第15話 ディエゴの敗走

 自らの指を赤く染める、ぬめり気のある液体。

 背後の破壊音。

 そして、自分に向けられたトンマーソの手のひらと、憎しみを込めた視線。


 ここまで揃えば、何が起こったのかはディエゴにも理解できた。

 トンマーソが魔術を使ったのだ。

 平民ごときが、貴族である自分に向かって。


 当然、ディエゴは激昂げきこうした。


「貴様っ……一体何の——!」


 つもりだ、とまで言えなかった。

 今度は左頬に、チクリとした痛みを覚える。

 再び、破壊音。


 恐怖により、ディエゴは震え上がってしまった。

 必死に魔術を発動させようとするが、酒が回っているのも影響しているのか、うまくいかない。


「捕まるのはごめんだからな。今なら見逃してやる——失せろ!」


 平民の分際で、とののしろうとした。

 しかし、怒りに反して、体はその場から逃げ出していた。


 殺されるという恐怖が、プライドを上回ったのだ。

 屈辱だった。


「ちくしょうっ……!」


 ピナルティ家の裏門を飛び越えながら、ディエゴは嗚咽おえつを漏らした。




「ちくしょうっ、ちくしょう!」


 ディエゴは壁に拳を打ち付けた。何度も、何度も。


「——ディエゴ様」


 背後から名を呼ばれる。


「……誰だ」


 振り返りもせず、ディエゴは問うた。


「私はジョルジョと申す者。ディエゴ様をお迎えにあがりました」

「迎え、だと?」


 ディエゴは振り向いた。


 そこにいたのは、フードをかぶった人間だった。

 声から察するに、おそらく若い男だろう。


「はい。復讐したいとは思われませんか? ご子息でありながらあなた様を裏切ったベニートにも、ここぞとばかりに攻め込んできたイヴレーア家にも、あなた様を迎え入れなかったベルトリーニ家にも、そして何より——」


 男が、語気を強めた。


「平民の分際で牙をむいたソフィたち冒険者や牧師のダヴィデ、ピナルティ家に」

「……その手助けをすると?」

「微力ながら。もし我々を頼っていただけるのなら、いえ、利用していただけるのなら、この陣の中へ」


 男が、足元の魔術陣——おそらくは転移陣——を示した。

 ディエゴは迷わずに、陣の上に乗った。


 男を信じたわけではない。

 ヤケになっていたのだ。


 それに、自分に恥をかかせた奴らに復讐できる可能性があるのなら、拒む理由もなかった。


「ありがたき幸せです。それでは発動します」


 男が両手を合わせた瞬間、二人の姿はかき消えた。




◇ ◇ ◇




「修理代、馬鹿にならねぇな」


 思った以上の家の惨状に、トンマーソは苦笑した。

 妻と娘に、こっぴどく叱られてしまうだろう。


 しかし、自分のやったことを後悔はしていなかった。

 監獄迷宮に追放されることに比べれば、こんなのは些細なことだ。


 冒険者の経験もあるトンマーソは、迷宮内で一人になることの恐ろしさを、身をもって経験していた。

 それが、勇者パーティーですら全滅した監獄迷宮ならなおさらだ。


 もし、自分が一人で監獄迷宮に追放されたら、発狂してしまうだろう。

 そして、その声につられて集まってきた魔物たちに食い殺されておしまいだ。


 しかし、レオならそうはなっていないだろうという確信もあった。


 吸血の勇者は、人類史上最強で最凶な存在と言われている。

 当然、固有魔術も強いだろう。

 もともと強かったレオにその固有魔術が加われば、まさに鬼に金棒といえる。


 トンマーソはふと、思案顔になった。


「吸血の勇者、か」


 吸血の勇者の話は当然知っているし、恐怖心もある。

 追放されたのが、ともに迷宮に潜ったりと交流のあったレオでなければ、危険を犯してまでディエゴを糾弾するようなことはしなかっただろう。


 しかし、トンマーソの中では、どうしても吸血の勇者とレオのイメージが一致しなかった。


「必ず帰ってこいよ、レオ」


 ——俺が、俺らが、お前が厄災なのかどうか確かめてやるから。


 トンマーソ自身はレオを助けに行くことはできない。

 そのレベルに達していないからだ。


 それでも、彼なら必ず戻ってくるだろう。


「むしろあいつなら、珍しい魔石やら植物やらを見つけて、はしゃいでそうだな」


 その光景が容易に想像できて、トンマーソは思わず笑みを漏らした。




◇ ◇ ◇




 まさか、自分がトンマーソの想像通りのことをしているとは知らないまま、レオは魔石や植物を集めて楽しんでいた。


「おっ、なんだこれ」


 一つの花が目に留まった。


「めちゃくちゃ綺麗だな」


 緑色に輝いていた。

 迷宮内の魔力を栄養にしているのだろう。


 つぶさに観察していると、何かの気配を感じた。

 通路の曲がり角から、ゴブリンが姿を現した。


「おい、お前。これ、何の花か知っているか?」


 レオの無邪気な問いかけに対するゴブリンの答えは、頭からの突進だった。


「なんだ、知らないのか」


 わずかに体を逸らすことで回避し、ゴブリンの頭を抱えこむ。

 体全体を使って思いきりひねると、脊髄せきずいの砕ける音がした。


 何体ものゴブリンと戦う中で発見した、最も魔力を消費しない倒し方だ。


「よしっ、と」


 ゴブリンは美味しくないし、そこまでお腹も空いていなかったので、死体はそのまま放置しておく。

 花をいくつか摘み、レオはその場を後にした。


 しばらく曲がりくねった道を進むと、奥から強烈な魔力の気配を感じた。

 直感的にわかった。

 転移して早々に戦った人語を解するヒュージ・リオンよりも、はるかに手強い。


 レオは、迷わず【第一の扉ファースト・トリガー】を解放した。

 上の階層につながる階段にたどり着くためには、無視できる相手ではないだろう。


 悠長に構えている暇はなかった。


 その魔力が急激に膨れ上がり、爆発音が洞窟内に響いた。

 近くにもう一つ、別の大きな魔力も感じられる。


 魔物同士の戦いも起こらなくはないが、頻度ひんどは低い。

 レオは迷わず駆け出した。


 予想通り、戦っていたのは魔物と人間だった。

 オレンジ髪の女の子だ。

 魔物の猛攻に耐えている。


 反撃の機会をうかがっているのか、そもそもそんな余裕がないのかは、見ただけでは判断がつかなかった。


 レオは魔物に何ともいえない違和感を覚えたが、構わず狙いを定めた。

 APDエーピーディーを操作し、【魔力弾マジカル・バレット】をいくつも生成する。


 発射直前、声が飛んできた。


「——撃たないで!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る