決潰への一手(1)
通りに出たゼルは、来た時とは違い、賊に姿を隠されることはなかった。ゼルが走り出したとしてもすぐに捕まえられる間合いに、彼らは散っていたのだ。散ったとしても、彼らがゼルを監視しているのは、誰が見てもわかる。
額に巻いた青紫の布をなびかせ、歩いていくレドのそばにはケイトと、ケイトの動きを封じている例の男がいる。これでは、通行人や店の人間が異常に気づき、通報されるのも時間の問題だ。
こいつらは、なぜわざとそんなことをしてる? 人々の注意を引いて、何の得が――いや、注意を引くのが目的なのか?
自分やケイトだけでなく、テルデの民まで巻き込むつもりか。ゼルが総毛立った時には、サパール広場はもう目の前だった。
広場の中央に立つ石塔は、かつては街道の道標だった、という話をケイトから聞いたことがある。目印にされることも多いそこに、怪しげな顔の見えない男と、両手を背に回され満足に動けなさそうな女――口の布は途中で外されたようだ――、そして彼らを従えている様子の男が立って、注目を集めないはずがない。
そこに続けて、土で洗ったかのような外套を羽織った、傷だらけのフェルティアードの騎士が現れれば、広場のどよめきは波となり、繋がった全ての通りへ巡っていった。
常に巡回している警備隊は、当然これをすぐさま察知した。しかし彼らは同時に、できあがり始めた人垣の中から、新たな賊が次々と現れたのを見つけることにもなってしまった。彼らは剣を抜き、頭領に近づこうとする者を威圧し始めた。
通達を受けたらしい警備隊員が随所から駆けつけ、それぞれが賊をその目に捉える。だが、敵の剣先に民がいては、それ以上のことはできないようだった。
「仕事が早いな。だがひとりでも捕まえてみろ。その瞬間に、ほかの住民もこの女も、フェルティアードの騎士も死ぬことになるぜ」
近くにいた警備隊員に向けて、レドは声を張りあげた。班長格だったその隊員は、苦い顔をして、ほかの地点にいる隊員に手で合図をした。手を出すなという意味合いだろう。
広場の中心を囲む住民の山に、それ以上進ませまいと立ちはだかる賊、彼らに手を出せないでいる警備隊。拮抗から生まれた緊張感は、ゼルの肌を服の上からでも灼いてくるようだった。
「さて、お集まりの皆様。これから始まる見世物の主役は、かのフェルティアードの騎士殿だ」
レドが叫ぶと、ゼルからは死角になっていた石塔のかげから、長銃を持った賊が出てきた。
「この銃はひと昔前のもので、精度がすこぶる悪い。こいつで、騎士殿の運の強さを試そうと思う。運の尽きは、騎士殿の命が尽きる時だ」
人垣がざわめいた。
「おっと、何も騎士殿の命が欲しいというわけじゃない。運試しをするのは主にふたつについてだ。まずは、騎士身分を引き寄せたであろう、彼のその“腕”だ。技術はともかく、この腕が振るった剣が、フェルティアード卿を救ったそうじゃないか。こいつの弾を何発かわせるかで、その強運をはかる。ただし、それだけじゃおもしろくない。一発かわすごとに、距離を詰めさせてもらう」
「ふざけるな! それじゃあ、最後には絶対に当たるじゃないか!」
最前にいた男が怒鳴った。しかしレドは飄々と言葉を返す。
「そのためのふたつ目だ。聞けば騎士殿は、貴族とは無縁の地の出身らしいな。そんな身分で、大貴族の庇護を受けることになるなど、強運以外の何物でもない。この運をまだ持っているなら、騎士殿はこの危機を脱する何かを引き起こしてくれるだろう」
ゼルの傍らにいた賊が、彼の腕を引っ張り歩き出す。その先には、長屋の側面にあたる石壁があるだけだった。
ゼルはそこに背を押しつけられた。一歩でも動いたら
「フェルティアードは来ないのか」
「誰にも言うなって書いたのはそっちだろ」
「この騒ぎだ、警備隊の報せはとっくに屋敷に届いてるだろう。馬車か馬のひとつでも出して、駆けつけもしないのか」
サパール広場は、モルト広場よりも少しだけ、屋敷から遠い場所にあった。遠いといっても、レドが言うように馬を使えば、問題にはならない程度の誤差だ。
「あいつが何考えてるかなんて、おれが知るか。それよりなんだよ、あの趣味の悪い“運試し”は」
「安心しろ、精度が悪いのは本当だが、頭や胸に流れるほどの不良じゃねえ。ただでさえ、人間の腕一本に命中させるのは難しいんだ。あの女は、おまえの腕が潰れたら返してやる。ま、途中で当たってもおもしろくねえ。おまえの腕に銃口を押しつけるまで、なるべく当てないように言っといてやるよ」
ゼルは歯を食いしばった。もはや猶予はない。あの長銃の先端が自分の腕を捉えるまでに、隙を見つけなくてはならない。しかし、集まった民まで人質に取られては、下手な行動は誰かの死を招いてしまう。
その時、ゼルに近いところの人混みが騒ぎ出した。塊が割れて細い道ができる。そこを通って広場に出てきたのは、警備隊長の制服に身を包んだシトーレだった。
「報せを聞いて飛んできてみれば……きさまが頭領か。ここまでして、すんなりとこのテルデを出られると思っているのか」
温和な印象ばかりを形作っていた顔の皺は、今では酒場で見た時以上の怒りを表していた。
「なんだ、警備隊のまとめ役か。ご主人様はどうした」
レドの質問に、シトーレはつらそうに顔を歪めただけで、答えなかった。言えないのか、それとも主人が何をしようとしているのか、本当に知らないのか。ゼルは、初めて見るシトーレの表情から、真意を推し量ることはできなかった。
「街の守り手も信用してないのか。大した貴族様だな。あんたも見ていけよ、ご主人様が選んだ騎士が倒れる瞬間をな」
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