十八話


 各部隊の新米戦闘員でさえ遭遇したその異形を知っていた。直近に村一つを滅ぼしてその後の討伐作戦では出撃した隊員の顔面を酸に浸し弄んだ常軌を逸する剛敵――その右腕との悪夢の対面に通信を試みた隊員の語気から焦燥が滲む。


 蚯蚓みみずを拡大したかのような図体で縦横無尽に這い回る触手の異形は複数の個体で一部隊を包囲して、挑発を繰り返し彼等の攻撃を誘った。


 教官の教えでは不確定要素の異形と出会した場合、その大きさや体数に関わらず退く事を最優先で考えるようにとされている。新米の彼等はその教えの通りに行動した。包囲の穴を見つけて逃走ルートを確保すると非致死性兵器を投擲、煙が充満する中を一点目掛けて駆け出した。


 狙いは見事成功し彼等は停止している異形の横を通り抜けて包囲から脱出――退却を実行した彼等の行動に失敗は無かった。


 しかしどういう訳か、煙から飛び出した彼等の行手に待ち構えていたのはまたしても触手の異形とその包囲網だった。非致死性兵器の煙玉は漏れなく効果範囲に触手の異形を捉えていたが、視界の妨害も嗅覚の阻害も相手には通用していなかった。


 大欠伸を見せ付けてくる異形のゆとりを削げるか、二の矢として使われたのは五感倒錯を引き起こす投擲型の兵器。一度逃げられかけても変わらず隙を見せる相手に新米戦闘員はそれを投げ付けると、炸裂し対象が蹌踉めいているのを実感しながら再び包囲を突破した。


 今度は彼等の逃げた先に触手の異形の姿は無く、後方でのた打っているであろう衝撃音が静まる前に一歩でも遠ざかる為部隊は全速を上げて退却を図った。


 それは刹那にして珍奇な現象だった――触手の異形がまるでワープしてきたかのように突然戦闘員達の前方へ現れて退路を塞いだのだ。


 彼等の意識の外から出現した多数のその個体は折り重なって壁を作り、タイラー達が居る方面と狩場とを分断していた。


 逃げ場を失う部隊。そこに激しく地面を叩くなどしてのた打つ振りをしながら一直線、彼等の元へ突っ込んでくる役者の数体。


 新米の戦闘員に出来る事は救援を信じて時間を稼ぐ以外に残されていなかった。然もなくば死を受け入れ、愚弄の内に捕食されるのみ。


 訓練中はとても誇らしげだった近接武器も棍棒と遜色無い頼りなさの得物に成り下がって、小型を相手にした時のような軽快な連携は見る影もない。


 戦意喪失した隊員達に玩具としての価値は失せていたが、健在であるもう一つの価値こそ触手の異形にとっては本旨である。


 そうとなればこれから起こるのは充分に遊んだ後の子供の旺盛な食事が如く――瞬く間に食事を完了してしまう筈が当異形は食欲に従って喰らいつく事をしなかった。追い込んだ彼等を態々引っ捕らえその肉を末端からちまちまと千切って喰い出すという奇行へ走った根底に、新米戦闘員を弄ぼうという悪戯は無かった。


 先兵も油断していたのだろう。懿卡護様が現れたら必ず強風が吹き抜けると報告が上がっていたのだ、それを出現の判断材料として頼るのでは無理もない。況してや報告に一切上がっていなかった一部非致死性兵器の無効化及び身体の透明化、更にはジャミングまでをもその右腕が会得していたのだから、先兵が見抜けないとなった時点で何れこのような被害は出ていた。


 光学迷彩から透明化を、討伐作戦にて使われた非致死性兵器からその耐性を、そして飛び交う電波との戯れからジャミングを会得したこの捕食者が、次に狙うのは好物を半恒久的に食せる環境の確保だった。


 だが懿卡護様がその為の足掛かりとしている知識は矛盾を孕んでいた。人は四肢を喰い千切られただけでも軈て死ぬ――それが人の致命傷ラインである事を知った懿卡護様が次に目を付けたのは、そうならないどころか喰い千切られた部分を再生させて生きている者の存在だった。


 それを目にしてからというもの、野生人を捕食する時は必ず絶命したのを確認してから喰らうようになっていた懿卡護様。これにより年齢や傷の度合い、喰われた部位の違いに関わらず体を自己再生出来る人は存在しないと確信した――ただ一つ、自らが現状入れない場所に住む人を除いて。


 そこに縄張りを構えている人が有する特別な力の根源を探ろうと、触手の異形は出向いたのだった。手始めに極一部の人物だけが特別なのかを確かめるべく、当異形はザ・サミットから出てきた人を殺さないように喰らっていく事に。それが今回、偶々彼等となってしまった。


 好物の味に我を忘れてしまう個体も居てそれを別個体が御する場面も多く、隊員達にとっては拷問にも引けを取らない地獄のような時間が過ぎていった。


 そんな彼等に対する実験は波紋のように広がった当異形の咆哮を堺に突如として中断された。血の匂いに釣られた他の異形から実験材料を守る為の一体を残し、触手の異形は波紋の発生地へと集結した。


 大群が向かうその先では既に壁役を担っていた個体が何かを雁字搦めにしており、外からは搦め捕られている者の姿どころか内側に巻き付いた個体の姿さえ確認出来ないほど。


 普通の人であればその中での生存など不可能であるくらいの圧力でも、コラスには対岸の火事。彼がその場で動かないのは動けなくなったのではなく、視界が奪われた上に悲鳴が聞こえてこなくなったからだった。


 バラけた状態で潰そうとしてもコラスに通用しない事は想定内だった触手の異形は、格上の相手に個体を集結させて現状のほぼ百パーセントの力を解放、コラス目掛けて触腕を強打し着弾の一点に重心を置いた。


 離れた位置から腕だけを伸ばして放たれた殴打の着弾する直前、巨体は引きつけられるようにコラスへ接近し急ブレーキ。それとほぼ同時に着弾した殴打は流れた力で標的後方の大地を押し飛ばす程の威力を叩き出していた。


 その一撃が対象に効いているかを伝わる感触だけで判断した異形は胴体で弧を描いて透かさずコラスの真上へと飛翔した。この間も放った触腕はコラスの結界に触れたまま、そこを軸として追撃の態勢をとった異形は真上でぴたりと止まると重力に身を任せ胴体を脱力、胴体が結界へ着弾する直前に力を込めた。


 強大な質量は結界に衝突した一点を除いて全て地面へと流れ、コラスの足下には大きな円形の窪みが。覆い被さったのは与撃の一瞬だけで異形は触手へと姿を変えそのまま地面に潜ると、まるでステージを彩るムービングライトのように方々から飛び出した。


 隕石でも落下したのかと勘違いしてしまいそうになる窪みのその中心には、一人穏やかに飛行を続けるコラスが居た。触手の異形は格付けされつつある自らの地位を振り払うべく何度も咆哮し、部隊の保護へ回していた残りの個体を呼び寄せ、百パーセントの力を発揮出来る状況が整った。


 しかし当異形はそれ以上戦う事をせずに去っていった。姿を消すその時までコラスに対し吼えたてていた異形――見張りの個体を呼び寄せた際に窪みまで全部隊を運ばせて、実験の続きは人知れず観察されていく。


 結果的に一人で触手の異形を追い払った形となったコラスの逸話は、凄絶さを物語る辺り一帯の地形やその証言に尾鰭が付いて出回った。彼が全ての異形を滅却しうる可能性を秘めた者として次第に一部で神格化され始めると、一方では彼を突如ザ・サミットへやってきた事から神の遣いと崇める者も現れたのだった。


ハ「会議中失礼します――イカガミサマの所在が分かりました」


 訓練中の一件を受けた上層部は懿卡護様の兵器適応に加えて、恐れていた副次的要因による進化――人との交戦という一次的要因の中で適応する事に対して、人の生産物を要因として単独で進化する事――に頭を悩ませていた。懿卡護様のみならず全ての大型の異形とはその個体の討伐作戦でない限り戦闘を禁ずる事に加えて、逃走に使用出来る非致死性兵器も落とし穴等原始的な物を除いて制限される運びとなったが、後手へと回る対応に議場には焦りの色が浮かぶ。


 よもや懿卡護様が電波を捉えられる程の眼力を備えているとはザ・サミットの誰も予想だにしていなかった。更にはそこから編み出したジャミングが人との戦闘に於いて有用である事やその効果的な使い方までをも身に付けていた事から、驚異的な成長速度に計画を前倒すべきとの意見も散見された。


 彼等が企てる計画――それは失敗が許されないただ一つの希望。それだけに実証実験を重ねて万全を期するべく彼等はコラスを様々な機体に乗せ、戦線での実用化へ向けた取り組みを強かにも続けていた。


 ここへ来てそれを前倒そうという意見が飛び出した背景には、希望が不意に潰える事への不安があった。人の身では直接視認する事の出来ないコラスの結界と電波――彼等は今回の件でコラスを出撃させればさせるほど、時間を掛ければ掛けるだけ懿卡護様に結界が通じなくなるリスクは高まる事を突き付けられた。計画の前倒しに慎重な意見を出した者が平和ボケ扱いされるのも致し方無い。


 計画は実行へと傾いていた。しかし肝心の標的は透明化を身に付け高速移動で各地を渡り歩き人を捕食していると思われていて、痕跡調査の甲斐もなくその居場所は全く掴めていなかった。


 隔壁前の通信機とそれを命懸けで作動させた罪人によって収められた吉報がこの流れを変える。追放されてきた罪人を喰らっていた昆虫型の異形が縄張りを変え土地の主が不在となったところで、新たに住み着く異形が現れるのも時間の問題だと見られていた隔壁の都市。しかし大型の異形の死骸を警戒してか一向に次の地主は現れず、偵察の情報にもそれらしい影は報告されていなかった。


 日々好物を探し求めて徘徊していた懿卡護様にとって定期的に人が出現するこの土地は正に佳絶の至り。小山に潜んでいた時からその異形は人がどれほどの年月を掛けて育っていくのかを知っていた。それ故に確実に人を喰えるなら多少日が空く事にも目を瞑りその土地を縄張りとして確保しておく必要があったのだ。


 生き餌を使った待ち伏せが二度も通じる相手なのかは以前から話し合われてきた。誘き寄せるという先手の手段が絶たれた時、シャボン玉のように儚い聖痕が破られるまで彼等は身構えて待つしかなくなるところだった。


 幾ら拠点の安住が脅かされているからと言っても子供を兵器に仕立て上げて戦線投入するのは間違っている――慎重派は最後まで別の手段を模索し続けた。相手が元々偏食していた魚から人へ乗り換えたのであれば、人より美味くて量が用意出来る食材を見つけ出せばいいではないかと、そんな別案も呈された。


 この世には人より分布している動植物の方が多い。懿卡護様の好物が魚から人へと移り変わったのはそれまでに食べた事のあるどの食物よりも人肉が美味かったからという事になる。空腹を嘗ての食物で満たしたり新たな味覚を開拓するなど人肉から目移りしない辺りに見え隠れする、懿卡護様の食に対する拘り。


 もしも彼等に懿卡護様の生態を観察出来る余裕があったなら、或いは趣向を変えさせるのも有効だったかもしれない。


 反対票は一つ――計画は前倒される事が決まった。








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