ゴーストダイブ

キノハタ

       

 夜の病院を静かに歩く。



 病室を抜け出して、こっそり独り。



 でも気分は何処か浮かれていて、足取りは自然と軽くなる。



 無音のまま、何かのリズムを取るように、まるで音楽に合わせて踊るように手と足を動かし続ける。



 深夜の散歩、誰も知らない舞踏会。



 まだ電気が付いているナースのみんなの仕事場をそっと脇からすり抜けて。



 誰一人見つからないまま、私は夜の病院を彷徨い続ける。



 歌うように軽やかに、踊るように華やかに。



 されど無音で、重さなどどこにもないように。



 時折、くすくすと笑い声だけを小さく漏らして。



 独り、ただ夜の世界を闊歩する。



 観客の声はないけれど、それでも私は誰かの声に応えるように両の手を上に目一杯に広げていた。




 笑い声は何処にもない『くすくす』



 この場所には誰もいない『こりないねえ君も』



 誰の眼もありはしない『それにしてもご機嫌だね』



 歌え、歌え、声なき観客たちに向けて『今日の歌はいい歌だ』



 踊れ、踊れ、眼を持たない全てのものへ『今日の踊りも楽しそうだ』



 ドレスの一つもないけれど、薄緑の入院服のまま舞い続ける『綺麗なベールだ、踏まないようにね』



 声なき声に押されるままに、屋上の扉をそっと開けた『警報は止めてある? それは何より』



 秋の夜長の少し冷えた風を、火照る頬に受けながら、夜の舞踏は終わらない



 『ほんとに君は懲りないねえ』



 そんな声に、私はにこっと笑みを浮かべる。



 彼らの耳に声は届きはしない、彼らの瞳に姿は映りはしない。



 映るのはただ、私のこころとその在りようだけ。



 だから声すらあげないままに歌を唄い。



 ただ姿も見えないままに私は踊りを踊り続ける。



 『無茶だけはしないように』



 『柵は越えるなよ危ないぞ』



 『さあ、今日はどんな楽しい姿をみせてくれるんだい』



 さあ、どんな踊りを踊ろうか。



 夜明けまで、まだまだ時間はたっぷりとあるんだから。



 歌い飽きることもないほどに、踊り飽きることもないように。



 声も姿も映らない彼らと共に、私は独り踊り続ける。



 昼の私が飲み込んだ沢山の言葉を、一つ残らず歌にして。



 日向の私が躊躇って伸ばさなかった手を、辿るように舞にして。



 誰も知らない、ホントの私を、ただ夜闇の中彼らの声に従って、さらけ出す。



 穴だらけの白いベールから、そっと瞳をのぞかせて。



 歌うような口ずさみから、声にならない声を響かせて。



 氷床を滑るような足取りを、そっと空気に溶かし出して。



 線を一つ超えるたび、身体が少しずつ軽くなる。



 独り、歌え。



 独り、踊れ。



 独り、笑え。



 独り、響け。



 独り、啼け。



 言葉すらないままに。



 想いすらないままに。



 何もないまま、舞い続け。



 彼らの声は時に妖しく。



 彼らの声は時に優しく。



 耳元で。


 遠く向こうで。


 目の前で。


 遥か後ろで。


 囁くように。


 囃すように。


 絶え間なく。


 無音のまま。


 響きわたる。



 白いベールが、視界の端をそっと薙ぐ。



 蒼い炎が、頬の傍をそっととおる。



 薄く透き通った何かが、抱きしめるように私に触れる。



 とぷんと足元がゆっくり沈んで、コンクリートの地面が、じんわりと影に覆われた何かに変わる。



 落ちている。でも浮いている。



 笑い声が耳元でどこか楽し気に響き続け、それにつられて笑ってしまう。



 大声で笑ったのに、喉から声一つ出はしない。でも私の周りにいる彼らは、紛れもなくその声に呼応するように笑い声が大きくしていく。



 そのまま落ちて、影の底にすとん着地する。



 たくさん落ちたような気もするけれど、羽みたいにふわりと着地する。私が頭から被っていた白のベールもふわりとなびく。



 『また来たの?』



 『また来たよ』



 『ほんとに懲りないねえ、こんな深くまで』



 『そう、懲りないの。だってここでくらいしか、ホントの私でいられないもの』



 『そうかい、じゃあ、今日も変わらずに踊ろうか』



 『そうね、だって夜は長いもの』



 『そうだね、夜は長いから』



 『心のままに』



 『だって、ここには心しかないからね』



 『嘘もない』



 『だって、ここには心しかないからね』



 『だけど全部うそっぱち』



 『だって、ほんとは何もないからね、まるで夢のよう』



 『踊れ踊れ』



 『歌え歌え』



 『夜が明ける、その時まで』



 『君の夢が覚める、その時まで』




 心のままに。




 想いのままに。




 嘘すらないのに。




 きっと全ては夢の中。




 声すらないまま、歌い続け。




 歌すらないまま、踊り続け。




 全ての夢が覚めるその時まで、誰にも届かないホントの私を歌い続ける。





 まるで、ココロだけが身体を抜け出て、夜闇の中に出かけるよう。





 夢の中、姿も声も持たない彼らと、ただ独り踊り続ける。





 誰も知らない夜のこと。





 明日になれば、何もかもは元通り。現実は素知らぬ顔で、今日も朝だとやってくる。





 だけど今は、夢の中、彼らの手を取って、夜の底の、影の底。




 白いベールをドレスにして、透ける手足をなびかせて。





 謳え、後悔を。




 謳え、挫折を。




 迷いを唄え。苦しみを謳え。




 願いを唄え。幻想を歌え。




 憎悪を歌え。欲を唄え。





 誰も知らない、今ここにしかない、私の心を。







 誰も知らない、夜の中。







 独り、彼らと共に、歌い続ける。









 夜明けはまだまだ遠く先、月と星と、影の舞台の真ん中で。





 私は、私のままでいて。





 夜闇の中で彼らと共に。

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