中章 十話


肉屋「イイねぇ、ものを食うだけで人を幸せに出来るとは最高じゃないか。爬虫類みたいな顔で食ってた嫁とは大違いだぜ」


 前歯で齧り付き奥歯で磨り潰して飲み込む――至って普通の食事だが千二百七番の場合は咀嚼を止めず次々に食糧を口へ押し込んでいく。頰をぱんぱんにして食べ続ける様は栗鼠のそれにも重なるところがあり、そんな小動物みが肉屋の好みに刺さった。


 追放されて其切となった妻を侮る肉屋の発言。そこに来訪した次客が待ったを掛けた。昼飯の食材を買い出しにきたというフルートは肉屋にとって珍客であり、異形解体後の骨などを求めに来る事はあっても食材目当てに来店する事はまず無かった。


 彼女は子供に対してパートナーとの不幸せそうな話を聞かせるメリットを肉屋へ問う。笑いになる事以外のメリットなど特に考えもしていなかった肉屋は話題を変え、自身の罪を武勇伝と称して語ろうとした。


 追放を承知の上で働いた肉屋一世一代の尾行の話もまた今度と突き放して、フルートはコラス達を自身の家へと誘い込んだ。彼女はコラスの存在を知った時からその能力に研究対象として惚れ込んでいた。それもそのはず、異形から問答無用で身を守れるだけでなく使い方次第では相手を一思いに潰してしまえる正に無敵の能力。もしもその仕組みを解明する事が出来ればコラスの様な結界を全人類が手にする日も夢ではなく、そうなれば地上は奪還したも同然だった。


 研究者にとってコラスの能力は最も胸躍る研究対象の一つである。フルートは帰宅して早々コラスに協力を要請し、了解が得られると現行の如何なる研究をも後回しにして結界の解明に着手した。


 罪人の罪により能力は左右されてもそれを発現させている黒い結晶体は本を正せば同一の物質だ。アスターの結晶体を研究して得た知識は十分に流用可能であると彼女は気付いていたからこそ、量産兵の研究を放置する選択を厭わなかった。


 軈て千二百七番の昼寝を夕陽が妨げる頃。


フ「う〜ん……やっぱりそう簡単にはいかないかー」


 結晶体を割ればそれ自体のサンプルは容易に手にする事が出来る上に、割れた部分も数時間後には元通り。しかし能力のサンプルはそうはいかなかった。宿った本人から欠ける、削れるなどして分離した結晶体はその時点で能力に関わる委細を消失し、唯の黒い結晶となる。


 こうなると常時能力が発動しているコラスの様な罪人の場合は、結晶体の活性時と非活性時のデータを揃える事すら出来ない。フルートの手元にはアスターの結晶体が非活性時のデータであれば掃いて捨てる程有り、それとコラスの波形を見比べるなど流用は利いていた。


 だが何処まで行っても他人の結晶体非活性時データである事に変わりは無い。コラスの協力はすれど積極性に欠ける姿勢も相俟って、結界の研究は早々に頓挫した。


 フルートにはそうなる事も予測済み。主に結晶体の研究家である彼女は研究材料にも生物なまものの一面があると考えている。


 コラスの結晶体にはアスターが吸う葉巻の様な役割を担う装置が取り付けられた。そしてコラスは夕暮れ時に必ず彼女の元へ赴き、装置で計測したデータと照らし合わせながら一日の動きを報告する事を要求されたのだった。


 彼を誘いに肉屋へ近づき何も買わず去るのでは体裁が悪いとしてフルートが買っていた肉。それが保存容器ごと今日のお礼として彼等へ渡された。適量の完全食と水だけの食生活を送り始めて久しいフルートに、肉塊へ齧り付くだけの食欲は湧かなかった。


 高積雲が夕焼けの空をのさばる。拠点周辺に巣くう異形等の哮り立つ声は、働き者の人々を急き立てるように彼等の鼓動へ干渉する。


 コラス達が本通りへ出ると再び肉屋の前を通った。屋台で一人肉を捌いていた中年の凡夫の姿はそこには無く、肉切り包丁は乱雑に肉塊へ突き立てたままとなっていた。肉屋だけではなく広場から一時的に立ち退かざるを得なくなり本通りに移転した他屋台も、本通りの店で働く店員も、騒ぎを嗅ぎつけた者は挙って広場へ集まった。


 広場には退却してきた飛行車両が一台、また一台と着陸してくる。待機していた救護班がそこへ乗り込むも、連れ出されて降りてくる隊員より無傷で帰還した隊員の方が多く、騒めく野次馬。


 隊員の中には腕や脚を千切られ命辛々退却してきた者もいた。それでも生きて帰れただけ御の字というもの。隊員達は出撃時から遥かにその人数を減らしていたが、知人や身内が帰らない事に任務の顛末を察する野次馬もいた。


 それは約二時間前―― 懿卡護様の討伐へ向けて編成された部隊の出兵式が広場にて行われていた。討伐任務には毎回勇猛な精鋭達が名乗りを上げ、志願者だけで増援部隊も編成されるほど。


 先刻勃発した交戦にて暴れそびれたアスターは勿論、ブイズやタイラーも先発隊として参加したこの作戦。その手順は先ず先発隊が乗り込み作戦に支障が出ないよう作戦区域周辺の異形を掃討する事からだった。


 非致死性兵器と――閃光弾等、主に相手の五感を阻害する物を所持――数的有利により狩られた異形は倒れた側から火を放たれ、即席の鹿驚として機能し始めた。そして死骸から立ち上る火を合図に開拓地へ犯罪者が送り込まれた。


 続いて懿卡護様を待ち伏せる段階となるがここに対象が現れた際、作戦区域に留まる最短時間は三秒足らずと試算された。尚、飽く迄この時間は対象が捕食を妨害されたり敵対生物に出会したりしない事を前提に試算されていた為、隊員達が戦闘へと持ち込めれば話は変わる。


 裏を返せば彼等は一瞬にして姿を現し草木の喧騒の内に立ち去っていく対象を足止めする必要があった。更に言えばそこから分体が招喚された直後までを想定した手筈で決め切るのが理想とされ、隊員達は長期戦には臨まない方向でいた。


 光学迷彩により背景と同化した彼等は、犯罪者の集団へ目を凝らした。狙撃班の射線上にはまだ項垂れる犯罪者しか居ない。


 標的が来る保証は何処にも無かった。縄張りを捨て世界へ解き放たれた教戒の異形――それを誘き寄せる餌という極刑に、犯罪者達は皆遭遇せずして被食者である事を再認識した。


 肉の焦げた臭いに唸らざるを得なかったのだろう――木の葉にそれを擦りつけながら飄々と風は吹き抜けていた。


 ここで死する覚悟を決めた犯罪者達も時が経つに連れて生への未練を覗かせ、今か今かと撤収の時を待った。一段と強い風が吹いた時には血飛沫が飛び散っており、その速さは彼等に走馬灯が過ぎる暇さえ与えないほど。


 狙撃による血濡れの弾丸が彼の異形の母体を直撃した。然程のダメージでなくとも気を引くという目的は果たした銃弾。右腕はそれさえも喰らおうかと触手を着弾点へ伸ばしていた。


 ここぞとばかり、先陣を切って不意打ちを仕掛けたのはアスターだった。槍と化した腕による彼の渾身の一突きは、母体を貫通出来るだけの威力を持って放たれた。


 そうならなかったのは偏に無条件反射を引き起こしてしまったから。胴体に迫った鋒の先鋭に異形の皮膚は反応し、まるでエアバッグのように瞬時にして水疱ができ、膨らんだ。


 破裂した水疱の中から噴き出た大量の液体はアスターだけでなく、周りにいた隊員へも飛び散り流れた。地形をも変えてしまう濃度の酸に巻き込まれた隊員達――先手必勝で仕掛けた不意打ちの失敗は彼等の士気を僅かに揺さぶった。


 だがそれよりも重大な事態に隊長はこのまま継戦するのが得策ではない事を理解していた。彼は酸に浸かったまま立ち上がらないアスターを見て、即座に全隊員へ退却命令を下した。この作戦にはアスターの圧倒的な戦闘力が不可欠だったのだ。


 戦闘からの離脱も当然彼有りき。彼等の怯みを突いて招喚された両の腕の異形は、村での交戦時と同様に隊員達を包囲し、悠々と食事を開始した。前回と違う点としてはその戦い方に撒き散らされた酸の存在が含まれていること、そして人面の包囲外周に強敵が居ないこと。


 右腕の異形は今度は触手の姿を主として人面の包囲の外から内を駆け抜け、隊員達を奇襲した。腕、脚、脇腹、肩――たとえ全身を咥えたとしても右腕の異形は決して一口で喰い切る事をしなかった。


 その様は唯の食事に非ず、無差別に捕食しているように見えて女性のみを残し、享楽をも貪ろうかという無邪気の権化。


 彼女達へ酸を撥ね掛けて異形は反応を面白がった。弄ばれる内に死していく事を恥じた一人の隊員は、自らの武器が真面に通用しないのを承知の上で一矢報いようと右腕の異形へ突貫した。


 威勢も虚しく彼女の攻撃が空を切ると右腕の異形は生き残っている全ての女性隊員を捕らえた。左腕の異形の結界に収められ逆さ吊りにされた彼女達は、自らの半面に迫る酸を呆然と見詰めていた。


タ「――聞いた通りだ、すぐに降下地点まで撤収するぞ」


ブ「(走り出しながら)おい良いのかよ、師匠だって居るんだし加勢に行けばまだ間に合うかも知れないだろ」


タ「行くなら止めはしない。隊長の判断のお陰で死なずに済む堅実な増援部隊共に一人分多く屍を見せてやるだけだ」


 先発隊は作戦区域にいた対象外の異形を掃討した後、万が一にも作戦区域外から新たな異形が侵入してこないよう用心していた。


 退却命令を受けてタイラーは迷わず降下地点へ向かい出しブイズも一応は追随したものの、彼は退却するという判断に納得がいっていなかった。師と仰ぐアスターの無双を、延いては今作戦の成功を彼は信じて疑わなかった。


 確かに懿卡護様はアスターを強敵と認識していた。今の力量で両者が戦ったら懿卡護様が分体一体でアスターに勝つのはほぼ不可能だろう。


 酸がそんな強敵さえも返り討ちにしてくれる魔法の物質である事を懿卡護様は知っていた。銃弾への耐性を得たこの異形は近接攻撃に対する解をも導き出していたのだ。


 アスターが居る限り敗北は無い――それは言い換えればアスターに何かあったら敗北が現実味を帯びてくるということ。


タ「――俺は隊長の判断を尊重する。そしてお前の、自分で確認しなければ納得出来ない性格もな」


ブ「(怒りに唸る)〜ァアくそ! テメェ後で一発殴らせろ!」


タ「何故だ?」


ブ「テメェのクソみてえな性格が気に食わねぇからだよ!」


 タイラーはやり取りの最中、後方の樹間を飛ぶ複数の人面を視認した。


タ「――良いだろう。但し、目と鼻と顎と歯と骨格へのダメージは避けろ」








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