三話
小山の麓にあるこの村は御神体に山全体を祀り、祭壇へ魚を乗せて採ったばかりの作物を心計り添える。懿卡護様が作物に手を付けないと知っていて敢えてそうしてきたのは、不漁を詫びた村人達の信仰心故。
父親「よし。みんな後ろを向くんだ」
ス「何だ、マジックでも始まんのか?」
母親「懿卡護様のお食事を拝観するなんて恐れ多い事ですから」
他の仲間が祭壇に背を向ける中、千二百七番だけは頻りに祭壇の奥を睨み付けている。木々が直隠して鬱蒼とした小山の峰に鎮座する神の、姿は見えずとも気配を感じ取り千二百七番は釘付けとなった。そんな時だからこそ尚更彼女はコラスが持つ鈴の音に反射した。
祭壇の魚がいよいよ尾鰭を動かさなくなってきてしまったその時、突風は吹き荒れた。魚一匹程なら駆けり様に咥え上げて丸飲みし、一陣止まぬ内に姿を眩ませてしまう
村人は追い風二つを神の食事が終了した合図として、それまでは只管に祈祷を続ける。肉が来るまでとする者も居れば一晩中跪いて祈りを捧げる者もいる。神と御神体に背を向けた状態で突風に祈りの言葉が掻き消されようと、彼等の中では熱心に祈りを捧げた事実がありそれが重要なのだ。
次の追い風が吹いたのは一度目の突風が吹き抜けた後だった。直接見る事は叶わなかった懿卡護様の姿をスタイン達が数少ない情報から想像する傍らで、千二百七番はまたしてもご機嫌斜めになっていた。
この村の食事は村人全員で懿卡護様から
直近の不漁により魚との交換でやってくるのは幼体の異形一体のみ。村人全員で囲めば旅人の分はおろか村人にも満足に行き渡らない量となる。それでも子供を優先して食べさせている内は儀式が行われていると言えるだろう。
その気になれば食糧を村へ届ける事も出来る一行だが、肝心のコラスが無精な為に自身等の食糧も行き当たりばったり。宗教を重んずる村人の環境が致し方無いものとはいえ、差し出がましい真似をすべきでないとしたのもまたコラスだった。
三人は来た道を戻り木の実が成る木へ。コラスが携帯している木の実はここから採集した物であり、彼等が発見した時は落葉樹に小粒の木の実が数え切れない程成っていた。
ス「かなりの団体様が居たみたいだな。こういう時に限って異形どもも襲ってこねーし、もう少し歩き回るか」
木の実は成熟未熟を問わず片っ端からむしり取られており、泥濘んだ土に大人数の人の足跡が残っていた。
一部の拠点を除いて人は異形を毎日の様に食らえる事が当たり前ではないのが現実だ。標的となる異形が成体であれば、交戦能力を有し戦略的に戦う罪人や近接用武器を装備し集団で狩りをする野生人――何れも複数人で臨むのが基本となる。但しこれは飽く迄一対多の場合であって、異形を複数体相手にして勝てる程今の人は強くはない。
食物連鎖に身近な捕食者が現れ、それでも絶えず同族間で競い合う事に理由があるとすれば、進化する為だ。あらゆる面で優れた遺伝子は子孫へ受け継ぎ劣った遺伝子は須く排除される――原始に生きる野生人は種の生存競争が活発でその傾向が顕著に現れていた。
異形をも追い抜かんとする進化の速さに置き去りとされた者達は、変わる事など捨て日々死なない事にのみ埋没していく。
野生人に引けを取らない速度で外敵に反応出来るのも千二百七番の強みであり、力量の見定めも同様だ。茂みから飛び出し彼等の目先を横切ろうとした熊の様な異形は、自慢の牙を折られるとそれを首や目に突き立てられて敢え無く絶命した。
筋張った肉に多分な脂肪――食欲を満たせそうな内臓などの部位の大半は千二百七番の胃へと収まる為、コラス達は可食部を逃さぬよう一際丁寧に下処理をする。
最も美味い臓器を取り出した時、千二百七番は必ず天高く掲げてから食らい付く。戦果の象徴であり敵を狩った証でもあるその臓器を掲げる行為はコラス達からすればアピール程度だが、野生人からすれば戦闘力の面で自身との順位付けが容易くなる行為だった。
横取りされた獲物の肉が少しでも食べ残されたら有り付くべく、三人の様子をジッと窺う野生人がいた。コラスよりも多少大きいくらいの少年と少女の二人が、武器を携え屈んで食事の様子を恨めしそうに見ている。
コラス達は彼等の存在に気付いていた。彼等はその時が来たら最短距離を駆け寄れるよう三人との間に遮蔽物を置かずにいるものだから、時折千二百七番の癪に障って吠えられていた。
食事が終わって残ったのは腸や膀胱などの一部臓器と脂肪、毛皮、骨、そしてコラスとスタインの食べ残し。肉質が原因で自ずと噛む回数が増えた結果、少年が食べられる量はいつもより減少してしまった。筋張った肉が嫌いだったスタインも食が進まず、残った肉は微生物に任せて村へ戻る事とした。
然程彼等が立ち退かぬ内に野生人は大きく足音を立てて駆け寄った。最早同族の一点だけで攻撃される可能性を取り払ってしまえる程に、二人の目には食糧しか見えていなかった。
しかしその場で口にする事無く持てるだけの食糧を少女が抱えると、二人は来た方角へと姿を消した。
ス「彼奴等だけじゃなかったな。好きに食い散らかせるのは仕留めた奴の特権だし、こればっかりは仕方ねーか」
コ「――みんな生きるのに必死なんだよ」
翌朝を廃棄された民家で迎えた一行は出立の前に村へ立ち寄って近隣の情報を尋ねる事に。
村人の先祖は人類の転換期にここを拠点とし始めたシェルター組であり、野生人と同じ起源を持っている。転換期から年月が経ち外部と積極的な交流を図ってこなかった彼等は、地理情報や日付けなどの意味を成さなくなった情報を受け継がない選択をしていた。
自由について理想を掲げていたスタインには村人達の姿が閉鎖的な生活を受け入れている様に映った。彼はここでコラスが昨晩話した考えに同意した。
母親「そういえば……ほら、一度訪ねて来られた方が――」
父親「ああ、そうそう。あんた達と似た風貌をした女性が一人で村に来た事があるんだ。彼女から村に真面な人が来たら伝える様にと伝言を預かってる」
「川を下ると分流に行き当たる。山を越える覚悟があるなら右、無いなら左へ」――伝言の指す様な山が霞んで見える程の遥か先にある連峰以外に見当たらないとなった時点で、コラスは左の分流沿いに歩き出していた。
腐朽菌も音を上げたくなる量の倒木で混雑する雑木林は彼等にとって食道楽だった。キノコと果物で食に事欠かないそこは小動物も散見され、それらを独占し食い荒らす異形も居ない。異形は雑食動物だが体躯が大きくなる程に肉食性を増し食の量を求める傾向がある。世界から肉が消えない限り大型の異形がキノコや果物へ手をつける事は無いだろう。
自生する食物とそれらを食べる小さな生物。そして川から動物質、林から植物質を得る中型までの異形――水ある所に生物が集まるのは生態系の基盤に水がある事を直感しているからだ。
水の支配に抵抗する術を持った者は居ても完全に免れた者は居ない。あらゆる生物が水を必要とする生体の仕組みを踏襲し続けているという事は、この先どう進化しても生物が水に別れを告げる日は来ないのかもしれない。
左の分流へ進んだ者が見限られた可能性について一行は議論し尽くしていた。そんな彼等の行手に現れたのは最近まで使われていた形跡のある小キャンプだった。
道標の役割を全うした川は地面に空いた大穴へと流れ着いて瀑布となり、手を伸ばせば届きそうな虹を崖先に作り出す。
小キャンプは大穴のすぐ傍――崖からの景色を一望出来る小高い段差の上にあった。
設備はVIP様式――VIP様式とはシンギュラリティ前の旧式のものに対して言う。自動化された設備とそれのみによる方法を指す――となっていたが、訪れた罪人宛てのメッセージは木製の看板に殴り書きで記された一言のみという、左を選んだ彼等への当て付け染みたものだった。
ス「〔しばし待て〕って事なら折角だしよ、キャンプってやつを体験してみようぜ」
コ「こんなの使って寝るなんて初めてだよ」
ス「極上の泥マットレスも悪くなかったけどな。こいつは中に包まれば幾ら寝返りを打っても寒い思いしないで済むぞ」
早速寝袋に包まったコラスは蓄積していた旅の疲れに押し流される様にして昼寝を始めた。千二百七番もコラスに背を向けて添い寝をした為一人残されたスタインは、テントで寝るのも又キャンプの醍醐味なのかもしれないと割り切って設備の物色に移った。
思い思いに時を過ごす一行。異形が近づいてくる事も無く平穏な時間が流れていく。そこに飛来してきたのは人影の無い一機の飛行車両だった。
乗れと言わんばかりに搭乗口を開けて崖へと横付けしたこの車両は、山越えを拒んだ怠惰な罪人を迎えに来る迎車である。伝言の主を始め、追放された者達は皆最初の都市を脱出出来た時点で相応の実力が認められるが、それでも死する時は呆気ないものだ。
地上へ出てきた戦力を少しでも多く引き入れたいというのが伝言の主の本心であるならば、迎車と遠方の山を越える二択を迫った真意は何処にあるのか――その答えを得る為にも一行は車両へ乗り込んだ。三人の乗車を確認した車両は搭乗口を閉めると、連峰を超えた先に待つ罪人の拠点へと引き返していった。
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