告白剤

塩水アサリ

告白剤

 放課後の校舎裏。

 遠くに聞こえるのは、練習している運動部の声。

 目の前には同学年の女の子。

 告白のために用意されたような状況に、俺――特波傍(とくなみぼう)は、平静を装いながら相手が喋るのを待っていた。


「あの、私……」


 キタ!

 女の子が伏せていた目を俺に向けた。

 ゆっくり口を開く女の子に釣られて、自分も姿勢を正す。


 そしてついに――。


「特波君好きです! この薬、飲んでください!」


 女の子――路峙架琉実(ろじかるみ)は、叫ぶように言った。

 得体の知れない小瓶を俺に握らせながら。


「うん?」

「ありがとうございます! それでは!」

「え、ちょ」


 俺の手に小瓶があるのを確認すると、満面の笑みを浮かべた路峙架は、そのまま走り去っていった。


「……告白、だったんだよな?」


 校舎裏に俺一人。おかしい、これじゃまるで振られたみたいだ。

 彼女の口から、確かに「好き」という言葉は出てきたのに、ハテナしか浮かんでこない今の状況は一体……?


 路峙架琉実はこの学園では有名人だ。

 無造作に下ろされたふわふわの茶髪と、野暮ったい丸メガネ。

 ぱっと見の印象は、地味な女子生徒。

 それをよくよく見てみれば、小柄な体形と優しげな垂れ目が小動物を連想させて可愛いと聞いていた。

 現に今初めて至近距離で会ったけど、確かに可愛かった。

 それはそうなんだけど。


「そもそも、はじめましてだし、な……?」


 彼女が有名なのは容姿のせいじゃない。

 一言で言うと、変人。

 彼女の噂の多さが原因だ。


「両親が海外で研究職に就いているらしい」

「休み時間はノートに何かを書き殴っている」

「入部した理科部は、一週間後には彼女以外の部員が全員辞めた」

「家の地下の実験室で夜な夜な怪しげな実験をしている」


 などなど。

 都市伝説みたいな噂も含まれていてイマイチ信用できないが、こんな噂が立つぐらいだ。彼女が多少変人であることは間違いないだろう。


「初めて告られたのに……」


 顔の前で、もらった小瓶を揺らす。

 中にはショッキングピンクの粒が1つ転がっている。

 これが彼女の言っていた、『俺に飲んで欲しい薬』なんだろう。

 ……。

 …………。


「……返そう。うん。明日返そう」


 人生初の告白なのに。

 ため息をつくと、頭上でカラスが嘲笑うように鳴いた。



 次の日。

 校舎内を散々探し回ったのに、結局路峙架は昨日の場所にいた。なぜか上体を低くして草むらの中に。


「ねえ」

「き、奇遇ですね特波君! これから告白でしょうか?」


 まさか気づかれないと思ったのか。声をかけると、路峙架はビクリと肩を震わせ、ゆっくりと立ち上がった。


「違うよ。君を探してたんだ」

「私、ですか? 告白ではなく?」


 路峙架はなぜか、俺が誰かに告白すると思っているみたいだ。変人の思考は分からない。気にせず昨日の小瓶を突き出す。


「これ返すよ」

「え、飲んでないじゃないですか!」

「当たり前だろ! こんな怪しいもの!」


 思わず声を上げてしまって口を押さえたが、怒鳴られた路峙架は、怯むでもなくドヤ顔をした。


「怪しくないですよ。これは『告白剤』です!」

「コクハクザイ?」

「ええ、告白剤。私が作った素晴らしい薬なんですよ!」


 言われた言葉が処理できていない俺に、路峙架は距離を詰めて話し出す。

 あ……なんかふんわりいい匂いする……。


「なんとこの薬! 飲むと好きな人に告白してしまう代物。シャイでなかなか思いを伝えられない人にぴったりなんです。かくいう私も昨日使ったんですよ。なので人体に問題はありません。安心して使ってください! 水なし一錠。飲んだら口の中で噛んで甘みが広がるくらい待ってください。それから」

「ストップ」


 女の子がいい匂いするって本当なんだなあ、って噛みしめる暇もなかった。

 急に始まった止まらない薬のセールストークを手で制す。

 その勢いから、何度か止めないといけないと思ったのに、予想外にも路峙架はすぐに口をつぐんだ。


「1つ確認してもいい?」

「はい」


 話を遮ったのは俺だけど、よく考えたら女の子にこんな近付かれたことがない。まっすぐに見つめてくるし気まずい。

 顔を背けながら、一歩距離を取る。


「君は……その、俺のことが……好きなんだよね?」


 まさか自分が勘違いナルシストみたいな台詞を吐くときがくるなんて。気恥ずかしさを誤魔化すように、わざとらしく咳をする俺に気にした様子もなく、路峙架は微笑む。


「はい! ですからあなたには、ぜひともお好きな方と結ばれてほしいんです」

「俺の好きな人?」

「一組の白石さんでしょう?」

「え?」

「いいんですよ、分かっています。ですが白石さん、明日転校しちゃうので」

「あ、そうなんだ」

「知らなかったんですか? 手遅れになる前でよかったです!」


 他のクラスの事情に疎いから知らなかった。彼女のファンは悲しむだろう。

 彼女の姿を思い出してぼんやりしていると、中身が増えた小瓶が戻ってきた。


「今入れた薬は告白剤の効果を打ち消す薬です。告白剤を飲んだ後、どうしても無かったことにしたいなら飲んでください」

「いや、俺は」

「ご武運を!」


 デジャブ。昨日と同じく彼女は走り去って行った。


「話聞かねえなあ……」


 俺は別に白石さんが好きなわけじゃない。

 一組の白石さんと言えば、高嶺の花で有名な美人だ。俺も校舎内で見かけると、つい目で追ってしまう。

 だけどそれだけ。テレビで芸能人を見ている感覚に近い。

 そんな彼女にはファンが多い。明日は各教室から泣き声が聞こえてくるだろう。

 それより。


「なんであの子は、俺によくするんだろう」


 完全に空回ってはいるけど、路峙架からは俺への好意しか感じない。

 それが奇妙で、少しくすぐったい。


「告白剤、か」


 小瓶を傾き始めた日にかざす。

 増えた錠剤は水色で、相変わらずショッキングだった。



 ガサリ。

 今日の路峙架も、草むらの陰で息を潜めていた。


「今日もここにいたか……」

「あっ特波君、こんにちは」

「……」

「特波君?」

「……あのさ」


 隠れる路峙架に声をかけるのは2回目だからか、今日は落ち着いている。

 だが今の俺はそんなの気にならない。問答無用。しゃがむと路峙架の両肩を掴む。女の子の肩を急に掴むなと良心は言っているけど、それどころじゃない。


「ひゃっ、え? 特波く、」

「何なんだよあのクッッソまずい塊は!」

 

 俺の剣幕に瞬きをする路峙架。すぐに合点がいったとばかりに頷いた。


「ちゃんと飲んでくれたんですね」

「ああ。俺もよくあんな得体の知れないもの飲んだと思うよ」

「それで告白はどうなったんですか? 成功しましたか?」

「してない。そもそも彼女、午前には出て行ったらしいし」


 彼女のファンのクラスメイトが、クラスが違うから見送りに行けないと嘆いていた。そいつはこの世の終わりのような顔をしていたから、本気で好きだったのかもしれない。

 俺としてはただの報告のつもりだったのに、路峙架は申し訳なさそうに眉を下げてしまった。


「それは残念……ん? あれ? では何故薬を飲んだんですか」

「知りたかったから」


 きょとんとしている路峙架の横にしゃがむ。


「俺、君と接点ないと思うんだけど……どうして好きになってくれたの?」


 薬のインパクトが強かったけど、告白されてからずっと聞きたかったのはコレ。

 横に感じる気配。

 流れる沈黙に、顔を見ていたら確実に堪えきれなくて逃げてしまっていただろう。


「私……」

「うん」

「……特波君の顔に、一目惚れしたんです!」


 ロマンチックな空気が飛んだ。

 絶対に見れないと思っていた顔を、これでもかってくらい見る。


「俺イケメンじゃないよ」

「知ってます! 私は特波君の、その普通の顔が堪らなく好みなんです!」

「ちょっとディスってない?」


 自分は平凡な顔ではあるけど、人に言われるとちょっとイラッとする。

 俺の機嫌は置いてけぼりで、路峙架は語り続ける。


「特波君の顔が好きで、校舎内で見かけるとつい見てしまっていたんですけど、ご友人と談笑しているときの優しげな雰囲気から、ああ、いい人なんだなとますます気になってしまって」


 まるで宝物の話をしているような眩しい笑顔。

 俺みたいな普通の男子学生なんて見渡せばゴロゴロいるだろうに、俺を選んで見てくれていた路峙架の姿を想像すると心がざわつく。

 

「……ですから、特波君が白石さんを目で追っているのは知っていました。その後白石さんの転校の話を聞き、この計画を思いつきました」


 路峙架は肩を落とし、俺をチラリと見た。


「でもごめんなさい。余計なお世話をしただけで終わってしまったようですね」


 俯く姿に、一瞬抱きしめそうになった。

 伸ばしかけた腕に力を込め、取り繕うように自分の頭を掻く。


「俺、別に白石さんのこと好きではないよ」

「えっ! でも目で追って」

「美人がいたら見ちゃうもんだよ」


 ぽかんと口を開けた路峙架が可愛くて、膨らんだ悪戯心から、するする言葉が出てくる。


「ていうか普通、『好きです』の後は『私と付き合ってください』でしょ」

「え? それは先日の私ですか? ……ふふっ、好意を強要するような真似、できませんよ」

「変な薬は飲ませようとするのに?」

「へ、変って! 失礼ですね! 辛味の後に甘味がきて丁度良い美味しさになるように計算尽くされた、完璧な飴玉なのに!」

「ん?」

「あっ」


 口を押さえた路峙架。メガネ越しでも目が泳いでいるのが分かる。

 じっと見ていると、観念したように口を開いた。


「わ、私、認可されてない薬を人様に与える行為はいたしません。ですが計画のために考えて考えて……結果、プラシーボ効果で、飴玉を告白剤だと思い込んでもらおうと思って」


 プラシーボ効果――たしか、効果のない薬でも、効果があると思いこんで飲むと効く、みたいなものだった気がする。


「何入れたの」

「砂糖をベースに、生姜や唐辛子、スパイスなどと食紅を。体が温まってきたら、薬の効果が出てきたと勘違いしてくれることに期待しました」


 たしかに今やたら体が温かい。告白剤、もとい、路峙架特製激辛キャンディのせいのようだ。


「あ、口が気持ち悪いなら、もう1つのほうを舐めてください。味は普通のハッカです」

「口直しは普通の味なんだ」

「ええ、家族にも言われるんですが、私の味覚ってちょっと鈍いらしく、お口直しは無難なほうがいいかなあ、って」

「鈍いってレベルじゃ……」


 あの飴を舐めて美味しいと思えていたのなら、確実に彼女は味音痴だ。

 そこでふと思う。


「一般的味覚で、美味しい告白剤は作れるの?」

「誰かに味をみてもらいながらなら可能かと」

「じゃあそれ、できたら俺にちょうだい」


 立ち上がり、俺を見上げている路峙架を見下ろす。


「いいですけど、飴玉と知った状態では、プラシーボ効果は発揮しないと思いますよ」

「いいよ。ただ背中を押してもらうだけだから」


 首を傾げている路峙架。頭がいいのに、俺の言いたそうなことは、見当がついていないみたいだ。


「次は、路峙架さんの前で服用するからさ」


 少しかっこつけすぎたかと頬をかく。

 数秒後、じわじわ路峙架の目が見開いていく。


(露骨すぎたかも)


 一途で、可愛くて、少し鈍感で。

 変人以外の彼女を知ったのは、ここ三日だけなのに。たった三日で俺の心に住んでしまったこの子に、次は自分から言いたくなった。

 チラチラと路峙架の出方をうかがっていると、彼女は暇していた俺の手を包みこんで、上下に振った。

 

「――私の名前、知ってたんですね!」

「気にするのそこ?」


(ほぼ告白だって気づかないんだな……)


 少しガックリ。でもまだ気づかないなら、気づかないでもいっか。


 ノートに告白剤の改良点を書き出し始めた路峙架。もう頭の中は実験でいっぱいなんだろう、メガネの端から見える目がキラキラしている。

 再び腰を下ろす。彼女の横顔を見ながら、これからは噂じゃない、実際の彼女を知っていこうと密かに誓った。






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