第40話 最後の日々

 それから一週間、俺と瑠璃は時間を惜しむように毎晩語り合った。昔の思い出、琴美の将来のこと、時川さんのこと。俺の老後の心配まで言い出したときはさすがに止めた。まだ早い。


 瑠璃は琴美とも夢で話しているようだった。大事な大事な一人娘だ。話したいこと、話しておかないといけないことが沢山あるのだろう。


 竜二さんにも電話をしていた。もうすぐ居なくなることを伝え、両親を頼むと言っていた。あと、本郷さんを絶対に幸せにするようにとも。言われた竜二さんの困った顔が目に浮かんだ。




 土曜日は一緒に瑠璃の遺品を片付けた。ほとんど手を付けてなかったから、そっくりそのまま残っていたんだよね。


「自分の遺品を整理したのって私が世界初じゃない?」


 とか言って呑気に笑う瑠璃。


 琴美が大きくなったときに使えそうなアクセサリーや小物類なんかは大切に保管した。こういった選別って男にゃ無理だよね。


 洋服も少し残すことにした。流行りとかサイズとかで着れないかもしれないけど、琴美に母親の着ていた服を残してやりたかったんだ。


 中には俺が買ったものもあり、思い出話に花が咲いてなかなか片付かなかった。


 捨てる物もかなりあったのだけど、一つ一つに思い出が詰まっているようで捨てづらい。「うりゃ!」って瑠璃はゴミ袋に放り込んでいたけども。




 日曜日、たぶん最後の料理教室。最後の料理は俺の好物だった『肉じゃが』と『特製餃子』。


 肉じゃがはジャガイモの形を崩さないよう気をつけながら煮る。サヤエンドウを細かくして入れるのが瑠璃の流儀。砂糖、みりん、醤油などの分量もしっかりメモった。


 特製餃子は野菜多め。キャベツとニラ、長ネギ、それとタケノコ。タケノコ多めで歯ごたえを出すらしい。それを豚肉と混ぜて餃子の皮で包み、油多めでしっかり焼く。ちょっと揚げ餃子風が俺の好み。


 夕飯で琴美にも食べてもらったら、とってもイイ笑顔で美味しい!を頂きました。ママの味、これからパパが守っていくからな。




 日曜の夜、少し片付いた部屋を眺めながら瑠璃とホットミルクを飲む。このひと時がとても愛おしく思えた。



「私、もう今晩中には消えてしまうと思う。なんか呼ばれてる気がする」


「瑠璃……」


 覚悟はしていた。していたけどもやっぱり嫌だなと思ってしまう。


「本当はずっとここに居たい。琴美の成長も見守りたいし、もっとコウくんと話がしたい。でもあまり欲張ってはダメよね、元々ありえないはずの幸運だったのだから。私は少し大きくなった琴美と、ちょっとだけオジサンになったコウくんに会えて嬉しかったよ」


 そう言って瑠璃は寂し気に微笑んだ。


「瑠璃……」


 胸が痛い、言葉が出てこない。


「そんな顔しないで。最後は笑ってお別れしましょ?二年前は私の体力が尽きてて満足に言葉を交わせなかったでしょ。それを考えたら凄く幸せなお別れだと思うの」


「……瑠璃、俺はお前に会えて本当に幸せだった。お前と出会えたことが俺の人生最大の幸運だ」


 俺はいつの間にか泣いていた。


「私もコウくんに会えて幸せだったよ」


 瑠璃は目を伏せながら言った。


「瑠璃……」


 何も言えなくなった俺の顔を真っ直ぐ見つめて瑠璃は言葉をつむいだ。


「あなたと出会えて幸せでした。あなたの隣の席に座れて幸せでした。あなたと受験勉強ができて幸せでした。あなたと付き合うことができて幸せでした。あなたの奥さんになれて幸せでした。琴美の母親になれて幸せでした。全部あなたにもらった幸せです、本当に本当にありがとう。言葉では言い表せないくらい感謝してます」


「これでさよならです」と言って瑠璃は泣いた。


 笑ってお別れなんて出来るわけがなかった……。



 最後に琴美と夢で話してから消えますと言って瑠璃は立ち上がった。俺は泣きながらその背中を見送った。


「瑠璃、俺は一生お前を愛している。それだけは何があっても変わらない。俺を好きになってくれて、俺を見つけてくれてありがとう」


 俺は最後に心を込めて瑠璃の背中に告げた。


「……コウくんみたいなイイ男にそんなことを言ってもらえるなんて、女冥利に尽きるわね」


 そう言った後、瑠璃は振り返って笑った。――最後の笑顔は涙に濡れていた。




 翌朝、一睡もできなかった俺の前に、琴美が泣きながら起きてきた。


「ママがいなくなった……」


 寂しそうに言う琴美を、俺はただ黙って抱きしめた。


「ママかえってくる?」


「……ママはもう帰ってこれないんだ。でも琴美のことは、これからもずっと見守ってくれているから」


 気休めしか言えない自分に腹が立つ。


「ママにあいたいの」


 そう言って琴美はまた泣き出した。


「そうだな、パパも会いたいよ」


 俺は一緒に泣いてやることしか出来なかった。



 しばらく二人で泣いた後、琴美を椅子に座らせた。


 琴美は夢で瑠璃と色々話したようだ。小学生になったら、先生の言うことを聞いてお勉強もちゃんとすると約束したらしい。家のことも出来ることから手伝うと言ってくれている。なんだか少し琴美が大人びた気がした。


 あと、『機密書類』は消すようにと伝言を頼まれていた。「必ず消します!」テーブルに打ち付ける勢いで頭を下げた。


 最後に「パパのことよろしくね」と言って瑠璃は消えて行ったらしい。まったく最後の最後まで心配しやがって……。




 会社の昼休み、前日の肉じゃがと餃子の失敗作弁当を小会議室で一人で食べた。食べながら泣いてしまうのがわかっていたので。


 目敏い女子社員に、目を赤くしているのを気付かれた。何も言ってこなかったので助かったが、驚いた顔をしていた。




 こうして、瑠璃のいない生活が始まった。

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