第12話 マンチーニ家攻防戦⑦ —元最強剣士—

「やれやれ。最近の若者は、ちと根性が足らんのう」

「えっ?」


 ソフィはプレスが吐き出される場所——キメラの口元——に固定していた視線を、下に向けた。

 いつの間にか、小柄な老人が立っていた。


 老人が剣を構える。

 次の瞬間、ブレスは消し飛んだ。


「……はっ?」


 ソフィは、あんぐりと口を開けて固まった。

 老人はすでに刀を下げている。

 そこから導き出される結論は、一つだけ。


 老人は、剣圧だけであのブレスを相殺したのだ。

 ソフィたちが総がかりでも止めるのがやっとだった、炎のブレスを。


 そんなことができる老人を、ソフィは一人しか知らなかった。


「お、お祖父様⁉︎」


 サーナが素頓狂すっとんきょうな声を上げた。


 そう。

 目の前に立っていたその人物の正体は、サーナの祖父にして、ページ領前領主のアンドレアだったのだ。


 かつて最強剣士の名を欲しいがままにし、今は隠居生活を送っているはずの彼が、なぜこの場にいるのか。

 剣圧のみでブレスを相殺するなど、どういう原理なのか。


 様々な疑問が、ソフィの脳内を駆けめぐる。

 しかし、実際に問うている暇はなかった。


「おおっと」


 キメラの攻撃を、アンドレアが歳を感じさせない軽快な動きでかわす。

 ブレスをかき消されたことで、キメラはアンドレアに狙いを絞ったようだ。


 しかし、それは結果として、もっとも選択してはいけない悪手だった。


 キメラの攻撃は当たらず、アンドレアの攻撃はヒットする。

 キメラの意識がアンドレアに集中しているため、ソフィたちは攻撃に専念できた。


 キメラに隠し玉は残っていなかったようで、それまでの苦戦が嘘のように、ものの数分で討伐は完了した。


 ほとんどの者が地面に座り込む——または倒れ込む——中、アンドレアだけは平然とした様子で立っていた。

 若者は情けないのぉ、などと笑っている。


「化け物ですね……」

「あぁ……」


 ソフィがつぶやけば、隣のエドアルドから弱々しい肯定が返ってくる。

 しかし、いつまでもぐったりしているわけにはいかない。


 ソフィは立ち上がり、周囲と同じように力尽きた様子のベニートに近づいた。

 魔力を封じる縄—— 【魔封縄《マジカル・シール》】で縛りつける間、彼は一切の抵抗をしなかった。




◇ ◇ ◇




 ——マンチーニ家の一室。


 ソフィとエドアルド、フェデリコ、アンドレア、そしてサーナは、フランチェスカとベニートから、事の詳細についての説明を受けていた。


「——だから、レオを助ける方法はない。監獄迷宮に直接乗り込む以外には、な」


 ベニートの説明が終わる。


 しばらくは、誰も言葉を発さなかった。

 懇切丁寧な説明のおかげで、彼の言っていることが事実だとわかってしまったからだ。


「……一つ、聞いていいすか」


 サーナは声をしぼり出した。


「なんだ?」


 対照的に、ベニートの声は落ち着いていた。


「昔のあんた、めちゃくちゃレオのことを可愛がっていたっすよね。それに、たとえどんなに嫌いな相手でも、監獄迷宮に追放するような人でもなかった」


 サーナは、ベニートを見た。


「なんで、変わってしまったんすか」


 どんな理由があっても、許すつもりはなかった。

 それでも、聞いておきたかった。


「……なにか、特別な出来事があったわけじゃない」


 レオの義兄は、静かな口調で語り始めた。


「けど、一つだけたしかなことは、レオが成長するにつれて、俺の中で、あいつに対するねたみが芽生えていたということだ」

「妬み?」

「あぁ。あいつはこと戦いに関して、天性の才能を持っていた。俺がどうあがいても勝てないとわかってしまうほどのな。それに、サーナ。お前の中では、いつも俺よりあいつのほうが上だった」


 サーナは拳を握りしめた。


「……そんなことで、義理とはいえ、たった一人の弟を憎んだんすか? ——殺したいほどに」

「そうだ」


 ベニートの顔が、わずかに歪められる。

 ただ、それだけだった。


「話は終わりっすか?」

「あぁ」


 サーナはAPDエーピーディーに指をすべらせた。


「あんたは言い訳をしなかった。せめて、苦しまないようにするっすよ」

「相変わらず、甘いな」


 ベニートが苦笑した。


 その目が閉じられる。

 サーナの手のひらに魔力が集まっていく。

 水色の光に包まれた。


「お、お待ちください!」


 魔力をためるサーナの前に、フランチェスカが飛び込んできた。




◇ ◇ ◇




「何すか? フラさん」

「せめて……せめて、命だけはお助けくださいませんか?」


 サーナの視線が鋭くなる。

 フランチェスカは、背筋に冷たいものを感じた。


「かばうんすか? 自らの主人を殺そうとした者を」

「それは……で、ですがっ、ベニート様は、負の心をディエゴ様やヴァレリオ様に焚き付けられ、利用されていたのですっ」


 命乞いのための詭弁きべんではなかった。


 ベニートは、一種の洗脳を受けていたのだ。

 レオに対する憎悪を、繰り返しすり込まれることで。


 その証拠に、ここ最近の彼は、自分で何かを判断しなくなっていた。


「ですから——」

「フラ、やめろ」


 肩に手を置かれる。


「ベニート様……」

「もう、いい」


 ベニートが首を振った。


「俺があいつを憎んだのも、監獄迷宮に送ったのも事実だ」


 すべてを諦めた様子のベニートに、かけるべき言葉が見つからなかった。


 フランチェスカとて、彼を許したわけではない。

 それでも、小さいころからずっと見てきた者の死は、そう簡単に受け入れられるものではなかった。


 しかし、当の本人が生きることを諦めているのならば、周囲にできることは何もない。


 サーナの手のひらに、再び魔力が集まっていく。


「ふむ……今の話を聞いて翻意ほんいしたわけではないが、サーナよ。ワシも、どちらかといえばベニートの処刑には反対じゃな」

「お祖父様まで、殺すのはやり過ぎだとおっしゃるのですか?」

「いやいや、そうではない」


 アンドレアがベニートを見て、いった。


「むしろ、甘すぎるんじゃよ」

「……どういう意味すか」


 サーナが、形の良い眉をひそめた。


「ここで死ぬということは、同時にレオを殺そうとした罪から解放されるということ。それはある意味、逃げというものじゃ。ベニートには、自らの犯した罪をつぐなう義務がある」


 一理あるな、とフランチェスカは思った。


 特に、今のベニートは殺されることを受け入れている。

 贖罪しょくざいもせずに死ぬというのは、たしかに逃げといえるかもしれない。


 サーナの表情にも葛藤かっとうが浮かんでいる。


「それになにより、サーナ」


 アンドレアが、サーナの頭に手を置いた。


「お前が人殺しになることなど、あのわんぱく坊主は望まんじゃろ」


 その口調はとても優しく、温かいものだった。

 サーナが唇をかみしめた。

 何かをこらえているような、そんな表情だった。


 長い沈黙の後、彼女は深呼吸をした。


「……たしかに、レオは望まないっすよね」


 そのセリフは、彼女が祖父の言葉を聞き入れた証だった。

 アンドレアがほっと息を吐いた。


 サーナが、ベニートに向き直る。


「ベニート」

「なんだ?」

「レオの救出、手伝ってくれますか?」

「……あぁ、もちろんだ」


 ベニートは立ち上がり、力強くうなずいた。




◇ ◇ ◇




「くそっ、はぁ、はぁ……!」


 屋敷を飛び出したディエゴは、わき目もふらずに走り続けていた。


 屋敷から離れた人気のないところで、ようやく立ち止まる。


「ヴァレリオ……ベニート……よくも……!」


 口から出たのは、騎士団長と長男への悪態だった。


 ヴァレリオがキメラをしっかり制御できていれば、ディエゴが身一つで逃げ出す必要もなかった。

 ベニートが裏切っていなければ、そもそもキメラを使う必要もなかった。


「しかし、まずいな……」


 冷静になると、ディエゴは自分が非常に危うい立場にいることに気がついた。


 キメラが屋敷の外に解き放たれれば、タレス領は深刻な被害をこうむるだろう。

 その責任を逃れる術は、彼にはない。


 また、もしソフィたちがキメラの討伐に成功したとしても、危機的状況なのに変わりはない。


「そうなれば、マンチーニ家は乗っ取られるわけだからな……」


 様子をうかがいつつ、キメラが討伐されそうなら屋敷に戻り、実権を奪い返そうかとも考えた。

 しかし、真っ先に逃げ出した自分が領主でい続けられる可能性が低いことは、ディエゴにも理解できた。


 ならば、取れる手は一つ。

 他の貴族を頼るしかなかった。


「固有魔術を持っている私を迎え入れられるとなれば、誰しもが喜んで飛びつくであろう」


 ディエゴはニヤリと笑った。


「ここの近くは……ベルトリーニ家か。当然、ウチより家格は劣るが、まぁ仕方なかろう」


 足を進めつつ、状況をどう説明しようか、と思案をめぐらせる。


 自分に非があると受け取られないようにするのはもちろんだが、領主として監督不届きになってもいけない。

 しっかりと塩梅あんばいを見定める必要があった。


「あのゴミが吸血の勇者だったことは伏せておくとするか。裏切り者の牧師の言う通りにするのはしゃくだが、正論ではあったからな」


 脱走したダヴィデのような不届き者の意見でも、有用性を認めて取り入れる自分は、やはり人の上に立つべき人間だ——。

 自己暗示でも強がりでもなく、ディエゴは本気でそう思った。


 ベルトリーニ家が近づいてくる。

 ディエゴの足取りは自然と軽くなった。


 自分が到着したときに受けるであろう歓待を想像してみる。

 自然と、口元に笑みが浮かんだ。


 しかし、ベルトリーニ家にたどり着いたディエゴを出迎えたのは、歓待ではなく、門番からの衝撃的な言葉だった。


「申し訳ございませんが、ディエゴ様をお通しすることができません」

「……はっ?」


 ディエゴの口から、間抜けな声が漏れた。

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