第34話 別視点 4―2

 俺は松島竜二。


 話をするのは苦手だが……もう少し話す。



 京香が俺の母親とすっかり仲良くなった。長年の友人のようにふざけ合っている。母さんも瑠璃がいた頃のように笑顔が多い。


 いつの間にか、結婚したらこの家で一緒に住むことになっていた。俺の職場はここなので構わないのだが、京香の仕事場からは遠い。


 大丈夫なのかと聞いたが、スポーツジムは辞めるらしい、一緒に農園で働くと言っている。母さんたちはとても喜んでいる。


 家の中が少し明るくなった気がした。




 ある日、京香から除霊の仕事を手伝ってほしいと連絡があった。


 指定された現場に行ってみると、古い平屋の家に猫の霊が憑りついていた。


「猫か、厄介だな」


『猫は家に付く』と言われるほど、住処すみかへの執着が強い。ましてや動物の霊は、人間の霊のように言葉で説得することが難しい。



「本郷さん、竜二さん、ご足労頂きありがとうございます」


 少しヨレた背広を着た中年の男が俺たちに近づいて来た。井上不動産の二代目社長、井上昭三54才。長身で瘦せ型で猫背。目の下の隈が濃い。婿養子なので気苦労が多いに違いない。


「井上さん、早速ですが中を見せてください」


 挨拶もそこそこに家に入る京香。ドアを開けた瞬間から猫の霊が俺たちを威嚇してくる。鋭い牙だ。


「前の住人が風呂場で孤独死しまして、飼っていた猫もそのまま餓死してしまったようなのです。風呂場のリフォームをしたいのですが、猫が歩いている音や、爪を研ぐ音がするらしくて、リフォーム業者も怖がって仕事ができない状態でして」


「なるほど……しばらく私たちだけにしてください」


 京香に言われ、そそくさと出て行く井上昭三。気味が悪いらしくあまり長居したくないようだ。


「猫ちゃん、ちょっと待っててね」


 などと言いながら、除霊のための道具がいくつも入っているリュックを漁る京香。そして猫缶を三つ取り出した。猫の好みに合うよう『まぐろ』『まぐろ&ささみ』『かつお』の三種類を用意していた。流石だ。


「食べてねー」


 猫缶をパカリと開け並べる。猫の霊が臭いを嗅いでいる。臭いはわかるのか?


 しばらく臭いを嗅いでいた猫だったが、急に浴室に向かって走り出し、閉まっている浴室のドアをガリガリと掻きだした。


「飼い主がまだそこにいると思っているのね」


 大事にされてきたのだろうな。猫は死んでしまったあるじが心配でこの家に憑いていたようだ。


 京香は浴室のドアを開けて、誰もいないことを教えようとする。


「あなたの大事な人はもういないの。きっと向こうで待っているから、あなたも行きなさい」


 静かに優しく語りかける京香。猫も大人しく京香を見ている。


「……」


 ニャーンとでも鳴いたのだろうか、猫は一度だけ口を開けて鳴くそぶりをした後、フワリと浮かび始め、少しずつ薄くなっていった。


「さようなら、猫ちゃん」


 京香はそう呟き、初めて会った日と同じ少し寂しそうな微笑を浮かべた。その顔に俺は見惚れた。


「あっ!」


 京香の驚いたような声に我に返る。その視線の先を追うと、いつの間にか80くらいのお婆さんが立っており、両手を広げて猫を迎えていた。猫はお婆さんの腕の中に飛び込み頭をこすりつけている。ゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえてきそうだ。お婆さんも嬉しそうな顔で猫を撫でていた。


 しばらく見ていると、猫とお婆さんはスッと消えてしまった。



「よかったね……」


 涙ぐみながら笑顔を見せる京香。またしても見惚れてしまう。


 あぁ、俺はこの女に惚れているのだな。今更ながらにそう思い知らされた。





「きょうはドラくん、役に立たなかったね」


 帰りの車の中、実はちょっと気にしていたことをズバリ言われた。


「……猫は苦手だ」


 猫は考えていることがよく分からん。犬と猿なら得意だ。


「きょうは報酬なしです」


 いつも報酬を払っているかのような口ぶりだ。一度も貰ったことはないはずだが。


「瑠璃さん、どうしてるかな」


「まだこっちに居るんじゃないのか?」


 急に話題が変わるのはいつものことだ。


「大丈夫かなぁ……」


「須崎くんが何とかするだろ」


 瑠璃が何を思って戻ってきたのか、話してくれなかったので分からないままだった。まあ瑠璃のことだから、大好きな須崎くん関連だろうとは思うが……。


「生きてるうちに知り合いになっておきたかったな、瑠璃さんと。仲良くなれたと思うんだよね」


 少ししんみりと話す京香。……これはアレか?もっと早くに会わさなかった俺に対するクレームか?


「すまない」


 とりあえず謝っておく。


「別にドラくんを責めたわけじゃないわよ?」


 違ったらしい。


「どこかで晩飯にするか」


 そろそろ腹が減ってきたし、京香のお気に入りの店にするか。


「んーん、松島家に帰る。お義母さん、きっと晩御飯用意してくれてると思うし」


『帰る』という言葉は少し嬉しい。


「そうか」


 俺はただそう言ってハンドルを右に切った。京香は黙ってシートに深く座った。


 ビル・エバンスの優しいピアノの音色が車内を満たしていた。まあこれも京香の好みに合わせているだけなのだが。




 ◇◇◇◇◇


 なんだかんだ言って、京香にベタ惚れな竜二くんでした。

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