十二話


 フルート以外の人物を招いたのは久方ぶりとなったアスター。彼がその気になれば彼女の手で外出する手段を整えられたのだが、彼は周囲の人物が持つ自身への認識を結晶体の方で留めておきたいようだ。その証拠に彼は葉巻など結晶体で用いる物をフルートに製作してもらっているが、アスター本人の身の回りに彼が要求した物は何一つ無かった。


 外骨格を頼んでいなかった事に今更彼が悔いを話したりはしなかったが、やはり別れ際には寂しさが付き纏う。フルートに見透かされた心情を、本体で過ごしている時間の内数少ない楽しみが終わっただけであると、苦しい言い訳で三人を追い出すようにしてお開きとなった。


 日が沈んで酒場のみが煌々と灯りを照らす時間帯。その明るさと裏腹に店の外へ漏れてくるのは討伐任務失敗による先行きへの不安など、後ろ向きな話題が殆どだった。


 重傷者の惨憺たる有り様と退却してきた者達の表情を見たその夜に、笑いながら酒が飲める猛者などこの拠点には居ない。死者が多数出た作戦の後ともなれば尚更だ。


 居心地が悪い夜の酒盛りは酔うに酔えないと切り上げていく者達もいる。その目にはいささかも酔いなど回っていなかった。


 翌日を迎えられる可能性が一気に下がったとはいえ、懿卡護様が人と同じ朝昼晩のタイミングで捕食している事実もあった。こんな夜だからこそ酒に呑まれてしまうのも、或いは賢いやり方なのかもしれない。


 人によってはその酒の役割を果たすものが飲食物ではなく、とある行為とする者も居るだろう。


同僚の医者「お疲れ様」


ス「おお、お疲れさん。てっきりもう酒場に行ったのかと思ってたぜ」


同僚の医者「ふっ、手袋を血塗れになんかしなくてもちゃんと医者は評価される――そうだろ?」


ス「ハイテク機器の次くらいにはな」


 一人重傷者が完治するまでの容態を見守っていたスタイン。そこへ他の重傷者を治し終えた同僚が合流した。


 まだザ・サミットへ来てから数える程しか経っていないスタインを、彼は人一倍仕事熱心な努力家であると評価していた。地下とは違う新たな環境で仕事に慣れていないのは良くある事であり、そこを定時で帰るか一時間でも長く働いていくかは人による。


 医療機器で患者を治療している最中の終業となった彼等。後を機械へ任せて飲まないかという同僚の誘いに一度は首を横に振ったスタインだったが、医者はこれからも必要とされていくとの言葉を聞いて考えを改めた。


 酒場は既に空席が目立ち、泥酔した客が声を張り上げて更なる酒を求めている。酒と料理の匂いに混じって何処か漂う腐敗臭に目を瞑り、二人は適当な席を探した。


肉屋「良いところに来たなお二人さん。二人寂しくなんて言わずに飲んでいかないか?」


同僚の医者「(スタインと目配せして)――『俺の武勇伝を聞かせてやるからよ』が抜けてるぞ」


 肉屋がジョッキで三杯目を空けてしまいそのまま四杯目へ。スタインが一度も武勇伝を聞いていないとあって、それまでとは違った美味い酒が飲める事を肉屋は確信した。


 何よりもまずは一口その味を確かめて、それから死ぬまで拠点で語り続けていくであろう己が武勇伝について肉屋は話し始めた。歴史に残る手柄だと豪語する肉屋がその出来事を体験したのは、まだ地下で妻と暮らしていた時のこと。


 夫婦で宝飾店を営み順風満帆な生活を送っていた肉屋――ややこしいが便宜上このまま人物としての肉屋とする――肉屋は、地下に暮らす住人の中では裕福な部類に入る家庭だった。地下では一日三食に主食主菜副菜の三つ以上品数があり、服装が毎日変わって、子供が居れば居るほど裕福に見られていた。


 彼等夫婦は子宝にこそ恵まれなかったものの、食事は二人で四品以上を作り毎月のショッピングデートも欠かさなかった。そんなある日。


 店を訪れた顧客からの垂れ込みで肉屋は忘れ掛けていたとある宝石を思い出した。地下では極端に裕福な生活やそれを象徴するような物品は禁じられていた為、彼の店では人工物の宝飾しか取り扱っていなかった。だが初日の開店前までは天然物の宝石もたった一つとはいえ在庫があったのだ。


 不要だった事から店の看板商品に据えてみようと考えていた肉屋だが、開店を目前に控えたところで役人にその事が知れてしまい、敢えなく没収となっていた。あわよくば売れたら良い程度の考えでしかなかった為、その時は彼も不要品が処分出来て満足だった。


 それから月日が流れて、没収された宝石がとある位の高い役人の装飾品になっていたという垂れ込みは贅沢を禁止された平民としての肉屋に火を付けた。


 人伝に聞いた話だけでは真実は見えてこない――情報をくれた顧客が見たという場所で肉屋も自らその宝飾を確かめた。そして彼は役人ばかりが贅沢をしているのではないかと疑うようになった。


 この時既に自身が訴えられるという最悪の事態を想定していた肉屋だったが、まさか刻印が顎に入る事になろうとは考えもしていなかった。


 明くる日。再び店へとやってきた顧客に肉屋は協力を仰いだ。天然物の宝石を嗜んでいた人物やその生活ぶりを調査し、貴族が潜んでいる事を世に知らしめようと企てたのだ。


肉屋「結論から言えば奴はクロ――貴族様だったよ。政府の奴等全員がそうって訳じゃないんだろうけどな、今となっては確かめようも無いさ」


ス「――俺はお前さんより後に追放されたけどよ、それまで一回もお偉いがたが貴族みたいな生活してるなんて聞かなかったぞ」


肉屋「そりゃ俺が現行犯で、客も直後に捕まったからだ。地下の奴等は今も悪い噂程度にしか思ってないんじゃないか。文献に載ってない謎の食べ物が食糧庫に保管されていたって言われても、信じるのは好奇心旺盛な子供くらいだろ――証拠が無ければ、な」


 肉屋が証拠と言って指し示したのは自身の顎だった。冷静に話を聞いている者へ彼がこの証拠を示しても、食糧庫に侵入したのであれば当然なのではないかと一蹴される事が多い。だから彼はスタインのように、謎の食べ物について前のめりに聞いてくる者と出会うと酒が捗った。


 一人の役人を疑った当時の彼はその身の回りを調査していた。それが何故食糧庫へ侵入する事になったのか。


 肉屋と顧客がその役人を代わるがわる尾行していて、その日は丁度肉屋の番だった。中央機関から最も遠い場所である際涯壁の近辺――人が寄り付かない更地の視察に訪れた役人が、職務を終えて帰路についた。


 際涯壁は文字通り地下空間の終わりに聳える外壁なのだが、恰もその先に世界が広がっているかのように風景が投影される。


 内側へ湾曲した壁に覆われて空と呼べるかも怪しい上空から降る雨、決してこちら側へ歩いてこない壁の向こうの住人、それらを考える程に際立つ壁一面の理想郷――遠目に見れば実景であると錯覚さえ起こすその壁も、近づいてみれば現実と理想の鏡合わせとなる。


 壁の奥に広がる世界は地下の延長のように見えて別世界なのだと、そんな現実は地下へ避難した代で早々に忘れてしまうのが吉とされた。


 肉屋は自らの不運を嘆きながら役人の跡をつけた。役人が何の目的で現実を直視しに行ったのかまでは分からないままとなり、彼はこの回の尾行が後味の悪いものになると予感していた。


 それを助長するかのように役人が帰り道に通ったのは、街の下に張り巡らされた排水路だった。降らせた雨の排水を行う目的の他に脱出路としての役割も担っている排水路は、一般人の立ち入りが制限されていない。


 此処での生活は排水路に住まねばならない程に困窮する事はあっても、実際に排水路で住む者など居ない。何故ならそれは自殺行為だからだ。


 政府による救済措置では申請した者に一定額の金を給付しているが、これは主に比較的裕福な層からの税収によって賄われている。


 救済措置を申請せず路上で暮らす決断をした者でさえ稀な街である。雨を凌げる排水路に拠点を構える者が居ないのは、わざわざそこに住む必要が無い事ともう一つ、降る雨は凌げても溜まった雨は凌げない事にあった。


 もしも脱出路として活用した際、異形が棲みついていたら逃げようにも逃げられない。定期的に大雨を降らせるのには、排水路で堰き止めた水を一気に放流する事で異形が排出口に巣くうのを防ぐ狙いがあった。


 マンホールには降水と同時に鍵が掛かる為、雨が降っているのに気付いた時には手遅れ。運良く溺死を免れたとしてもスキージャンプ宛らのビッグフライトを断崖から決めればどの道命は無い。


 人の目に触れない排水路の点検をしていく程度には仕事をしているのだろう――肉屋は望ましくもありつつ不本意な役人の姿ばかりを目撃して溜め息が止まらなかった。


 人々の暮らしを思って働く役人は民にとって有り難い存在であり、それは望ましい事だろう。それが肉屋のみならず住人達の本意でもある。


 だがこの役人が日頃から贅沢をしている可能性が高い以上、肉屋は手放しで受け入れる事が出来なかった。自身が知らないだけで身の回りにも贅沢をしている人がいるのか、一定以上の社会的地位が有ればそれが許されるのか、何故民に疑いを抱かせるような行動を役人自らがとるのか――彼は権威主義と無個性化を推し進めた政府に、まんまと飼い慣らされていた気分だった。


肉屋「――で、距離を空けてついて行ったんだが何と何と……隠し扉があったんだよ」


ス「水溜めるだけの所にか? お宝の匂いがするな」


肉屋「俺もこんな仕掛けを施すくらいだから何かしら隠したい物があるだろうと思ったんだ。その先で奴等を見失っちまった代わりに面白い場所に出たから引き返せなくなってよ」


 肉屋は本来の目的から逸れた事を理解した上で、それ以上に秘匿されてきた可能性を予感させる「何か」に高ぶっていた。









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