十三話
彼が言う面白い場所とは他でもない食糧庫の事なのだが、脱出路でもある排水路と隠し通路で繋がっていたという事実はスタインを驚かせるに至らなかった。
脱出路に指定されてはいる排水路。彼等が地下で生活しているのは地上を追われたからであり、地下をも追われたとなれば行き場はいよいよ無くなる。地下を脱出する事は死を迎え入れに行くようなもの――真面に争う術を持たない彼等にとっては直前まで出し渋りたくなる最終手段なのだ。
肉屋が見つけた隠し通路の意義も、いざとなれば地下の地下で生活する事を厭わない設計となっていただけだった。勿論彼は排水路から繋がる隠し通路の先にあった食糧庫を、子供が裏道を冒険するような好奇心で「面白い場所」と表現した訳ではなかった。
あの街に出回っている食材は全て食糧庫から搬出されている。食品を必要とする販売業が政府からそれを買い加工するなりした上で消費者へ届けられるが、詰まるところ食糧庫には彼等が口にしている食材が揃っているという事になる。
肉屋は行き着いてすぐにそこが食糧庫であると気付いたが、それは山積みの食材を目にしたからではなく、謎の物体が食材へと姿を変えて搬出されていく瞬間を目撃したからだった。
変わる食材毎にタンクで分けられた液状の物体はスライムのような粘着性を持ち白光りしていた。どのタンクにも同一の物体が蓄えられていて、それが食材となり何食わぬ顔で食卓に並んでいく―― 今まで食してきた料理が得体の知れない何かだったと分かり彼が不快感を覚えたのも事実だったが、夫婦の時間を覆す程のものではなかった。
食糧庫の光景を見た肉屋は、まるで世界が仮想現実である事を証明するバグに遭遇した気分だった。好奇心に駆られて〔林檎〕と記されたタンクによじ登った彼は、中身をつついたその指を舐めて驚愕した。
彼の脳は味覚や嗅覚から伝達された情報に、未知の物体を林檎だと認識したのだ。それに反して視覚は林檎とはかけ離れた物体を捉えており、彼の脳は若干混乱した。
林檎だけに留まらず彼は様々なタンクを調べた。多様な食材に七変化する謎の物体はそれぞれの食材の特徴が完璧に反映されていて、後は姿を変えるのみとした状態で保管されていた。
生の食材だと思い食べていたものが未知の物体だったという世紀の大発見に、肉屋は思わず舞い上がってその光景を仲間の顧客に中継しようと試みた。その時初めて彼は通信端末が機能していない事に気付いたと言う。
肉屋「引き返せなくなるまでは思いもしなかったが、尾行がバレて誘い込まれてたんだろうな。俺が史上初の罪を犯すまで奴等に泳がされてたって感じもある」
ス「――なるほど、顎が証拠って言ったのはお前さんが裕福だった事が前提にある訳だ。俺は今の今まで天然物の宝石が現存してたとは知らなかった訳だが、この拠点にも天然物はあるのか?」
肉屋「いや無いな。俺が知る限り持ってる奴は居ない。……待て、読めたぞ。お前もやっぱりそっち側についちまうのか」
同僚の医者「貴方は酒の場に限って核心を話し切らずに勿体振る癖がある」
武勇伝を肴にして飲む凡酒は一人で飲む名酒に勝るとの考えから肉屋は酒の席で武勇伝を話す時、山場であっても二分するように仕向けて出来るだけ長く酒の当てにしていた。
山場の後半は同じく食糧庫から。通信端末が機能せず証拠を残せなくなった肉屋はここで一度引き返そうとした。彼が入ってきた時には既に開いていて存在にすら気付かなかった隠し扉――それが閉まっていた事で彼は腹を括った。
彼は追放という処分が下されればリフト前で妻と話す機会があると踏んで、捕まるまでとことん探る事にした。自身の見たものを妻や顧客に信じてもらえない可能性の方が高く、それだけに新たな発見の重大さと比例して遣る瀬無い思いが募った。
街での生活で見慣れた食材の名前が記されたタンクが並ぶ中に、そのタンクはあった。構造も中身も同じそのタンクには食材の名前など一切書かれておらず、他のに比べて搬出されていく様子は無かった――少なくとも肉屋が近づくまでは。
接近した直後に造形され出てきた一つの食材を見て、彼はそれが何なのかすぐには理解出来なかった――真っ黒な棒状のものにくっついて出てきた鮮紅色の塊が食材で、直感的に忌避すべき物である事を除いて。
それは生肉だった。この世界に存在してきたあらゆる生物に該当しない、新鮮というだけでは説明がつかない程に食う者を魅了する生肉。
街に出回らないその食材こそ肉屋が歴史に残ると豪語する一品だった。彼は誰かの買い物やも知れぬ不審な生肉を摘み食いし、その味につい舌鼓を打って平らげてしまった。
それからは追放まで流れるように事が進み、今に至る。地上へ出た肉屋最初の食事はスタイン達も襲われた昆虫型の異形だった。「最高の口直しだった」などと言って五杯目のジョッキを空ける彼とは対照的にスタインはつまみへ殆ど手をつけず、酒もまだ一杯目の半分ほど。
肉屋「こういう話の醍醐味は嘘か本当かを議論する事じゃない。もしお前が面白いと思ってくれたならこの話が本当だと仮定して、その後先に何があるのか膨らませるのが面白いんだ」
ス「――それもそうだな。密かにその肉を食糧としてた奴がいて、そいつは恐らく政府に近かったんじゃないか。食糧庫で普通に保管されてたみたいだし、そこにお前さんを誘い込んだのが役人だからな」
同僚の医者「これも貴族様が有する特権の一つに過ぎないという事か」
ス「まぁ逸るなって。俺は陰謀論が好きでな、もしかしたら俺達――いや、この惑星まるっと乗っ取られる瀬戸際なのかもしれん」
スタイン曰く、突如現れたとされている異形が実は惑星外から持ち込まれた生物であり、それによって人が地下へと追いやられた際に支配層が入れ替わったのではないかとした。
謎の技術や謎の食糧は異星人が持ち込んだものであるとして、その根拠を何の前触れも無く現れた異形に置いたスタイン。そもそもの話、異形という存在の発生起源などについて全く調査は進められていないのが現実だ。
地下の住人を束ねる政府やザ・サミットで指揮を取るクドゥ、加えて嘗ての中央都市「
スタインの推理も良い肴とした肉屋。自分で作った料理を他人に食べてもらう喜びは彼も知っていたが、流石に酒が回ってきたらしい。箸が進まなかったスタインの代わりにつまみを完食して、彼は上機嫌に立ち去った。
続きをまた今度に持ち越すくらい彼にとっては至福のひと時である。次の新たな居住者が現れるまで長ければ半年以上間が空く事もある為、彼が勿体振るのも仕方ない事なのだ。
こうしてザ・サミット創立以来となる未曾有の夜は泥酔と
世界調査から帰還してきた隊員も活気が減衰した拠点の姿を目の当たりにして、大衆へ言い広める情報に一段と気を遣っていた。いつもなら評価の為にも良いニュースと悪いニュースを全て包み隠さず公開している彼等だが、今回は悪いニュースを流しても誰一人得をしないと判断した。
それは正しい選択だった。懿卡護様と思しき異形による深夜帯の捕食行為があった事を聞きたい者など、今のザ・サミットには居ない。
睡眠が凶報に左右されるような性格ではないコラスと千二百七番は、今日も今日とて平調な朝を迎えていた。ハートから渡したい物があると告げられ彼等がやって来たのは、収集品の機械で成り立つ小さな武具屋。
特注で武器や防具の製造を行っているこの店で、ハートはコラス達の防具を作ってもらえるよう取り計らうつもりだった。入りたてで取り引きが難しい新人への世話役からのプレゼントは、これまでに多くの命を守ってきた。
コラス達は各々の個性が強く出る武器を作らず、製造したのは防具だけ。異形に対しては特に防具の必要性を感じていないコラスと反対に、千二百七番は軽装を手に入れて戦力が上昇した。
今やこの拠点随一の財産家となったコラスに取り引きを肩代わりしてもらうメリットがあるとすれば、評価をする手間が省ける事だ。
自身の分だけでも短文になりがちなコラスが、二人分をとなると尚更評価は疎かになっていた。千二百七番の分は評価を残せない彼女の取り引きの様子を見て彼が代行していたが、その評価に彼はあまり価値を見い出せていなかった。
武具屋での用事を終えてハートが次に二人を誘ったのは、児童保護施設。親が殉職するなどして身寄りを無くした子供はこの施設へ保護される。こういった子供の保護も対外任務には付き物と言えるが、外部からや拠点内での犯罪行為によるものを除けば保護される人数は減少傾向にあった。
理由は罪人の増加と常人の戦術向上によって戦死者が減った相関的なもので、そこには非致死性兵器の発達も大きく寄与している。
それでも親を無くす子供が居なくならないからこそ、某研究者は少しでも平穏な生活を送れるようにと日々研究に努めているのだ。
千二百七番を見つけるなり彼女の方へすっ飛んできたシャル。同郷の子供達も年長の少年以外集まっていたが、年長の少女を始め親の死を理解出来る年齢の子供達は、皆一様に消沈していた。
千二百七番は頬擦りに積極的でないシャルを母親のように優しく抱き寄せた。その様子を見ていたコラスが僅かに覚えた頭の痛みは、子供達の心の傷に比べれば些細なものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます