第2話 ダヴィデの思惑

「あっ、ああっ……!」


 フランチェスカは、今の今まで自分の主人あるじが立っていた場所に手を伸ばした。

 当然、何にも触れられない。


 膝から崩れ落ちそうになる。

 なんとか堪えて、ベニートに詰め寄った。


「ベニート様、今すぐレオ様を連れ戻して!」


 その胸ぐらをつかみ、前後にゆする。


「皆の者!」


 ディエゴが叫んだ。

 教会の扉が開かれ、騎士たちがなだれ込んでくる。


 フランチェスカはその胸ぐらをつかんだまま、ベニートだけに視線を向けた。


「——ベニート様!」

「無理だ」

「……はっ?」


 フランチェスカは、口をポカンと開いて固まった。


「あの転移陣は一度しか利用できない。もう、誰にもやつを連れ戻すことなどできない」


 ベニートはフランチェスカを見下ろし、平坦な口調で告げた。


「なんですって……? それじゃあ、レオ様は——」

「貴様、離さんか!」


 騎士たちにより、フランチェスカは拘束された。

 それでも、言葉は止めなかった。


「監獄迷宮は、あの勇者パーティでさえ全滅した場所だ! いくらレオ様でも、生きて帰れる保証はない!」

「生きて帰れる保証はない? 違うな。やつは死ぬしかないのだよ」


 ディエゴが、豚さながらに鼻を鳴らす。

 フランチェスカは、ベニートの目だけを見つめて続けた。


「レオ様が死ねば、あなたは殺人犯だ。あなたは殺したことになるんだ——昔はあれだけ可愛がっていた弟を!」


 ベニートの瞳が、わずかに揺れた気がした。

 しかし、確信は持てなかった。


「貴様、良い加減にしろ!」


 拘束していた騎士により、体を地面に叩きつけられる。

 視界いっぱいに床が広がり、呼吸がうまくできない。


「吸血の勇者は、厄災の異端児とも呼ばれる恐ろしい存在です。そんな怪物を監獄迷宮に送還する素早い判断……さすがディエゴ様、お見事でした」

「そうであろう。牧師は、そこの平民の女と違って話がわかるな」


 ダヴィデがゴマをすり、マンチーニ家の当主が満足そうに笑う。


 ふざけるな、と叫ぼうとした。

 無理な体勢を強いられているフランチェスカの喉からは、空気しか漏れない。


 危険だったのは、あくまで以前に吸血の勇者のジョブを与えられた者だ。

 レオは関係ない。


 それなのに、レオを監獄迷宮に転移させたことを、さも英断であるかのように語る二人は、とても同じ人間とは思えなかった。


 ディエゴの命により、フランチェスカは牢屋に入れられることになった。

 騎士に連れられて部屋を出ていくとき、ディエゴの死角にいたダヴィデが、フランチェスカに向かってニヤリと口元を緩めた。




 牢屋に入れられて少しすると、フランチェスカは落ち着きを取り戻した。


 時間にすればたった数分の出来事が、脳裏を駆けめぐる。

 一瞬だけ瞳を揺らしたように見えたベニートの表情も、ダヴィデの謎の笑みの意味も、もちろん気になる。


 しかし、それ以上に気がかりなことがあった。


 フランチェスカが声をかける直前、レオの口元で何かが輝いたのだ。

 自身も必死だったため、記憶が定かでないところはある。


 それでも、一瞬見えたそれは——、


「……キバ、だった?」




◇ ◇ ◇




「がっはっは!」


 ディエゴは、上機嫌で杯を傾けていた。

 その頬は、まるで火でも燃え上がっているかのように赤い。


 その前に座る牧師のダヴィデの顔色に変化はない。

 彼は水を飲んでいるからだ。


「フランチェスカを監禁し、レオナルドを追放できるとは……今日はなんという日だ!」

「フランチェスカという女性にも問題があったのですか?」

「大いにあったさ」


 ディエゴは大きく頷いた。


「あの女は、平民の分際で貴族である俺に食ってかかったり、あろうことか政策に口を出してきたのだ!」

「なるほど。それはひどい」


 杯を叩きつけるディエゴに、ダヴィデは深く頷いてみせた。


「それでも、あの女はずる賢く立ち回り、他の貴族にも取り入っていた。だから大目に見てやっていたのだが……それもここまでだ。吸血の勇者を庇ったとなれば、あのあばずれ女の評判は地にちるであろう」

「それは間違いありませんな。しかし、ディエゴ様。レオナルドが吸血の勇者だったことを公表なさるおつもりですか?」

「当然であろう」


 ディエゴは大きくうなずいた。


「泣いて馬謖ばしょくを斬る、という言葉がある。吸血の勇者になってしまった息子を、世のために泣く泣く死地へ送ったという話が広まれば、俺の評判はうなぎ登りだろう。ダヴィデはそうは思わんか?」

「ディエゴ様の評判が上がるのは、まず間違いないでしょう。しかし——」


 ダヴィデが声をひそめた。


「その判断には、いささかリスクもあるのではないでしょうか?」

「リスク? どういうことだ」


 ディエゴから不機嫌そうな声が漏れる。

 周囲に控える侍女たちの顔に緊張が走るが、ダヴィデはおくすることなく続けた。


「レオナルドが吸血の勇者であったことが知れ渡れば、マンチーニ家は吸血の勇者を輩出はいしゅつした家になってしまいます。たとえそれが養子だったとしても、世間から恐れられ、み嫌われる存在を身内から出してしまったとなれば、イメージダウンは避けられません」

「むむ、たしかに……」


 ディエゴが眉根を寄せる。


「ディエゴ様ほどのお方であれば、そんな二人を利用せずとも高みを目指せましょう。ならば、ここであえてリスクを冒すのではなく、マイナス要素を作らないことを優先しても良いのではありませんか?」


 しばらく考え込むそぶりを見せてから、ディエゴは首を縦に振った。


「……いや、ダヴィデの言う通りだ。しかし、レオナルドがいなくなったことを公表しないわけにはいくまい。やつは、冒険者の間でチヤホヤされて自尊心を満たしていたからな」


 ディエゴが鼻を鳴らした。


「では、レオナルドは選定の儀で罪を犯したため追放され、フランチェスカはレオナルドを庇ったために投獄されたことにしてはいかがでしょうか?」

「なるほど。それは良い考えだ」


 がっはっは、とディエゴは大口を開けて笑った。


「ダヴィデよ。お主はなかなかどうして頭が回るようだな。どうだ。牧師などやめて、俺の参謀にならぬか?」

「大変名誉なお誘いをありがとうございます。しかし、私は牧師としてこの生涯を捧げることを決めておりますので……」

「そうか! いや、良い良い。一本芯の通った男は嫌いではないぞ」


 ディエゴは、上機嫌でダヴィデの肩を叩いた。


「それにしても、最後のレオナルドは傑作けっさくだったな! 必ず戻ってくる、だと? バカも休み休み言ってほしいものだ。あの勇者パーティですら全滅する迷宮で、やつごときが生きて帰れるわけなかろう! 今ごろ魔物に食われているかもな」


 でっぷりとしたお腹を揺すって愉快そうに笑うディエゴに、ダヴィデはそうですね、と笑顔で応じた。




 疲れたので休むといって、ダヴィデはディエゴの与えた部屋に引っ込んだ。

 マンチーニ家の屋敷で、最高級の部屋だ。


 相手がいなくなってからも、ディエゴは侍女を側に置きつつ、上機嫌で杯を重ね続けていた。


 コンコン、とノックの音がする。


「ディ、ディエゴ様。少しよろしいでしょうか?」

「良いぞ」


 一人の騎士が入ってくる。

 足早に、ディエゴの前にやってきて、膝をついた。


せわしないな……なんだ?」


 ゆったりとした時間を邪魔された形だが、ディエゴは上機嫌のまま尋ねた。

 しかし、彼の心にそんな余裕があったのは、この瞬間までだった。


 騎士は視線を下げたまま、震える声で告げた。


「ダヴィデ様が……牧師のダヴィデ様が失踪いたしましたっ!」




◇ ◇ ◇




「私の替え玉である君はとにかく西へ向かってください。ある程度の時間が経てば迎えが来ますから、後はその者に従ってください」

「承知しました」

「頼みましたよ。とにかく捕まらないことを最優先にしてください」

「はい。お任せを」


 緩めの全身真っ黒の服——ダヴィデが着ていたものだ——を身にまとった男が歩き出す。

 通行人から「牧師様じゃない?」「なんでここに?」という声が聞こえてくる。


「よし」


 替え玉作戦の順調な滑り出しを見届けてから、ダヴィデはマンチーニ家の近くに潜伏した。

 胸の前で手を合わせ、つぶやく。


「あなた方の絆と想い、決して無駄には致しません——レオ様、フランチェスカ様」

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