二話
地下の天候は暮らしやすい様に制御されていたのだと彼等が思い知るまで、数日と掛からなかった。一度雨が降り始めると豪雨となり数日は止まず、日が照りつければ気温三十度は下らない――地上が地下と比べ物にならない過酷な環境と知っても、自由を謳歌するというスタインの意思は堅かった。
一行は雨水を飲む事で水分の確保に成功し、食糧は自生する木の実から時には異形の肉までを捕食した。ただその食事状は決して安定していると言い難いものだった。
当面の目的地を海乃至湖として川沿いに下っていた彼等は、寂れた農村に行き当たった。村民は一行の接近を察知して身を隠してしまっており、それに気付いたコラスは干渉せずに通り抜ける決断をした。
スタインはここで奇妙な光景を目撃する。上る魚は上下から通して下る魚は小魚以外を捕らえる――「やな」の傾きを河川勾配からほんの僅か、下流側へ傾かせた様な――そんな罠が川幅一杯に仕掛けられていたが、彼が興味をそそられたのは罠の外部を荊で包む細工が施されていたこと。
魚が横取りされない為の策を講じて罠に掛かる事を祈り、回収するまで見えない所で守り抜いて初めて自分の物となる食糧――設置した者は千二百七番の様な輩から意地でも獲物を守り通したかったらしい。
濁った流れの中に設置された檻で暴れる活きの良い魚に涎が止まらない千二百七番。彼女は罠に掛かった魚を前に何度も取り出すイメージを膨らませたが、荊に覆われた罠の弱点を見抜けず遂には肩をがっくりと落として諦めた。
そんな彼女を見兼ねた村の若い娘が、去り際の一行を自身の家へと招き入れた。三人家族の一人娘でシャルと名乗る彼女は、千二百七番だけでなくコラス達の食事面まで気遣う優しさを持つ反面、遅れ馳せに姿を現した両親から自己犠牲を成せる程の余裕は無いと説得され、向になる子供っぽさも覗かせる。
ス「その気持ちだけで俺とポーンは充分だし、コイツに飯を食わすなら中途半端は許されないならな。自分達で何とかするさ」
コラスは携帯していた木の実を千二百七番へ渡すも投げ捨てられてしまった。今の彼女は魚か、それ以上に美味い物でなければ受け付けない。
彼女の運動量は一般的な成人女性の何倍もある為、新鮮な生魚など蛋白源となる物が目に付くと無性に食欲が湧く傾向にある。その意味では彼女にとって生の蛋白源を上回る美味い物は無いと言えるだろう。
招かれた家の中で癇癪を起こしては招いた側の立つ瀬が無くなる――「我慢は体に毒」を体現している千二百七番を連れ、コラスは魚を獲りに行くと言い出した。
彼等の案内役を買って出たシャルは、まるで親戚が遊びに来た少女の如く心躍らせる。
シャルの父親「獲るなら罠より下流の方にしてくれ。こんな様子だが魚はまだ掛かるかもしれない」
可愛い子には旅をさせよと言うが、この地上では次の瞬間喰われていても何らおかしくない。隠れもせずに歩いている人など、本来なら空から見れば恰好の餌である。
この村は長らく旧態依然の生活を送れていた。人が集団で生き残ってきた事にスタインは驚きを隠せない。
父親「――
ス「そのイカガミサマってのは随分と常人離れした力を持ってるみたいだな」
父親「勿論だ、懿卡護様は人の姿をしていないから――」
シャルの母親「貴方っ……!」
この村の人々が信仰する懿卡護様は捧げ物として供えられた川魚を食べ、その量に応じ捕らえた異形を祭壇へと運んでくる異形だ。川で獲れた魚が最後に村人の食卓へ上がったのは異形に悩まされる前にまで遡る。
村では懿卡護様の加護を最大限に賜る為として、罠に掛かった魚は全て捧げる決まりとしてきた。加護とは縄張りであり、要するに村人は懿卡護様が機嫌を損ねて縄張りを変えたり、襲って来たりせぬ様に神格化し信心を尽くしているのだ。
この村が異形に襲われない理由を知ったスタインは、もう一つの疑問――荊で細工された罠について話を振った。
漁獲量はそのまま村の存亡に直結する――一匹も横取りされたくない村人の気持ちが側からは過剰に映る程異形の脅威から離れたこの村にあって、事情を知らない通りすがりの罪人への対策にしては荊の細工は余りにも原始的で脆い作りをしていた。
そして千二百七番の様な者には効果的面なのも事実。生きる為に食べている彼女達にとって、荊の微量な毒もフグの毒も身を以て経験しない限り同じ毒となる。
千二百七番の様に完全に理性を失った罪人は過去一人も居ない。年に数人来るか来ないかという罪人への対策とするならば手抜きと見る他無い、荊の細工が退けている存在とは何か――例えばそれは、野生化した人類。
異形の出現によって文明が崩壊していく様を、当時多くの人は外出先からニュースで見届けた。通用する弾幕の火力と量産された兵力もあって、異形はすぐに掃討される筈だった。実際当時の兵力は異形討伐の実績もあり、人々は鎮圧まで一日も有れば収まるだろうと読んでいた。
暗雲が立ち込めたのは翌日のこと。量産兵の製造工場が一つ破壊されたのだ。それを皮切りに異形は製造工場へ押し寄せ、量産兵の出兵数は瞬く間に損壊数を下回った。
異形はその後も基地やエネルギーを狙って各地に出没した。三日目にもなると弾幕に怯まない同種の個体が現れるなど戦況は人類の劣勢を極め、限界まで抵抗を続けた指導者達も遂に掃討は不可能と判断した。
その後は地下へ誘導された人々と一般的なシェルターに避難した人々とに別れ、人類は分断された。無限ではない食糧と量産兵の残した装備、増える人口――シェルターの人類が野生化するのも時間の問題だった。
父親「彼奴等の生活拠点がこの辺りにあるのか、よく歩いてる姿を見る。刺激しなければ襲ってくる事も無いが、厄介なのは罠に掛かった魚を我が物顔で持っていってしまうところさ」
ただでさえ濁流で漁獲量が減る豪雨の期間に、野生人にまで持っていかれては滅亡待った無しだ。隠れて村民だけがやり過ごしたところで魚が無ければ危い命。ならばいっそ罠に掛かった魚を守る為野生人と戦うべきではないか――村人は誰もが一度この考えに行きついていた。そして次に魚を罠から取ろうとした野生人を殺し、案山子として磔にする案が決行されようとさえしていた。一人の村人が戦うまでは。
魚が多めに掛かっていたある快晴の日に、村作業をしていた一人の男が川の対岸に人影を発見した。男は立ち所に村中へ大声で呼び掛け、そのまま自身は農具を武器代わりとして魚の回収を急いだ。
少し目を逸らそうものなら魚を両手に握り締めて足取り軽く去っていく――男は野生人に魚を取られるくらいなら自分達で食べた方がマシだと思っていた。
片や「川を泳いでいる魚が沢山いる」という事実が全てである野生人からすると、大声を合図に続々と集結する人々と声を発した人の急接近は身震いするだけの迫力があった。
男は最も対岸に近い魚からの回収を試みて川を渡った。それを襲撃と捉えた野生人の一人が木陰から飛び出し、男を両断してしまうまで僅か三秒足らず。男の絶命と他村人の畏怖を確認すると、罠に掛かっていた魚を半数ばかり仲間に投げ渡して立ち去った。その野生人の手に握られていた武器は旧文明の遺物である近接用刀剣。
量産兵が携帯していた折り紙付きの近接武器だが、当の所持者である量産兵は集団では銃撃による弾幕戦を主戦法としていた。刀剣は飽く迄サブウェポンであり銃が使用不可となるまで彼等がそれを抜く事は無かったが、銃が堅固な作りだったからこそ、シェルターを出て地上を生きた人々は特に近接武器を使えていたと言える。
その人々の子孫である野生人に伝わる、「敵は斬れ」「斬ったら逃すな」「逃げたなら追え」「追って殺せ」の四つの教え――この四つを代々受け継いできたからこそ野生人は、三秒に垣間見た身体能力の高さに加え現代まで近接武器を延命させる事が出来たのだ。
この一件で野生人の戦闘力をまざまざと思い知った村の人々は以来、戦う選択肢を捨て只管に守り抜く方へと力を入れた。
父親「今の罠は一番長く続いてるな。あの荊を使ってからは隙を見て魚を奪っていく様な奴もいなくなったし、みんな安心して村作業をしてる」
ス「――異形から守られてるってのは何よりの平和だわな。良いねぇ、昔はこれよりもっと平和で自由だったって言うんだからよ」
母親「今以上を望むものなんてありません。懿卡護様の御加護を賜ったなら、私達がすべきは生を尽くすこと。それこそ懿卡護様への信心であり平和とは常にそこにあるのです」
ス「おぉ、そうか。俺もいつの日か寛げる拠点が見つかるって信じてるぜ」
そこへ魚獲りに行っていた三人が帰ってきた。罠をすり抜けた上物を濁流の中から二匹も捕らえて、千二百七番の機嫌もすっかり回復している。その魚の大きさから、罠の隙間――河川と海を往復する種に対する資源管理の目的――が広すぎるのではないかとの疑惑も持ち上がった。
千二百七番と心を通わせ合うシャルの無垢な笑みに先刻までの用心も薄れた父親から、捧げ物の儀を見ていかないかと誘われた一行。満腹になった千二百七番の食欲が再び刺激されない事は、彼女が帰り際に三匹目を見逃していた事実からシャルが自信たっぷりに保証した。
この村が魚と引き換えに安住の地と肉を得ている様に、人は生活の中で取り引きを繰り返している。他人と関われば否応無しに取り引きをして、何かしらを得ているのだ。
取り引きの際の合意は有耶無耶となる場合も珍しくなく、取り分け無形物同士の取り引きは知らぬ間に完結している事もしばしば。私事と引き換えに信頼を築くのもそれに該当する。
村人達の誰一人として魚の味を知らないのだから、それが異形の肉より美味いものなどという憶測も妄言に終わる。美食家の懿卡護様のみぞ知る魚の味は捧げられた自由の味。この村の民として人々が生きる内は永遠に知る日など訪れない、泥に塗れた背徳の味である。
産卵の為に川を往復していただけの魚と、魚をただの食糧としてしか見ていない千二百七番程単純な関係に有り触れたら、その先には野生人の様な生活が待っているのだろう。そこに平和があるのかは誰にも分からないが、一つ言えるのはこの村よりも遥かに自由という事だ。
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