十六話


 ザ・サミットに住む彼等にとって萩之楼がそうであるように、安住の地を持たない者にとってはザ・サミットも充分な安全圏となる。如何に人口が溢れそうとはいえ一人二人程度工面する術はある為、余程の犯罪性格でない限り流浪者も受け入れる体制が整えられていた。


 それを見分けるのは至難の業。地下で問われた重罪に潜む背景まで調べる事は出来ない為、意志の疎通が図れない者などは罪名が主な判断材料とされる。又入居が認められた者がザ・サミットの重苦しい雰囲気を世紀末的であると思い込み犯罪へ走ってしまった例も発生してしまい、ザ・サミットの政府は治安維持を憂慮すべき課題の一つとしていた。


 大規模な戦闘は例の作戦以来発生せずに人々が不穏な毎日を過ごす中、医療へ携わる者の大半が食い繋ぐ為に副職へ切り替えていた。家庭用の医療機器で治せない程の傷を負った人が運ばれてくるのは日に一人前後、それも拠点内での負傷が目立った。


 副職に出来るような経験を積んでいなかったスタインは医者仲間へ頼んで需要が落ち着いたその席に居座っていた。運ばれてくる重傷者達を一人で対処し終える頃には面構えも見違えているだろうと、仲間達は快くそれを承諾したのだった。


 此処にザ・サミットで暮らしていく事となった二人の罪人が居る。急拵えのアパートに入居したジローとビクトリアはバイトの経験は疎か学業も真面に修めていない、未成年の不良である。


 その気になればどんな趣味も特技も仕事になり得るのがザ・サミットの魅力であり、学が無い彼等でもそれは理解出来た。二人の特技は互いを体臭で判別出来る以外に無いが、それを活かした芸で飯が食える程この拠点の人々は甘くはない。


 食糧だけは何としても確保したいジローと流民で溢れる今に好機を見出したビクトリアが出した答えは、この拠点へと避難してきた彼等を食らう事だった。但しそれは万策を講じた上での最終手段。


 衣服を使った靴磨きから拠点外での食糧探索、窃盗に至るまでを想定し彼等はまず一食を得ようと動いた。食材屋の温情により到着初日から人肉を食らう事は避けられたが、この時彼等が貰った物品に対して評価を返していれば、自身等が評価される事は無くとも食に困らない生活を送れた筈だ。


 彼等は三日と経たずして最終手段を解禁する事になった。人は普通食べ物を食べなくても水さえ有れば三週間程は生きられるが、それは脂肪を蓄えていた時の話。追放されてからも選り好みが絶えないジローは、高い木に生る外殻に包まれた木の実か取れ立ての魚しか食べてこなかった。


 地下とザ・サミットで何が変わったかと聞かれれば、ビクトリアは迷い無く「何も」と答えるだろう。金が人情に変わり機械で生み出していた天候は自然現象へと変わり、そして無職への通念は社会に必要とされていない人へと変わった。


 金銭によって比較的固定化されていた評価が流動的となっても天気のブレ幅が大きくなっても無職の者への風当たりが強くなっても、変わらないのは人の集団生活に付き纏う選択圧とそれを巧みに知的造形物へ昇華させ交流する普通の人々。場所が移ろえどその中に身を置く限り彼女にとっては何も変わらないに等しかった。


ジ「魚の生臭さも結局今日まで慣れず仕舞いだったけどさ、これはこれで筋っぽいし味は悪いしで良いとこ無しじゃんかよ」


ビ「――多分貴方、前世は何処かの世界でとても地位の高い人だったんじゃない?(呆れ」


ジ「(照れながら)いやぁアレクにもそう見えるのかー。実は地下に居た頃からさ、『お前凄い偉そうだよな』とか言われてたんだよ。全然自覚は無いんだけどね」


 日を跨ぐ度に能力によって容姿が別人となるビクトリア。彼女が次はどんな姿になるのかを楽しみにして毎晩眠りにつく――そんなジローの楽観ぶりを彼女は羨んでいた。


 こうして一日一食夕飯に人肉を食べ始めた二人が次に目を付けたのは、ザ・サミットへの移住が叶わず聖痕圏外を開拓し始めた避難民達だった。拠点を挟んで異形のコロニーと反対側に位置した場所に集まった彼等はハイテクな機械がもたらす数々の恩恵を間近に見詰めながら、不毛な土地を掘り起こしていた。


 食す為に殺害した者の人骨で骨粉を生成し、それを彼等へ渡してしまえば証拠隠滅と恩を売る事が同時に出来る事に気付いたビクトリア達。骨粉よりも喜ばれそうな肉を残しておかなかった理由は避難民達の人数と食糧事情、肉の種類にあった。


 食後に骨粉を渡しに行くのも人を殺すのもビクトリアが請け負っていたが、彼女が殺害に支障を来すような体型となってしまった日には一日飯抜きを覚悟しなければならなかった。当然ながらビクトリアの能力が自分で制御出来る代物でない事はジローも知っていた。そのリスクを加味しても自身の方が都合が良いからとの彼女の申し出に二つ返事で彼が承諾するくらい、姿を変えられるという彼女のメリットは大きかった。


 翌朝のビクトリアが自力での歩行を困難としていた場合、ジローの一日は彼女と交わした約束を履行しているだけで過ぎ去っていく。ビクトリアは自力での移動に支障が出た時を見越して、自身が当たりを引いたらジローに二人分頑張る事を約束させていた。


 これは二人の持ちつ持たれつな関係を象徴しているのではなく、ジローが有する能力の制約なのである。履行している約束の数だけ屈強となり、反故にした約束の数だけ軟弱となる――刻印を受ける以前に交わした約束まで制約は及び能力発現後すぐの彼は少し風が吹けば倒れそうな程弱々しかった。履行している約束の数を反故にした数が上回ったのは現在までにその一度のみ。


副業中の医者「何か入り用かい?」


ジ「いや、あっという間に店が増えるんだなーって思ってさ」


副業中の医者「なるほど、此処に来たばっかりなんだね。誰かしらの評価を得られりゃ何でも商売になるから、此処は。君も何かやるなら一つアドバイスをあげよう――医療関係はお勧めしないぞ、需要が一過性だからね」


 副業中の彼は今医者を続けている者に対する同情の意を示した。今頃その医者は食い物に困り他人の不幸を願って、そんな自分に嫌気が差し情熱を忘れていやしないかと。


 そんな彼の話を聞いたジローは直様話に出てきた医者の元へ向かった。ジローを突き動かしたのは安い正義感でも急な腹痛でもなく、一攫千金の匂いだった。


 病院の受付に嘘の症状を申告した彼は病人を偽り、唯一常駐している医者のところへ。彼以外に来院者も居ない中態とらしい咳払いが院内に反響した。


 問診が始まるとその医者の質問を適当に流しながら、ジローは本題を切り出した。


ジ「お医者さんさ、もしかして今食べ物に困ってます?」


ス「――医者は娯楽と違って需要の最低保証があるから食事が取れないなんて事は無いけど、確かに困ってる面もあるかもな。――何でそんな事聞くんだ?」


ジ「いやね、最近起きてる失踪事件――ほら血溜まりと衣服だけ残して消えるやつ。ああいう一件が清掃屋と警察だけに持ってかれたら勿体無いと思ったんすよ」


 その場に衣服だけではなく怪我人が倒れていたなら、清掃屋と警察の仕事そのままに病院へも仕事が回ってきていた。が、そもそもの話ゼロから人の命を使って仕事を生み出す行為は違法とされている。


 ジローがこの拠点の法律について知る由も無く、スタインは彼の発言を聞いて故意に怪我人を作ろうとしている旨を悟った。加えてそれが悪魔の囁きである事も理解していたが、医療機関の需要低下に端を発していると知った彼はより多くの患者を完治させる事で同僚の心配を払拭する良い機会だとして、ジローの案に乗った。


 それ以降ジローとビクトリアの食事は人肉から三食分の様々な食材に格上げされ、彼等が避難民に渡していた骨粉は肉屋から得られる異形の骨で賄われていった。又スタインも運ばれてくる怪我人が増えた事で食べ物に関する困り事が解消された。


 何もしていないジロー達を医者が継続して評価すれば怪しまれるのは目に見えているとして、彼等は互いに評価を残す事はしなかった。ジローとビクトリアの食糧はスタインが自らの評価で買った物であり、二人は今尚評価から遠ざかった生活をしている。


 拠点内には通り魔への注意喚起を促す張り紙が至るところに貼られた。この件は当初僅かな肉片と服、そして血溜まりを残して人が消えた事から異形の仕業である可能性についても追求されていて、その線は伏せられたまま調査されていた。この件で避難民と同じくらい肩身の狭い思いをする事になったのが、異形を赤子から育てるという取り組みをしていた者達だった。


 施設入り口にまで貼られた物騒な張り紙を読んでいるシャルと少年。彼等は稽古の時間を迎えて師匠の到着を待ち侘びていた。


 異形の骨はある程度の強度とバラバラの重量に加え、棒状の形を多く持っている為手っ取り早く調達出来る稽古道具だった。肉屋から貰った骨を武器に見立てて武術を習い始めた二人は、下手な反復練習よりも競争に身を置く方が好みの育ち盛り。チャンバラが楽しくて仕方がない彼等が振るう、軽い音を立てぶつかり合う骨は宛ら無銘の刀。


 シャル達の先生となったアスターはそんな彼等に対する最初の課題として、骨を一撃で砕く事を提案していた。彼はこの提案をした際、二人の前で実際に骨を振り下ろし二つに割って見せる事で師としての尊厳を確立した。


 自身の模範とするに最高の相手を見つけた二人からの熱烈なアンコールを受けて、彼はその後肉屋から骨が尽きるまで薪割りならぬ骨割りをする事になった。彼の考えでは武器に力を乗せる感覚が養われた証拠として骨が割れるだけであって、彼は同じ振り方を繰り返しこれを身に付けた二人が実戦で応用出来るのかを懸念していた。


 チャンバラ中の二人には力を乗せようという素振りさえ無かったが、アスターはそれを相手を気遣っての事だろうと解釈した。








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