第14話 マッテオの思い
「そんなもの、許可できるはずがないだろう」
「……えっ?」
サーナは、頭を殴られたような衝撃を覚えた。
言葉を
「何年かかるかもわからず、死亡するリスクも低くないところに、お前を行かせることはできない。ページ領の領主としても、親としてもな。養子として引き取ってから九年間、私はお前を次期領主にするために育ててきた。その役目はしっかり果たしてもらうぞ」
反論できなかった。
そもそも、待機命令を破って反乱軍に参加したことを不問にしてくれただけで、寛大すぎる処置なのだ。
頭ではわかっていた。
自分がどれだけ非常識なのかも、父の優しさも、自分が取るべき選択肢が何であるかも。
それでも、サーナの中の激情は収まってくれなかった。
それでも、レオを助けに行きたかった。
「ワシは、行かせたほうが良いと思うがのぉ」
サーナはハッと顔上げた。
「父上っ、しかし——」
「まぁ聞け」
アンドレアが、柔らかく
「お前の言いたいことはわかる。たしかに正論じゃ。だがな、命の恩人を助けに行きたいというサーナの願いもまた、間違っておらんし、尊重されるべきだと思うぞ」
「それは、そうですが……」
マッテオが言葉を詰まらせた。
「それにな」
アンドレアがサーナの頭に手を置いた。
「この眼をした子供を無理矢理押さえつけても、ロクなことにはならんぞ。お前にとっても、この子にとってもな」
アンドレアがサーナの髪をくしゃくしゃにした。
「ちょっ、お祖父様っ、やめ——」
「フォッフォッフォッ」
サーナが抗議をしても、祖父は笑うのみだった。一向に手を緩めない。
二人が激しい攻防を繰り広げる中、マッテオは目を閉じたまま、一言も発さなかった。
◇ ◇ ◇
「お前も面倒な男じゃのぉ」
アンドレアは、正面に座る息子を見てため息をついた。
「わざわざ嫌われ役を買って出るとは……」
「それがサーナのためですから。すぐに認められるより、一度拒否されたほうが気も引き締まるでしょうし」
「まぁ、それはそうじゃろうな」
「それに、行ってほしくないというのも本音ですから。あの子の覚悟を問う目的もありました」
「その結果、意思の固さをまざまざと見せつけられたわけじゃ」
「ええ……」
マッテオが目を伏せた。
「ロット領で冒険者をする、とはな」
アンドレアの言葉を受け、マッテオは「どうやってレオを救うつもりか」とサーナに問うた。
『ロット領で冒険者をして、SSランクになって自力で監獄迷宮に挑むか、お金を貯めて勇者パーティーなどに頼み込みます』
一瞬の迷いもなく、彼女はそういった。
「あの子は魔物恐怖症なんですよ? 全種ではないとはいえ、魔物を見るだけで体がすくんでしまうんです。いくら魔術の才能が飛び抜けているとはいえ、監獄迷宮はおろか、普通の迷宮にだって入るべきではないのに、冒険者など……」
「そう心配するでない。サーナのことはワシに任せておけ」
アンドレアは、ロット領に同行することになっていた。
サーナにレオ救出を許可する際、マッテオが出した条件の一つだ。
「もちろん、元SSランクの父上のことは信頼していますが、それでも、心配なものは心配です。体もそうですが、精神的にも耐え切れるか……」
「大丈夫じゃろ。あの眼をしている人間は強いし、あの子の固有魔術も助けになる。必ず乗り越えられるはずじゃ」
それは、アンドレアの本心だった。
サーナなら大丈夫だろう。
「……そうですね」
ややあって、マッテオもうなずく。
「そもそも、パオロの説得に成功しなければ、サーナはここに残らなければならないしのぉ」
アンドレアの同行以外にも、マッテオはサーナにいくつかの条件を出していた。
そのうちの一つに、サーナの義理の弟であり、マッテオの実の子でもあるパオロの説得があった。
サーナの帰りがいつになるかわからない以上、次期領主の座は彼に託さなければならないからだ。
「あの子がサーナの頼みを断るとは——」
マッテオの言葉が終わらないうちに、扉が勢いよく開かれた。
パオロは大股で部屋に入ってきた。
開口一番に言い放った。
「どこの世界に、姉のこんなにもまっすぐな想いを踏みにじる弟がいましょうか!」
◇ ◇ ◇
パオロが一も二もなく承諾したことで、イヴレーア家の正統後継者はサーナから彼に代わった。
その手続きに取り掛かろうとしたとき、ベニートが訪ねてきた。
事情説明と謝罪を受け、今後について話し合う。
「私は、タレス領の領主としての実権を、ベルトリーニ家に譲るつもりです」
「ほう……」
マッテオはわずかに目を見開いた。
ここ最近は曇っていたベニートの瞳に、かつての光を感じたからだ。
「それはまた思い切った決断をなされましたが、お父上は——ディエゴ殿はどうなさるおつもりですか?」
「彼は、国の許可も得ずにキメラを造り、あまつさえ自分一人で逃げ出した重罪人です。当然、領主であり続ける資格はありません。現在、兵を出しているところですので、捕まえて知っていることをすべて白状させ、罪を償ってもらうつもりです」
そう言い切るベニートの眼には、覚悟の光が宿っていた。
しかし、それから何時間が経過しても、ディエゴ確保の報せは入ってこなかった。
◇ ◇ ◇
ニコロに追い返された後、ディエゴは平民の中では有力であるピナルティ家を目指していた。
「他の貴族は少し遠い。平民なんぞを頼るのはシャクだが、今は一刻も早く腰を落ち着けるべきだからな」
ディエゴはそうやって自分を無理やり納得させたが、それは真実ではなかった。
最初に訪ねたベルトリーニ家ほど大きくはないものの、貴族の家は近くにいくつか存在した。
それでも、彼がわざわざ見下している平民を選んだのは、ひとえに、もう二度と門前払いを食らわないためだった。
もっとも、彼自身がそれを認めることはないだろうが。
今度こそ目論見通り、ディエゴはピナルティ家に最上の礼をもって迎えられた。
「これはこれは、ディエゴ様。ようこそおいでくださいました」
「あぁ、ご苦労」
ピナルティ家の家主であるトンマーソの低姿勢に、ディエゴは気分を良くした。
勧められた椅子にふんぞりかえり、出された酒をあおる。
その間、トンマーソはずっとへこへこして、
しょせん、平民などこんなものだな。
ディエゴはせせら笑った。
「それでディエゴ様、本日はどのようなご用件で?」
「あぁ、実は——」
ディエゴは、用意してきた嘘を身振り手振りを交えて語ってみせた。
話に合わせて、トンマーソが怒りや悲しみといった表情を見せる。
自分の話を信じ切っているその様子に、ディエゴはすっかり気分を良くした。
杯を重ねるスピードも、どんどん速くなっていく。
ディエゴが完全に酔っ払ったころ、トンマーソが尋ねた。
「それにしても、レオナルドは一体何をしたのです? 寛大なディエゴ様が追放までなさったということは、よほど貴族の風上にもおけないことをしでかしたのですか?」
「そうなのだ!」
ディエゴは勢いよく身を乗り出した。
一度はレオの追放については口を閉ざすことに決めたものの、それは本意ではなかった。
吸血の勇者を追放したことは英断だったと、本気で思っていたからだ。
悪いのは吸血の勇者になったレオで、自分を厄災を未然に防いだ英雄。
そんな幻想に酔っていたディエゴは、酒の力も手伝って、真相をすべて話してしまった。
——それが、トンマーソの真の狙いであることにも気づかずに。
「なるほど。そうだったのですか……」
トンマーソの
しかし、すっかり自分に酔いしれているディエゴは、そのことに気づきもしなかった。
「彼を連れ戻すおつもりはないのですか?」
「そんなもの、あるはずがなかろう! もっとも、連れ戻そうにもその方法すらないがな!」
ディエゴはガッハッハ、と笑った。
しかし、それはすぐに中断された。
何かが右頬をかすめたからだ。
背後で、破壊音が響く。
半ば無意識に、ディエゴは自分の右頬に触れた。
ぬめりとした感触。
指は赤く染まっていた。
「……はっ?」
これは、血——?
ディエゴは前方に視線を向けた。
そこには、手のひらを突き出しながら、射殺さんばかりに自分を睨みつけている、トンマーソの姿があった。
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