第5話 着物の少女
「
目の前の光景に呆然としていたポーラの耳に声が聞こえた。
もし何もなければポーラは放心したまま獣に噛み殺されていただろう。
先ほどまで存在していなかったものがポーラの視界に入り込む。黒い虎のような獣と消えたファスカの間に、派手な柄をした着物を着た何かが立っていた。
「はやくせい!」
立ちすくんだままのポーラを叱り怒鳴るような大声を改めて受けて、ポーラは地面に倒れるように飛び込んで結晶石を拾う。
両腕の中に結晶石を囲い込んで顔を上げると、獣が飛び掛かる姿が見えた。
『危ない』
果たしてその声は出なかった。
「え?」
代わりに発することができたのは驚きの感情。
目の前にいた着物の誰かは、地面を踏み締めて手を突き出し、獣の顔を消し飛ばす。獣がファスカと同じように結晶石に変わるのをポーラは見た。
「無事かの?」
地面にへたり込んだポーラに対して、獣を吹き飛ばした着物の何某は笑いながら振り返る。
そこでポーラは初めてそれを認識した。
そこにいたのは黒い長髪を靡かせて微笑む、幼さの残る少女だった。
「うむ、それさえあれば蘇生できるからな、よく飛び出せた」
少女はポーラの腕に抱えられた結晶石を見て満足そうに頷く。
ポーラは助けてくれたことを感謝すれば良いのか、もっと早くこいと怒るべきか、少女の強さがあれば結晶石を態々拾わなくてもなんとかなったんじゃないかとか、色々な感情が渦巻いて言葉が出ない。
そんな様子を見て少女の方から声をかける。
「なんじゃ、『爆撃』のを供に連れてこんなところに来ておいて襲われると思っとらんかったのか?」
浮かんでいたのは純粋な疑問の色。声の調子も顔を見ても煽っているようには見えない。
襲われるとは思わなかったのか。ポーラは甘く見ていた。蘇生できるという話だけ聞いて危険であるという意識は全くなかった。
粒子とともに匂いも色も消えていった赤い世界を思い出して、ポーラは胃の中身が喉を通って競り上がってきて、思わず手を口に当てる。
片手でファスカの結晶石を鞄に仕舞って、ポーラは堪えきれずに吐き出してしまった。
少女が優しく背中を撫でてくれて、その感触に涙を止められなかった。
少女からもらった竹筒の水で喉の焼けるような痛みを抑え、ポーラはどうにか一息ついた。
その落ち着いた様を見て少女は竹筒を受け取り袖の中にしまう。
「落ち着いたか? それじゃあ話を聞くとするかの。ワシはロウという。お主は?」
「僕はポーラです」
「ポーラ? 光輝鎧の所から来たか?」
光輝鎧、ファスカとのやり取りの中で初め聞いた時はわからなかったが、13人の既知外の1人、ポーラスターの事だろう。
名前の由来は同じ北極星。ポーラは後で知った話だが、既知外の周りには彼らの名にちなんだ名前のものも多い。地域によってはポーラという名前は珍しくはない。
「いえ、そういうの知らずに登録しちゃったので」
「登録……、主はもしやプレイヤーか」
「はい。ベルトルーガさんから話を聞いてミフナさんの所に向かってたんですが……」
ポーラのせいでファスカが死んだ。改めてその事実に気づいて、悲惨な場面に対する衝撃とは別に、改めて吐きそうになる。
「ああ、こら思い出すでない。良いぞワシが連れていってやる」
「その……いいんですか?」
「お主みたいに弱いのを放置していけるか。今は持ち合わせがないがそのクリスタルも蘇生させてやる、この近くに
薄い胸を反らせて、ロウは胸をポンと叩く。
ロウの笑顔に釣られてポーラも引き攣った笑みを浮かべた。
気分は最悪だが、ロウの明るさに少しだけ救われた気がした。
「あの、助けて貰って申し訳ないんですが、なるべく戦わないように言われてるんです」
「はぁん? 別に構わんが戦わんのにここに来るとは物好きなやつじゃなあ。そこら辺の話も聞きながら向かうとしよう」
トン、と竹を編んだサンダルを履いた足で地面を踏み鳴らすとロウはそのまま森の奥へと入って行った。ファスカが先導していた時と一つ違うのは、ロウの歩みに合わせて鳥の声すら聞こえなくなったことだ。
ポーラは気づいていないが、周囲から生き物の気配が消え去っている。
もしそれなりに腕が立つものならば、たとえ自分に向けられていなくてもロウから発せられた殺気を感じ取っただろう。精神が不安定なポーラがそれに気づけなかったのは不幸中の幸いと言えた。そもそもそれなりに腕が立つほどこの世界に馴染んでいれば不安定になることなどなかったが。
「それで、ポーラはミフナに何しに行くんじゃ」
「特に用事があったわけじゃないです。ゲームを始めたらログアウトできなくなっていて、死ぬか生きるかって言われてじゃあミフナさんところ行くかって」
「なんも知らんわけか。それでクリスタルになったくらいであんなに動揺しとったわけじゃな」
ポーラの要領を得ない説明にも眉を顰めることなく、カカと笑う様は外見以上に大人びて見える。
「なったくらいでって、あれは普通、なんですか?」
「まぁの。主のような奴は初めて見たわ」
着物は森の中を進むのに適さないだろうが、袖を引っ掛けることなく進むロウの足取りは軽い。
「取り返しのつかない間違いでもなし、せっかく魔族領に来たんじゃ、用件が済んだら鍛えていくといい」
だからソレは絶対に手放すな、と着物の袖から覗く小さな指がポーラの鞄を指差す。
赤く塗られた爪が、緑の森、白い肌の中にあって際立っている。
革の鞄を抱え込むように手繰り寄せて、うんと頷いた。
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