第3話 監獄迷宮での生活
監獄迷宮内は薄暗かったが、あちこちに点在するぼんやりとした水色の光のおかげで視界は確保できた。
周囲を見回す。
魔物の気配がないことを確認し、レオは現状把握に努めた。
「えーっと、持ち物は……
APDを持っていたのは不幸中の幸いだが、それだけ。
水も食料もない。
しかし、レオは慌てなかった。
森の中に捨てられていた自分を拾ってくれた義母のアリーチェが死んで以来、レオは使用人以下の生活を強いられていた。
義父のディエゴに
その影響もあり、ここ数年は、もっぱら冒険者に混じって迷宮に潜ることが増えていた。
彼らと一緒に、迷宮で何日かを過ごすこともあった。
皮肉なことだが、その経験の数々が、現在のレオを落ち着かせていた。
それらの経験に基づき、真っ先にやるべきことを決めた。
「とりあえず、うんこするか」
【
子供が入れそうなほどの穴ができあがった。
「戦闘中に漏れそうになったらやべーもんな」
戦いながら糞尿を垂れ流して鼻の良い魔物を倒してしまおう作戦も考えたが、それは人として大切な何かを失いそうなので、最後の手段としてとっておくことにする。
無事にトイレを済ませ、穴を塞いでから、レオは歩き出した。
「とりま、水と食料は探さねーと」
フランチェスカにあんなことを言ってしまった手前、泥をすすってでも生還しなければならない。
もしレオが死ねば、彼女の心に
アリーチェが他界してから、フランチェスカは単なる侍女というより、母親に近い存在だった。
からかわれることはしょっちゅうだった。歯に衣着せぬ物言いもしてきた。
それでも、そこには常に愛情があった。
ディエゴに虐げられるようになり、ほぼすべての使用人や騎士はレオから離れていった。
彼女だけが、ずっと側にいてくれた。
レオはよく、仲良くしている冒険者などから自由奔放だのわんぱくだのと言われる。
それだけポジティブでいられたのは、間違いなく彼女のおかげだった。
「恩を仇で返すわけにはいかねーよな」
——待ってろよ、フラ。
そう呟くと、自然とやる気が湧いてきた。
監獄迷宮といえど、その造りは他の迷宮と大差ないようだ。
地面も壁も天井も、すべて岩からできており、ところどころゴツゴツと飛び出していた。
道は迷路のように入り組んでいる。
足元には、魔力を栄養にする植物が生え、魔石があちこちに転がっている。
それらは発光しており、陽の光のささない迷宮内をぼんやりと照らしていた。
魔石は、魔力を含んだ石だ。
その効果はまちまちだが、生活に使えるものも多い。
「おっ、これたしか、火を起こせるやつじゃん。これは……水を出せるやつか」
役に立ちそうな魔石を拾いつつ、道なりに進んでいく。
数回曲がったところで、レオは足を止めた。
右前方の壁の奥に、何かがいる。
「人……じゃない。魔物か」
姿を現したのは人型の魔物——ゴブリンだった。
普通なら、ゴブリンなど魔法を使わなくても倒せるが、目の前の個体は、明らかに普通のゴブリンではないようだ。
——果たして、その直感は当たっていた。
レオの姿を認めるや否や、ゴブリンは地面を蹴った。
突進してくる。
とても、鈍足で知られるゴブリンのものとは思えない速度だ。
「おおっと」
レオは体を逸らした。
がら空きの首筋に、手刀を叩き込む。
「グアッ⁉︎」
ゴブリンは地面に倒れこんだが、すぐに起き上がった。
レオには、そのコンマ数秒があれば十分だった。
ゴブリンが再び突進の構えを見せたときには、レオはすでにその懐に入り込んでいた。
「ゴブリンにしては強かったぞ」
魔力で作った剣【
驚愕の表情を浮かべたまま、ゴブリンの顔は宙を舞った。
監獄迷宮は、総じて他よりも優秀な個体が多いようだった。
ゴブリンの他にもいくつかの魔物と遭遇したが、どれも手ごわかった。
しかし、それはあくまで普通の個体と比べればの話だ。
事実として、レオはこれまで【並魔剣】しか使用していない。
魔力で生成できる剣の種類はいくつかあるが、【並魔剣】はその中でもオーソドックスかつ平凡なものだ。
特別なオプションがなく、すべての性能が並である代わりに、もっとも魔力消費量の少ない剣。
他には長さや太さを変えられる剣もあるが、それらの助けを借りなければならないほどの敵はいなかった。
「わんちゃん、結構浅い層に転移したんじゃねーか?」
もしそうなら、意外と簡単に生還できるかもしれない——。
淡い期待に、自然と足取りが軽くなる。
しかし、現実は甘くなかった。
レオが監獄迷宮で二度目の大便を試みていると、遠くのほうでなにかの気配を感じた。
「やべっ、これ、結構つえーぞ」
レオの視力は平均的だが、たとえ相手がレオの直線上にいたとしても姿を視認できないくらいには距離が離れている。
にも関わらず気配を感じるということは、それだけの実力なのだ。
現状で最善の手は、大便を切り上げることである。
しかし、長年の経験からレオは悟っていた。
すでに、大便が途中棄権を許さない最終フェーズに突入していることを。
一瞬で判断を下す。
「もう、出し切るしかねえ……んぐぐ!」
魔力をお尻に集中させ、すべてを解放する。
いつもの三倍は速いだろう。
なにがとは言わないが。
テンションが高かったときに思いつきでやってみたことが、まさかこんな場面で活きてくるとは。
何事も試してみるものだ。
「——人間を見るのは久々だな」
前方から大きな声が聞こえた。
レオはすでに、戦闘準備を整えていた。
まもなくして視界に映ったのは、ライオンが巨大化したような見た目の生物だった。
「ヒュージ・リオンか……」
レオは顔をしかめた。
ヒュージ・リオンは、危険度でいえば、上から三番目のAランクに分類される魔物だ。
人語を解するほどの知能を備えているとなれば、かなり厄介だ。
最上位のSSランクまではいかないとしても、Sランクレベルなのは間違いないだろう。
普段なら強敵だと両手をあげて喜べるが、現状を考えればワクワクが八、不安が二といったところだ。
なお、そんな状況でワクワクしてるんかい、とツッコむ者はここにはいない。
「おいおい、そんな顔をするな。悲しいではないか」
レオにゆったりと近づいてくるその姿は、自信に満ち溢れていた。
「俺と戦わないと約束してくれるってんなら、笑えるんだけどなぁ」
レオはAPDを操作した。
【並魔剣】の代わりに【
【
【汎魔剣】は強度を自由に変えられる剣で、耐久力重視で太くなるデュラビリティモードと、切れ味に特化した細いシャープモードがある。
魔力消費量は増えるが、おそらく【並魔剣】だけでやり合える相手ではない。
「フハハ、それは無理な話だ。久しぶりに人間の肉が食えるのだからな」
「ちぇっ……あぁ、あと、俺さっきうんこしたばっかだから、ここら辺わりとくせーぞ」
「フハハ、そんなものが野生の魔物に通用するとでも? 自分や他の魔物の糞尿など、そこら中にある」
ヒュージ・リオンが胸を張った。
もっとも、四本足なので、正確にはそんな気がしただけだが。
心なしか、ドヤっている気もする。
「過酷な環境だな……」
レオはその情景を想像し、同情と尊敬を同時に抱いた。
自身も野生児と呼ばれることはあるが、トイレはあるし水で流すこともできれば掃除もできる。
まだまだ野生で生きる強者たちには及ばないようだ。
「さて、覚悟はできたか? 人間よ——我の食欲はもう限界だ」
ヒュージ・リオンがわずかに姿勢を低くした。
——くる。
体を左に傾けた。
一瞬の後、レオの右頬をヒュージ・リオンの爪がかすめる。
「っぶねぇ〜」
少しでも動くタイミングが遅れていたら、喉元を引き裂かれていただろう。
しかし、一息吐いている余裕はなかった。
間髪入れずに追撃がくる。
レオは、ギリギリまで待ってからしゃがみ込んだ。
ヒュージ・リオンの右前足が、頭上を通過した。
何回かギリギリの攻防を繰り返すうちに、レオはヒュージ・リオンの速さに慣れてきた。
「おのれ、ちょこまかと……!」
攻撃がまったく当たらないことに、ヒュージ・リオンも苛立ってきているようだ。
ヒュージ・リオンが地面を蹴る。
その前足が届く直前、レオは後ろへ跳んだ。
「ほう……」
ヒュージ・リオンが口の端を持ち上げた。
「我の二段攻撃を読み切るか……よほど勘が良いとみえる」
後ろに跳んだのは直感だったが、どうやらそれは正しかったようだ。
「だが、逃げてばかりで良いのか、人間よ」
ヒュージ・リオンが挑発してくる。
「人間って呼ぶな。俺はレオだっつーの」
軽口を叩きつつ、レオは左手首にはめたAPDに触れた。
「あんまり魔力は消費したくねーけど、仕方ねーな」
【汎魔剣】と【身体強化】を解除し、普段はあまり触れることのない、ゼロのボタンを押す。
「——【
レオの体の周りが、ぼんやりと水色に光る。
大量の魔力が体内を循環しているときに起きる現象だ。
「ほう……!」
ヒュージ・リオンが目を見張った。
「格段にレベルが上がったな、人間よ! 面白い!」
「俺はレオだっつーの」
レオは姿勢を低くした。
「——第二ラウンド、開始だ!」
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