第2話 ベルトルーガ商会
「大丈夫ですか?」
ポーラは肩を掴まれ揺すられていた。耳に聞こえるのは聞き慣れぬ女の声。
いつの間に寝ていたのか、薄らと瞼を開けると白いカチューシャを身につけた少女がいた。
「強制ブラックアウトとは……VRは凄いね」
「大丈夫ですか? 私の声、聞こえてますか?」
うろんだ目で何やらつぶやくポーラに少女は意識の混濁を認めて、顔の前で手を振り注意を引く。
こちらの反応に合わせて細かい対応が出来るとは最新のNPCは凄いものだ。こういった要素の積み重ねが没入感を与えるんだよね、などとポーラは詮無いことを考える。
「……イベント!」
ハッと上半身を起こして声を上げたポーラに少女の方がビクリと跳ねる。ポーラは床に寝ていた。服が所々破れ、また全身濡れているようだがそんなことはお構いなしにポーラは尋ねる。
襲撃はどうなったのか、と。
「襲われてる人がいたんだけど、大丈夫だった!?」
「え、ええ、倒れた貴方のそばにいた方々なら無事です。貴方は瀕死状態でしたので急いでこちらへ運んで蘇生薬を使用しました」
「蘇生薬ですか。ありがとうございます」
ポーラは深々とお礼する。
これは敗北イベントだったのか、クリアできれば報酬があったのか、もしくは蘇生薬のチュートリアルなのか。
そういえば嫌にリアルな痛みがあったが、気を失ったのは瀕死状態によるものか。
「ひとまず貴方のことを教えていただけますか。私はベルトルーガ商会のファスカと申します」
「僕は白……じゃないやポーラポーラです。ポーラでもなんでも好きに呼んでください」
ファスカと名乗る少女にポーラも自己紹介。
ゲーム内にリアル事情を持ち込むのはNG。身バレ防止のためにもユーザーネームでやり取りをすべしと、思わず名乗りそうになった本名を飲み込んで慌てて言い直す。
しかし、ポーラのそんな思惑を知ってか知らずか、ファスカと名乗った少女はその名前に関心があるようだ。
「ポーラ……様ですか。光輝鎧の関係者の方ですか?」
「『光輝鎧』?」
ポーラには特に心当たりもなく鸚鵡返しの形になったが、どうやらその反応はその反応で思うところがあるらしく、一瞬眉に皺がよる。あまりよろしい回答ではなかったらしい。
ゲームの進歩か、自由度が上がった弊害としてメインストリームが分かり辛くなったことは欠点の一つではなかろうか。選択式であればある程度方向が意図した方へ向くし、ゲームマスターと神の視点でやり取りが発生するTRPGであれば方向修正も可能だが、完全にフリーで動けるというのも考え物である。
NPCの自然さは特筆するに値するが……。
「あの……つかぬことをお聞きしますがファスカさんはプレイヤーでしょうか、NPCでしょうか」
そういえば。もしプレイヤーだったら失礼なことになりかねぬ、と恐る恐る尋ねるポーラ。ポーラの視点では、相手がどちらなのか判断できない。
実際に両者を見比べるなどすれば分かるかもしれないが、もしくは判別する機能があるのかもしれないが現状では情報が少なすぎる。
この質問は、どうやらファスカにとって納得のいくものだったらしい。
「ああ、なるほど。私はポーラさんがいうところのNPCに該当するものです。その質問が出るということはポーラさんは現状を把握できていらっしゃらないようですね」
少しばかりメタなセリフであるが、ポーラの問いかけに対する回答と考えれば不自然ではないのか。むしろプレイヤーとNPCの切り分けができるAI恐るべしと言ったところか。
それにしても現状の把握とはなんだろうか。
「ポーラ様、色々と不明な点あるかと思いますが、まずはこれから我が主人様の元へ案内いたします」
ファスカは立ち上がって、スカートのチリを叩いてからポーラに手を差し出した。ポーラは改めてファスカの全身を眺めたが、黒を基調とした長めのスカートに白のフリル。これはいわゆるメイド服というやつか。
起き上がるために手を借りる。NPCであるファスカの手は、ゲームとは思えないほど柔らかかった。
ポーラが寝ていた場所は屋外の倉庫や納屋のような場所らしい。寝ていた場所以外にも地面に赤黒い乾いた染みがあり、同じようにボロボロになった人間や、もしくは獲物を捌いたりしていたのかもしれない。
扉を抜けると身長よりも随分と高い生垣に囲まれており、見上げれば木々の上に巨大な建物が見える。
すこし歩いて、草木のアーチを抜けるとはっきりと豪邸が見えた。
先ほどの建物はやはり本邸に持ち込めないもののために作られているとみて間違いなさそうだ。
じつはこの建物は犬小屋に過ぎない、といったお約束が無いかなどと思ったがそう言ったこともなく、そのまま豪邸の中へと招き入れられる。
内装は豪華絢爛を形にしたような、いかにも生活のステージが高い装飾が施されていた。一面に敷き詰められたカーペットに、汚れひとつない白い壁。部屋を照らす蝋燭がいくつも灯っており、見上げれば幾段ものガラス細工が重なったシャンデリアが見える。天井にはカラーガラスのモザイクが描かれ同時に陽光を和らげつつ確かな灯りを屋内へと取り込んでいた。
現実であれば、ともすれば気後れしてしまいそうな絨毯に躊躇うことなく土足で踏み込む。時間があれば調度品を見て回りたいがファスカがしっかりと先導してくれるため、あいにくとそんな余裕はない。
幾人かファスカと同じような格好をしたメイドとすれ違いながら、屋敷の奥へと進む。獣のような耳が生えていたり、耳が尖っていたり、尻尾が見えたりここはファンタジーの世界なのだと主張していて心惹かれるが、鋼の自制心を持って軽い会釈に留めた自分をポーラは褒めたい。
しばらく歩いて、大きな扉の前で止まる。ここが屋敷の主人の部屋なのだろう。ドアノッカーを鳴らして、ファスカは中に声をかける。
「入ってもらえ」
低い震えるような声。
声だけならイケおじだ。少なくとも女ではない。
メガネをかけたメイドさんが扉の中から現れてファスカからポーラの案内を引き受ける。
「ポーラ様ですね。ベルトルーガ様がお待ちです」
そういえばそんな商会とか言っていたね、と心のメモにベルトルーガの名前をしっかりと記録する。
扉を開けた先、玉座の間と言わんばかりの広い部屋の中にそれはいた。
ポーラの視線は上へと向かいそこに見えたモノに言葉を失った。
「ようこそ、私がベルトルーガだ」
ああ、やっぱりそうなのか。ペットとかじゃないのね。声に出なくてよかったとどこか見当違いな感想が頭の隅に現れる。
そこにいたのは、皮も肉もない、巨大な龍の骨だった。
「初めまして。僕、私はポーラポーラと申します。ポーラでも好きにお呼びください」
あまりの光景に目を瞬いたが、ファンタジーであれば何あるものぞ。獣人がいるのだから骨人がいることもあるだろう。
それがたまたま竜だった、それだけのことだと混乱する頭でよく挨拶が切り出せたものだとポーラは自画自賛する。現実逃避とも言う。
「うむ、ポーラよろしく」
どこから声を出しているのか不思議だが、声に合わせて下顎骨が揺れており、これは彼(?)の声なのだと息を呑む。
「早速だが、君はプレイヤーである、これは間違いないね?」
「はい」
「よろしい。それで君は現状を理解していないと聞いたがわかっていることは?」
わかっていること、と言われても。質問の意図が理解できず、ポーラは腕を組んで考えるポーズを取る。
何かよろしく無いことが起きていそうな気配がするが、何がどうおかしいのか。
「すみません、正直今日始めたばかりで現状の理解もなんのことを言っているのかわからないです……」
沈黙が支配する部屋に堪えきれずポーラは静々と白旗を上げた。別に勝敗を決めるモノでは無いが、相手の望んだ回答が出せないことに申し訳なさを覚えるのは小市民故か。
「今日、今日は何年何月何日だね?」
何年何月と言われても、今日はゲームのサービス終了日でないか。そんな当たり前なことをなぜ聞くのか、不安がだんだんと大きくなるのを感じる。
「ーー年12月31日、ですよ、ね?」
頼むからそうだといってくれ、そんな淡い願望が語尾に疑問符になって現れる。その気持ちはベルトルーガにも伝わった、その上でその願いが叶わないであろうことが言葉の前に理解できてしまった。
「そう、か。やはり君もその日にここへ来たのだね」
君も、ここに来た。
呟くように吐き捨てられた台詞は想像の翼はろくでもない妄想を掻き立てる。
「とても嫌な気配を感じるのですが、これってゲームですよね?」
「君はログアウト出来るかね?」
「できるに決まって……どうやって?」
そういえばどのようにログアウトするのか。
「本来であればゲームメニューから選択するのだが」
「メニュー画面ってどう出すんですか」
あまりにもあんまりな知識レベルの乖離に、ベルトルーガの声が詰まった。呆れているのか怒っているのか骨から読み取ることはできないが、良い印象はないだろう。
しかしそんなことに気を留めていられないほど、どうしようもない事実が目の前にあった。
「ゲームの世界に閉じ込められた……?」
この誰に問うでもない疑問にベルトルーガは答えない。
「おそらくだがプレイ時間、レベルあたりを評価値として過去1000年ほど前から順にこの世界に現れている。ここ数十年新規でプレイヤーが現れることはなかったが、サービス終了に近い時期にゲームを始めたプレイヤーが現れれば新たな何かが始まると予想、いや願われて“いた”」
それがポーラではなかったか、あるいはそんな夢などあり得なかったか。
どちらにせよポーラの出現は今の所、世界になんの影響も与えていない。
ベルトルーガは体を持ち上げて、ポーラの方へと体を近づける。体高はポーラの何倍もある竜の骨である、それが上から迫ってくるのはなかなかの迫力がある。竜の頭骨にシャンデリアからの光が阻まれ、ポーラに影を落とす。
「君には2つの選択肢がある。この世界で生きていくか、死んで時間を止めるかだ」
蘇生薬がある、死は現実ほどに重くない。
「プレイヤーは歳を取らず、死なない。正確には死亡状態からノーリスクで蘇生できる」
だがそれは決して生を望む理由にはならない。
「何百名ものプレイヤーが『聖教会』で死にながらこの世界の終わりを待っている」
現実とゲームの狭間に多くのプレイヤーが耐えられなかった。
正直、ポーラ自身何が何だか理解できていない。ただ生きるか死ぬかの2択ならば、もう少し生きてから選べば良いと思った。
「その2択なら、僕は生きてみたいと思います」
何より、まだ数時間も経っていないこの世界がなんなのかよく分かっていないのだ。
「そうか。なら君にわかりやすく選択肢をあげよう」
仙愚者、無能
黄金卿、ミェルケト
不死王、オノミチ
道化師、バルーボン
聖皇女、クルーエル
光輝鎧、ポーラスター
戦魔神、ミフナ
狂夢魔、ハーサ
鉄鬼人、黒鉄
光速機、スパーソニック
自縛怪、ミィトボゥル
無空芒、皆神団地
「そして私、ベルトルーガ。以上がこの世界で最も力を持つ13人だ。君もゲームプレイヤーなら聞いたことはあるだろう」
「いえ、全く知らないです」
「なに? このゲームを始めたのなら知っていたと思ったのだが」
ポーラの回答はベルトルーガにとって想定外だったようだ。
相変わらず骨はポーラの上にありただただ威圧するばかりだが、少し驚いたような雰囲気を声から感じる。
「誰かのところに向かうのがわかりやすいと思ったのだがどうするか」
「それならミフナさんのところを目指してみようと思います」
なぜか。
「7番目だったからです」
1、2、3、いっぱいな頭でも7と決めれば数えられる。一応名前の元になった北斗七星にあやかって7を意識しているのだが、そういった細かい積み重ねが個性だとポーラは考えている。
「わかった。君の旅が守られるよう、ファスカを付ける。プレイヤーではないがこの世界について教育してある。何かあれば彼女に助力を得るといい」
背後で扉が開く音に振り返ると、ファスカが頭を下げていた。
「君の旅路に幸在らんことを」
ああ、ここだけはなんかゲームっぽい。
「ところでベルトルーガさんは何か二つ名はないんですか?」
ベルトルーガはあえて名乗らなかったのだが、ポーラにそこを突かれた。
ベルトルーガはどうしてか少し顔を逸らす。
「爆撃皇、と呼ばれております」
部屋付きだった眼鏡のメイドが少し笑いながら答えた。ベルトルーガがそちらを向くが特に何かを言うわけでもない。従者の軽口にも高圧的に出るわけでもなく、ポーラの常識的に良好な関係と思えた。
「爆撃皇、すごい名前ですね」
ポーラの声は純粋に感心している。ゲームは現実とは違う自分、と言うのがポーラの思うところだ。自分が呼ばれるなら恥ずかしさもあろうが、ああ、ベルトルーガの反応はそういう感じなのだと理解する。
1000年経っても慣れないのか、少しだけ親近感を覚えるポーラだった。
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