制圧の呼号(1)

「フェル、ティ……!」

「そんな……本当に旦那様が!?」


 ゼルとケイトの口から漏れたのと同じような驚きの声は、広場の民衆の最前からも起こり、全体へ及んでいった。賊はもちろんだが、警備隊すら目を白黒させている。


 ゼルは、ケイトの背中に腕を回して身を寄せ、もう片手で棍棒のように長銃を握り締めて、第二の脅威であったレドの動きを目で追っていた。彼らの急な仲間割れを利用して、ケイトの身柄を民衆の中に押し隠そうと思ったからだ。だがその行動も、フェルティアードがここにいたという衝撃で、完全に止まってしまっていた。


 フェルティアードは首を動かさずに、その視界内を一瞥いちべつした。そして対するレドに目を合わせると、号令を発した。


「四班、五班はそれぞれオイユ通りと北門へ向かえ! 細路地に馬が隠してある、確保しろ!」


 それにも関わらず、指示された場所へ即座に走り出す警備隊員はひとりもいなかった。それだけ、領主がこの場にいるという事実が信じられなかったのだろう。それは警備隊と見合っていた賊も同じで、彼らもまた領主が何を言ったのか、わかりきっていないようだった。


「何してる、旦那様直々のご命令だぞ! ヨーエン、イルム、行け!」


 シトーレがげきを飛ばすと、警備隊は我に返ったように機敏に動き出した。名を呼ばれたのは該当の班の班長だったらしく、即座に班員をまとめて目的地に走り去っていく。


「警備隊、この連中を捕縛しろ! 抵抗するなら殺しても構わん、民の安全が最優先だ!」


 シトーレの再度の命令に、とうとう警備隊員全員が、本来の動きを取り戻した。広場を包んでいた人垣は、あっという間に通りに吸い込まれていき、警備隊を邪魔する者は賊だけになる。剣を数度重ね、倒せないと判断した賊の一部は、命が惜しいと見えその場で投降していった。


 中には無謀と勇気を取り違える者もおり、それがフェルティアードにかかっていった賊のひとりだった。背後こそとっていたが間近ではなかったせいで、彼はフェルティアードに難なくあしらわれ、胸をひと突きにされた。


 ゼルはこの時、フェルティアードの攻撃対象から外れたレドが、あの森でのエアル兵のように、卑怯にも彼の死角を狙うのではと予想していた。手にした長銃からは、すでに火薬は抜き、念を入れて火花を起こすための燧石すいせきも外している。近くにいる警備隊員にケイトを任せれば、これを振り回して少しは加勢できる。


 しかし、レドはフェルティアードを襲わなかった。あの一度の手合わせで、自分の力では勝てないと悟ったのだろうか。彼が目を合わせたのはゼルだった。肩を抱き寄せていたケイトもそれに気づいたか、ゼルの服をか細い手で握ってきた。


 この場を掌握し切った領主は倒せない。そして逃げ切ることも不可能になった。進退極まったこいつはそれならばと、おれを手にかける気なんだ。


 ふたりのあいだには、ちょうど賊を捕縛した警備隊がいた。ひとりがレドの動向に気づき、剣を抜こうとする。


「だめだ! それよりケイトを、頼む!」


 ゼルは叫んで、その隊員のほうへケイトを押しやった。彼はすぐに両腕を伸ばし、ケイトをレドから隠す。賊が縛りあげられていったおかげで、逃げていた民衆がまたそろそろと戻ってきていたので、彼らの手もあり、ケイトは怪我もなく人混みの中に匿われていった。


 これでケイトは安全だ。あとは迫り来るレドと、警備隊との戦闘を逃げ切ってレドの元に集まってきた、数人の賊だけだ。彼らはかしらとゼルとの戦いを邪魔させまいと、円状に広がり、警備隊に向け剣を構え始めた。


 ゼルの武器は、鈍器と化した長銃だけだった。しかも今になって、その重さが腕に響いてきていた。拳銃とは違い、片手で扱えるようには造られていない。自然と両手で持つ形になっていたゼルを見て、レドは見下すように鼻で笑った。


「振り回してみろよ。うまくやれば、イーズみたいに一撃だぜ」


 見え透いた煽りだ。重量がある分、その軌道は読まれやすいし、直後の隙が大き過ぎる。言う通りにしたが最後、レドの剣はがら空きになった胴を仕留めにくるだろう。


 ゼルはもう一度長銃を強く握った。この身体自体も傷だらけなのだ。むやみやたらに暴れ回るのは、自分を追い詰めるのと同じだ。動かず、警備隊が賊を倒すのを待つほうが得策だ。


 ただ睨むだけだったレドは、ゼルがそう考えるのをすぐ読み取ったようだ。剣を閃かせ、ゼルの首付近を目がけて突いてくる。ゼルはとっさに長銃を横に持ち替え防いだ。剣のほうがだめになってもおかしくなかったが、レドはゼルの行動を予測していたらしく、剣の勢いは直前で大きく落とされていたので、やいばの鋭さは健在だった。


 一旦距離を取ろうとするが、レドはすぐ追いかけまた剣を繰り出す。長銃のおかげで傷は受けないが、強制的にそれを振り回させられているため、ゼルの体力は徐々に削られていた。


 一方、賊の仲間たちは、警備隊も手を焼くほどに奮戦していた。頭領への信頼が厚い者が多く残ったというのだろうか。シトーレは歯噛みを隠せず、対照的にフェルティアードは普段通りの、鋭く冷めた目で、賊とその向こうにいるゼルたちを見ていた。


 フェルティアードは石塔を通り過ぎたところだったが、その足元で身じろぎする者があった。うつ伏せに倒れていた彼は胸元をまさぐり、ぎこちなくも手にしたものを取り出そうとする。上向いた目にゼルが映ろうとした瞬間、振り下ろされた剣先がそれを阻んだ。


「このフェルティアードの騎士に銃を向けただけでも飽き足らず、まだその命を狙うか」


 動きかけた男の上腕を見咎めたフェルティアードは、容赦なくそれを踏みつけた。伏せていたせいでくぐもった悲鳴が、男の口から押し出される。


「よほどの重罰が欲しいと見えるな。おまえとおまえの頭領ともども、刑を重くしていただくよう陛下に嘆願してやろう」


 警備隊、と彼が叫ぶと、賊たちとの抗戦に加勢しようと来ていた隊員がふたり走ってきて、男を捕らえた。抱え上げられた彼の肩あたりからは血が流れ、その手に握られていた短刀も、赤く汚れていた。


「それは返してもらおう。上官の私物で騎士が怪我を負うなど、笑うに笑えん」


フェルティアードは短刀の汚れに顔をしかめたが、そう言って男の手からそれを取りあげると、隊員に連行を任せた。

 今一度フェルティアードが視線を向けた先では、防戦一方となっていたゼルが、荒い息をついていた。


 両腕の感覚は薄くなり、手元を見ないと銃を持てているのかも危ぶまれるほどだ。動き回ったせいで流れた汗をぬぐうもなく、目に入らないのが奇跡的といえた。


 賊はまだしぶとく居残り、警備隊の進行を止めている。フェルティアードがこちらにやってきているのが見えたが、それにレドが気づけば、猛攻してくるのは目に見えている。武器でありながら、己の残された力を吸い取っていくこの銃をなんとかしなければ――


 その時、目の前のレドの頭に、何かがぶつかり跳ね返った。レド本人も、それを見たゼルも、飛んできた方向に目を奪われる。剣を突きつけ合う賊と警備隊の向こう、広がる民衆の山から飛び出た小さな人影が、そこにいた。

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