第16話 アルバム
瑠璃の兄、竜二さんがリビングにヌッと顔を出して何も言わずに引っ込んでいった。
おかげで松島家のリビングは、居心地の悪い空気が漂っていた。
「ほんと、誰に似たのだか……」
お義母さんは、困ったような表情で
やめてください、この状況で俺に気の利いたことなんて言えませんよ!ハハハハッと乾いた愛想笑いをして誤魔化す。
竜二さんは別に引きこもりという訳ではない。実家の果樹園で働いているし、買い物に街へ出かけることもあるらしい。ただただ無口なだけだ。瑠璃曰く「自分と他人との間に見えないバリアを張っている」とのことだ。
全員で晩御飯を食べる時も、竜二さんは一言も喋らなかった。ただ時々、こちらをチラリと見てくるのが少し気になった。食べ終わると竜二さんは何も言わずに部屋を出て行ってしまった。
「琴美ちゃん、お祖母ちゃんとお風呂に入りましょう!」
「入るーっ!」
琴美がお義母さんと一緒にリビングを出て行った。でも待って、そうするとこのリビングは俺とお義父さんだけになってしまう。お義父さんも竜二さん程ではないけど、あまり喋らない人なんだよな。
「瑠璃のアルバムでも見るかい?」
気まずそうな俺を気遣ってか、お義父さんが瑠璃のアルバムを持ってきてくれた。
「これは生後一か月の頃だな」
そう言ってアルバムの最初のページの写真を懐かしそうに撫でるお義父さん。写真の中の瑠璃は、今よりも若いお義母さんに抱かれて幸せそうに眠っていた。
「琴美の小さい頃にそっくりですね」
同じような写真がうちにもある。瑠璃が生後間もなくの琴美を抱いている写真。俺の宝物の一つだ。
「これは幼稚園のお遊戯会でカメレオンの役をしたときだな。瑠璃の動きが可笑しくて、保護者たちが大笑いしていたな」
カメレオン?なにその斬新なお遊戯会。俺はお遊戯会の内容が気になったが、お義父さんの説明を邪魔してはいけないと思い黙っていた。あとで瑠璃に聞いてみよう。
「これは小学3年の頃だね。よく男の子と間違われたもんだよ」
写真の中でニカッ!と笑いながらピースサインをする瑠璃。説明しているお義父さんの声が少し震えているのに気づいた。
この人も俺と同じような気持ちで、この二年間を過ごしてきたのだろうな。そう思ったら一緒に酒でも飲みたい気分になった。
できることなら、瑠璃が今この家に居ることを教えてあげたい。一度瑠璃と相談してみよう。
「どれも俺の知らない瑠璃ですね。しばらく借りてていいですか?」
これ以上、涙目のお義父さんに説明させるのは酷のような気がした。
風呂からあがったお義母さんと琴美が桃を持ってきた。『清水白桃』という品種だそうで、果汁たっぷりでほどよい甘みが人気の桃らしい。
「おいしー!」
口周りと手をベトベトにしながら丸ごと一個食べている琴美。いい笑顔だ、CMの出演依頼が来ても不思議じゃない。
「明日はお墓参りに行きましょうか」
お義母さんが明日の予定を話す。帰省したのだから亡き妻の墓参りに行くのは当然だ。その亡き妻本人が、いま目の前の娘に憑いているとしても。
瑠璃の遺骨は松島家の墓に入っている。須崎家の墓に入れるのが本当なのかもしれないけど、今の須崎家の墓には瑠璃の知り合いが一人もいない。だったら、大好きなお祖母ちゃんと一緒のほうが良いだろうということになったのだ。
琴美は桃を食べて満足したらしく、そろそろ眠そうな目をしている。きょう一日でけっこう歩いたしな、さすがに疲れたのだろう。
「琴美ちゃん、そろそろ眠い?今日はお祖母ちゃんと一緒に寝ましょうね。須崎さん、私たちももう寝ますね」
「はい、自分は瑠璃のアルバムをもう少し見ています」
義両親は明日も果樹園の仕事があるので、早めの就寝となった。
しばらくリビングでアルバムを見ていると、ドアが開く音がして、いつものパジャマ姿の琴美が入って来た。
「瑠璃、お義母さんは大丈夫?」
「うん、お母さんは一度寝たら簡単には起きない人だから」
そう言いながら俺の隣に座る。
「桃、食べるか?」
「食べたい。でもさっき琴美が丸ごと一個食べてたから、お腹は一杯なのよね。一口だけ食べていい?」
「残りは俺が食べるよ。ちょっと待ってて」
テーブルの上に置いてある桃の皮を剥く。指でスルスル剥けるのでけっこう楽しい。
剥き終わった桃を瑠璃の口元に持っていくと、自分で持とうとせず齧り付いて来た。
「ん~っ、美味しい。懐かしい」
俺の手がベトベトになった。まあ嬉しそうな顔しているから良しとしよう。
「瑠璃、ご両親に話さないのか?」
瑠璃が戻ってきていることを、義両親にも教えてあげたいと俺は思った。でも決めるのは俺じゃない。
「……話さない。信じないだろうし、信じたとしてもすぐお別れだし」
瑠璃は少し考え、ゆっくり首を横に振った。
「でもなぁ……」
「娘との永遠の別れを二度も体験させたくないのよ。ただでさえ親不孝したと思っているのに、これ以上辛い思いさせたくない」
「……そうか」
「うん、ごめんね」
「別に謝ることじゃないだろ」
本人がそう言っている以上、俺にはどうしようもない。瑠璃の意思に従うだけだ。
「それ私のアルバム?」
「ああ。赤ちゃんの頃の写真もあるぞ」
瑠璃の実家で瑠璃と一緒にアルバムを見る。出来れば瑠璃が生きているときにそうしたかったと少しだけ思った。
しばらくアルバムを見ていると、リビングのドアが開いた。誰だろうと見ると、そこには竜二さんが立っていた。180は余裕で越えている身長に加え、がっしりした体格をしているので、黙って立っていられると正直威圧感が半端ない。夜道で会ったら悲鳴を上げて逃げてしまうだろう。実際、空手とか柔道とかの有段者らしい。
水でも飲みに来たのかと思ったが違ったようだ。竜二さんは俺たちの前まで来ると、俺たち二人の顔をジッと見つめた。そして――
「久しぶりだな、瑠璃」
そう言ったのだった。
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