランチェスカさんも投獄されているそうです」

「そうか……引き続き、情報収集に努めてくれ」

「はい」


 敬礼をして、騎士が部屋を出ていく。


「お父様。今すぐ使者を立てましょう」

「ああ」


 マッテオが、使者に持たせる書面をしたため始める。

 しかし、それが終わらぬうちに、事態は進展した。


「牧師のダヴィデ様がお見えです」

「……はっ?」


 先程とは別の騎士からもたらされた報告に、サーナとマッテオは思わず顔を見合わせた。


「……お通ししろ」


 騎士に連れられてやってきた男は、服装こそみすぼらしかったが、たしかにダヴィデで間違いなかった。

 彼は一年前、サーナの選定の儀を担当していた。


「マッテオ様、サーナ様。ご無沙汰しております。こんな格好で申し訳ございません」


 ダヴィデが頭を下げた。


 サーナは、鋭い視線で牧師を見据えた。

 レオの選定の儀を担当していたはずの彼が、このタイミングで何の用だというのか。


「現在、私はマンチーニ家に追われております。影武者を西に向かわせたのでしばらくは大丈夫だと思いますが、端的に用件をお伝えさせていただきます」


 そう前置きをして、ダヴィデは語り始めた。

 選定の儀の場で起こった、悲惨な出来事について。




◇ ◇ ◇




「——以上が、事の顛末てんまつとなります。牧師は原則的には中立の立場ですが、今回のマンチーニ家の対応は度が過ぎていると判断したため、取り急ぎマッテオ様にご報告させていただいた次第です」

「……そうですか。お知らせしていただき、ありがとうございます」


 数々の修羅場を経験してきたマッテオでさえ、そう口にするのがやっとだった。

 隣のサーナは絶句している。

 

 監獄迷宮、吸血の勇者。

 ダヴィデが蓄音機で選定の儀の様子を録音していなければ、とても信じてなどいなかっただろう。


「ダヴィデさん」


 マッテオは、拳を握りしめる牧師に話しかけた。


「レオ君が転移させられたことは間違いないようですが……まだ、その転移先が監獄迷宮であると決まったわけではないのではないですか? 彼らがハッタリを利かせただけ、という可能性もあるでしょう?」


 サーナがハッと顔を上げた。

 しかし、ダヴィデは目を伏せて首を振った。


「いえ……残念ながら、レオナルド様が転移させられたのは監獄迷宮で間違いありません」

「なんでそう言い切れるんすか?」


 サーナがダヴィデに詰め寄った。


「……私の固有魔術がべニート様、いえ、べニートと同種のものだからです」

「なっ……⁉︎」


 マッテオとサーナは息を呑んだ。


「彼と一緒で、私も魔法陣を見ればその構造を読み取るくらいはできます。あの転移陣の行き先は間違いなく監獄迷宮でした。残念ながら、私の力量ではどうしようもないほど高レベルなものでしたが……」


 ダヴィデが唇をかんだ。


 沈黙が訪れる。

 サーナがフラリと立ち上がった。


「おい、サーナ」


 マッテオは慌てて娘の服の袖をつかんだ。


「どこへ行くつもりだ」

「ちょっとゴミの掃除をしてきます」

「待て」

「どうして」


 サーナがすっと目を細めた。


「あのブタどもは、レオを監獄迷宮に送ったんすよ。今すぐ知っていることを洗いざらい吐かせて、その後は罪をつぐなわせるために殺し——」

「サーナ!」


 マッテオは大声を張り上げた。

 久々のことだった。


 サーナが体をビクッと震わせる。


「——サーナ」


 直前とは打って変わって、マッテオは優しく娘の名前を呼んだ。


「冷静になるんだ」

「……はい」


 サーナは、座布団に座り直した。




 ダヴィデには一旦退出してもらい、マッテオはサーナと向かい合った。


「今すぐにでも騎士団を派遣して、ディエゴとベニートを捕らえて洗いざらい吐かせるべきだです」

「それはだめだ」


 マッテオは、サーナの意見に首を振った。


「なんでっすか? 証拠は揃っています」

「たしかに証拠はある。しかし、マンチーニ家騎士団は強い。もし負けたら——」

「そんな弱気なことを言っている場合じゃないでしょう!」


 サーナが叫んだ。


「今この瞬間にも、レオは魔物に襲われてるかもしれないんすよ⁉︎ いくらレオでも、監獄迷宮で安全でいられる保証はない。ディエゴたちは、他にも様々な犯罪を行っています。大義名分など、いくらでも用意できるでしょう!」

「お前の言い分はわかる。だがな、サーナ」


 マッテオは娘の目を正面から見据えた。


「私たちには、守らなければならない領民がいるんだ」


 ハッと息を呑み、サーナがわずかに目を伏せた。


「私たちがもし一介の冒険者だったなら構わない。負けたところで自己責任だからな。だが、そうではない。イヴレーア家として挑んで負けてしまえば、マンチーニ家に多額の賠償金を支払わねばならなくなるだろう。最悪、土地だって取られるかもしれない。いずれにしろ、領民たちの生活が苦しくなるのは必至だ」


 サーナの唇は真一文字に結ばれたままだ。


「レオ君のことを大切に想う気持ちはよくわかるし、一刻も早く助けたいのは私も同じだ。しかし、それはただの私情だ。私たちは——」


 マッテオは説得の言葉を中断した。

 ノックの音が聞こえたからだ。


 今は、よほどの用事でなければ後回しにしろ、と家臣には命じてある。


「どうした?」

「タレス領の冒険者ギルド長、ソフィ様がお見えです」


 なるほど、彼女か。

 マッテオは納得した。


「お通ししろ」


 まもなくして、黒髪を腰まで伸ばした長身の女性が部屋に入ってきた。

 挨拶もそこそこに、その大人びた雰囲気の女性——ソフィは切り出した。


「レオ君が追放されたとうかがいましたが、マッテオ伯爵は何かご存知ですか?」


 口調こそ落ち着いているが、その目を見れば、内心穏やかでないのは明らかだった。


 マッテオの中で、一つの計画が浮かび上がってきた。

 これは、好機かもしれない——。




◇ ◇ ◇




「本当ですか……」


 話を聞き終え、ソフィは呆然としていた。


 ソフィは平民ではあるが、冒険者ギルドの長と領地の領主の間に明確な上下関係はない。

 であるにも関わらず、ディエゴに取り合ってすらもらえなかったことから、ロクなことになっていないのだろうとは思っていた。


 それでも、せいぜい身一つで辺境に転移させられている程度だろうと考えていたのだが……、


「監獄迷宮……」


 思った以上に、事は急を要するようだ。


「わかりました。情報提供、感謝します」

「君たちはどうするつもりだ?」

「反乱軍を組織します」


 ソフィは端的に告げた。


「レオ君が追放されたと聞いた時点で、冒険者の間でも攻め入ろうという話は出ていましたから。もちろん全員じゃありませんが……止めますか?」

「ここで止めるなら、最初から全貌ぜんぼうを話したりはしないさ」

「たしかに」


 ソフィは口元を緩めた。


 マッテオは慎重な男ではあるが、同時に悪事を見逃せる人間でもない。

 邪魔をすることはないだろう、とは予想していた。


 しかし、続いてマッテオの口から発せられた言葉は、ソフィが想定も想像もしていないものだった。


「ならば、イヴレーア家の騎士をいくらか預けるから、作戦に加えてもらえないだろうか?」




 イヴレーア家を辞去したソフィは、停留所で馬車を今か今かと待っていた。


 事態は一刻を争う。

 手遅れになることだけは避けたい。


 しかし、ソフィは反乱の失敗の可能性については考えなかった。

 マンチーニ家の騎士団は強力だが、タレス領の冒険者は粒揃いだし、イヴレーア家からもいくらか騎士を借りられたからだ。


 マッテオからの騎士派遣の申し出は、はっきりいって予想外だった。


 なぜ、隣の領地の出来事なのに兵を出すのか——。

 そう問いかけたソフィに、マッテオは鋭い目つきで答えた。


『今回に関してはあまりにも度が超えている。私たちイヴレーア家だけでは静観するしかないが、タレス領の冒険者が立ち上がるというのなら話は別だ。勝ち目があるのなら、そこに戦力を注ぎ込むべきだろう』


 面白いな、というのがソフィの率直な感想だった。

 ベージ領の領主はあくまで保守的だと思っていたが、なかなかどうして、熱い心と決断力も持ち合わせていたようだ。


 ——そして、熱い心と決断力を持っているのは、どうやらマッテオだけではなかったようだ。


「あの……すみませんっ」


 背後から声をかけられ、ソフィは振り返った。

 声の主は膝に手をつき、息を切らせていた。


 声から女——それも、おそらくは少女と呼べる年齢——だとわかるが、フードをかぶっているため顔は見えない。

 いぶかしく思っていると、少女が少しフードを持ち上げた。


「あなたは……!」


 ソフィは目を見開いた。

 フードから覗く白銀の髪とこちらをまっすぐ見つめる赤い瞳は、その正体がサーナ・イヴレーアであることを雄弁に告げていた。


 マッテオから自室待機を命じられていたはずの彼女が、なぜここに——?

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