五話
明くる朝。スタインが部屋に戻っていないと気付いたコラスは出立の前に酒場へ寄る事に。昨日は医療スタッフとして働く意志を示していたスタインだが、このまま拠点に残るつもりなのかを念の為確認しようとコラス達は部屋を立った。
するとドアを開けて一歩も出ぬ内に彼等は知人と出会った。二人の起床を部屋の前で待ち構えていたハートは、一晩経って拠点を去ろうとしている彼等を見送りに来たという訳ではなく、彼等をとある仕事へ誘いに来たのだった。
子供ともなればその心は移ろいやすいもので、CMで扱われてる玩具を見てはそれを欲し、かと思えば数週間後には埃を被っていた――という事も珍しくない。
見聞のみを新たに得て情報が更新されたならば子供は体験も併せて取り入れようとする。実際に事をやってみなければ理解が難しいという人もいるだろう。人とは元来そういうものなのだ。
大人になるに連れて未経験の事柄が減少していくのは致し方無いことであり、子供の頃より時間の進み方が速くなったと認識されるのはそれに伴うものである。それを踏まえれば老後の趣味が重要視されるのは、何かをしていれば何かを得られる可能性があるからとも言える。
あれこれと例えてはみたが語弊の無いよう付け加えると、コラスは十二歳の少年だ。彼の世代から遺伝子組み換えにより寿命が倍増したなどという事実も無い。
彼がハートの提案に乗ったのは明確な興味を持ったからではなく、放浪よりも優先される行動が出来たからである。彼女は自身の持ち場である拠点近辺の集落を巡回する名目で彼を連れ出し、昨日伝え切れなかった拠点の魅力を余す事無く伝えて、それでも駄目なら諦めようと決めていた。
ハ「いやー快適快適。ポーン君と一緒なら空の旅も怖くないよ」
コ「――良かった」
ハ「……そうだ、全部終わって帰ったら一緒にお風呂入ろうよ! ポーン君となら毎日一緒に入るのもいいなぁ」
コ「――とりあえず今日だけ」
ハ(あれ? もしかして私の色気って落ち目に来てる……?)「お、お肉も毎日奢ってあげ――……」
ハート必死の勧誘も空しく、結局食い付いたのは「にく」の音で食事だと勘違いした千二百七番だけだった。
この拠点で暫く医療に従事する旨のスタインからの言伝を聞いても、コラスはたった一言の返事をしただけ。追放されてからずっと旅を続けてきた彼等を繋いでいたものは、たった一つ――罪人という境涯のみ。
ここまで旅をしてきた仲間が一人減るかもしれない事実はコラスの心境を揺り動かさなかった。
ハートが日毎の交流をいつもなら通信で済ませているところ、わざわざ巡回してきたという事がコラスに知れるまでは時間の問題だった。勿論彼女は嘘をついていないし彼も騙されたなどとは思っていない。集落の長に端末を預ければザ・サミット側が救援要請に応じる事も可能となる。端末を配った意義はそこにある。
各地へ散った罪人が発起人の集落や集団は数あれど、常人が土地を切り開いた例は過去に四つしかない。ザ・サミットは安全だがその土地は地下へと掘り進めなければならないくらいに切迫している。いつか人口を抱え切れなくなる前にと新たな拠点開発をしている二つの土地には、焼かれた異形の首が定期的に送られていた。
古の知恵である
そうして一定の安全を確保した上で、焚いている火が聖痕へと置き換わるまでは土地の拡張と地下の発展に注力していた。
コラス達が先刻訪れた村で三つ。残る一つはハートが担当する区域に無い村であり、既にその住民はザ・サミットへ移住していた。
シ「ニーナ久しぶりー! (頬を摺り合わせて)元気にしてた?」
シャルが言うニーナとは千二百七番のこと。二と七から取った渾名でありそう呼んだのはこの日が初めて。
千二百七番にプレゼントしたい物があると言うシャルは親友である彼女の手を引いて嵐の様に自宅へと帰っていった。
残された二人は村長の元へ。近々の天候は復調の兆しを見せていて雲の切間から陽が差し虹を作っていた。こうなれば漁獲に良い話題がやって来るまでそう時間は掛からない。
漁獲対象としている大きさの魚まで擦り抜けてしまっていた罠の不具合も既に解消されている。最近の村長は話題の十八番に罠のメンテナンスを行っている村人へ大目玉を食らわせたという話を据えていた。
村長「――罠の全ては彼奴に任せておる。そこばかりを脆い作りにしたマルの小僧には儂から叱っておいたわ。彼奴もまだまだ内蔵の美味さが解らんくらいに青いからのう」
この村の民は限られた範囲から出ず話題性に乏しい生活を送っている。少しでも変わった事が起これば大袈裟な反応を取るのは、より強く感情を沸き立たせ脳への刺激を増幅させる一種のスパイスの様なもの。
彼等は生活している中で出てくるいざこざも第三者を介してネタにする事で笑い話へと早変わりさせてきた。小便中に足を滑らせ川に流された間抜けな男。寡黙過ぎて幽霊になってしまった女。罠から魚が取れないあまり姿を眩ませた野生人――この村で起こる全ては笑いへと変換される。否、されなければならない。
そうでもしなければ正気を保てない程に、毎日同じ事の繰り返し。彼等は暇なのだ。
茶を啜り村長の悦楽に付き合っていたコラス達。ハートは家の前を駆けていく子供の足音がする度にシャル達ではないかと戸の方を気にしていた。
自身等の到着が助け船となっていた事を全く知らないシャル達は、村長が一度話した話題を再び持ち出し始めた辺りで駆けてきた。
靴を脱ぎ捨て飛び込んでくるなりシャルは手作り感満載の千二百七番へのプレゼントを自慢する。
収監されている時に看守によって付けられた、千二百七番の容体を嘲笑うかの様な名札付きの首輪。シャルは父親の力を借りてそれを外し、母親が麻布で仕立てて仕上げの一筆をシャルが大きく施した羽織りをプレゼントした。
「ニーナ」と大きく書かれたそれを千二百七番は大層気に入った様子で着こなす。四肢の可動域を阻害しないかなど、確かめる点は野生に生きる上で命取りとなりかねない箇所ばかりだが、渾名を呼ばれたらば鈴の音並みに反応してみせた。
戯れる仲良し二人組とその光景を天国だとして録画する俄カメラマン。村長との会話からこの村の懸念事項を抽出したコラスは、茶を飲み干すと一足先に村長宅を立った。
彼は村長との会話で三つの事柄を気に留めていた。但し気に留めただけであり熟考する程物事に対して熱心ではない。
遅れてやってきた三人と合流した後、コラスはハートとこの事項を共有した。歴代最高と名高い現在の罠とそれを一人で作り上げたマルという男。村長の発言。そして罠に掛かった魚を狙いに来なくなった野生人。
ハートもこれらについては違和感を感じていた。彼女は集落が存続していけるよう問題の解決に努める立場にあり、将来的に災いとなりそうな出来事を調査するのは日常だ。だが例外として彼女達は集落の人に関する調査をしない。
仮に一部の村人がその他大勢の村人の生活を害しかねない、危険な行為に及んでいたとしよう。その事実を行為に及んでいる者以外誰一人として知らず村の生活にも実害が及んでいないのであれば、そのままにしておくべきであるとの立場を彼女達は取っている。
外部からの指摘で数少ない自由を奪われたその村人が暴走するくらいなら、という理屈である。
では彼女達が仲介人となって事実を明るみに出し、村人同士の話し合いによる解決を模索するのでは駄目なのか――結論から言えばこれは彼女達の間で禁じ手とされている。
ザ・サミットは交流や長の配置など幾つかの条件と引き換えに、それぞれの集落の自治を受け入れている側にある。にも関わらず長を差し置いてあれこれと割り入っては内政干渉に等しい。そういった所から不満は募り軈ては反乱へと繋がりかねない事を彼女達は知っていた。
村人A「野生人? ――ああ奴等のことか。そういや最近マルの奴何も言ってこないな。いや奴等が出る度に話を聞いてたもんで正直飽きてきてたんだ」
又別の村人も。
村人B「大雨でも魚が掛かる事はありますし、それに惹かれてくる野生人は必ずいましたよ。でも確かに近頃は聞かないですね。稀に見る不漁だったから野生人も別の食べ物を食べてるのかも」
皆口を揃えて野生人が最近村に近づいた気配は無いと話し、中にはこれを罠のお陰だとして制作したマルを神宛らに崇める者まで現れていた。
実際罠の効果に疑いは無かった。最新のものになってからは野生人も罠の中で跳ね飛ぶ魚を、ただ生唾を飲み込んで見ているしかなかったのだから。
村を上空から探索する事にした一行。
ハ「これだけ異形を追いやってたら信仰したくもなるよ」
コラス達が立ち寄った際に寝床とした川向かいの村落跡地も生物の気配はまるで無く、芳醇に熟した実をつけたままの
木も点在した。村の周囲には野生人はおろか異形の一匹さえ確認されなかった。
野生人が罠に屈したと判断したハート達は村長にこれを報告。懿卡護様の顔を立てて御輿を担ぐ様な言い回しに徹底し、村長の話が逸れる前に駆け足で立ち去る――彼女はこの村と上手くやっていく為に大切な事を理解している。
村長はもっと沢山話したい気持ちを覗かせるが、話し相手という事だけであれば村人相手だからこそ話せる新鮮なネタもあるというもの。
交流の一環である集落近辺の不安要素解消が完了して、ここまでがハートの日課である。彼女が午後に決まった仕事を入れていないのは受け持っている集落からの要請に応えていると後々の仕事延いては他の仲間に皺寄せがいきかねないからだが、エステやジム通いなど彼女が趣味に耽っていられる方が好ましい。
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