十七話


 体育館のような運動場など碌に設けられていないザ・サミットで人目を気にする事なく稽古が出来る場所を求め、三人がやってきたのは聖痕圏外。


 萩之楼と違っていざという時に逃げ込める防衛圏の側には審査で弾かれた避難民達が今日まで生き延びており、それは逆説的にその場の安全を示すものだった。


 木枝と葉から成る簡易テントや畑が占拠する中、アスター達は稽古するに適当な場を探し始めた。その様子を見て要望を聞き入れやってきた担当者だと勘違いした者が、食糧は何処かと尋ねてくる。


 圏外に住む避難者達の中には小型の異形を捕えたり近隣の木の実や魚を容易に取ってこれる能力の持ち主が居た。彼等も含めて圏外の避難者の食糧事情が切迫しているのは、追手から逃れる為視界が効かない場所に身を隠すと中々出られなくなるのと同様の状況に陥っていたからだった。


 耕された畑に作物の気配は微塵も無く、天から恵みの雨が降るのを今か今かと待ち望んでいる。生活面の保護は不十分な圏外から視認出来る場所にも例の事件の注意喚起を促す紙は張られ、不安ばかりを煽っていた。


 聖痕圏外まで環境が悪化する事による悪循環を恐れた政府は避難者達に対する支援の強化を決定。特に住宅、物資支援については迅速だった。


 隔壁に通信機器を設置してからというもの新顔の罪人からは一向に音沙汰が無かった為、ハートは新人担当の傍らで物資支援も担当する事に。衣服や飲料は拠点からの運送で事足りたが、食糧は外から調達する必要があった。


 食糧探しに出たら自分が喰われていたなんて心配も光学迷彩の支給により緩和され、避難者が率先して食糧調達に出歩けるような対策が講じられた。現地直送の異形の肉を手に入れる役目は新米戦力が担い、彼等が実戦経験を積む場としても両用された。


 建てられた住宅もザ・サミットの日照を一部侵害する程でそれは宛ら防壁のよう。物質による時代遅れの壁など無くとも今でさえこの拠点は天敵の脅威から守られている。その守りが更に盤石となって避難者の住宅どころか廃都市丸々を拠点としてしまえるのではないかという理想は、星の光暈が研究者に見せた儚い夢へと終わりそうだ。


 フルートが受け取った情報は星暈製造に関するものだけが綺麗に破損していた。AIruがこの一部のみ閲覧出来ないようにしたのか、将又過去に星暈の情報を削除した者が凡ゆる手段で復元される事まで読んでいたのか。フルートは長年の追求の末、星暈が削除された真相について「人同士の戦争に加担する可能性」を演算したAIruの独断とし、それを誘発した当時の政治家の失態による損失であると結論付けた。


 もしフルートの元に自分なりの答えを得る為のヒントが舞い込んでいなければ、人の天敵に対する最も完成された答えに彼女は今も諦めをつけられずにいただろう。星暈に諦めがついてからというもの彼女は頻繁にコラスと行動を共にしていた。


 そのコラスは新米戦力に交じって食肉調達へ。非能力者の教官を務めるタイラー指揮の下、新進気鋭の若人達が一斉に狩りを始めるその場に出張安全圏として同行した。


 タイラーから指導を受け育ってきたとはいえ彼等はまだ若葉マークが取れていない状態。自らの独創的な武器を振るわんとして勇んだ者がその眼力諸共野性に喰われてしまう前に逃げ込める場所がある――タイラーは自身が指導を受けていた頃と今を比べて、新米の彼等を恵まれた環境にあると語った。


タ「恵まれている分だけ厳しく指導しなければ何れ戦闘訓練を生き延びる者は居なくなる。彼奴等は自分が中途半端に甘やかされている事を自覚しなくてはいけないんだ」


 それはコラスの出張安全圏としての価値にも迫る発言だった。救助や単機での移動に際しては抜群の安定感を誇り、誰もコラスとその能力を疑う者などいない。だが新米戦闘員達の向上心の獣は彼の能力が他者までを強化出来ない事や彼が積極的に行動しない事へ噛み付いてしまいかねなかった。


 戦線に於ける極小の安全圏は例えるなら人が押し寄せるバーゲンセールだ。一点の売り場目掛けて八方から手を伸ばした客は目的の品を入手出来た者とそうでない者とに分かれる。再びバーゲンセールが開かれると知れば彼等はまた集まるだろうが、今まで買わずとも生活出来ていた事を彼等が思い出した時、将棋倒しになって死者が出るという惨事も防げる筈である。


 タイラーは言う――もしもの時の為に確保すべきは未熟を埋めてくれる逃げ道ではなく、過信無き実力だと。


タ「一発目は自身を過大評価して結構なのさ、理論値のようなものだからな。日々の訓練で自らが安定して出せる実力の平均を上げていけば、理論値のような自己評価も現実的だと証明出来る――俺はそう信じてる」


コ「――難しい事言うね」


 実戦経験の浅い新米達が方々で戦闘を繰り広げているその物音はコラス達の耳に届いてきていた。小型の異形相手に時には過剰なまでの連携を図り、訓練で教わった事を忠実に発揮して一体が倒せる――それが新米戦闘員の普通だ。


 彼等の中にはとあるテストを希望した者がいた。そしてそのテストに不合格となった場合は希望しなかった者と共にこう諭される――お前達はどう頑張っても教官やアスターのようにはなれない。一人で喰われに行くくらいなら集団で食らう事を覚えろ、と。


 これは物分かりが悪い者の反骨心を煽ろうとしている訳ではなかった。タイラーの考えにある「実力の理論値」とは新たな物事を経験した人が現時点で為せる最高のパフォーマンスを直感する事であり、「実力の平均値」とはその後の理性的努力によって洗練されたパフォーマンスを指す。


 一般的な人は野生人のように常に百パーセントの実力を発揮出来てはいない。又、都度ゾーンに入っている野生人と言えど如何なる状況をも経験した猛者など存在しない。タイラーが平均を追求する理由は、戦闘で不安定なゾーンに頼るのではなく高い水準で安定した実力を発揮出来るよう訓練する事を選んだからだ。


 彼の論理で「実力の理論値」とは本能の限界であり、それはその者が持って生まれたものと後天的に身に付けた知識から導き出されるものとしている。


 但し注意しなければならないのはこれを直感ではなく思考によって求めたとき。直感であれば出た理論値が霧散する前にイエスかノーを選択すれば良いが、思考した場合は理性のブレーキや過信などの雑念から理論値でなくなっている可能性が極めて高い。


 タイラーが努力によるテスト結果の逆転を認めないのはテストに落第した時点で本能的な成長を諦めさせ、圧倒的に足りていない経験や努力を促す事で安定した戦力となってもらう為だった。


 因みにとあるテストとは小型の異形を一人で狩る事である。異形との戦い方を学び小道具の使い方を学んだ後、自分だけの武器を作った時が最も新米戦闘員の増長しやすい瞬間だった。


 此処にはテストに落第したか参加を希望しなかった者達しかいない。創設者でもあるタイラー以来誰一人として合格していないこのテストは、将来有望な若手を死の危険に晒しているとして人々から批判の的となっていた。


 指導する目的は飽く迄異形と集団で対峙出来る戦闘術を身に付けさせる事にあり、テストは異形を一人で狩れる者が現れた際にその才能を埋もれさせない為のもの――今はそう納得している彼も、昔は異形を軽々と倒せる特殊部隊の創設を目指していた。


 そんなタイラーもクドゥから評価されている者の一人である。タイラーはどんなに顰蹙ひんしゅくを買おうとも自身が最も非能力戦闘員の指導に適した人材であると信じて疑わなかった。拠点のトップから評価されているという事はこの拠点の者にとって自らの価値が確立したも同然だった。


 その自信に反して自分という第一の合格例は日を追うごとに色褪せていった。


 新米戦闘員が奮闘する様に過去の自身の影を想起していたタイラーの元へ、次第に彼等から目的を達成した旨の報告が寄せられた。


 狩られた異形はドローンによって搬出され拠点へと飛んでいく。タイラーは全部隊からの報告を確認すると次の狩場を指示、そこへの移動を開始した。彼も新米達に遅れを取るまいと走って移動する中、コラスと千二百七番は空を飛行する近場用の乗り物を用いていた。


 いつ何時でも走るという事をしないコラスでは訓練中の彼等に着いていけないからと、ハートが用意したこの飛行盤。今はタイラーが走る速度に合わせている為ゆっくりだが、その最高速度は四輪駆動にも迫る。


 実際には周囲の障害物や動体感知によってそこまでの速度が出た事例は無いが、緊急時であれば時速八十キロメートルは優に超える代物だ。その秘められた加速力と小さな飛行盤への立ち乗りに千二百七番は終始慄然としていた。


 次の狩場へ到着した部隊は小休止を挟んだ後再び小型の異形の狩りへ――その索敵開始を告げる通信に異変は起きた。タイラーは休憩の終わりを全部隊へ通達したが、返ってきたのはノイズに塗れた


 ザ・サミットでは世界調査の一環として行われる地理調査から得たその土地の特徴を記録しているが、それをそのまま作戦に用いるのは極めて例外的である。勿論今回の訓練でも近場だからと手を抜く事をせずにタイラーは狩場へ先兵を派遣していた。


 目的を完遂する為の技量もそうだが生きて帰るのに重要な危険察知能力はタイラーが最も丹念に教え込む事柄の一つだ。彼の教え子である先兵ともなればノイズや作戦区域の周辺を彷徨く中型以上の異形など確定要素でなくてはならず、それらを見逃す筈もなかった。


 タイラーは訓練の中止を決断し、すぐにアスター達精鋭へ救援信号を発信。そしてコラスに単独で部隊の様子を確認してくるよう指示した。








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