前章 一話
動き出したリフトに呼応するかの様に、罪人へ告別に来た人々の嘆きが広場に充満した。
地上を探索すればこの星を飛び出して宇宙まで行けるリフトもあるのかと、そんな浪漫に想いを馳せる余裕さえ無い程罪人だけの空間は混沌としている。
地上とを隔てる幾重にも閉ざされた隔壁が罪人の頭上数メートルの所で開いていく。異形に地下へと侵入される可能性を考えれば罪人の圧死など取るに足りない。
危機に聡い者は中央へ移動ししゃがんでやり過ごすだろう。千二百七番はコラスに掴まれていた腕をぐいっと引っ張り唯一そうしたが、隔壁が中央から開くという事は即ち最も早く地上から露見するという事になる。
最後の隔壁が開放したそばから、腹を空かせた幼体の異形が待ってましたと言わんばかりに雪崩れ込んだ。中央に居たコラスは真っ先に異形の標的となり、彼に手を掴まれていた千二百七番諸共獣の滝に打たれる。
地上という新たな出立点へ降り立つ前に、死神がその鎌を等しく罪人へ振り
罪人達は一斉に能力を解放したが彼等の交戦能力の有無は事態を左右しなかった。異形一体を切り捨てる間にもう一体がそれを待っていてくれる義理は無い。早い者勝ちの餌を求めて次から次へと押し寄せリフト上を埋め尽くす敵の圧倒的な物量に、一人、また一人と罪人は喰われていった。
リフトは重量超過により上昇を停止したどころか緩やかに下降していた。そこに歯止めをかけるべく一番内側の隔壁は閉じられた。そして他の隔壁も別の役割を持って同時に展開される。
コ「……もしかしてみんな死んじゃったの?」
二人はコラスを中心とした一定の半径を持つ透明な球体によって完全に守られていた。コラスの鈍感とも取れる冷静さはその能力故に。
片や千二百七番は敵に囲まれて落ち着かない様子。自らが認知出来ないものに命を預けるくらいなら、彼女はこの絶体絶命な状況でも一縷の望みに賭けて逃走を図りたかっただろう。
餌が二つ残っていてそれは目と鼻の先にあり、全く抵抗してこない。ともなれば一群の誰よりも成長する為にその餌は食べなければならない――そんな事だから異形達は自身の身体が切り刻まれるその時まで、自らが捕食者であるという優位を疑わなかった。
高速回転した隔壁は刃に成り代わり上に下に、異形の血肉をミンチへと変えた。軈て刃の回転が止まると乱雑に削がれた肉や未熟にして成人人骨の倍以上ある骨が次々に血溜まりへ落下してくる。コラスの能力は落下してくる骨から足元の血溜まりに至るまで、異形の全てから彼の周囲を隔絶していた。
突き出た隔壁から滴る血液が壮絶さを物語る。異形の襲撃から生き延びたコラス達。しかし重量超過の問題は解決していない。
司法省長官『今回は二人か。全滅は有り得ないにしても、些か少な過ぎるね。さて、見ての通りだ諸君。こちらとしてはリフトを往復させても良いのだけどね、いたちごっこになる可能性も否めないんだ。――健闘を祈るよ』
この世では隔壁は階段の役割まで担えなければ通用しないのだ。直前まで異形を容易く切り裂いていたそれに手を掛け、登ろうとするコラスに千二百七番は付いてこなかった。
夥しい流血の跡がその足場の含む危険性を命に関わる出来事として彼女に直感させる。同等の出血をすれば当然自身は助からない事も。
隔壁は動かないとアピールしてみたコラスだったが千二百七番の信用を全く得られず、それならと先に登り切る事で証明しようとした。
そんな彼の意図など知る由も無い千二百七番は血溜まりの中で一人不貞腐る。
罪人は彼等二人を除いて皆喰われ、透明度ゼロの真っ赤な水溜まりの中に有るのはその罪人達を喰った異形の肉と骨。生者は居ないと分かりきっていたからこそ、人が起き上がった時の千二百七番の跳び上がりは猫に匹敵するそれだった。
スタイン「――流石に死ぬかと思った! アイツら好き勝手
全身を黒い結晶体に変えられて不自然にも口内のみ人のままとした、人の面影を殆ど残さない姿の罪人が生き残っていた。腹癒せに血溜まりごと肉片を蹴っぽったスタインは漸く自分以外にも生存者がいた事に気付く。
現状スタインにとって唯一の生存者である千二百七番は、飛び跳ねたっきり彼を睨み付け硬直していた。彼女はリフトへ乗り込んだ時に居た人物という朧げな記憶と、目の前の人物とが一致するかどうかを視覚、嗅覚情報で確かめられずに警戒していた。
そんな事とは思い至らなかったスタインは気さくに距離を詰めたところ、自衛の一撃を眉間にもらい盛大に転倒した。何故いきなり殴られたのか、彼が理解出来ず語勢だけでも反撃した丁度そこに重なって、鈴の音は鳴り響いた。
とある施設内に出た一行。リフト乗り場以外の用途を持たないそこは最低限の空間により成り立つ地下施設。
ス「俺はスタイン。――地上に出れなかった奴等の分まで本物の自由を味わい尽くしてやろうぜ」
コ「――よろしく」
スタインは名を名乗らなかったコラスに「ポーン」、千二百七番に「ペット」の渾名を付けた。
悠久の大地を踏み締めた彼等を大粒の雨が出迎える。いつシャワーを浴びれるか分からない身となった彼等には、身体の汚れを落とせる良い天候だ。
左右で地べたを転げ回る仲間達を横目に、コラスは雨に打たれながら淡々と歩んだ。廃墟と化した都市にライフラインは通っていなかったが、在りし日の生活を物語るゴミや商品が其処彼処に残っていた。
シンギュラリティを迎えていた当時の人類は、科学の発展が目覚ましかった。人々の身の回りはまるで別世界へと様変わりし、日進月歩だった分野は人知の至らなかった領域へと飛躍した。
それは人文学も例外では無い。政治的正しさへ完璧に配慮された創作物、新たな単語の創造による表現の拡張、政治への助言等々、途上国や後進国、ゲシュタルト崩壊を起こした国は特に影響を受けた。
人の脳が成していた仕事は瞬く間に奪われたが、これに危機感を募らせ逆張りの生き方をした者達が居たのも事実。
千二百七番「ァア!!」
突如千二百七番が大声量を発したのは打ち付ける雨音に紛れて飛び交う異形の羽音を聴きとったため。
この時点で既に三人は囲まれていた。何匹もの同種が物陰に身を隠し、獲物の姿をはっきりと捉えていた。しかし襲い来るのは三人の正面の一体のみで、その個体も千二百七番にあっさり裏返され風穴を開けられた。
一体が負ければ次の一体が飛んで来る。彼女はそれを嬉々として相手取り瞬く間に殺していった。コラスはそんな彼女を放っておくべきと判断しその場から進み出した。
三人の中で攻撃能力に最も長けているのは千二百七番であり、――コラスは自ら攻撃しない為、能力の応用面を除外――防御能力では罪人という括りで見てもコラスと並び立つ者はおらず、核が破壊されなければ自己再生出来るスタインも有力だ。
罪人に発現する能力はその者が犯した罪が色濃く反映されるが、発現の対象とならない限り肉体は人のままである。明らかな超能力を身に付け自惚れた者が犯す過ち――それは自らを人の子であると忘れてしまうこと。
二人が歩き始めてから然程進まぬ内に千二百七番が退いてきた。身体のあちこちに出血を伴う傷を作り、怯えてコラスの陰に隠れてしまう。
最初の威勢は何処へやら、回り込んでくる異形に背後を取られまいとコラスを盾に動き回る千二百七番。
ス「このままじゃ碌に歩けないし、どうだ? そこいらの建物にでも入って医療機器使わせてもらうってのは」
コ「――エネルギーが無い」
ス「ああ心配すんなって。食わせてもらえなくなったら自給自足する様に出来てる。下の奴等と違ってな」
スタインの提案で一行はホテルのエントランスへ。屋外に生きている生物は残らず異形の餌だが、それは異形同士でも言えることだ。このホテルが最期の住処となった人々は決して異形の餌になどならないと誓っていた。食べられる肉が目の前でやせ細っていく――今すぐにでも食べてしまいたいと思ったのは、如何やら異形だけではなかったらしい。
入ってすぐの目立つ場所に置かれていた目的の機械は、辺りが薄暗い中で自家発電を行い発光していた。スタインはそれを慣れた手付きで作動させて見せる。
彼は医療従事者の子孫であり、彼の家系は代々医療の知識を受け継ぐ仕来りとなっていた。それというのも仕来りの発端である彼の曽祖父が社会への人工知能の浸透に懐疑的だったからである。勉学を捨てた先の退化など目に見えていたという訳だ。
地下生活でスタインの家系はその知識を買われ医療に携わってきた。とは言っても実際に患者を治療するのは機械であり、飽く迄彼等はその管理を任されているに過ぎなかった。
傷があった場所を叩いたり舐めたりと、一瞬の内に傷が完治した事をとても不思議がる千二百七番。当時市販されていた医療用品を軒並み廃品へと追いやった医療機器の力は健在だったが、傷は癒せても失った闘志の復活は専門外である。
昆虫型の異形に対して千二百七番はすっかり敗北を認めてしまった。先程の一体と再び相見えた一行はこれ以上の戦闘を放棄し、早々にこの都市から立ち去る事にした。
執拗に追いかけて来たその異形も流石に球体の突破を諦めて、一行が都市を出る頃には群れへ帰っていった。人類が縄張りの大部分を失って久しい地上では、異形が取って代わり幅を利かせている。政府が罪人に力を与えた目的は地上に於ける人類の縄張りの確保に尽きるのだが、副産的に得た各々の能力であわよくば異形を狩り尽くしてほしいという願いまでは叶いそうもない。
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