第32話 別視点 2―2

 私の名前は大島豊、都内の中堅商社の営業部長だ。


 だがそれは世を忍ぶ仮の姿。本当の私は、この会社の真の支配者である女帝・石野さまの忠実なる下僕。石野さまのご命令を完遂するためだけに生きていると言っても、もはや過言ではない。


 勘違いしてほしくないのだが、弱みを握られて嫌々石野さまに従っている訳ではないのだ。最初こそそうだったかもしれないが、今ではあのお方に心酔している。


 凛とした中にも色気を漂わせ、時々お見せになる微笑はまるで少女のようにあどけなく、その声音は軽やかな鈴の音のごとく、その涼やかな眼差しは甘美な痺れすら伴う。


 私は齢50を過ぎ初めて心からお仕えするべき主君に出会えたのだ。あのお方のためなら何時でも命を投げ出せる!



 おっと、いかんいかん、こんなところで身悶えている場合ではない。石野さまに呼ばれていたのだ、下僕が主人を待たせるなど万死に値する行為であろう。



「お待たせしました。ご用件は?」


 早歩きしたせいか少し息を切らしながら石野さまの前に立つ。あぁ、今日もふつくしい……。


「ごめんなさいね急に呼び出して。須崎さんにこれを渡してほしくて」


 そう言って差し出された白魚のような御手には二枚のチケットがあった。


「遊園地のチケット、ですか?」


「そう、お食事会のお礼です。お子さんと楽しんできてもらいたいの」


「おぉっ!なんとお優しい!」


「と言うのは建前で、実はこのチケット、今度の土曜までが有効期限なの。つまり須崎さんが子供を連れて行くとしたら土曜しかないわけ。そしてこれから同じチケットを時川さんにも渡します。つまり須崎さんと時川さんの距離を縮める作戦なの」


「おぉっ!そんな意図が!」


 何という大胆な作戦であろうか!


「もちろん須崎さんには内緒よ。須崎さんのことだから、亡くなった奥さまに義理立てして、他の女性との接触は避けようとするでしょうし」


「なるほど。しかしなぜ時川君を?」


「この前の件で、時川さんの須崎さんに対する好感度がかなり高まっていると私は見ているの。絶体絶命のピンチに颯爽と現れ救ってくれたのですもの、無理もないと思うわ。大島さんも前におっしゃってたでしょ、今の状態では須崎さんのポテンシャルは充分に発揮されないって。だから発揮できるようにしてあげたいのよ。時川さんと一緒になって家庭が安定すればそれが可能になるわ。もちろん時川さんもそのまま働き続けてもらえれば良いでしょ?あの子も優秀なようですし」


 そこまで考えておられたとは……。


「あとはそうねぇ、時川さんにはお礼のつもりでしっかり接待しなさいとでも言っておけば良いでしょう。二人とも若いのだから、状況さえ作ってあげれば自然とそうなるんじゃないかしら?」


 意外とざっくりした作戦だと思ったが、石野さまのことだ、もっと深い思惑もお持ちに違いない。であるならば主人の意向に沿うべく動くのみ!


「わかりました。一命に代えましても必ずやお届けします」


「フフッ、大島さんはいつも大仰な言い方をしますわね」


 おおっ!石野さまに微笑んで頂けた!なんという僥倖。


「しかし石野さま、遊園地に行く日が土曜というだけでは時間がずれて会わずじまいということも考えられますが?」


「でしたら夕方からパレードがあるから、行くのは午後からにした方がいいと伝えていただけませんか?時川さんには午後から入り口で待つよう伝えますので」


「わかりました。ではそのように」


 完璧だ。石野さまのこの完璧な作戦、必ずこの大島が成就させてみせましょう。


「あっ、ちょうど良かった。時川さんもいらしたようですね」


 石野さまの視線の先に、小走りで近づいて来る時川君。そうだ、良い心がけだ、石野さまを待たせてはならないぞ。


「お待たせしました、ご用と伺いましたが」


「時川さん、あなたに重要な使命を与えます」


「使命?」


 いきなり本題に入った石野さまと少し戸惑う時川君、美女二人が並ぶとなかなか絵になる。


「今度の土曜日、遊園地で須崎さん親子を接待なさい。特に娘さんをしっかり楽しませるように。土曜は出張扱いにしますので、別の日に代休が取れるよう大島部長が取り計らってくれます。良いですね」


「須崎さん、親子をですか?」


「そうです。相嶺さんの件、会社としてもたいへん重く見ています。今後同じようなことを起こさないためにも、お手柄の須崎さんをもてなす必要があります」


「えっと……なぜ私が?」


「もちろん他の人でも構いません。あなたが嫌だと言うのであれば、別の女性社員に任せます。きっと喜んで受けてくれるでしょうね、なんと言っても須崎さんに近づけるチャンスでもありますから」


「―っ!?……わかりました。須崎さん親子の接待役、謹んでお受けします」


 石野さまの言葉に衝撃を受けた時川君は、少し考えるような仕草をした後、意を決したように返答した。


「謹んで受けてもらっては困るの。喜んで受けてもらわないとね」


「も、もちろん喜んで……お受けします。助けていただいた恩もありますし」


「そう、なら良かったわ!頑張ってね!」


「は、はいっ!」


 石野さまの『頑張ってね』に色々な意味が籠っていると感じたのは私だけではないだろう。


 私はその後すぐ須崎君にチケットを渡すためにその場を離れたが、石野さまと時川君はしばらく二人で綿密な打ち合わせをしていたようだ。営業部に戻ってきた際の時川君の目がギラついていたのが少し怖かった。見なかったことにしようと思う。




「――このチケットは今度の土曜で有効期限が切れるから、早めに使わないといけなくてな」


「はあ、では土曜にでも行ってきます。琴美も喜ぶと思いますし」


「そ、そうか!良かった。石野さまからのご厚意を無駄にはできんからな。そうそう、夕方からパレードがあるそうだから、行くなら午後からの方が良いらしいぞ。では渡したからな。うん、良かった」


 須崎君にもチケットを無事渡すことができた。午後から来るようにする誘導も完璧だ。須崎君は何の疑いもなく土曜の午後、遊園地に来ることだろう。


 私は完璧に役目をこなした。石野さまにこのことを報告し、お褒めの言葉を頂くことにしよう。




 私の名前は大島豊、石野さまの忠実なる下僕にして中堅商社の営業部長。今後も石野さまの手足となり、石野さまの願いを叶えるべく奮闘することだろう、この命ある限り……。




 ◇◇◇◇◇


 再びの大島部長視点のお話でした。


 どこからも要望はなかったのですが、個人的に好きなキャラでして……。

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