後章 十九話


正義感の強い役人「昔の人もこんなだったんですかね」


堅実な役人「『こんな』っていうのは?」


 正義感の強い役人は潜考していた――異形が出現するより昔にあった人同士の争いで短絡的な手段を用いていたのが此処へきて繰り返されているようにも、異形という前例の無い敵に対して人々が過敏になっているだけにも思えた彼女は、後者であってほしいという半ば願望を漏らす。


 未知の脅威に晒される度対策を講じてきた人類ならばある程度後手に回っても対処するだけの力があると、そう考えていた彼女の失望はこれまで生き延びてこられた幸運への感謝へと変わりつつあった。


 彼女が産まれてから二十余年、尚も異形の縄張りに接しながら安全圏として存在しているザ・サミットに、そこへ安々と侵入出来るであろう世界の何処かに生息する異形の気まぐれに、そして偶然にも舞い込んだコラスという切り札に今日も生かされていること。


 その切り札を切るのが崖側まで追い詰められてからになる事は、懿卡護様の討伐作戦に失敗した辺りから彼女も薄々勘付いていた。それが偶然手に入った切り札である事と切るまでに講じられた少ない対策に露見する拙さが、彼女の中で先駆者達への尊敬を一つ打ち砕こうとしていた。


堅実な役人「誰もイカガミサマがあんな奴だなんて知らなかったんだ、奴が出てきた時から皆んな手探りで頑張ってきたし勿論今も頑張ってる。次に奴みたいなのが現れたらその時には俺達の生き様を先例にもっとマシな対策が練られてるだろうけど、そうしてもらうにはまず俺達が今日を生き抜かないと」


正義感の強い役人「――偶然でもいいから生き抜いたら後は孫子の世代が何とかしてくれるって事ですか?」


堅実な役人「無責任な言い方をすればそうなるだろうね。その時代にしかない環境ってもんがあるだろうから、後世に託すのも悪い事じゃないんだよ」


正義感の強い役人「(目を逸らしながら)――じゃあ私達は……」


 口籠った彼女の胸中は先人から託された世界を偶然という形で後世に残す事への、無責任に対する罪悪感で埋め尽くされていた。


 それは不可抗力でもあったが彼女の責任感はそうと認める事を許さなかった。


堅実な役人「(窓の外へ視線を移して)死人も赤ん坊も皆んな俺達の判断を尊重してくれる――全力で事に当たればそんな日がくる。責められる奴がいるとすれば賛成した俺でも反対したお前でもなくて、人の罪を忘れて高尚な言行を垂れる奴等さ」


 懿卡護様に怯えながら過ごす事を余儀無くされたこの時世に心の拠り所を探す者と、抽象的且つ高次元のそれを彼等へ仲介する事で発言力を得ようとする者。


 彼が言う人の罪とは全人類共通の罪であり、それは成長と共に背負う事が約束されたものである。もしもその罪を許される者がいるとするならば、毎日偶像へ祈りを捧げる信徒ではなく野生人の方だろう。


堅実な役人「誇りな、お前は正しいから。誰に聞いたって皆んなそう答えるだろうよ」


 最後まで自らの正義を貫いた彼女はこれまでの自身に「高尚な言行」が無かったかを振り返った。なりふり構わない他の役人達と違い懿卡護様の食を管理する事で危機を乗り越えようと訴えた彼女。見方を変えればもしもの時に御し切れぬ生物との共存を模索したという事になるが、その「もしもの時」の責任まで背負えていたのかを彼女は自問した。


 人には管理する義務がありその対象は資源や生態、果ては惑星そのものにまで至る。この惑星に生息する全生命体の中で最も強力な理性と優れた知能を持ち合わせた人には、破壊も存続も思いのまま。それを存続の為に振るうとは罪を受け入れるという事であり、破壊の為に振るうとは罪を忘れるという事だ。


 彼女が人の罪の何たるかを理解していようといまいと罪は平等に枷を掛ける。尚彼女のような者も居る為一概に破壊へと傾いた者を責めるのはしてはならない事である。


 コラスを神と崇める者達がこの作戦を救済だと喜ぶ一方、彼同様に遣いの地位を確立した者の言葉によって高次元の存在を信仰する信者の中には、手荒い手段を用いて作戦の阻止へと動く過激派が多く居た。彼等の立場は時に衝突するまでに隔たり、それが一層ザ・サミットに影を落とした。


 人々が己れの信じる未来の為に行動する中、ザ・サミット周辺に縄張りを構えていた異形は僅か一夜にして姿を消した。拠点内の騒がしさに追い討ちを掛けるその出来事があってから暫くの間、飼育される生物達は拠点の外をぼうっと見詰めている時間が増えたとか。


 自らが主軸となって作戦が組まれた事など露程も知らないコラスは夕方にフルートへ会いに行ってそのまま彼女宅に泊まるのが常態化していた。その日も朝食を食べに三人で窮屈な広場へと繰り出すところだった。


 彼等を玄関先で待ち構えていた役人達はコラスに食事の暇を与えず、彼から鈴を取り上げると千二百七番と彼を別々に連行した。それは一方的だったが二人は言われるがままに従い、連れて行かれる二人をフルートは見送る事しか出来なかった。


 コラスの結界に関する研究が短期間で上手く行かなかった場合、こうなるという事をフルートは予期していた。もしこの研究が成功すればその技術は無人機への搭載から行われ、罪人達に取って代わり作戦を遂行するのは不可視で音速の兵器――人々の脅威となる異形は全てミンチになるだろう。今回の作戦は言わばそのデモンストレーションである。


 彼女が初めてコラスをアスター本人に合わせたあの日、アスターが送ったアドバイスに共感していた彼女には自らの研究によってコラスを拠点に拘束する事への躊躇いがあった。コラスの心の内は能力を以てしても読めない為、その言葉こそ真意であると受け止めて彼女は研究を続けてきた。


 言葉でははっきりと協力を得ても積極的に取り組んでもらえないのは彼がそういう人格なのだろうと、それまでの彼女は考えていた。最近の彼女は彼が真意を語っているのかに疑いを持ち始め、能力で測る事が出来ないその心中に恐怖心さえ芽生えてきていた。


 考え方が変わるとものの見え方もガラッと変わる。彼女はコラスと日常的な会話を増やすなどしてコミュニケーションを取る時間の改善に努めた。芽生えた恐怖の根源に自分から行動を起こす事で乗り越えようという姿勢は、彼の母親同然に振る舞うところにも表れた。


 本当の母親なら役人を引き止めただろう。彼女には研究を成就させる前に需要の逼迫度合いが限界を迎えてしまった後ろめたさがあった。


 懿卡護様の討伐にコラスを投入する方向へ舵を切ったザ・サミット。いつまた行方を眩ませて徘徊し始めるか分からない相手が今は一箇所に留まっているというこの千載一遇の好機を射止める為、彼等が出撃させるのはアスターと戦闘機一機、そしてそれに搭乗する子供一人のみ。


 振るう力が強大なだけにやる事は至ってシンプルで、アスターが先行して相手を足止めしたところにコラスが搭乗する戦闘機で接近、圧殺という流れだ。


 万が一の墜落にも耐え得る完全防備が施され一人で歩く事も出来なくなったコラスは、戦闘機の前で突っ立ってその時を待っていた。


ア「新型兵器の展示会場はここであってるかマネキンさん?(コラスの顔を覗き込む)」


コ「――多分合ってるよ」


 この作戦の成否を握るアスターは作戦の説明を受けた際、適役が自分しかいないと気付き二つ返事で承諾した。拠点の命運がかかったほぼ単騎での戦いは雪辱に燃える彼にとっても良い機会だった。


 ただ彼には一つだけ気掛かりな事が。それを放っておくのは作戦を遂行する上で精神的な差し障りが生じると判断した彼は、出撃の前にコラスの元へと立ち寄ったのである。


ア「小僧の能力には劣るけどな、このサイズと頑丈さに全てを注ぎ込んだ感じ――如何にも小僧専用って雰囲気が出てるよな。多分この日の為に作られた特注品だろ」


コ「――重くて動けない」


ア「そりゃそうだ、小僧の体を守る為だけに作られてる筈だからな」


コ「――何から?」


 重力制御装置は乗り物に標準搭載された技術であり、戦闘機も例外ではない。外圧とは無縁の状態となったコラスがこれから飛び立つのはとある異形を戦闘機に乗ったまま討伐する為であり、ネジの外れた狂人や野生人の元へ投入されるならまだしも、今回は人から危害を加えられるような任務ではない。そしてコラスが知るのはこれから戦闘機に乗り何処かへ行くという事実のみ。


 まずはその事実を確認してアスターはほっと胸を撫で下ろした。それは齢十二の少年がこのような形での出撃を快諾するなど幾ら人々の為とはいえあってほしくはないとの思いから。


 ザ・サミットで子供が戦線に参加するのはその高い能力を買われて志願した罪人でもない限りあり得ない事である。子供であろうと戦闘へ繰り出すからには大人達と同様に一兵士として見られ、子供だからという言い訳は通用しない。


 異形に対して同等かそれ以上の立場となれる能力と兵士としての力量を有していれば、例え子供であろうとも戦線からは歓迎される。コラスに足りていないものがあるとすればそれは兵士としての力量――自らの能力への疎さは勿論、現場での行動一つとっても危機感に乏しい彼を兵士として見ている者は居なかった。


 彼は上層部が今回の作戦を決行すると決めた段階でコラスの意思は作戦から排除されると予想していた。彼がコラスに「マネキンさん」と呼び掛けたのは着せ替え人形のような都合の良さというよりもそちらへの皮肉の方が優っていた。


 だからこそアスターは問う事にした――何故拠点に残り、そしてこの出撃に於けるコラスの正義が何処にあるのかを。


ア「連れ回されてばっかりじゃ退屈だろ。それとも此処にきっかけでもあったのか?」


コ「――まだ分からない」


ア「そうか。最近フルートの奴が小僧との暮らしを聞かせてくれるようになってな、母親だった頃を懐かしんでるみたいなんだ。――小僧、この作戦の後にでも拠点を去れ。此処でお前みたいな奴が人として扱われるには、お前には無い明白な自己主張が不可欠だ。今日みたいな日に慣れてほしくはないが、もし自分が居たいから留まってるって言うならこれ以上口出しはしない」


コ「――僕は……(口を噤む)」


ア「――まぁこれについてはそこの機体での小旅行中にでも考えればいい」


 アスターもコラスを兵士としては見ていない。彼としても一住民の少年が作戦に利用される事へ釈然としないまま挑んだところで全力を出しきれなかった。


 コラス自身の態度によって彼から然も兵器同然に扱われているかのような印象を受けていたアスター。去り際の問い一つにそれを拭い去れる程の回答を期待して、彼は気乗り薄に腰を上げた。








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