四話

 三人は貸し切りの飛行車両で束の間の空の旅を満喫する。地上へ出てから彼等は何も無いに等しい生活を送り続けてきた。残ったものに対して失われたものが余りにも多すぎた為、相対的に残ったものから得られる快楽によるストレスの発散が出来ていなかったのだ。


 スタインは能力からくる体構造の変化によって一部ストレスを無縁のものとしてきたが、どんなに体の作りが変わってもこのストレスからは逃れられずにいた。尚コラス、千二百七番共刻印によって脳の一部に封がされている為失った事によるストレスを受けておらず、この問題には直面していない。


 地下生活を捨てた筈の罪人が地上で文明の名残りに癒しを求めるのは有りがちな事だ。犯罪を犯した自覚が無いまま追放された罪人は勿論、自ら悪行に手を染めた罪人もその悪行と自由を同義としていた場合が多く、地上で自由に有り付けないとなった彼等にとって地下と同じ文明レベルに身を置く事も気を紛らわす手段の一つだった。


 徒歩なら一週間以上掛かっても可笑しくは無かった道のりでも、空から文明の利器で移動すれば珈琲一杯を飲み干す間に到着出来る――人類の進化は脚から始まるのかもしれない。


 車両は山を超えた先にある廃都市の一角へと着地した。罪人はその能力の他地下で暮らしていた頃の知識を用い嘗ての文明を呼び起こし、地上で生き残っていた人々は比較的安定した環境下で営みを為して、彼等は互いに手を取り合い今日を生きていた。


ハート「ザ・サミットへようこそ。私はハート――新人さんのお世話を主に担当してるの」


 飛行車両から降りたコラス達を出迎えたのは彼等と同じ罪人の証を両目に持つ女性。彼女は殆ど傷も無しに一行がどうやって小キャンプまで到達したかを知ると、自身も一瞬にして姿を消してみせた。しかし姿は消せても物理的に完全に消滅する訳ではない為、捕まったら死を覚悟しなくてはならない。


 幸い千二百七番はハートを獲物としてではなく同族に似た得体の知れない生物として見ていた。若干疲れの色を覗かせるハートの案内でコラス達は拠点内を見て回る事に。


 ドーム球場数個分の人の縄張り。先の村よりも広大でありながらその存続の仕組みは異形に頼り切る事無く縄張りを主張していた。中、大型の異形でコロニーが形成され異形同士の鬩ぎ合いなど日常茶飯事の廃都市内の一角にありながら、異形が一切踏み入ってこないこの拠点は人類にとって正に聖域だった。


 ハートは新たな仲間に何処よりも先ず拠点の中央へ案内している。何故ならこの拠点が異形に襲われない理由はそこにあるからだ。


 拠点の中央にある建物と同化した岩の様な物体――ここに住む者達が「聖痕」と呼ぶ科学的な説明のつかない異物こそ、安全圏を生み出している本元である。発光する、フェロモンを放つなど特段の事象無くして異形を退ける仕組みは、地下と同等の水準にある筈の彼等の科学力を持ってしても分析不可能だった。


 いつから有るのか、何故此処に出来たのかも分からない聖痕――人類の希望と成り得るその物体について、彼等は三つの情報を有していた。


 物の大きさによって安全圏の範囲が左右される事は他の発生場所と拠点を比べる事によって確認されていた。小キャンプが安全だったのは大穴のお陰ではなく、滝口に小規模の聖痕があったからだ。


 一見すると無敵の様にも思える神秘の力だが、物の大きさが決めるのは安全圏だけではない。周囲に大型の異形までもが生息していながら一匹としてザ・サミット内へ踏み入って来ないのは、ザ・サミットが格上の縄張りであると認識されているからである。


 だがそれは裏を返せば格下の縄張りを踏み荒らすなど異形にとって造作も無いという事だ。汚された聖痕は効力を失う。そうなればザ・サミットの住民に待っているのは得も言われぬ惨状――異形出現当時の再現。この拠点が発足してから只の一度も格上の異形と相対していない事こそ、この拠点の住人最大の幸運と言える。


ハ「――それからこれ、罪人なんだよねー」


ス「……最初の挨拶の方が面白かったぞ」


ハ「まだあるわ。罪人が死に掛けたからって必ずしも聖痕化する訳じゃないし、そこにどんな条件があるのかは一切謎。罪人全員にある日突然こうなる可能性があるの」


ス「それは地下の奴等に聞かせてやりたい話だな」


 この拠点の取り引きでは通貨を必要としない。人々は請け負った役目を熟す事で信用と実績を積み重ね、それを本に取り引きした物事について即時評価し、その情報をリストバンド型端末で一元化する事で生活している。


 働かずに生活する者は貧乏になり、他人を評価しない者は取り引きしてもらえなくなる。異形を狩った武勇伝も評価する人次第では三日で過去の功績となってしまう為、ザ・サミットでは常に働き者達が行ったり来たり――している筈のメイン通りも今日は人が疎らだ。


 現状、ザ・サミットは地上に於いて最も重要な拠点の一つである。彼等は世界中に散った人類の生き残りに声を掛けては集結を打診しており、今は定期的に行われる世界調査の期間中だった。


 調査の目的には人を集結させる他に異形の生態観察などが含まれるが、この拠点の人々の恐ろしい点は既に未来を見据えながら生きている所にある。


 シンギュラリティが訪れるよりも昔、人類は自種族以外を排斥し啀み合ってきた。人同士で何度も繰り返し争った果ての悲惨な歴史を清算して互いに交流を深めていった結果、世界平和とまではいかなかったがそれでも異種族異文化の交流が盛んに行われて人々は「人間」として統一されていった。


 仮に地上で人類が生活出来る様になっても、世界中にいる人と交流が途絶えたままでは忌まわしい過去を繰り返してしまいかねない――今起ころうとしている人類の完全分裂、そしてその未来に待ち受ける惨劇をも防ごうとこの拠点の人々は取り組んでおり、今日死ぬかもしれず視線が下がる現下にあってその慧眼はどの集団よりも前を向いていた。


 そんな未来への責任と生きがいに燃える彼等を統率している者へ挨拶にやって来た一行。彼等を待っていたのは刻印を持たない中年の男だった。彼は自らをクドゥと名乗り新たな同志としてコラス達を歓迎した。


 ザ・サミットは働き者で溢れているが就労は決して強制されてはおらず、人々が自身の持てる力と相談してやりたい事を仕事に据えている。故に高効率であり趣味を仕事とするのも容易い。


 又彼等は去る者を追わない。ここまで生き延びて、且つ安全圏を自らの足で出て行こうとする者が異形に喰われる姿など想像もつかないからだ。


 スタインは代々受け継いできた医療の知識を揮って負傷者の治療に携わり、千二百七番はコラスに懐いている為彼の同伴者となった。


 そして当のコラスは労働を強制的なものであると認識してしまい、ここから去る判断を下していた。


 就労は強制ではないと言ったが、それは誤りだ。何もせずに居る人を評価する人もいて、それがマイナスの評価にはなってもプラスの評価になるなどあり得ない。ちょっとした皮肉でプラス評価をしたら相手が得をした――そんな事をすればいよいよ働いた者が馬鹿を見る世界となる為、評価はクドゥを始めとした政府機関が厳正に審査している。


 マイナスの評価だけが重なれば実質無一文だ。労働は政府から民衆へ義務づけされた訳ではないが、大半の民衆の選択肢は一つに限られる。よもやその選択肢を選ぶ事で幸せになれない者が居るなど、立法者には考えもつかなかったのだろう。


ク「そう先を急ぐ理由も無い筈だ。今日はもう日が暮れるから此処へ泊まって、出立するなら明日以降にするといい」


コ「――そうだね」


 出撃先から負傷者を救出したり常人を――野生人に対して地上で生まれ育ってきた知性ある人を常人とする――常人を連れ出すには、その規模にもよるが周囲の異形を制圧するか潜伏型の能力乃至光学迷彩を用いて気付かれぬように救い出して帰投するのが通例だった。


 これらのやり方が妊む隊員全滅の危険性は無視出来ないものだったが、だからこそその作戦に当たった人々は高く評価され、命懸けの作戦である程に花形とされた。


 コラスの能力はそれを根本から覆す可能性に満ちていた。彼を中心とした異形を一切寄せ付けない空間は大の大人でも身を寄せ合えば数人は入れる広さがあり、ごく小規模な集団や怪我人の二人程度なら一度に連れ立つ事が可能である。


 彼と共に作戦へ出撃すれば隊員や救出対象が死亡するリスクは激減するだろう。


 自ずと人材の延命や作戦の成功率にも寄与出来る彼の出世街道が急勾配なのは、彼の能力を知る者なら皆確信していた。


 そして彼がその勾配を登ろうとしない事も。


ハ「――当たり前でしょ〜、あんな険しい山を越えさせる訳無いじゃない。途中で迎えに行ってたわよ」


ス「山越えの覚悟を見せた奴はみんなここで働いてるのか?」


ハ「そんな事無い、出てった人もいる。あそこで大切なのはどっちを選ぶかじゃなくて何処に行くかなの。――飲み水の事を考慮すれば川沿いに歩くのは自然なんだけどねー」


 ザ・サミット唯一の酒場は日没を合図に人が詰め掛け、互いに一日の労働を労う場となっている。今日も仲間と生き延びた喜びを分かち合い酒に酔って歌を歌って、飲んでいるのか呑まれているのか酒瓶で飲み仲間を殴る者さえいた。


 一日を締め括る酒盛りはこれくらい盛大にして鬱憤を晴らす場としてしまうべきである。ここまでしなければやってられぬ程に地上の生活は酷なのだ。


 酒を飲める年齢ではなくとも食事処として子連れがやって来るこの酒場。コラスは酒を危険視する千二百七番と共に宿舎へ戻っていた。


 夕食は肉屋から仕入れた一つの肉塊のみ。それに嬉々として齧り付く彼女を横目に、彼は窓の向こうで賑わう酒場を眺めていた。


 肉を食べ進めるにつれてコラスが手を付けない事が気になり出した彼女は、自身が手を付けていない側を彼の方へ差し出して見せた。


 彼はそれを一口食べては窓の向こうに視線を戻す。羽目を外した酔っ払いの笑い声も届いてこない彼等二人だけの部屋。そこから覗ける酒場の明かりは彼等にはとても眩しく、当時栄えた文明の如く華やいでいた。







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