六話


 連峰の向こうからゆっくりと上る陽の光りに漸く山頂の木々までが照らさせるも、まだ夜明けの訪れを確信出来ないくらいに暗闇が村中を包む翌早朝。暫く続いた雨の影響で増水し濁っていた川も穏やかな清流の姿を取り戻していた。


 遠路遥々自分が産まれた川へ帰ってきて卵を産んだ魚達は、川の流れに乗り来た道を戻っていく。孵化の直前まで腹の中に卵を持ち続ける事で天敵となる異形から卵を守るよう進化した当種も、産まれた地を捨てるまではいかなかった。


 この魚の親子が何処かで感動の再会を果たせる確率は限りなく低い。子供は捕食者となる生物から逃れる間に良くても半減。更に海へ辿り着くまでの道中に諸要因で減少すると、川より広大な海で食い繋ぎ敵から逃れ水温を気にしながら海域を東西南北に泳ぎ回る事になる。生きる事に精一杯の毎日の中で同親の仲間と再会した事に喜びを感じる余裕など彼等には無い。況してや運良く親子が再会したとて子は親を基準に、又親は子の成長如何で何れも自己を格付けするだけなのだ。


 感動の再会を果たす確率は限りなく低いと言ったが、それは人が思う様な絵空事を省いているからでもある。


 彼等にとっての感動の再会――例えばそれは産卵を終え川を下った母親の魚が障害物に引っかかって惨めに暴れ散らかしている所に、その子等が追い付き追い抜かしていった時。


 自然界には子に出来て親に出来ない事など存在しない。この魚達は生の始まりと終わりに、自然の摂理から外れ人に触れる。


 今日も朝日で空が青紫に染まり出した頃から複数組の魚の親子が超常現象に遭っていた。そんな同族を嘲笑うかの様にすぐ脇を通り越して行く同程度の大きさの魚が。


 運良く罠の綻びが進行方向にあって回避したその魚は悠々と海を目指して川の中央を泳ぎ出した。この魚がついてなかったのはこの時間帯に同じ様にして罠を抜けて来た魚を掴み取りしている者が居ること。


村長「おぉ、其奴も上玉だのう!」


マル「(暴れる魚を掴んで)村長、急がないと陽が――」


村長「分かっておるわ。気を急かしても肝が不味くなるだけだ」


 彼等は三匹の魚を持って村の死角となる茂みに身を隠した。そこで魚を捌き内臓は村長が、身はマルが食して毎日の朝餐としていた。親が空から変わり果てた姿で降ってきたとしたら、それも子にとってはある意味感動の再会と言えるだろう。


 血生臭い空気を攫ったそよ風が森林を掻き分けていく。摘み食いの何たるかを知る村長にはマルが全てを捌き切るまで我慢する気など毛頭無かった。堕ちるところまで堕ちた自覚があるからこそ、そんな所で人のふりをしても自身以外は笑わない滑稽な話になるだけだと割り切っていた。


村長「――さてはお主、儂の死後に真面な生活を望んでおるのではあるまいな? 諦めてその手をよう見てみい。――(マルに血のついた両手を見せながら)儂と同じだ」


マル「こ、これは魚の血ですから洗えば流れます。それに私は村の生活を脅かしてまで魚を食おうとは考えていません」


村長「意地を張りおって。頑固なお主がこの珍味を食って態度を変える様は見物だろうな。遅かれ早かれだ、二匹目のはくれてやっても良いぞ?」


 一陣起つ所に懿卡護様在り――雑木林を劈く様な強風にマルは村の伝承を思い出し過敏に背後を振り返ったが、彼がそれ程に熱心な信者だったという訳ではない。彼等の行為は宗教の教えに背くものだったが、マルは背徳心を押してまで村長に加担しなければならない事情も持ち合わせていなかった。


 それは彼にとっても初めての体験だった。一風吹いただけで寒心に堪えず反射的に風上の方を振り向いた彼の目の前に、怪物は立ち尽くしていた。


 人型の怪物は左半身を無表情の人面数多に包み、右腕は今にも彼等へ喰らいつかんとする触手の束からなっていて、その脚はチェスの駒の様に融合していた。


 異形の中でも異形。そんな怪物の不気味さも頭部の前に全て霞むだろう。左側頭部で頭程も膨張し破裂しては体液を撒き散らす――これを延々と繰り返す血ぶくれと、それに無気力に押しやられては破裂と共に軽く振れる頭。


村長「い、懿卡護様だ! ――何を惚けておる、早く魚を差し出せ。食い掛けのも全部だ!」


 切り落とされた部位を寄せ食い掛けの内臓を軽く繕い、剥き出しの骨には下ろして齧り付いた身を被せて、彼等は三匹とも懿卡護様の前に差し出した。


 相手がそれを即座に掻っ攫っていったものだから、最後に魚を差し出した村長の上半身前面までがごっそりと削がれてしまう。マルは悟った――此処にいては自分の命も危いと。


 初めて口にした味に大御神はやや困惑していた。それが魚のものであるなら村長達が食っていた魚はこれまでと違う上質なものという事になる。


 本当に魚の味だったのか――村長の遺体へと触手が伸びた。衣服を避けて今度は人だけをじっくりと味わい、その答えを探ろうとする大御神。


 散々ぱら崇めてきた神の本性を目の当たりにして抜かした腰を引き摺ってでも、マルは必死の思いで逃走を図った。掻き分けた茂みの一つ二つ、背にした木々の一本二本程度でも彼は怪物から遠ざかっている実感を得て、しかしそれに騙されず走るのを止めなかった。


 遂には茂みを出て村へ――大声を張り上げようとした彼は前方へ勢いよく転倒した。顔面を強打した痛みに怯んだのも束の間、彼は自身の足に何かが巻き付いているのを感じ、足元へ目線をやった。


 茂みの奥から伸びた触手。微かに響いてくるほんのりと湿った破裂音。


 決死の逃走も虚しくマルは触手に引っ張られていった。他の村人は朝になって彼等二人が不在である事に気付き、その死を凄惨な血痕から察したのだった。


ハ「――昨晩の間にそういう事があったの。もしも懿卡護様の縄張りに入り込める様な異形がいたら大変だから、私達が調査しないとね」


 コラスと千二百七番は今日もハートに引き連れられ遅れて現場入り。既にザ・サミットからは何名もの人員が派遣されていた。


 村中村長とマルの失踪で話題は持ち切り。皆あれやこれやと想像力の限りを尽くして可能性に言及したが、笑いへと変えられた者は居なかった。


 村長代理を務める村人は止まらない脂汗を腕に拭いながら一件に対応し、敬虔な信者は祭壇の前に集まって祈りを捧げ、それに倣っていた子供達はとっくに走り回っていた。子供が幾らでも同じ事をしていられるのは楽しいからであり、まだ主観寄りな彼等には苦痛でしかない。


アスター「おいでなさったな。――よう、俺はアスターだ。お前の事は聞いてるぞ、無敵の小僧なんだってな。因みに俺は無双――俺達上手くやっていけそうじゃないか?」


フルート「その葉巻吸いながらガキの近くに寄るなって何時も言ってんだろヤニカス。そんでアンタも、煙たいの痩せ我慢してないで離れなさいよ。――(溜め息)何考えてんだか」


 アスターの全身はスタイン同様に黒い結晶から出来ていて声もくぐもっていたが、此方は普通の人型をしていた。その形状も彼の望むがままに変身させる事が可能で、立ち所に武器や防具を生み出し、果ては自身の姿を異形の様に変貌させ戦う事さえ出来る。そう、全てアスターの望むがまま――こうして活動している彼はザ・サミットにて眠るアスターの本体が正に夢想した姿なのである。


 アスターのパートナーとして行動を共にするフルートは気が強く、歯に絹着せぬ物言いのせいもあって尾鰭が付きまくった結果評判を下げている自由奔放な才女だ。アスターが常日頃から吸っている葉巻は彼女特製の逸品で、中身がタバコの葉だけでなく極めて危険性の高い物質のオンパレードである事を彼女は売りにしていた。


 ザ・サミットの住民達はフルートがその葉巻から得たデータで黒い結晶体を再現し量産兵を作ろうとしているとは夢にも思わないでいるものだから、彼女への低評価は全体の九十パーセントを下回る事が無い。


 彼等は互いを高く評価している。アスターがより理想とする自分へと近づく為に欲した物をフルートが拵え、彼は結晶体として行動している間彼女の研究に協力する事でその見返りとしていた。


ハ「ベストパートナーってやつかもね。あの二人にしか出来ない事があるからクドゥからも評価されてるんじゃないかな。――あ、今のはここだけの秘密ね」


 アスター達は村の外周を警戒すべく村落跡の方へ。葉巻の煙が匂いまで雲散すると、紛れていたのは生臭みを残した鉄銹の臭い。


 それが魚のものなのか人のなのか、将又異形のものか――野性の嗅覚を持っている千二百七番は一帯の血痕から発せられる臭いを同一のものとして括らずに、自身が抱いた違和感の正体を突き止めた。


 それは血に泥濘んだ地面からではなく、すぐ脇の茂み。その一定の範囲に飛び散った血を頻りに嗅いで、何かを確信した彼女はコラス達にそこを指差した。


 二人が嗅覚から得られる情報は千二百七番ほど多くない。だが技術を用いれば主観的事実に証拠を積み重ねる事ができ、それを客観的事実として広めるのも可能だ。


 ハートは地面の血溜まりから採取した血液から二人分のDNAが存在するのとは別に、千二百七番が指し示した血液から三つ目のDNAを発見した。現場に残された衣服などと合わせると、この場に村長とマル以外の誰かが居た証拠だった。


 村人全員の採血を提案したハート其方退けで千二百七番はコラスを引っ張り先導した。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る