二十一話
唐突な爆風で吹き飛ばされたアスターの更に後方にまで焼け千切れた触手は散らばった。軈て息絶えていくそれを横目に彼は脚を引き摺りながら火炎立ち昇る爆発地点へ。
黒煙と焦土に巻かれ倒れ伏していたコラスに近寄り彼を抱き上げたアスターは、後悔や怒り、全力を出し切って敗北した実感――湧き上がる感情を噛み殺しコラスを救出した。
ア「小僧、もう十分だ……俺達はよくやった。誰も俺達の事を責められやしないさ。――帰ろう、仲間が待ってる」
アスターは正面から大きく破損した鎧を取り払いながら自らにも言い聞かせるようにそう呟いた。彼の理想に仲間を背負って弱々しくも敗走する様など描かれている筈もなく、彼はこの敗北を経て自らの限界を知った。
片やコラスは重装備を着せられて戦闘機で送り出された意図を、身を以て体験して尚平然としていた。流血や火傷を負った彼だったが、防具の破損具合はそれ以上に残酷な結末となっていた可能性を物語っていた。
まずは生きている事と辛うじて掴み取った手柄を噛み締め、二人は芯まで軋む身体に鞭打って退却していく――残された左腕の異形への警戒心など既に無くなっており、彼等は背後から迫るものが熱波のみであると緩み切っていた。
アスターが片脚を引き摺ったその僅かな間に結界の外がまるで早送りされた動画のような動きを見せ、次の瞬間には頻りにランドマークへと落雷が降り注ぎ視界不良を起こす程の豪雨となっていたのである。
一体何が起きたのか――混乱したアスターが周囲を見回すと先程まで赤々と燃えていた炎は燻ぶりさえ残さず鎮火し、左腕の異形は姿を消していた。
巻き起こった事象を理解しようとするよりも降り頻る雨がコラスの健康を害する事への心配を優先したアスター。気温も下がる中でこれ以上雨に打たれないよう、余力を最小限の雨避けへと回した。
其処は動けない自分を担いでいつか歩いた道――襲いくる異形を蹴散らしては理想と現実の狭間で辟易した過去から目を逸らすべく、彼はコラスに声を掛け続けた。しかしそれも一晩が過ぎ去ると無口になり、彼は体力が回復した後も暫く徒歩で帰る事を選んだ。
時間を掛けて小キャンプへと着く頃にはコラスも自力で歩いていて、アスターも身体的な戦いの疲労はとっくに回復していた。
作戦開始時に置いたままとなっていた飲みかけのコップは雨水で溢れ返り、中はすっかり透明になっていた。未だ空を覆う重厚な雨雲から稲光りが消え去った今、迎えの飛行車両など待たずとも彼等は空を飛んで早急に帰還を果たせた。
コ「帰らないの?」
キャンプで時間を潰すアスターへ率直に投げ掛けられた疑問。アスターが励ましの際に仲間を想起したようにコラスにもザ・サミットへ帰り会いたい人物がいた。
彼の疑問に返された返事はたった一言――「ああ、そうだな」と、それだけだった。その後もアスターには一向に出立の気配が見られず、二人は小キャンプで陰湿な夜を迎える事となった。
それは成るようにしかならない濁流の反抗なのか雨雲の気慰みか、テントの中の静寂にまで干渉してくる瀑声宛らの轟音に寝付きの悪い夜。右に左にと寝返りを打つコラスの様子を察知したアスターは、翌朝語ろうと考えていた事柄を話し始めた。
ア「小僧を担いで歩き出したあの時、急に天気が変わっただろ。すぐには理解出来なかったがあの日の夜、俺は拠点に戻って……そこで見てきた。俺達以外の世界は約一年が経った。俺達の感覚では一瞬だったが、他の奴等はそれくらい経ってたって事だ」
退却を始めて最初の一晩を明かしてから自身やコラスを励ます言葉が出てこなくなっていたのは、ザ・サミットの変貌ぶりをその目で見てきたからだった。アスターが全てを知った夜、拠点で目を覚ました彼の側には目を覚まさなくなった彼を慮り介抱していたフルートと、あの人面がいた。
フルートは傍で、人面は扉に密集し張り付いて両者共に寝ているのを目の当たりにした彼は、地下に居ながらにしてザ・サミットが置かれている状況を察した。
ア「ほぼ間違い無くザ・サミットは陥落しているだろう。たった一年であの能力に勝てる手段を獲得しているとも思えんしな。……小僧、明日の早朝拠点に帰る。そうしたらお前は必要な物を揃えて出て行け――誰に何と言われようとな」
もしも左腕の異形の能力をコラスが完全に無効化していたなら、或いは懿卡護様を倒せる可能性がある現状唯一の能力とその所有者に彼が決別を告げる事も無かったかもしれない。彼の中でこの戦いは決着していたのだ。
雨脚が衰えを知らずに一晩中降り注ぎ、次第に昼行性の異形達が目を覚まし出した夜明け前。朝食をそそくさと済ませて出立の準備をするコラスとは対照的に、アスターは起床してからずっと断崖の先に広がる水没林を眺めていた。
準備が整ったのに合わせて飲み干され空となったコップは食器洗浄機の中へ。それが洗い終わって新品同然となり食器棚へと収められるまでを確認する事なく、二人は小キャンプを後にした。次にこのコップを使う者が現れるのは果たしていつになるのか――アスターは少なくともそれが自分ではない事を確信していた。
吸収し切れなくなった雨水が幾つもの滝となって水没林へと流れ込む連峰。子を乗せた一羽の鳥は敢えてそこから先が見えぬように飛行して山岳へと接近し、中腹から山肌に沿って上昇していった。
その鳥は山頂が迫るにつれて速度を緩め、そこへ一度着地した。そして再確認する――時の中へ置き去りにされた約一年の重みと自分達の肩に掛かっていた責任、それを果たせなかった深刻さを。
彼等が数時間ぶりに帰還するとそれまでザ・サミットがあった場所には其処彼処を飛び回る人面の姿とそれらに包囲された赤黒い球状の膜があった。その切れ間から建物が覗いた事で、アスターは赤黒い膜の正体が自分達を守ってくれていた聖痕ではないかと思い至った。
コ「何あれ……」
ア「行けば分かるだろう」
どんな異形も野生人も、小動物ですら姿を消した隣接地域に踏み込んだ二人は即座に探知されていた。だが人面はそれまで通り雨天を踊るかのように飛び回り、懿卡護様も姿を現す事は無かった。
接近を拒むべく人面が赴かなかったのは偏に彼等の帰還を待っていたからである。二人が拠点前へと降り立つや否や一体の人面がぴたりと止まって彼等の方を向いた。
哀しみの人面「カエッテキタ」
思わぬ出来事にアスターは目を見張った。不器用な短文ながらも一丁前に感情を込めて人の言葉を操ったのが、目の前を飛ぶ異形だったからだ。
その一体を皮切りに二人を囲んで喜怒哀楽無数の感情が飛び交った。まるで時間認識を共有していたかのように演じ彼等を嘲笑う個体から、身体を生やして彼等と並び歩く個体まで様々に、人面は強者の余裕を見せた。
喜びの人面「カエッテキター! カエッテキター!」
楽しみの人面「ハハハ()ハハハハ()ハハー!!」
怒りの人面「カエッテキタ……カエッテキタッ!」
四方から騒ぎ立てる人面に煮えたぎる怒りは咬牙切歯、慰みのアーチを作り仰々しく迎える個体の僅か一体すら叩き落とす事が出来ない屈辱は、無双の渾名を背負ってきた戦士には堪え難いものだった。
二人が汚れた聖痕を通り抜けるその時まで人面による嘲笑は続いた。態々彼等へこういった迎え方をする為だけに待っていた訳ではない人面はコラスも拠点へ入ったのを確認して、それから地下施設への入り口上空へと先回りすべく飛び去っていった。
二人の内前を歩いていたアスターが拠点に入ってすぐに足を止め、コラスに停止の合図を出した。ザ・サミット中から立ち上る白い蒸気――土砂降りの雨は汚された聖痕を通過して酸性雨となり拠点中に降り注ぎ、建築へ使われた資材に反応して有害物質を発生させていた。
コラスの結界では異形由来の酸と混ざった雨水を避けれても生成物を避ける事は不可能と踏んだアスターの警戒は杞憂に終わった。結界は汚された聖痕の膜から生成物まで異形の手が掛かったものは悉く遮っていた。
そんな明晰な空間から見えるザ・サミットの衰退は虚しいばかり。屋台はおろか彼等の生活を支えていた商店は全て無くなって、活気で溢れていたメインストリートの往来は見る影も無い。代わりに拠点を満たしていたのは立ち上る蒸気の発生音と打ち付ける雨音、そして時折それらを貫通する女の嬌声だった。
雨の日に完全防備で出歩こうとする者など誰も居ない宛らゴーストタウンのような光景も、特にコラスにとっては都合が良かった。アスターは昨夜話した事柄を念押しすると必要なものを揃えて一時間以内には必ず此処へ戻ってくるようコラスへ告げ、彼と別れた。
一人となったコラスがまず向かったのは毎日世話になった彼女――第二の母とも言えるフルートの家。一年前のものとなった土地勘を頼りに彼はそこを目指した。
拠点の最端まで舗装された地面を赤く染まった淫雨が流れていく。結界がそれを押しやれば晴れ日同然の足場に早変わりする一方で、生成物が充満した事により薄れた酸素はそのままだった。
道中、彼を雨音に掻き消されそうな程の弱々しい声で呼び止めた者がいた。半開きの窓から身振り手振りを交えて必死に助けを訴えていたこの男は、頑なに声を張ろうとせず頻りに後方を気にしていた。
コラスは男の言う通りに窓へと近づいた。男の語勢には気付かれまいとする抑制された声量と、隠密且つ迅速に家を抜け出そうという焦りからくる高圧的な物言いが存在していた。
男は結界が酸性雨や有害物質を防いでいると確認すると、窓枠に足を掛けて乗り越える素振りを見せた――男の脱走劇はそこで終幕。始めから見られていた事に気付けなかった男は、あと一歩というところで引き摺り戻され全裸に。
羞恥心など皆無に喚き散らす男をそのまま吊るし上げた人面は、齧りつくのに人毛が邪魔だとして皮ごと剥いでしまう凶行を立案し、話が膨らんでいく様子を男に見せて彼の反応から楽しんだ。
窓の外からこの喜劇染みた懲罰を眺めていたコラスだったが、窓が閉められないと怒る人面に立ち去るよう迫られて大人しくその場を離れた。アスターが再集合に時間制限を設けたのは脱出に命を賭ける住人の粗暴にコラスが巻き込まれるのを防ぐ目的からだった。
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