十一話
人面による索敵と触手の猛追――分体同士の連携に隙は無かった。巣を攻撃された蜂群が如く作戦区域の中心部から迫る敵に見つからず降下地点へと引き上げるのは、光学迷彩の力を持ってしても困難だった。
待ち伏せを受けた際に懿卡護様は姿を自在に消せる存在が居る事を学んだ。姿が見えずとも音が聞こえ臭いがすれば、そこには餌が居る可能性があると。
二人が疾走する間にも何処からともなく叫喚が響き渡り、続け様に煙玉等の炸裂する音がこだました。ブイズは仲間の窮地を察する余り、追っ手を迎え撃とうかという殺気だった眼光で後方を見遣った。
人面との距離は詰まる一方。更にその後方からは触手も接近していた。降下地点まで残り少しとなったところ、ブイズの心中を見抜いたタイラーは煽り文句を添えて、機体へ接近する直前に投擲型の非致死性兵器を使用する提案をした。
非致死性兵器の一部は生成に必要とされる素材が安定供給まで至っていない為、分配制となっている。配られるのは戦闘任務に関わる者のみで、任務中に使用するかの判断も所有者に委ねられる。どの兵器をどれくらい持っているかは隊員達が集団で作戦に当たる上で、役割を決める為の指標にもなっているのだ。
タイラー達程の実力者が複数人伴えば中型以下の異形にこれを使わず制する事は不可能ではない。仮に使用したとしてもその場合は設置型の落とし穴等が優先されるだろう。
触手や人面は単体で見れば中型以下に該当するが、飛行している為設置型の兵器が通用しなかった。加えて彼等は触手に対して有効と見られる攻撃手段を持ち合わせていなかった。
タイラーの提案を呑んでブイズは腰にぶら下げた兵器へ手を掛けた――天を衝く咆哮に肝を潰して再び彼が振り返った時、既に追っ手の姿は彼等の背後から消えていた。
新たな異形の襲撃がブイズの頭を過ぎった。断続的に獣の雄叫びや地響きが響いてくるようになり、それは彼等の進行方向とは逆の方角から来ていた。
これを好機とみた二人は機体まで一気に駆け抜けた。程無く地上に未搭乗者が居ないかの確認が済むと、出撃していた機体は一斉に作戦区域の離脱へと移った。
未だ師が負ける姿を想像出来ずにいたブイズ――アスターの返事が無かった事で無理矢理にでも納得せざるを得ない状況となっていた。機体が上昇した際にそこから見えた光景は、そんな彼の葛藤を吹き飛ばすものだった。
作戦区域で獣宛らに哮り懿卡護様の分体と交戦するアスターの姿がそこにはあった。自らも大型の異形へと変身し、生き残った仲間が退却する時間を稼ぐべく分体二体を相手に善戦していた。
彼が再起に時間を要した理由は勿論外傷の為だが、酸による結晶体へのダメージはゼロに等しかった。攻撃を仕掛け精神が昂りかけたところへの酸による反撃は、彼に遠隔である事を忘れさせ生身必死の経験として死を猛烈に予感させた。
そこから立て直して再び彼が能力を発動させるのは容易ではなかったのだ。
アスターが異形を引き止めた甲斐もあって先発隊の多くは生還し今に至る。
フ「何かと思えばひ弱な討伐隊のご帰還ね。まぁでもヤニカスも帰ってないし、イカガミサマってのはそれだけ強い相手だったってことよ。……これから私彼奴の――アスターのところに行くけど、あんた等も来る?」
研究服から着替え小綺麗な身なりとなったフルートに誘われてコラス達がやってきたのは、ザ・サミットの地下。聖痕の効果範囲一杯に居住区を築いて、それでも足りないところは聖痕領域の外にも順次建設が進められていた。
今日まで地下に生きる中型以上の異形が発見されていなかった住人達の幸運も、対処不能の強大な敵が「突然現れた」事で終わりを告げる。役所には聖痕領域外に居住する住人が詰め掛け、先の討伐作戦で領域内の住居に空きが出来ていないかを問い合わせていた。
そんな人々の心機を窺ってフルートは若干歩を早める。地上での騒ぎを見て逸早く役所へと駆け込む程度には頭が回る領域外の住人達が、何故もっと早くにそれを発揮しないのか――俗人の行動は彼女の理解の範疇を超えていた。
建設初期の居住区であるほど室内の作りは立派になっている。拠点に対するアスターの貢献度は目覚ましいものが有り、それが考慮されて彼には地下の一等地へ優先的に住む権利が与えられていた。だが彼がその権利を行使した事は一度も無い。
家族四人でも広々と使えるリビングなど、介助ロボットの手を借りなければベッドの上から動けない彼にとっては宝の持ち腐れに等しかった。
一室で生活機能を満たせる程に集約された部屋――そのベッドには四肢の無い男が横たわっていた。四肢の断面が結晶化したこの男こそアスター本人である。
フルートは素っ気ない挨拶を交わして手土産を彼の傍へ。そのまま言葉や能力では測り切れないお互いの胸懐を確かめ合う。
初めての空間にやって来た千二百七番は安全確認を必ずしている。今回引っ掛かったのはベッドの下と知らない人物だけだったが、確認を済まそうにも二人の世界へと入り込んでいるフルート達に彼女は近寄り難い雰囲気を感じ取った。同時に彼等の行動によって欲が刺激された彼女は感情のごく僅かな高ぶりに委ね、彼等が何をしているのか覗き込もうとしていた。
出会った最初の頃は利害関係により取り持たれた唯の仲間という関係だったアスターとフルート。今では恋人へとその仲を深め、こうして毎日フルートがアスターの元を訪れていた。
彼女はアスター本人と接する時、結晶体の彼に対してとっていた態度から言動を軟化させる。分身とも言える結晶体を操れるからこそ異形と戦う事が出来るアスターだが、結晶体も万能ではない。過度に力を使ってしまうと今回のように本人との連関が途絶え、一定時間能力の発動が不可能となる。
そうなると彼はこの世で最も嫌っている過ごし方――本体での生活を強制される。どんなに彼が理想の自分を思い描いても幻想にしかならず、そうする程に目を開けた時の天井は虚しく現実を突き付けた。
天井に設置されたモニターはせめて彼が能力を解除した直後のケアだけでも出来ればと、フルートが通話用に取り付けた物である。彼女は自身の能力によって見抜いたのだ――結晶体の彼は虚像であり本人は虚栄に生きていると。
ア「あんまり見られて気分の良い様じゃないんだけどな。いいか小僧、フルートがお前を連れて来たから追い出したりしないが、矢鱈に人をここへ連れて来たりするなよ」
コ「――分かった」
審判の日に前触れなどなかった彼等。その全員が自らの罪を明白にこれと自覚している訳ではなかった。分かりやすい犯罪行為が問われれば罪状と合わせて予想をつけられたが、いつもと変わらぬ暮らしの中で突然身に覚えの無い罪を言い渡されようものなら、最後まで反抗してみせるか将又記憶を何度も遡るより他無かった。
コラスは判決当初、自身の罪を理解していなかった。彼は追放されて以来足首に付けたままの御守りへ込めた願いすら忘れ、思考を放棄している事さえある。己れの罪と向き合う日など永遠に来ないかもしれない。
コラスから見て人生の先輩であり罪人としての先輩でもあるアスターは、能力強化の観点から罪と向き合う重要性を語る。望んだ訳ではないにしろ得た能力は一生物であり、それならば上手く付き合っていくしかなかった。
アスターの人間離れした戦闘力が能力によって支えられているのは歴然とした事実である。では刻印が施された瞬間から彼がこうだったのかというとその様な事はなく、彼も今に至るまで幾度となく罪を振り返ってきた。
コラスの能力が使い方次第でアスター以上の無双を見せる可能性を秘めている事は、アスター本人も気付いていた。だがコラスには振り返れる罪も参考となる記憶も無い。能力を強化するには欠かせないとされるそれらを取り戻す事こそ、今のコラスがすべき事なのではないかと彼は言った。
ア「……暫くこの街に留まってきっかけに出会えないようなら、旅立つといいさ。お前がすべき事は傷を舐め合う事じゃないと思うぜ」
記憶を失っていた自覚すら無かったコラスにとっては重い現実だった。齢十二にして親元から離れざるを得なかったのだ、感情に表さないまでも瞬きの一つくらい多めにしてしまうものである。
そこに見え隠れする情動に千二百七番が気付かないのは唯の瞬きなので無理もないが、コラスの親世代であり子を持った経験があるフルートは積極的なフォローを見せた。仮にそれがコラスにとってお節介だったとしても彼女は同じ姿勢を貫いただろう。
彼女は我が子の亡骸を前にした時、誓いを立てていた。原動力を主観性とすり替えず、子供以上に愛すべき存在を作らない――座右の銘とも言えるこの誓いを彼女は片時も忘れた事が無かった。
今晩は自身の家へ泊まっていくようコラス達へ提案するフルート。例によって断らないコラス。
彼女の能力を以ってしても彼の本心は計り知れない。彼女による一連のフォローを彼がどう感じたのか、当人の口から語られる事も無い。
四人で夕食を囲む様はまるで本物の家族のように団欒していた。コラスや千二百七番は普段と変わらず無言での食事だったが、黙々と食べる二人をフルート達は喜ばしく思っていた。
彼等が家族を彷彿としているのを耳にしながらコラスはのんびりと食べ進める。彼等の為に暫く拠点に留まるのも良いのではないか――おかわりを装ってもらいながら、コラスはそんな思いを抱き始めていた。
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