九話


 他方救援隊員は眼前の異形が懿卡護様かどうかよりも重大な問題に直面していた。目視で捉えられない程の速度で移動する懿卡護様と相対して、一体どれくらいの村人を守れるのか。況して半数以上の村人は子が喰われたとあっても地面に伏せ祈りを捧げる中で、彼等の神を攻撃するのが妄信から目を覚まさせる事へ繋がるのか。


 隊員達は様子を窺う決断をした。村人達が崇拝してきた神が化けの皮を現して、それでも彼等がこの異形を神と崇めていたらその時は退治すると胆を決めていたのだ。


 村人の信心も隊員の包囲も気に留めず、懿卡護様は三人目にして初となる子供の肉を味わう。量としては前二人より少ない人の子もこの異形にとっては珍味に等しかったようで、血の一滴までこぼすまいと触手で触手を舐め回し、吐き出した骨を再びしゃぶった挙句、頭は頭皮ごと髪を残して脳まで啜り上げた。


 友があられもない姿へと変わり果てる様を目の当たりにして、子供達は阿鼻叫喚。取り分けそれを間近に見た少年は泡を吹いて倒れ、自らの足では離脱不可能となっていた。


 ハートが姿を消し救出に向かう中、会場までの短距離走に参加しなかった唯一人の少年に対して、千二百七番は頻りに声を掛けていた。安全圏から飛び出ていたのだ、彼は。全く伝わっていなかったがコラスの代弁により、少年は漸く自分の事かと後退りした。


 魚から人の肉へと好みが移りその中でも子の肉を最上と位置付けた捕食者。対する被食者は睨み合いの末先に動いたにも関わらず、食われまいとするには遅鈍極まり無い足運び。


 そこを懿卡護様が見逃す筈も無かった。相手より先に動き後ろへ退がると明示したからには、それを利用して虚を衝くなどの選択肢を有していない限り全力で退がり切るしかない。火蓋を切ったのは少年なのだ。


 懿卡護様の右腕が大きく畝り、海嘯のような激浪となって家や作物を巻き込み押し寄せた。気絶した少年が飲まれたのも一瞬の出来事。そのけたたましさに後退る事を忘れ怯んだが最後、短き人生の走馬灯に逃避して喰われるのを待つのみ――千二百七番が居なければそうなっていただろう。


 間一髪安全圏へと引っ張られた少年のすぐ足元からコラス達を覆うようにして、虚空である筈の宙にぶつかった奔流は流れていく。それは過ぎ去った先にて一つに纏まると新たな異形の姿をとった。


 時を同じくして彼の異形の左腕も又、俄に動きを見せていた。か細い左腕は胴体から静かに分離して空を昇ると、纏った人面の内から咆哮劈いて右腕同様に分体となった。


 夥しい数の人面が怒りや哀しみを表出しながら信者を、隊員を、村を囲って舞い始める。その包囲を潜り抜けた隊員達は村人の救援、及び左腕の異形への攻撃を開始した。


 しかし前者は既に手遅れ。隊員を囲んでいた数とは比にならない人面が村人を取り囲み自ら彼等の顔に被さっていく。それを村人達は抵抗もせず受け入れて祈りの最中に人面となった。


 楽しそうな笑い声を上げる新たな人面が飛んでゆくのを立ち尽くして見ている事しか出来ない隊員。千差万別の空蝉たる覆面は隙あらば彼等の顔にも被さり仲間に引き込もうと付け狙う。


 無数のそれを操る左腕の異形はというと宙に浮いたまま坐禅を組み、周りの雑音に掻き消されるくらいの小声で経に似た何かを唱え続けていた。


 これを無防備と見て隊員等は一斉に攻撃を仕掛ける。当初の量産兵との戦闘によって人工の弾幕武器は殆どが異形に対して擦り傷すらつけられない廃品と化していた。だがそれは遠距離攻撃が効かなくなったのではなく、飽く迄人工の弾幕武器と量産兵の戦術に適応したからである。


 刻印の力は多種多様で途絶える事なく生み出され、それを発現する結晶体の質は罪人自身がどれだけ罪を理解しているかによる。罪人が己の罪への理解を深める程に能力の練度も高まるのだが、彼等は知る由も無い。


 弾幕の締めに自慢の砲弾を撃ち込んだ隊員。その一発に傷一つ付かない異形が居るなど考えもしなかった様で、彼は落胆を禁じ得なかったがそれを誤魔化すように周囲へ発破を掛けた。


 第二撃を仕掛けに隊員達が方々から跳び掛かる。振り被った武器の射程に左腕の異形を捉えるのは決して難しい話ではない――その筈だった。


 武器は振り下ろされる事なく、それどころか跳んだ隊員達は空中でその姿勢のままぴたりと動きを止めてしまった。正確には前進していて腕を振り下ろす事も可能だが、その動作を彼等が終えるのに丸一日は掛かるだろう。


 左腕の異形は自身の周囲にコラスのような結界を展開し、その内部へ自らの時間認識を拡大していた。延々と続く呪文。蜘蛛の巣に掛かった虫宛らに足掻く事も叶わず、突っ込んでしまった隊員達は奇跡を願う他なかった。


 隊員の願いが届いたのか、不鮮明な発音の羅列を只管に聞かなければならない時間も終わりを迎える。結界に囚われた彼等の身体が末端から有らぬ方向へと曲がり、潰され出したのだ。爪先から足首へ、指先から腕へと血を撒き散らして肉塊に変貌していく。


 出来上がったのは元々身体だった肉塊に座す頭部達。彼等は血を吐き出していると自覚するよりも、鼓動が無くなっていると気付くよりも早く、万斛の人面となった。


 そしてそれが村中を駆け巡ったと同時に左腕の異形は胴体へと帰着し、懿卡護様の食事は終了した。ブイズ達が相手取っていた右腕の異形は全ての子を喰らい切れず、触手に戻って尚憤慨している。


 体数を減らし小柄となり、動かぬ母体に復帰しても相手に反転攻勢の意志さえ湧かさない程の戦力差を見せつけて、当異形は跳び去っていった。


 後に残ったのは損壊した村と子にとっての悲愴な経験。親を探して飛び出していく子供達をすれ違うハートは止めなかった。


ハ「……ありがとねポーン君、ニーナちゃん。私達だけじゃ子供も守れなかったと思うから」


コ「――僕は何もしてないよ」


 今回は救援対象である村の住人が子供七人を残して全滅するという、御世辞にも成功とは言い難い結果となった。村が内外で分断されてしまいその外を警戒していた一部隊員が参戦出来なかったのも要因の一つである。


 アスターを欠いた彼等の戦力はそれだけで大幅に減少した。大型の異形に一人で届きうる力を持った彼が参戦出来ていれば、或いは違った未来があったかもしれない。


 何より村人から懿卡護様と崇められていた異形は、ザ・サミットがこれまでに遭遇した異形の中でも屈指の強さを誇っていた。母体の高速移動も然る事乍ら分体によって招喚される大型の異形はそれぞれが仲間意識を持っている。その為偶然鉢合わせた大型の異形二体を相手にするよりも遥かに厄介な存在だった。


 加えて個々が有する力は奇怪千万。右腕の異形は幾百の触手が大型の体躯を作り上げて戦い、被弾の直前には触手にばらけて回避するという魚の群れのような統率力を見せ、片や左腕の異形は天を覆い尽くさんばかりの傀儡かいらいを操り、自身の周りには踏み込んだ生物に悟りの境地を体感させる結界が張られていた。


ハ「――母体の特徴的にも、あと二体は招喚出来る可能性があります」


ク「――其奴は昼食時に現れて供物の魚に見向きもせず暴れ回り、そこでも人を喰らったのだな? ――であれば聖痕が無い拠点へ人を喰らいに現れるのも時間の問題だろう。背に腹はかえられない、周辺拠点の住民を速やかに此方へ移送しよう。それと世界調査へ出ている者達にも事態を伝達するように」


 隊員達は子供を連れて帰投した。それは村人や殉職者により死者多数で任務を終えた彼等が唯一評価を得た部分だが、コラスが居なければ危うかったという見方が大勢だった。


 ハートに同行する中でコラスは図らずも実績を上げた。彼に留まってほしいというクドゥ達の願いに自然と世論が追随し始める形となって、彼の流出はクドゥ達の当面の懸念から外れる事に。


 それでも悩みの種が尽きないのは統率者の宿命である。人の想定はいつも現実的で科学的なものとなるが、非現実的な事柄を幾ら非科学的に論じたところでそれは狂言の域を出ない。


 想定をするにも知識は欠かせず、新たな知識を得るには初めて経験する開拓者が必ず居る。知識を活用出来るのは後続の特権であるにも関わらず、それをしない愚かさは生物界随一と言えるだろう。そして人はその愚かを働いた後に特権を行使出来る事がどんなに幸運かを、安寧と繁殖の彼方に忘れてきてしまったのだ。


 聖痕が万能でない事は周知の事実であり、故にザ・サミットでは聖痕を破る可能性を秘めた異形を発見した際、討伐隊を編成し対処してきた。隊員の戦闘報告と最終的に観測された縄張り範囲から、懿卡護様はザ・サミットの安全を脅かすとして喫緊の討伐対象に据えられた。しかし彼の異形が長年住み着いていた小山を離れ見失った今、彼等の方から接触する現実的な術は一つしかない。


 腹を空かせれば相手は自ずと餌である人の元へ来る。そこを逆手に取り待ち伏せる作戦の計画が行われた。定住していない人の集団が存在するとはいえ、一組毎の人数など高が知れている。囮となる十分な人数の人を集め懿卡護様が捕食の為に姿を現したところを叩くという、典型的な待ち伏せで先手を打つ事となった。


 この作戦も最初はコラスありきで計画されたが、彼の結界に入れる大人の人数には限界があった為、犯罪者の利用が代案として採用された。


 決行する日時は即日の夕方。急激な討伐指令も住人達は慣れたもので、仮設住宅の建設や犯罪者の移送などを手際良く進めていく。


 続々と違法建築ばりの増築がされていく中、作戦の実行部隊から漏れたコラスはどんな時でも腹が空く千二百七番と肉屋へ来た。午前の任務での彼の成果は既に広まりを見せ、その端末には彼を高く評価する声で溢れていた。千二百七番が片手で肉に齧り付きもう片方の手で次の肉に手を伸ばそうと、誰も止める者は居ない。







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