第15話 別視点 2

 私の名前は大島豊、都内の中堅商社に勤めるサラリーマンだ。営業部の部長として日々数字と格闘している。


 同期の中では出世頭と呼ばれているが油断はできない。営業部は数字が全て。売り上げが下がればその責任は全て私が負わなければならないのだ。


 日々ストレスを抱えながらも家族のために頑張っている、そんなどこにでもいる男だ。



 私が束ねる営業部には三つの課がある。営業一課、営業二課、営業企画課だ。


 営業一課は国際事業部と言ったほうが分かりやすいだろうか。主に海外の顧客を相手にする部署だ。


 営業二課は国内が主戦場。数字に追われ、もっとも忙しい部署と呼ばれている。


 営業企画課は営業戦略を考えるというのが表向きの仕事だが、当社ではもっと上の幹部たちが営業戦略を立てるため、そのアシスタント的な立場になる。どちらかと言うと、営業一課、二課の営業活動をフォローすることが主な仕事になるだろう。まあ営業に関する何でも屋といった側面が強い。


 以上の部署を束ね、時に競わせ、時に団結させて売り上げアップを目指すのが、私の主な役割ということになる。



 そんな営業部で、私が特に気にかけている部下が二人いる。


 一人は営業企画課の須崎浩太主任。営業力は部内屈指、顧客からの信用もあり、同僚からの信頼も厚い。実際、須崎君がフォローに付いたプロジェクトは成功率が一気に上がると言われている。現場の営業マン同士で須崎君の取り合いが起こっているほどだ。


 ただ残念なことに、少し前に奥さんを亡くし幼い娘を育てているため、今はその力を十分に発揮できない状況だ。それでも彼ならば近い将来私の右腕になってくれるだろうと期待している。そして行く行くは部長の椅子を継いでほしいとも考えている。その頃私は専務あたりだろうか。


 まあ今は、これ以上彼に負担を強いることはできないだろう。本来の須崎君に戻るには、もう少し時間がかかるかもしれない。



 もう一人は相嶺麗香君。彼女は最近力を付けてきたらしく、私が急遽頼んだ仕事も嫌な顔一つせずこなしてくれる。書類作成の腕も見事なものだ。おまけに率先してお茶汲みまでしてくれるのだ。時代的に頼みにくいので助かっている。

 ただまあ、あの香水だけは何とかならんものだろうかと思ったりもする。セクハラに抵触するので言えないが。


 そして彼女、どうやら私のことが好きらしい。何度かアプローチされたし、勘違いということはあるまい。

 だが私は妻を愛している。子供たちも微妙なお年頃だ。もし私が浮気などしていると分かれば家に戻れる気がしない。普段優しい妻も怒るとかなり怖いということも知っている。


 あまり強く拒絶すれば相嶺君の仕事に対するモチベーションまで下げてしまう可能性があるので、『気にかけている』という態度は崩さないようにしている。正直なところ、若い子に言い寄られて悪い気はしない。



 だがある金曜日、そんな私の浮ついた気分を一気に冷まさせる事件が起こった。



「部長、お茶が入りました」


「いつも悪いね、相嶺君」


 いつものように相嶺君がお茶を入れてくれた。いつものように目の前に湯呑みが置かれるのを待っていると、頭に強烈な熱を感じた。


「うおっ!何だ!何をするんだ相嶺君!」


 私は咄嗟に立ち上がり、それ以上お茶をかけられるのを防いだ。なかなかの反応速度だと自分でも思った。まだまだ若い者には負けん。


「あっ!す、すみません!ちょっとボーっとしてて」


「ボーっとしてたら私に頭からお茶をかけるのか!」


 これはアレか?アプローチに応えなかった腹いせか?にしてもやり過ぎではないか?下手をすれば大火傷おおやけどだぞ?と言うか毛根にかなりのダメージが入ったのではないか?


 騒然とする部内、視線が私に集まる。これは良くない、そう思いこの場を収めることにした。


「もういい!よく分かった。誰か拭くものを!」


 相嶺君は真っ青な顔をしていたが、さすがに笑って済ませられるものではないだろう。



「すみません大島部長、いま大丈夫ですか?って、なんで頭そんなに濡れてるんですか?」


 私がタオルで頭を拭いていると、場違いなほどのんびりした声で須崎君がやって来た。


 あれ?今の状況、見て分からない?とも思ったが、皆の意識を逸らすにはちょうど良かった。


「前回使用したプレゼン資料なんですが、見直していると少し疑問点がありましてですね、今後のことも考えて、出来ればご説明頂きたいのですが」


 何故か棒読みの須崎君が差し出した資料には見覚えがあった。


「ん?ああこれか。この資料は良くできていたな。相嶺君、須崎君が聞きたいことがあるそうだ。説明したまえ」


 先ほど私を殺そうとしてきた相嶺君が駆け寄ってくる。その姿に少し恐怖を覚えたのは内緒だ。


 須崎君が資料の内容について質問しているが、相嶺君は何故か答えられない。それにしても須崎君、なんでそう台詞口調せりふくちょうなんだ?


「あれ?分からない?おかしいな、この資料を作成していたならすぐに答えられるはずなのに……もしかしてこの資料、違う人が作ったのかな?だとしたらその人を呼んでもらえますか?」


 話がおかしな方向に進んでいるな。あの資料の作成者は相嶺君ではないのか?違う人?そんなことがあり得るのか?


「相嶺君、これはきみが作成した資料ではないのか?」


 私が直接聞いてみるも、相嶺君ははっきりと答えない。そうしているうちに、入社二年目の時川君が目の前にやって来た。普段控えめで大人しい時川君が、この混沌の中心に足を踏み入れたのは何故だ?


 まさかと思ったが念のために聞いてみる。


「もしかしてこの資料を作成したのは君か?」


「はい……」


 なんという事だ!一体どうなっているのだ?


「とりあえず時川さん、先ほどの質問に答えてくれるかな?」


 少しパニックになっている私をよそに、須崎君は冷静に時川君と話をしている。時川君は須崎君の質問に淀みなく答えている。どうやら本当に資料は時川君が作ったものらしい。

 だとすれば、これは大問題だ。黙って看過できることではない。


「……相嶺君、少し話がある。ついて来なさい」


 私は相嶺君を別室に連れて行き、詳しく事情を聞くことにした。





「一体どういうことなんだ?あの資料は相嶺君に頼んだものだよな、なのに時川君が作成していた。しかも作成者は相嶺君になっている。ちゃんと説明したまえ」


 私はなるべく口調を荒げないよう気を付けながら相嶺君に詰問した。だが相嶺君は体をブルブル震わせるばかりで答えようとしなかった。これは決まりだろう。時川君に自分が頼まれた仕事を押し付け、更に手柄を横取りしていたのだ。


「これまでも同じようなことをしていたのだな?隠してもどうせ後で全部分かることだ。自分の口で説明しなさい」


 さすがに観念したのか、相嶺君は少しずつ自分のやっていたことを話し始めた。そしてその内容はとても信じられないものだった。


「……では君は普段、なに一つ仕事をしていなかったという事だな?どうりで頼んだことにすぐ取り掛かれたはずだ。しかもそれすら時川君に丸投げしていたとは」


「すみません、すみません、すみません、すみません……」


 相嶺君は謝罪の言葉を、うわ言の様に繰り返していた。


「今更謝られてもどうにもならんよ。この件は上に報告せざるを得ないだろう。言っておくが、私は君を庇うつもりはないからな。もはや君一人の問題ではない。私や山崎課長の管理責任も問われることになるだろう。まったく、とんでもないことをしてくれたものだ!」


 いかんな、最後は吐き捨てるように言ってしまった。まだまだ私も青いということか。


 その後、時川君にも状況を確認して、営業二課の山崎課長と今後の対応を話し合った。もちろん隠ぺいする気などない。きちんと報告し、然るべき処分をしなければならない。


 もっとも、営業部のほとんどの人間が知ってしまっているため、隠ぺいもクソもないがな。……なるほどそうか、どうやら須崎君は最初から知っていたのだな。だから敢えて営業部全員に知らしめるためにあのタイミングで質問してきたのだろう。なかなかに策士だな。そして大根役者だな。


 私はその後すぐ上層部に報告、指示を仰ぐことにした。結果、今回は大事に至る前に未然に防げたということで、私と山崎課長の管理責任までは追及されずに済んだ。


 結果的に私は須崎君に助けられたようだ。時川君がもし体調を崩したり精神を病んでしまったりしていれば、間違いなく管理責任を追及され、私のこれまでの努力は水泡に帰したことだろう。


 良くて閑職への移動、下手をすれば地方支社へ左遷。そしてそこの社員たちに煙たがられ、ただ静かに定年を待つ身となっただろう。考えただけでも震えてくるな。須崎君には改めてお礼を言っておかねば。



 相嶺君についてだが、解雇や退職勧告は何かと問題になるため、総務課に移動させて厳しく教育してもらうことになった。耐えられず自主退職するのであれば、それはそれで……ということだ。



 私は総務課の女帝・石野君に事の次第を説明し、相嶺君の指導を頼んだ。


「相嶺さんね、確か大島部長の愛人とか噂されている人でしたわね」


 石野君、すました顔でとんでもない事言ってきやがった。


「違うからね!そんな関係じゃないから!」


「フフフッ、分かってますよ、大島さんにそんな度胸の無いことぐらい。大丈夫、この噂は私の所で止めてます。上層部には流れてはいませんので安心してください」


 私の所で止めている――つまり、いつでもこの噂を上に流すことができるということだ。ああ、これで私も石野君には逆らえなくなった。


 今回問題を起こした相嶺君と私が不倫関係にあったという噂、実際に不倫していたかどうかは問題ではない。そう周囲に見られていたというのが大問題なのだ。実際、山崎課長は噂を信じて相嶺君の行状を見て見ぬふりをしていたからな。


 完全に弱みを握られてしまった。こうして配下を作っていっているのであろうな、さすが女帝だ。



「それにしても、須崎さんでしたっけ?なかなか見所ありそうな方ですね。一度お話してみたいわね」


 石野さまは須崎君に興味が湧いたご様子だ。


「わかりました。近々セッティングします」


 私にはこう答えるしかなかった。すまん!須崎君、後は頑張れ!



 ◇◇◇◇◇



 大島部長視点のお話でした。


 書いているうちに楽しくなって、どんどん長くなってしまいました。


 今回で別視点シリーズは一旦終了です。明日から通常の話に戻ります。

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