*中編④
言っている内容よりも、外面だけは良い父が人前でなりふり構わず私に頭を下げているという事実に私は驚いた。同時にわずかながらエミリアの眉間が少し動いた。
「それはご自身の借金の代わりにリィナを差し出そうとしている、ということで合っているかしら?」驚きのあまり、ただ父を見つめたまま固まってしまった私の代わりにエミリアがそう聞いてくれた。
「仕方ないだろう!わしの自由になるお金は無いのだ!それにリィナに渡した時計だって、縁談に伴い男爵から追加の援助があったから買えたのだそ!まあ、あのセンスの良い時計を選んだのはわしだがな。」父は腕組みを挟むフンと鼻を鳴らしながらそう言った。
時計というのは、先日父から渡された卒業祝いの事だろう。ということは。
「つまり、私を売り渡したお金で私への卒業祝いを買ったと言う事ですか。」
私は自分の声が震えていることに気が付いた。自分に値段をつけられたのと同じという事実が分かってしまった今、怒りや悲しみだけでは言い表せない感情が心の中で渦巻いていた。
そんな私の様子を見てか、それまで会話をただ眺めていただけの男爵がその場には不釣り合いな笑い方をしながら話しかけてきた。
「ははっ、売り渡すなど人聞きの悪い言葉を選ぶとは、あなたはずいぶんとネガティブな考えをしているのですね。」
「……なにがおかしいのですか。それにネガティブな考えではなく、事実を申しているだけです。」
「これは、気分を害されたようで申し訳ない。よく考えてください。あなたはオグル男爵という資産家へ嫁ぐ事ができるし、お父様はお金の心配をしなくて良い。私は子爵家との縁ができる。この縁談はお互いに利のある事ですよ。それに」そこまで言うとオグル男爵は言葉を切り私の方へ近づいてきた。
「あなたも、お父様が困窮するのは困るでしょう?」
私の耳元へ近づき、小声で脅すように告げた。
「あなたは今後、私の隣で座っていれば良いだけです。衣食住には困りませんよ。まあ、私に逆らわなければの話ですが。」
私の中で何か切れた音がした。この男は今までもこうして人を見下し、相手を意のままに扱いながら生きてきたのだろう。
であれば容赦は要らない。ついでに私を売ろうとした父にも。
「分かりました。この縁談を受けましょう。ですが、条件があります。」
「な、何を「父さまは黙っていてください。」父は狼狽えたように私へ話しかけてくるが、正直もう遠慮する必要はないので遮らせてもらう。
「ご理解が早くて助かります。よろしいですよ。その条件とはどのような事でしょうか。」
「……母の許可を得てください。」
「は?」
「ですから、縁談を成立するにあたり我がエリオント家の当主である母に許可を得てください。どちらにしろ結婚する場合、当主の許可が必要ですもの。」
「ペールさんどういうことですか?」ペールとは私の父の名だ。男爵は低い声でそう問いかけながら父を睨みつけた。
「あら、男爵様はご存じではありませんでしたか。もう一度言います。エリオント家の当主は私の母です。うちは領地や事業を持たない子爵家。当主は文官として国に使えるのです。母の場合は長年地方に勤めていますし、社交は全て父へ任せておりますので勘違いされていても無理もないでしょう。」
「リィナやめるんだ!わしの言う事を聞きなさい!」
「いい加減にしてください。お金と私を天秤にかけてお金を選んだのでしょう?なら私も父さまと自分を天秤にかけます。大方、母へは私を男爵へ差し出した後、『リィナがすぐにでも、と望んで男爵と一緒になった』とかいって事後承諾を得るつもりだったのでしょう?父さまには私の結婚の許可権限がありませんものね。」
「だからこうして頼んでいるではないか!わしに恥をかかせる気か!」
「認めましたね?そのようなたくらみをした挙句、人目も憚らずに私へ頼み込んだことによって、ここにいる皆があなたの愚行を知ったのです。当主以外のものが強引に結婚を推し進めたという証人になりますよ。それに、当主の件は男爵様はご存じではなかったみたいですし、そちらに対しての詐欺にも当たります。」
父が私の親である以上、無理やり結婚させても世間ではまかり通ってしまうのが現状だ。家の中で起こったことなど、他人が口を挟めることではないから。
でも、こうして父から事を起こしてくれたおかげで事態が表面化したのだ。エクエス家を巻き込んでしまったことは申し訳ないが、私は表立って反論することができる。
「それにこのまま、侯爵邸へ虚偽の申告をし侵入したと兵士に突き出すこともできるのですよ?まあ、すぐ釈放されるでしょうけれど。」エミリアも援護射撃をしてくれる。
「そんなことをされてしまえば、社交界でつまはじきにされてしまうではないか!」
「父さま、まだ分からないのですか?それだけのことをしているのですよ。」
「……って」
握り拳ををこれでもかというくらい強く握りながら、父は何かぶつぶつ言い始めた。
「わしだって、子爵の当主と結婚しているのだぞ?!アンナの父だって商会の娘と結婚して幅を利かせているではないか!」
「え」
思いがけない言葉が出てきてしまった。場がシンと静まり返ってしまった。私は自分の父がここまで愚かだったのか、と頭を抱えてしまった。
「恐れながらよろしいでしょうか。」沈黙を破ったのは、静かに手を挙げたアンナだった。
「確かに私の父は、商会の娘である母と結婚しました。ですが同時に母の両親と養子縁組しているのです。要は母と父は同列の立場なので権限も優劣がありません。ついでに言いますとうちは貴族相手の商会。父が幅を利かせているのではなく、商会そのものが貴族御用達として認められているのです。父は商会の人間として貴族の方々を相手に誠心誠意を尽くしているだけです。ただ単にエリオント子爵様の威を借りて好き勝手しているペール様とは天と地の差があります。つまり、初めから比較できるものではなかったという事です。」父は口をあんぐり開けて固まってしまった。アンナはぐさりと父の心にとどめを刺してくれたようだ。
「父さま、知っていますか。当主を語り詐欺を働こうとした場合は、たとえ当主の配偶者であろうとも処罰の対象になるのですよ。」
「な、なんだと。そうなれば我が家はどうなるのだ!」
「関係ありません。元々、次の当主は従兄弟に内定していますし、父さまは所詮他家から来た身。せいぜい、離縁し母が独身に戻る以外は何も影響ありません。良かったですね。育て方を間違えた私と、教育を間違った母と離れることができて。それから、こちらはお返しします。どうぞ借金の足しにでもしてください。」そう言い、私はポケットから懐中時計を取り出し、父へと渡した。
「リィナ……お前は、いつからそんな口を利くようになったんだ。」
「前々からです。ご存じありませんでしたか。」
学院に入ってからというもの、家では父と私と数少ない使用人という環境に居たから言い返すような事をしてこなかった。下手に逆らってしまえば学校も退学させられる。学校を辞めさせるとなると、当主ではなくても親という権限だけで出来てしまうから。
「ああ、でも父さまが分かるはずありませんね。私が過呼吸になったあの日以来、私は一度も反論してきませんでしたから。」
学院に入る前は、私は母と一緒に地方で暮らしていた。過呼吸になった時は母と一緒に父へ会いに来ていた時だった。その時の父を見て、教養だけでなく他の勉強もできるよう手配してくれたのは母だった。知識は自分を助けるからと。父がそれに気づいたのは、ひと月前。そして教育を間違えたというあの暴言が生まれたのだ。
「これ以上話すことはありません。これにて失礼します。」エミリアの使用人が呼んでくれた警官隊が到着したタイミングで私、エミリア、アンナは退出することにした。
「男爵様もこの度は父が失礼をいたしました。ここからは警官隊へ話をしてください。ああ、それと父さま。」
「わたくし、出奔いたします。どうぞお元気で。」そう言い父へ背を向けた。
……もうお会いすることもないでしょう。誰にも聞こえない小さな呟きは、警官隊の足音にかき消された。
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