*番外編 侍女アンナとフジノヤマ


「ここが東の国……!!」

 アンナ・エトワルは何カ月もの馬車移動と船旅を乗り越え、長年憧れた地へと来ることができた。



 アンナが東の国を知ったのは、七歳の頃。

 商会で生まれ育ったこともあり、日頃から国外の珍しい商品を目にする機会が多かった。その中でふと目に留まったものが、浮世絵とよばれる東洋の絵画だった。浮世絵には様々なものが描かれていた。自分の国では見たことのない風景や建物が描かれているのだ。

「なにこれ……」荒々しい波とその先に小さな山が描かれている。かと思えば、こちらは赤く壮大な山が描かれている。聞けばどちらも同じ山を描いた絵画という事が分かった。

「面白いわ!同じ山でも場所や天気でくるくる表情が変わるみたい!」



 それからのアンナは、商会の娘という立場を大いに活用するようになった。

 別の商会で東の国に関する物が見つかれば、実家の商会を通して見せてもらえるよう頼み込んだ。また、諸国外遊をしていたお得意様が東の国へ行ったとあれば、土産話を聞くためにと称して商談へついていくなどする様になった。そんな事を繰り返しているうちに、次第に商会へは東の国に関する情報や物が集まるようになった。



 正直なところ、アンナの趣味は変わっていた。貴族御用達の商会という事もあり、他国の珍しい装飾品を扱う事も多いのだが、アンナは一切興味を示さない。だが『ブシ』の姿絵を手に入れられた時には、一日中鼻歌を歌っていた。


 東の国に傾倒する商会の娘、として有名になってしまったアンナ。だが、商会の手伝いを進んでこなすようになったため両親は喜んでいた。おかげで、独特の趣味にも関わらず特に制限を受けることもなかった。そしてアンナの憧れは年月を重ねるとともに大きくなっていた。





「私、東の国へ行きたいの。お金は自分で貯めるから。良いでしょ?」

 成人したその日、アンナは思い切って両親へそう告げた。


「な、何を言っているんだアンナ。悪いことは言わない。やめておきなさい。」思わぬ申し出にアンナの父は思わず否定した。

「何で?」

「東の国は遠いのだぞ。それに生活の仕方や言語だってまるっきり違う。苦労すると分かっていて良いなんて言えるわけがないだろ。」

「難しいことなのは分かっているわ。私、そのために東の国の言葉を習い始めようと思うのよ。お金はどこかで雇ってもらって地道に貯めるし。」

「それでも、だ。第一、東の国は遠すぎる。仮に言語を習い始めたとしても、その言葉が正しいものかも分からないじゃないか。今まで通り、商会を手伝いながら東の国の品を愛でるくらいが丁度良い距離感だと思うんだ。」

「何でそうなるのよ?!私が長年、憧れていたことは知っているでしょう?一度行けるだけで良いのよ。浮世絵の光景を、サムライをこの目で見たいの!」

「ああもう、とにかくだめだ。この話はおしまいだ。」


 そう言ってアンナの父は部屋から出て行ってしまった。アンナが父から否定されたのは、この時が初めてだった。

「私の、唯一の我儘だったのに。」そうアンナは呟き、部屋を後にした。




 コンコン。

 扉のノックされた音が部屋に響いた。誰にも会いたくなかったが、アンナはノロノロと動き出し、扉を開けた。

「アンナ。ちょっといいかしら?」そう言い、アンナの母はそのまま部屋に入り扉を閉めた。

「お母さん……。」

「なんて顔をしているの。さあ、何か飲みましょう。暖かいものを飲むと落ち着くわよ。」そう言いアンナの母は、はちみつ入りのホットミルクを用意してくれた。

 カップは暖かく、両手で包みながら一口飲むと心も温めてくれるような感覚がした。


「アンナ。お父さんはね、あなたに苦労してほしくないのよ。」

「……分かっているわ。」

「あの人は、お父さんはね、侯爵家の次男として何不自由ない生活と地位を持っていたの。でも、私との結婚で周りは一変したわ。貴族が商会を起こして貴族籍を持ったまま会長となることはよくあるの。でも、お父さんは私の親……あなたの祖父母と養子縁組したから、貴族籍から抜けている。つまり身分は平民となってしまった。うちは貴族御用達の商会という事もあって好意的な人が多かったけれども、みんながそうというわけではなかったの。」

「そうだったの?」アンナは驚いた。自身が知っているのは、商会のみんなや商談相手から信頼の厚い父の姿だけだったから。


「ええ、都落ちと蔑む貴族もいたし、商談に呼び出されては難癖をつけられるという事もあったわ。今でこそ貴族御用達商会の顔だけれど、お父さんが苦労の末たどり着いた立ち位置なのよ。」

「私、知らなかった。でも、それでも私は東の国に行きたい。」

「それなら、お父さんを納得させる方法を考えましょう。」

「そんなことできるかな?」

「あら、やってみないと分からないじゃない。アンナの熱意はこの程度で諦められる物だったのかしら?」

「ううん。私、お父さんに納得してもらえるよう頑張ってみる。」



 次の日からアンナは、夢を叶えるために動き始めた。アンナが実行したことは二つ。

 まず言語だ。父の言う通り、習い始めると言ってもその言葉が正しいものかは分からない。そして残念ながら、周りに東の国の言語を正確に教えられる人は居なかった。なので、まず別商会にあった和歌集という本を手に入れた。そして仕入れを行った商会従業員を通じて翻訳の情報を貰いながら勉強することにした。


 次にお金だ。最初アンナは、商会の仕事をしながら近くの飲食店で給仕の仕事をしようとしていた。そこに待ったをかけたのはアンナの母だった。

「給仕の仕事も良いけれど、折角だし他の場所で働いてみたら良いわ。貴族の家なんてどうかしら?良い経験になるわよ。」と言う母に乗せられ、エリオント家の侍女として働くことが決まった。




 離れている国の情報はなかなか入らず、アンナは侍女として働きながら、地道に勉強する日々を続けた。そして気づけば、十年もの年月が経過していた。

 結婚を勧めても決して首を縦に振らず、侍女の仕事と勉強を一心に続ける。そんな娘の姿を見続けていたアンナの父は「好きにしなさい。」と認めることにした。

「今のアンナはただ東の国へ行きたいと夢見ているわけではない。現実を受け止めたうえで、それでもあんなに目を輝かせながら一生懸命努力を重ねている。わたしはもう何も言うことはない。」



 こうして長年の努力が実り父へ認められると共に、言語を習得し資金も用意できたアンナは晴れて東の国へと旅立った。



「さあ、まずはフジノヤマを見なきゃね。ここから近いのかしら?」

 アンナは、希望に目を輝かせながら一歩を踏み出した。

 ……アンナは知らなかった。フジノヤマがある場所は、港から1000km以上離れているという事を。



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