二十話


ア「――最後に一つだけ聞かせてくれ。この作戦は俺達が今日まで縋り付いてきた聖痕が与えてくれる安堵を取り戻す戦いだ。その装備を作った奴もそこの機体を作った奴もお前を此処へ連れてきた奴も、この作戦に関わった奴等は全員その為に動いてる。小僧、お前の正義を教えてくれないか?」


 強制連行され詳しい詳細も知らないコラスにはこの作戦へ臨むに当たっての正義などある筈もなかった。況して人々が喉から手が出る程欲しているものを持つ彼では、他の住人よりも聖痕の有り難みを理解するのに時間が掛かるだろう。


 コラスはまたしても言葉に詰まった。彼にはまだ「正義」という単語の示す概念さえ不明瞭である。


コ「(沈黙の後に)――分からないけど……僕は、皆んなで昔みたいな生活を出来るようになったら良いなって」


ア「――そうか……それが聞けただけでも良かった。それじゃあ向こうで会おう。今日の夜にでも専用甲冑の着心地とか教えてくれ」


 拠点の外に広がる廃都市を眺めながらコラスが絞り出した正義は――理想は――彼の口から語られた事に意義があった。この作戦に無双と無敵のツートップで臨める事を確認して、アスターは作戦区域へと飛び去っていった。


 その後彼と入れ違いでやってきたクドゥを始めとする役人達が主賓となり、作戦の成功を祈願して執り行われた出陣式。ここぞとばかりに騒ぎ立てた狂信者はコラスの現状の異様さや陰謀論を訴えたかったようだが、自身等へ白い目が向けられている事に気付くやその規模をあっさり縮小した。


 コラスの救出を試みるという彼等の本来の目的は未遂に終わったが、それは彼等が最も人の集まってくる時に正面から成し遂げようとしたからだ。彼を助ける為に救出作戦を実行するくらいならばもっと前から誘拐しておくなど幾らでもやりようはあっただろう。


 式には多くの見物客が訪れコラスが見知った顔もちらほら居た。この場に集まった客の大半が彼の安否よりも作戦の成功を祈っていたのは、粛々と進行する会場の雰囲気からも明らかだった。


 出陣式へ参加せずに出撃したアスターはこのような式となる事を予期していた。大衆が求めているのは成果――討伐達成の吉報であって出撃した隊員の安否は一部の者以外からすれば二の次となるのも仕方のない事だった。内では遣り繰りに詰まり思うように主張出来ず、外からは外圧を掛けられながら移そうにも移せない縄張り。それがすんでに踏み荒らされるやも知れぬ恐怖は彼等に選択の余地を残さなかった。


 生物の気配が消えた小キャンプで待機するアスター。懿卡護様の縄張りは最早都市一つに留まらず小キャンプ一帯を飲み込む程にまで広がっていた。


 こうなると聖痕は縄張りの主から執拗に攻められでもしない限り唯のオブジェクトとなってしまうが、言い方を変えれば縄張りに取り込まれただけではまだ聖痕は汚されていないという事になる。


 そして聖痕が汚されているかどうかは安全圏への異形の侵入、或いはそれによる破壊の跡や痕跡の有無から判別するしかない。


 アスターは小キャンプの設備で英気を整え、作戦開始の合図を静かに待っていた。ずり気味に椅子へ腰掛けて葉巻片手に嗜好の一杯を啜る――風情に酔い自分に酔いしれるのもまた彼の戦闘準備である。


 不意に開始を告げられるまでを織り込み済みなので、彼は用意した飲み物をそれまでに飲み切るつもりなど端から無い。願掛けがてら帰ってきてから飲もうとその場に放置していくのが彼のやり方だ。


 もし未来に急な予定が入りそれが近づいてくるにつれて緊張するのなら、その後の自分に楽しみとなる予定を入れておく事をお勧めしよう。そうすれば余命宣告を受けたかのようなストレスを頻繁に味わわずに済む――かもしれない。


 少なくともアスターは日頃の鍛錬で戦う相手への萎縮を無くし、前述のような出来事に備え余裕ある振る舞いを以て予防線を張っている。


 罪人としての始まりの地方が今回の舞台となって、彼は嘗て自分を担ぎながら辿った道のりを素早く飛び抜け都市へと進んだ。


 人が栄えていた頃はこの都市全体の電力を賄う発電所として機能し、無線送電までしていたランドマーク。その頂上まですんなりと到達したアスターは此処で光学迷彩を解きその姿を変えると、潜んでいる相手に宣戦布告とばかり雄叫びを上げた。


 遠方の空を飛ぶ異形達も堪らず進路を変える程の咆哮が轟く――最大限の力を解き放った彼は人外を形取った。大型の異形を人の身で相手取るのが自殺行為なのは間違いないが、強さの理想とは斯くも上位の存在に依存してしまうものである。


 これは懿卡護様にも言える事であり、姿を消して標的の背後に潜み奇襲するやり方を覚えたのは狡猾さという面でアスターを上位の存在だと認めたからだ。


 一方で異形には復讐心が無い。もし有ったなら縄張りにアスターが侵入してきた時点で頭部の異形を呼び戻すくらいしただろう。


 廃都市に残ったのは栄華と退廃的技術革新の名残り、そして嘗て崇められていた一柱の神と一人の罪人。その戦闘が始まったのを確認した司令部は上空に待機させていた戦闘機を突入させるタイミングを窺った。


 大型の異形二体とそれに匹敵する罪人による攻防の応酬に建造物は巻き添えを食い瓦礫と化していく。巨体同士が争うには些か窮屈なリングだが、障害物ばかりのそここそ右腕の異形にとってはホームグラウンドに等しかった。


 更には左腕の異形率いる人面一つひとつが体を生やし天地を縦横無尽に駆ける雑兵となって、透明不透明入り乱れての時間差攻撃が展開されるとアスターは防戦一方となった。


 攻撃の手を緩めない異形と人面一つ破壊出来ないアスター――両者の戦力差は火を見るよりも明らかだった。


 完全に姿を隠せる手段を身に付けた以上、懿卡護様からすれば母体自ら敵前に姿を現す理由など無い――その事は司令部も想定していた。彼等は首の皮一枚繋がった拠点の安寧の為に何としても母体を引き摺り出すか無力化する必要があった。


 両の腕の異形が収まるような軌道を描いた戦闘機が初撃を突進した。視認出来ぬ速さで過ぎ去る風景の流れ来る方だけを見詰めていたコラスは、そこにほんの一瞬左腕の異形を、その奥に右腕の異形とアスターを捉えて刹那に通過していった。


 音速は人が知覚し難い世界であり、次の瞬間に何が起きていたとしてもハイスピードカメラが無ければ見る事は叶わず、状況や被害者の発言だけで何が起きたかを論じても推測の域を出ない。


 透明な機体が音速で不意をついたにも関わらず一体何故異形を仕留め損なったのか――初撃を終えた時点でその答えを見ていないのは戦闘機に乗っていたコラスだけだった。異形を軌道上に組み込むよう自動操縦された戦闘機は第二撃までの体勢を瞬く間に整えて再び突進。コラスは此処で二体が生存している事を知った。


 その後第三撃、第四撃と繰り返されていく内に彼はこの異形が今作戦の標的である事を悟る。加えてその討伐に手こずっている事も。


 此処で一度左腕の異形の能力を整理しよう。当異形は周囲に結界を張り、その中へ自らの時間認識を拡大して味方以外全ての存在と共有している。当然の事ながらこの力は結界外の存在へは効力を持たない。


 コラスの能力は不可侵であり効果範囲は決して広くないが、彼は自身を中心とした結界内にはどんな異形の侵入も許さず能力も通さない為、当異形の力は彼の身に「直接」掛かっていなかった。


 では戦闘機はどうなっていたかというと、無論コラスの結界に収まるよう作られていた為機体のみ急減速して車の衝突事故みたいな惨事となる事を免れている。


 当異形へ迫る度村で悲惨な目に遭った隊員達同様に動きが鈍化してしまう機体を、敵味方問わず結界外の者は視認した。アスターと右腕の異形は軌道上から退避し人面も戦闘の中で動き回って刻一刻と居場所を変えたのである。


 と、此処まで左腕の異形の能力について整理してきたが、もしかしたら矛盾が残ったかもしれない。コラスは当異形の側を刹那に通過したにも関わらず、他者の目には視認出来ていたとあるのがそれだろう。


 その矛盾が発生する理由は左腕の異形の能力下に於いてコラスが極めて特殊な状況となるからだ。結論から言ってしまえばコラスは当異形の結界に侵入した瞬間から隔離された時間軸に居る。


 時間認識を拡大した結界の内は一時が一日にもなるような、伸張された時の流れを辿っている。当異形の結界の中に身を置いても正常な知覚を保つ事が出来るコラスからすれば通り過ぎるのは一瞬なのだが、その一瞬に通り過ぎるまでの出来事が圧縮されているということ。


 コラス目線でものを言えば結界に侵入していた間世界が音速を超えた速さで動いている感覚になるだろう。尤も音速でさえ視認し難いというのにそれを超えてしまえば何が起きているのか理解する事も叶わない筈だ。


 残ったのはコラスが減速する要素は一体何処にあったのか、という事だろう。時間は万物に平等に流れている――これがその答えである。草木は枯れ幼魚は育ち惑星も軈ては寿命を迎える。コラスの結界も同じであり、飽く迄その能力は「不可侵」であって彼を不死身にする効果も無ければ生き返らせる効果も、況して時間に直接干渉するなどという神にも等しい能力を持ち合わせていよう筈も無かった。


 例えるならばそう、中を空気で満たしたカプセルが水の中に飛び込むようなものなのだ。


 遂にはコラスの結界に人面が張り付きそこからも結界を展開する術を身に付けてしまった左腕の異形。今まで当異形を巧みに避けながら戦ってきたアスターもこれで身動きが取れなくなり、いよいよ玩具宛らに弄ばれてしまう。


 彼等の能力で懿卡護様を葬る作戦は破綻し、司令部にも重苦しい空気が流れた。彼等は不可侵という一縷の望みに賭けて戦闘機を一旦高高度まで退かせたものの、人面への対処としては一時的に過ぎない。元々少なかった彼等の手札に切れるものはもう残されていなかった。


 対して戦闘機を退かせた左腕の異形には幾つかの選択肢が生まれていた。人面からも結界を展開出来るようになったとはいえその範囲は本体に遠く及ばす、又常時展開出来る訳でもない為に人面で右腕の異形を守るならば音速を感知する必要があった。


 餌となる右腕の異形、突っ込んでくる敵、囲う事が出来る環境――左腕の異形はそれを逆手に取った。


 右腕の異形には集合体へと戻らせて人面に都市一帯へ散開させると、天から右腕の異形へ一直線に続くよう警戒網の穴を開けて誘う真似をしてみせたのだ。


 戦闘の様子を監視するモニターからは隙だらけに見える陣形に、片腕を奪いとる絶好の機会だとして指揮が飛ぶ司令部。人工知能により示されたたった一筋の軌道へ上書きするのを躊躇うオペレーター。


 オペレーターの画面を共有した長官も寸秒コラスが乗った戦闘機と引き換えになる事を迷った後、右腕の異形へ導かれるように敷かれた軌道へと戦闘機を乗せた。


 機体は壊れたとしてもまた作れるが人はそうはいかない。だから彼等はコラスに身動きが取れなくなる程の重装備を拵えた。数少ない矛は丁重に扱い、いざ振るうとなれば首刎ねるべく思い切って振り切る――今正に一つの戦法がその真価を発揮した。


 戦闘不能となったアスターを地面に叩き付けるなどして、やりたい放題をする子供のような右腕の異形。最早自力で拠点まで退却する事も出来ないアスターとしては気が逸れるまでこの巨大な子供の遊戯に付き合うしかなかった。


 然もなくば天より音速で飛来した戦闘機の自爆特効に巻き込まれるのみ。










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